「……っ、はぁ、はぁ、はぁ……」
目を覚ました僕は、寝汗をぐっしょりかいていた。
何だ、あの悪夢は? 酷い夢を見たものだ。
そりゃあ、原田さんが僕にチョコなんてくれる筈がないよな。
僕は汗を拭いて深呼吸をし、気持ちを落ち着かせた。
カレンダーを見ると……今日は二月十四日。バレンタインデー。
冴えない僕は誰からもチョコなんて貰える訳がないだろうし、調子に乗るなという戒めだろう。そう、思うことにした。
出勤した僕は、一日、何となく原田さんを避けていた。
まぁ、あれは飽くまで夢の中のことだし、実際はそんな娘ではないことは分かっていた。だがしかし、顔を見れば見るほどに、夢の中で見た危険なあの目がフラッシュバックして……彼女が近寄って来て何か言おうとするのを、ことごとく逃げたのだった。
そんな夕刻、末永さんが僕に声を掛けてきた。彼女は職場で三番目に人気の女性で……まさか、声を掛けられるとは思っていなかった。何でも、アフターファイブに大事な話があるらしかった。
窓からの景色が美しいホテルレストランの中……切れ長の美しい目をした彼女が、緊張した表情を僕に向けた。
「清村くん。どうか……受け取って下さい」
「え、僕に……!?」
夢のようだった。いや、本当に夢じゃないだろうか。
その手には、高級感溢れる、綺麗な小包が握り締められていた。
「ずっと、清村くんのことが好きだったの。付き合って下さい!」
「も……もちろん! 喜んで!」
「嬉しい……どうぞ、チョコレートを召し上がって」
「はい! 喜んで!」
夢見心地で小包を開けると……何て素敵なんだ! これが高級チョコレートと言うのだろう。見たこともないようなエレガンスな包装を施されたチョコ達が並んでいた。
そのうちの一つを口に含んで噛み締めると、ちょっぴりビターな甘さが広がり、この胸いっぱいに幸せが溢れる。
「甘い……末永さん。すごく美味しいよ」
とろけそうな想いで、ぼぉっとした。
何て、幸せなんだ。冴えない僕が、まさかこんなに素敵な彼女からバレンタインチョコを貰えて、さらに告白までされるだなんて……。
うっとりと見詰めていると、彼女の切れ長の瞳がキラッと怪しく光ったような気がした。
「清村くん、美味しい?」
「うん、とっても!」
「本当に、私に付き合ってくれる?」
「うん、もちろん……」
……って、あれ? 何だかこの展開、妙な既視感があるような……
「良かった……じゃあ、是非とも参加して欲しいイベントがあるの」
「えっ、いや。ちょい、待って……」
若干の疑念を抱きつつ、僕は彼女に手を引かれてレストランを出た。
彼女に連れて来られたのは、ホテルのロビー。そこには、黒尽くめのスーツを身に纏った中年男性が集っていた。
彼らはこちらに気付くと、ニマニマと不気味な笑いを見せて手を振ってきて……末永さんも同じくニマニマ笑いをして、手を振って返した。
「えっ……末永さん?」
「清村くん。私達と一緒に、人生ゲームをしましょう」
「はい? 人生ゲーム?」
「ええ。我々の人生、苦しいことがあっても、つらいことがあっても、ゲームだから楽しいの。我々はここでのゲームを通して、全ての人生をゲームに変えることができる……あなたはまさに今、その力を手にしたのよ」
そんなことを語る彼女の瞳には光はなくて、僕の背筋にはゾクリと悪寒が走った。
訳が分からない。良い歳をした大人が集って人生ゲームだなんて……変なセミナーか、宗教だかの勧誘じゃないか。
「いや……そういうことは、僕は遠慮しておきます」
「あら、どうしてよ? あなた、チョコを食べたじゃない」
「いや、それはそういう意味じゃなくて……」
その時だった。ロビーに集っていた中年男性が、ワラワラとこちらに寄って来た。
どいつもこいつも一様に、目には光が灯っておらず……怖すぎる!
「な……何ですか?」
「聖母・マジョリシカからチョコレートの施しを受けながら、宗教法人『人生ゲーム』を抜けようなど……」
「そのような不届者、生かしておけぬ!」
「いや、ちょっと待って。やめて……助けてえぇーーー!」
そのホテルロビーに、僕の叫び声が虚しく響き渡った。