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鉄壁の内側

ー/ー



「それね、ジンベエザメなんだー。可愛くない?」 

 手のひらサイズの青いぬいぐるみを渡しながら、黒田南緒は身を乗り出した。水族館で買えるオリジナルグッズ。10月の沖縄修学旅行のお土産だ。

「うわぁ嬉しい! ありがとー。可愛いじゃない」
 それをうやうやしく受け取るスモーキーベージュの指先。
 見れば他にもお菓子だのキーホルダーだの沖縄土産らしきものが美術準備室の机に並べられていて、ジンベエザメはその一番端に追加された。隠れファンは多いらしい。

 けれど、そのうちどれ一つとして家に――守谷玲峰のプライベートに引き入れてはもらえない。生徒からのお土産として、あくまで職場の机に置かれたまま。

 どうしたらあと一歩踏み込んでいける?
 南緒は考える。

 仲は良い、とは確信している。他の女子よりも近くに寄ることを許してくれているとも感じてる。からかわれるのは可愛がられている証拠。絶対悪くは思っていないはず。

 でも、ああ見えて実は鉄壁のガードだ。
 いや。ガードが堅いというよりは、その鉄壁がどこにあるかすら謎、と言った方が正しい。誰でもウェルカム!みたいな顔をしていながら。

 ——手がかりが欲しいな。

 その心に思いきり揺さぶりをかけたい。
 余裕のない目をさせたい。

「それでさ先生、私悩みがあんだよね、聞いてくれない?」
「どうぞ?」
 甘えるように覗き込むと、タイピングの指を止めることなく守谷は頷く。それも仕事だと言わんばかりに何の感慨もなく。
「違うの」
 今ここで話したかったわけじゃない。
 わざとなのか弄ばれているのかそっけない態度が悔しくて、上目遣いで頬を膨らませる。

「なーによ、その顔」
「だーかーら! 帰りにどっか寄りたいんだってば! 込み入った話なんだもん」
「えー、JKとそんなオイシイことしたらあたし、他の先生に恨まれちゃう。怖い怖い」
 嫌だともダメだとも言わない上級かわしテクニック。

「ねーお願い!」
「ここで話せない悩みなら、重すぎてあたしにはちょっと引き受けらんないかも。ごめんね」
 じゃあここでいいよとあっさり折れる。そう言われるだろうことは想定内だ。

「……友達にさ、嫌がらせされてるんだよね」
「嫌がらせ?」
「無視されたりとか、嘘の悪口ばらまかれたりとか……」
 目を伏せて、ふっとそれらしいため息を零す。

「あらあら、喧嘩でもしちゃった?」
「ううん。その子も私と同じ人好きで。だから一方的に恨まれちゃって……私の好きな人、誰か知ってる?」
「あたし」
 守谷は臆面もなく言い放つ。

「そう! でね、その友達って誰だと思う?」
「んー、玲峰のファンいっぱいいるからー」
「うちのクラスの梅崎盟子。覚えてる? あの美大志望の子」
「……梅崎さん?」

 ここでようやく守谷はパソコンの画面から視線をはずした。

「真面目そうに見えるでしょ? あの子。でもすごい陰湿で性格悪くてさぁ。私小学校から一緒なんだけど」
「へぇ」
「ああ見えて実は結構遊んでるし、男好きだし」
 南緒は守谷の耳に唇を近づけて声をひそめた。
「一度堕ろしたこともあるんだよ」

「……ふうん、梅崎さんてそんなふうには見えないけど」

 そう答えるまでのわずかな空白は、きっと動揺しているせいに違いない。狙い通りに。

——利用価値はあったよね。

 盟子のことだ。
 おとなしいし言うこと聞くし、美術室に乗り込む口実としては適当だった。
 いや。
 っていうか。
 私が美大受験のお膳立てをしてあげたんだから、盟子だってメリットあったんじゃん。雄眞ともくっつけてあげたし。初彼できたじゃん。

 でも、私の知らないところで玲峰先生に関わるのは絶対あり得ない。許せない。 
 予備校に画材を持ってきてくれたって、一体何なの? 
 盟子の分際でどうして先生がそこまでしてあげなきゃなんないの?

……小林雄眞から聞くまでは、まさかそういう話になっているとは全然知らなかったのだ。
 進路指導であっても、たまたまであっても、そんなの絶対許せない。美大受験なんかもうやめればいい。

「しかもあの子、今はもう美大行く気あんまないみたい。やめたいとか言ってたよ」
「そうなんだ」
「せっかく色々してあげたのにひっどいよね!」
「残念だわぁ」
「玲峰先生もさ、もう関わらない方いいよ。清楚っぽく見えてあの子黒いから」
「あはは」

 あともう一押し。

「それにね、あの子1組の小林雄眞と付き合ってるの」
「へー」
「なのに玲峰先生狙ってるとかビッチすぎでしょ。雄眞も振り回されちゃって可哀想、ほんとに」
「うんうん」
「だからね先生、もうあの子の相手しちゃダメだよ。絶対無視しなよ?」
 
 守谷はにっこりと微笑んだ。

「色々ありがと」

 もうここまで来たら、あとは断れなくすればいいだけ。
 
 ふわりと夕陽が射しこんだ。
 逆光に侵食された守谷の顔はいつだって一分の隙もなく、よそ行きできれいに整っていて。

 崩したいな、と。

 南緒は思った。



次のエピソードへ進む 守護霊


みんなのリアクション

「それね、ジンベエザメなんだー。可愛くない?」 
 手のひらサイズの青いぬいぐるみを渡しながら、黒田南緒は身を乗り出した。水族館で買えるオリジナルグッズ。10月の沖縄修学旅行のお土産だ。
「うわぁ嬉しい! ありがとー。可愛いじゃない」
 それをうやうやしく受け取るスモーキーベージュの指先。
 見れば他にもお菓子だのキーホルダーだの沖縄土産らしきものが美術準備室の机に並べられていて、ジンベエザメはその一番端に追加された。隠れファンは多いらしい。
 けれど、そのうちどれ一つとして家に――守谷玲峰のプライベートに引き入れてはもらえない。生徒からのお土産として、あくまで職場の机に置かれたまま。
 どうしたらあと一歩踏み込んでいける?
 南緒は考える。
 仲は良い、とは確信している。他の女子よりも近くに寄ることを許してくれているとも感じてる。からかわれるのは可愛がられている証拠。絶対悪くは思っていないはず。
 でも、ああ見えて実は鉄壁のガードだ。
 いや。ガードが堅いというよりは、その鉄壁がどこにあるかすら謎、と言った方が正しい。誰でもウェルカム!みたいな顔をしていながら。
 ——手がかりが欲しいな。
 その心に思いきり揺さぶりをかけたい。
 余裕のない目をさせたい。
「それでさ先生、私悩みがあんだよね、聞いてくれない?」
「どうぞ?」
 甘えるように覗き込むと、タイピングの指を止めることなく守谷は頷く。それも仕事だと言わんばかりに何の感慨もなく。
「違うの」
 今ここで話したかったわけじゃない。
 わざとなのか弄ばれているのかそっけない態度が悔しくて、上目遣いで頬を膨らませる。
「なーによ、その顔」
「だーかーら! 帰りにどっか寄りたいんだってば! 込み入った話なんだもん」
「えー、JKとそんなオイシイことしたらあたし、他の先生に恨まれちゃう。怖い怖い」
 嫌だともダメだとも言わない上級かわしテクニック。
「ねーお願い!」
「ここで話せない悩みなら、重すぎてあたしにはちょっと引き受けらんないかも。ごめんね」
 じゃあここでいいよとあっさり折れる。そう言われるだろうことは想定内だ。
「……友達にさ、嫌がらせされてるんだよね」
「嫌がらせ?」
「無視されたりとか、嘘の悪口ばらまかれたりとか……」
 目を伏せて、ふっとそれらしいため息を零す。
「あらあら、喧嘩でもしちゃった?」
「ううん。その子も私と同じ人好きで。だから一方的に恨まれちゃって……私の好きな人、誰か知ってる?」
「あたし」
 守谷は臆面もなく言い放つ。
「そう! でね、その友達って誰だと思う?」
「んー、玲峰のファンいっぱいいるからー」
「うちのクラスの梅崎盟子。覚えてる? あの美大志望の子」
「……梅崎さん?」
 ここでようやく守谷はパソコンの画面から視線をはずした。
「真面目そうに見えるでしょ? あの子。でもすごい陰湿で性格悪くてさぁ。私小学校から一緒なんだけど」
「へぇ」
「ああ見えて実は結構遊んでるし、男好きだし」
 南緒は守谷の耳に唇を近づけて声をひそめた。
「一度堕ろしたこともあるんだよ」
「……ふうん、梅崎さんてそんなふうには見えないけど」
 そう答えるまでのわずかな空白は、きっと動揺しているせいに違いない。狙い通りに。
——利用価値はあったよね。
 盟子のことだ。
 おとなしいし言うこと聞くし、美術室に乗り込む口実としては適当だった。
 いや。
 っていうか。
 私が美大受験のお膳立てをしてあげたんだから、盟子だってメリットあったんじゃん。雄眞ともくっつけてあげたし。初彼できたじゃん。
 でも、私の知らないところで玲峰先生に関わるのは絶対あり得ない。許せない。 
 予備校に画材を持ってきてくれたって、一体何なの? 
 盟子の分際でどうして先生がそこまでしてあげなきゃなんないの?
……小林雄眞から聞くまでは、まさかそういう話になっているとは全然知らなかったのだ。
 進路指導であっても、たまたまであっても、そんなの絶対許せない。美大受験なんかもうやめればいい。
「しかもあの子、今はもう美大行く気あんまないみたい。やめたいとか言ってたよ」
「そうなんだ」
「せっかく色々してあげたのにひっどいよね!」
「残念だわぁ」
「玲峰先生もさ、もう関わらない方いいよ。清楚っぽく見えてあの子黒いから」
「あはは」
 あともう一押し。
「それにね、あの子1組の小林雄眞と付き合ってるの」
「へー」
「なのに玲峰先生狙ってるとかビッチすぎでしょ。雄眞も振り回されちゃって可哀想、ほんとに」
「うんうん」
「だからね先生、もうあの子の相手しちゃダメだよ。絶対無視しなよ?」
 守谷はにっこりと微笑んだ。
「色々ありがと」
 もうここまで来たら、あとは断れなくすればいいだけ。
 ふわりと夕陽が射しこんだ。
 逆光に侵食された守谷の顔はいつだって一分の隙もなく、よそ行きできれいに整っていて。
 崩したいな、と。
 南緒は思った。