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#4

ー/ー



***

「悪かったね、アシュリー。嫌な思いをさせてしまった」
 父さんと母さんが私室に引き上げたあと、俺はブライアンと食堂に残り口直しの紅茶を飲んでいた。

「ブライアンは悪くない。父さんがおかしいだけだ。けど……どうしてあんなに怒るんだろう」
「そうだねぇ」

 ブライアンは普段使わない角砂糖を三個もカップに入れ、ひたすらティースプーンでかき混ぜていた。動揺してるのか無意識なのか、大丈夫か。

「昔アメリカでなにかしでかしたわけ?」
「……しでかしてというほどでは」

 素行がどれほど悪かったのか、俺は詳しく知らない。父さんがアメリカに過剰反応を示すくらいだ。相当のことがあったんだろう。

「私は間違いを犯したとは思ってないよ。……いや、アシュリー。その疑いの目で見るのはやめてくれるかな」
「父さんは俺がアメリカに行くのが目的みたいな言い方をしてた。どうしてあんな誤解をしたんだろう」

 ブライアンは「さあ」と首を傾げた。何か隠してるのかと訊ねても、語ろうとしない。俺は深追いを諦めた。過去のことでブライアンを追いつめても仕方ない。

「別にいいけどさ。ブライアンが悪党だったとしても、俺には大事な家族だよ。ただ、父さんがブライアンを否定するたび、心はどんどん父さんから遠ざかっていくんだ」
「アシュリー……」

 父さんは俺のことを愛していない。俺がたどるであろう将来の成功を愛しているんだ。だから勝手に結婚相手を決めるし、行動や交友関係にも口を出してくる。

 俺のためじゃない。すべて自分の利益を守るためだ。そんな父さんと違って、ブライアンは俺を損得勘定なく受け入れ、愛情を注いでくれる。時に友人のように、兄のように。

「ブライアンが父さんなら良かったな」
「なんだい、それ」

 戸惑いながらブライアンはティーカップに落としていた視線を俺に向けた。

「そう思ってくれるのは有り難いけど、私じゃ兄さんみたいに、アシュリーをここまで立派に育てられなかったよ」

「なにがなんでも父さんを立てるのはブライアンの美徳だな」
 それはもうあきれるほどに。

「そんなんじゃないよ。事実だからさ」

 ブライアンが腰をかがめ、父さんの手からこぼれ落ちたチケットの残骸を拾い集め暖炉に放った。紙切れは一瞬だけ赤く閃き燃え尽きた。胸の中に芽生えた喜びや希望も、同時に灰になった気がした。

 父さんのせいであきらめたこと、我慢したこと、いままでどれほどあっただろう。ふと頭をよぎり虚しくなる。

 俺はいつまであの人の操り人形でいなきゃいけないんだ。
 あとどれくらい? あと何年? もしかして、一生なのか。

「アシュリー、タイタニックに乗りたいかい?」
「そりゃあね。でも、あきらめるよ」
「悩むところだけど……」

 ブライアンがおもむろに上着の内ポケットから封筒を取り出し、テーブルの上に置いた。

「え……なに、まさか……」
「兄さんが破ったのは、オペラのチケットだよ」

 複雑そうな顔でブライアンが肩をすくめた。
 すごい、完全勝利じゃないか。

「もう一度聞くよ、アシュリー。タイタニックに乗りたいかい?」

 俺は一も二もなく頷いた。これを逃したらもうチャンスはめぐってこない。どんなに父さんが怒ろうとかまわなかった。

 タイタニックに乗れるなら、ブライアンと一緒なら、間違いなく楽しい旅になる。


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みんなのリアクション

***
「悪かったね、アシュリー。嫌な思いをさせてしまった」
 父さんと母さんが私室に引き上げたあと、俺はブライアンと食堂に残り口直しの紅茶を飲んでいた。
「ブライアンは悪くない。父さんがおかしいだけだ。けど……どうしてあんなに怒るんだろう」
「そうだねぇ」
 ブライアンは普段使わない角砂糖を三個もカップに入れ、ひたすらティースプーンでかき混ぜていた。動揺してるのか無意識なのか、大丈夫か。
「昔アメリカでなにかしでかしたわけ?」
「……しでかしてというほどでは」
 素行がどれほど悪かったのか、俺は詳しく知らない。父さんがアメリカに過剰反応を示すくらいだ。相当のことがあったんだろう。
「私は間違いを犯したとは思ってないよ。……いや、アシュリー。その疑いの目で見るのはやめてくれるかな」
「父さんは俺がアメリカに行くのが目的みたいな言い方をしてた。どうしてあんな誤解をしたんだろう」
 ブライアンは「さあ」と首を傾げた。何か隠してるのかと訊ねても、語ろうとしない。俺は深追いを諦めた。過去のことでブライアンを追いつめても仕方ない。
「別にいいけどさ。ブライアンが悪党だったとしても、俺には大事な家族だよ。ただ、父さんがブライアンを否定するたび、心はどんどん父さんから遠ざかっていくんだ」
「アシュリー……」
 父さんは俺のことを愛していない。俺がたどるであろう将来の成功を愛しているんだ。だから勝手に結婚相手を決めるし、行動や交友関係にも口を出してくる。
 俺のためじゃない。すべて自分の利益を守るためだ。そんな父さんと違って、ブライアンは俺を損得勘定なく受け入れ、愛情を注いでくれる。時に友人のように、兄のように。
「ブライアンが父さんなら良かったな」
「なんだい、それ」
 戸惑いながらブライアンはティーカップに落としていた視線を俺に向けた。
「そう思ってくれるのは有り難いけど、私じゃ兄さんみたいに、アシュリーをここまで立派に育てられなかったよ」
「なにがなんでも父さんを立てるのはブライアンの美徳だな」
 それはもうあきれるほどに。
「そんなんじゃないよ。事実だからさ」
 ブライアンが腰をかがめ、父さんの手からこぼれ落ちたチケットの残骸を拾い集め暖炉に放った。紙切れは一瞬だけ赤く閃き燃え尽きた。胸の中に芽生えた喜びや希望も、同時に灰になった気がした。
 父さんのせいであきらめたこと、我慢したこと、いままでどれほどあっただろう。ふと頭をよぎり虚しくなる。
 俺はいつまであの人の操り人形でいなきゃいけないんだ。
 あとどれくらい? あと何年? もしかして、一生なのか。
「アシュリー、タイタニックに乗りたいかい?」
「そりゃあね。でも、あきらめるよ」
「悩むところだけど……」
 ブライアンがおもむろに上着の内ポケットから封筒を取り出し、テーブルの上に置いた。
「え……なに、まさか……」
「兄さんが破ったのは、オペラのチケットだよ」
 複雑そうな顔でブライアンが肩をすくめた。
 すごい、完全勝利じゃないか。
「もう一度聞くよ、アシュリー。タイタニックに乗りたいかい?」
 俺は一も二もなく頷いた。これを逃したらもうチャンスはめぐってこない。どんなに父さんが怒ろうとかまわなかった。
 タイタニックに乗れるなら、ブライアンと一緒なら、間違いなく楽しい旅になる。