#1
ー/ー 一九一二年四月十日。サウサンプトン港は数千の人でごった返していた。あと三十分で出航だ。
余裕をもって出発したのに、渋滞のせいで一時間も到着が遅れた。辻馬車から降り、ブライアンと急ぎ足で乗船口へ向かった。
「すごいな。こんな大きい船、見たことない」
思わず俺は立ち止まり、停泊するタイタニック号の全景を仰ぎ見た。黒を基調に四本の大型の煙突がそびえ立つ船体は、圧倒的なスケールで目の前に迫る。
イギリスからアメリカへ渡る航路は需要が高く、船会社はいかに速く多くの乗客を一度に運べるかを競い合っていた。
ホワイト・スター・ライン社は最新鋭の蒸気タービンエンジンを積むキュナード・ライン社の船に後れを取っていたこともあり、起死回生をはかるべくタイタニック号は建造されたのだ。
人夫や見送り客のほか、車も馬車も荷車も相当な数だ。ありとあらゆるものが混在し、密集し、熱を帯びていた。あまりのひとの多さに数メートル進むのさえ時間がかかる。すれ違いざま何度もぶつかりながら前へ進んだ。
書き置きだけ残し父さんの目を盗んで家を出てきたことに後悔はなかった。従順でい続ける子供なんてこの世にいないんだと思い知ればいい。
「心が躍るね。大型船に乗るのは学生以来だ」
人混みを抜けようやく目的のタラップにたどり着いたとき、頭上にひときわ大きな汽笛が鳴り響いた。いよいよ出航だ。
余裕をもって出発したのに、渋滞のせいで一時間も到着が遅れた。辻馬車から降り、ブライアンと急ぎ足で乗船口へ向かった。
「すごいな。こんな大きい船、見たことない」
思わず俺は立ち止まり、停泊するタイタニック号の全景を仰ぎ見た。黒を基調に四本の大型の煙突がそびえ立つ船体は、圧倒的なスケールで目の前に迫る。
イギリスからアメリカへ渡る航路は需要が高く、船会社はいかに速く多くの乗客を一度に運べるかを競い合っていた。
ホワイト・スター・ライン社は最新鋭の蒸気タービンエンジンを積むキュナード・ライン社の船に後れを取っていたこともあり、起死回生をはかるべくタイタニック号は建造されたのだ。
人夫や見送り客のほか、車も馬車も荷車も相当な数だ。ありとあらゆるものが混在し、密集し、熱を帯びていた。あまりのひとの多さに数メートル進むのさえ時間がかかる。すれ違いざま何度もぶつかりながら前へ進んだ。
書き置きだけ残し父さんの目を盗んで家を出てきたことに後悔はなかった。従順でい続ける子供なんてこの世にいないんだと思い知ればいい。
「心が躍るね。大型船に乗るのは学生以来だ」
「俺は初めて。ブライアンは仕事で使ってなかった?」
「もっぱら鉄道だよ。小型船は何度か利用したことがあるけど、酔って仕事にならなくてね」
「もっぱら鉄道だよ。小型船は何度か利用したことがあるけど、酔って仕事にならなくてね」
「弱いなぁ」俺は吹き出した。
「アシュリーも一度経験してごらん。つらさがわかるから」
「やだよ」
人混みを抜けようやく目的のタラップにたどり着いたとき、頭上にひときわ大きな汽笛が鳴り響いた。いよいよ出航だ。
タイタニックは噂に違わず壮麗豪華な船だった。レセプションルームやラウンジ、ドーム型天井の下にしつらえた大階段は芸術的な美しさで、踊り場の壁に埋め込まれた柱時計が優雅な時を刻む。
客室は長旅にふさわしく落ち着いた色味の上質な家具とリネンでコーディネイトされていた。スイートルームには及ばずとも、ロンドンの高級ホテルに引けをとらない内装だった。
俺たちは日々行われる催しやコンサート、船内見学ツアーに参加した。さえぎるもののない船上からの景色は特に素晴らしくて、デッキチェアーに横たわり何時間も遠く広がる空と海を眺めて過ごした日もあった。
そんな感じで乗船してからはしばらく夢見心地の日々だった。
五日目の今日はいったん現実に戻り、部屋で宿題を片付けたり台本を読んだりしている。
ブライアンは朝からジムやミニゴルフに出かけていたけれど、疲れたのか最後は昼寝と読書に落ち着いた。随時詳細なメモを取っていたから、そのうち新聞記事になるかもしれない。
客室は長旅にふさわしく落ち着いた色味の上質な家具とリネンでコーディネイトされていた。スイートルームには及ばずとも、ロンドンの高級ホテルに引けをとらない内装だった。
俺たちは日々行われる催しやコンサート、船内見学ツアーに参加した。さえぎるもののない船上からの景色は特に素晴らしくて、デッキチェアーに横たわり何時間も遠く広がる空と海を眺めて過ごした日もあった。
そんな感じで乗船してからはしばらく夢見心地の日々だった。
五日目の今日はいったん現実に戻り、部屋で宿題を片付けたり台本を読んだりしている。
ブライアンは朝からジムやミニゴルフに出かけていたけれど、疲れたのか最後は昼寝と読書に落ち着いた。随時詳細なメモを取っていたから、そのうち新聞記事になるかもしれない。
順調にいけば八日目の四月十七日、午前のうちにアメリカへ到着する。折り返しタイタニックに乗るか、他社の船に乗り換えるかは空き状況次第だ。
イギリスへ戻るのは四月の最終週で新学期は始まっている。勉強面は予習さえしておけば問題ないし、その頃には父さんの怒りも治まっているだろう――と期待したい。
それよりもいまは初めて訪れるアメリカがどんな街なのかずっとわくわくしていて、その反面、豪華客船の旅があと少しで終わってしまうのが寂しく思えた。
イギリスへ戻るのは四月の最終週で新学期は始まっている。勉強面は予習さえしておけば問題ないし、その頃には父さんの怒りも治まっているだろう――と期待したい。
それよりもいまは初めて訪れるアメリカがどんな街なのかずっとわくわくしていて、その反面、豪華客船の旅があと少しで終わってしまうのが寂しく思えた。
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一九一二年四月十日。サウサンプトン港は数千の人でごった返していた。あと三十分で出航だ。
余裕をもって出発したのに、渋滞のせいで一時間も到着が遅れた。辻馬車から降り、ブライアンと急ぎ足で乗船口へ向かった。
「すごいな。こんな大きい船、見たことない」
思わず俺は立ち止まり、停泊するタイタニック号の全景を仰ぎ見た。黒を基調に四本の大型の煙突がそびえ立つ船体は、圧倒的なスケールで目の前に迫る。
イギリスからアメリカへ渡る航路は需要が高く、船会社はいかに速く多くの乗客を一度に運べるかを競い合っていた。
ホワイト・スター・ライン社は最新鋭の蒸気タービンエンジンを積むキュナード・ライン社の船に後れを取っていたこともあり、起死回生をはかるべくタイタニック号は建造されたのだ。
人夫や見送り客のほか、車も馬車も荷車も相当な数だ。ありとあらゆるものが混在し、密集し、熱を帯びていた。あまりのひとの多さに数メートル進むのさえ時間がかかる。すれ違いざま何度もぶつかりながら前へ進んだ。
書き置きだけ残し父さんの目を盗んで家を出てきたことに後悔はなかった。従順でい続ける子供なんてこの世にいないんだと思い知ればいい。
「心が躍るね。大型船に乗るのは学生以来だ」「俺は初めて。ブライアンは仕事で使ってなかった?」
「もっぱら鉄道だよ。小型船は何度か利用したことがあるけど、酔って仕事にならなくてね」
「もっぱら鉄道だよ。小型船は何度か利用したことがあるけど、酔って仕事にならなくてね」
「弱いなぁ」俺は吹き出した。
「アシュリーも一度経験してごらん。つらさがわかるから」
「やだよ」
人混みを抜けようやく目的のタラップにたどり着いたとき、頭上にひときわ大きな汽笛が鳴り響いた。いよいよ出航だ。
タイタニックは噂に違わず壮麗豪華な船だった。レセプションルームやラウンジ、ドーム型天井の下にしつらえた大階段は芸術的な美しさで、踊り場の壁に埋め込まれた柱時計が優雅な時を刻む。
客室は長旅にふさわしく落ち着いた色味の上質な家具とリネンでコーディネイトされていた。スイートルームには及ばずとも、ロンドンの高級ホテルに引けをとらない内装だった。
俺たちは日々行われる催しやコンサート、船内見学ツアーに参加した。さえぎるもののない船上からの景色は特に素晴らしくて、デッキチェアーに横たわり何時間も遠く広がる空と海を眺めて過ごした日もあった。
そんな感じで乗船してからはしばらく夢見心地の日々だった。
五日目の今日はいったん現実に戻り、部屋で宿題を片付けたり台本を読んだりしている。
五日目の今日はいったん現実に戻り、部屋で宿題を片付けたり台本を読んだりしている。
ブライアンは朝からジムやミニゴルフに出かけていたけれど、疲れたのか最後は昼寝と読書に落ち着いた。随時詳細なメモを取っていたから、そのうち新聞記事になるかもしれない。
順調にいけば八日目の四月十七日、午前のうちにアメリカへ到着する。折り返しタイタニックに乗るか、他社の船に乗り換えるかは空き状況次第だ。
イギリスへ戻るのは四月の最終週で新学期は始まっている。勉強面は予習さえしておけば問題ないし、その頃には父さんの怒りも治まっているだろう――と期待したい。
それよりもいまは初めて訪れるアメリカがどんな街なのかずっとわくわくしていて、その反面、豪華客船の旅があと少しで終わってしまうのが寂しく思えた。