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嘘つき

ー/ー



 小林雄眞は苛立っていた。

 一緒に帰ろうと朝のうちから彼女(・・)に連絡したのだ。今日は部活が休みだから、それが可能なはずだった。
 けれど下校の時間になっても返事はなかった。
 仕方なく自転車置き場で待ち伏せをする。

「おい! どうして返事しないんだよ!」

ようやく盟子が姿を見せた時、朝からの思いが募ってつい口調がきつくなった。
 
「お前さ、よく考えて行動を慎めって言っただろ」
 ただし声は抑える。人の目があるところでは、小林家の次男は問題なく良い子でいなければならない。

……ずっと、片思いだった。

 おとなしくて目立たない、他人からの評価と言えば専ら「いい人」な自分。
 勉強も運動も中の下くらいで、褒められもしなければ目をつけられることもなく。これといった取り柄もなかった。
 何かと優秀な兄は親の期待を一身に受けていて、次男の自分は肩の荷は軽かったけれど、きっとその分存在も軽かった。
 だから愛想をつかされないよう、敵を作らないよう、受け身で生きてきたのだ。

 梅崎盟子は小学生の時に転校してきた子だ。
 可愛いな、とは思った。でもいかんせんおとなしすぎた。声を聞くのは授業で指された時くらいで、それもおどおどして消え入りそうな感じだった。
 初めて口をきいたのは国語の時間。

――教科書、見せてくんない?

 その日は教科書を忘れてしまったので頼むと、隣の梅崎盟子は黙ってこくりと頷いた。
 鉛筆も、消しゴムもノートも教科書も、ハンカチもティッシュも体操着も。いつもきちんと忘れ物なく揃えて来るような子で、言葉を交わすきっかけになるような隙は一切なかった。
 面白くないヤツ、と思っていたのだ。内心は。

――ねえねえ森っていう漢字にさ、もう一つ木をつけたら何て読むか知ってる?

 しかし一つの教科書を二人で眺めながら退屈まぎれにそんなクイズを出してみたら、盟子が大真面目に考え始めた。

——え、何だろう。うーん。わかんない教えて?

——答えは「ジャングル」でーす!

 その時初めて見た盟子の笑顔が新鮮で、喜んでくれたりちょっと尊敬のまなざしを受けたりしたのが何だかくすぐったかった。
 以来、ひょうきんなことを言っては盟子を笑わせるのに徹するようになった。笑ってくれると嬉しいし自信もついた。ほとんど口をきかない転入生とおしゃべりできる仲になったのも優越感があった。
 そして気が付けば家を行ったり来たりする家族ぐるみの友達になっていた。

 その頃からだったと思う。
 盟子が他の子と仲良くすることにあまりいい気がしくなったのは。
 自分だけに向けて笑ってくれる存在でいてほしかった。

 だからようやく盟子を彼女として手に入れた今、手放すことなんて考えられない。

 けれど正直悩んでもいた。
 盟子は笑わなくなった。どうしたら前のように笑ってくれるのだろう、と。
 それでも付き合い続けていけばそのうちと思っていたし、関係がぎくしゃくし始めたからこそ、繋ぎとめておきたい気持ちは余計に強まっていった。

「あのさ、いい加減ちゃんとしろよな。いつまでも怒ってても仕方ないだろ」
「何をちゃんとするの?」
 盟子の顔には表情がなかった。

「前はもっと楽しく話してたじゃんか。頼むからさ、俺のこと思ってくれてるなら素直になってよ。ちゃんと話そうよ。こんな状態でいつまでもいたって仕方ないだろ」
「素直にって、何?」
「盟子はさ、だから……俺のこと好きでいてくれてるんだろ?」
「は?」
「素直になれよ。解ってるから」
 盟子はひどく怪訝そうな顔をした。
「黒田が言ってたんだ。盟子も俺のこと意識してるって。だから思い切って告白したんだ。な? 本当はそうなんだろ?」
 じっと自分のことを凝視してくる少し薄い色の瞳にドキドキした。やっとわかってもらえたか、と。

 しかし。

「私が小林のことを意識してるって? 南緒が言ってたって……!?」
「そうだよ。両想いだって南緒が言った。もう一押しだから告白してみろって」
「言ってない!」

 そう叫んだ盟子の表情は、今まで見たことがないくらい険しかった。
「そんなこと言ってない! 私、小林に告白されてすごくびっくりしたんだから。どうしてびっくりしたかわかる? 友達としか思ってなかったからだよ!」
 
 それは絶望的な言葉だった。受け入れたくないほどに。
 
「それ嘘だよ! 南緒が嘘ついたんだ!」
「……あっそう。お前がそういう態度ならこっちだってやることやるからな」
 嘘でもなんでも、もうどうでもいい。本当にしてしまえばそれが結果になるんだから。

「やるって、何を?」
 ほら、こうすれば盟子は怯むはず。言うことを聞くはず。
「あの変態、やめさせてもいいのかよ。匿名で写真送り付けるぞ、学校に」
「……匿名で嫌がらせなんて、ほんと情けない人」
 しかし。
 真っ直ぐこちらを睨みつけて来るその目は、まるでこれまでの盟子じゃないみたいだった。
「何だと!?」
「脅したって無駄だよ。ちゃんと知り合いの専門家に相談してるんだから。写真の捏造くらいで懲戒処分なんかにできないって」
 言葉に詰まる。
 専門家。権威の肩書にはめっぽう弱い。大ごとにされたりしたら困る。今ここで盟子を従わせるためだけにやっていることだ。

「ほ、ほんとにやるぞっ」
「どうぞ。私は磯部先生にちゃんと説明するつもりだし、逆に名誉棄損で訴えられるのは小林の方だって専門家が言ってたもん。正々堂々できないことなんてやめといたら?」
「調子に乗るなよ!?」

 かしゃん、と。見ている前で盟子は自転車に鍵を入れる。

「もう帰る」

 自転車がすっと目の前を通り過ぎていく。数メートル行ったところで盟子は一度足を止め、こちらを振り返った。

「すごく残念だよ。小林は優しくて楽しい人だって思ってた。そういうことする人じゃない、って」

 言い残すと、盟子はあっという間に校門を抜けて行った。



次のエピソードへ進む 鉄壁の内側


みんなのリアクション

 小林雄眞は苛立っていた。
 一緒に帰ろうと朝のうちから|彼女《・・》に連絡したのだ。今日は部活が休みだから、それが可能なはずだった。
 けれど下校の時間になっても返事はなかった。
 仕方なく自転車置き場で待ち伏せをする。
「おい! どうして返事しないんだよ!」
ようやく盟子が姿を見せた時、朝からの思いが募ってつい口調がきつくなった。
「お前さ、よく考えて行動を慎めって言っただろ」
 ただし声は抑える。人の目があるところでは、小林家の次男は問題なく良い子でいなければならない。
……ずっと、片思いだった。
 おとなしくて目立たない、他人からの評価と言えば専ら「いい人」な自分。
 勉強も運動も中の下くらいで、褒められもしなければ目をつけられることもなく。これといった取り柄もなかった。
 何かと優秀な兄は親の期待を一身に受けていて、次男の自分は肩の荷は軽かったけれど、きっとその分存在も軽かった。
 だから愛想をつかされないよう、敵を作らないよう、受け身で生きてきたのだ。
 梅崎盟子は小学生の時に転校してきた子だ。
 可愛いな、とは思った。でもいかんせんおとなしすぎた。声を聞くのは授業で指された時くらいで、それもおどおどして消え入りそうな感じだった。
 初めて口をきいたのは国語の時間。
――教科書、見せてくんない?
 その日は教科書を忘れてしまったので頼むと、隣の梅崎盟子は黙ってこくりと頷いた。
 鉛筆も、消しゴムもノートも教科書も、ハンカチもティッシュも体操着も。いつもきちんと忘れ物なく揃えて来るような子で、言葉を交わすきっかけになるような隙は一切なかった。
 面白くないヤツ、と思っていたのだ。内心は。
――ねえねえ森っていう漢字にさ、もう一つ木をつけたら何て読むか知ってる?
 しかし一つの教科書を二人で眺めながら退屈まぎれにそんなクイズを出してみたら、盟子が大真面目に考え始めた。
——え、何だろう。うーん。わかんない教えて?
——答えは「ジャングル」でーす!
 その時初めて見た盟子の笑顔が新鮮で、喜んでくれたりちょっと尊敬のまなざしを受けたりしたのが何だかくすぐったかった。
 以来、ひょうきんなことを言っては盟子を笑わせるのに徹するようになった。笑ってくれると嬉しいし自信もついた。ほとんど口をきかない転入生とおしゃべりできる仲になったのも優越感があった。
 そして気が付けば家を行ったり来たりする家族ぐるみの友達になっていた。
 その頃からだったと思う。
 盟子が他の子と仲良くすることにあまりいい気がしくなったのは。
 自分だけに向けて笑ってくれる存在でいてほしかった。
 だからようやく盟子を彼女として手に入れた今、手放すことなんて考えられない。
 けれど正直悩んでもいた。
 盟子は笑わなくなった。どうしたら前のように笑ってくれるのだろう、と。
 それでも付き合い続けていけばそのうちと思っていたし、関係がぎくしゃくし始めたからこそ、繋ぎとめておきたい気持ちは余計に強まっていった。
「あのさ、いい加減ちゃんとしろよな。いつまでも怒ってても仕方ないだろ」
「何をちゃんとするの?」
 盟子の顔には表情がなかった。
「前はもっと楽しく話してたじゃんか。頼むからさ、俺のこと思ってくれてるなら素直になってよ。ちゃんと話そうよ。こんな状態でいつまでもいたって仕方ないだろ」
「素直にって、何?」
「盟子はさ、だから……俺のこと好きでいてくれてるんだろ?」
「は?」
「素直になれよ。解ってるから」
 盟子はひどく怪訝そうな顔をした。
「黒田が言ってたんだ。盟子も俺のこと意識してるって。だから思い切って告白したんだ。な? 本当はそうなんだろ?」
 じっと自分のことを凝視してくる少し薄い色の瞳にドキドキした。やっとわかってもらえたか、と。
 しかし。
「私が小林のことを意識してるって? 南緒が言ってたって……!?」
「そうだよ。両想いだって南緒が言った。もう一押しだから告白してみろって」
「言ってない!」
 そう叫んだ盟子の表情は、今まで見たことがないくらい険しかった。
「そんなこと言ってない! 私、小林に告白されてすごくびっくりしたんだから。どうしてびっくりしたかわかる? 友達としか思ってなかったからだよ!」
 それは絶望的な言葉だった。受け入れたくないほどに。
「それ嘘だよ! 南緒が嘘ついたんだ!」
「……あっそう。お前がそういう態度ならこっちだってやることやるからな」
 嘘でもなんでも、もうどうでもいい。本当にしてしまえばそれが結果になるんだから。
「やるって、何を?」
 ほら、こうすれば盟子は怯むはず。言うことを聞くはず。
「あの変態、やめさせてもいいのかよ。匿名で写真送り付けるぞ、学校に」
「……匿名で嫌がらせなんて、ほんと情けない人」
 しかし。
 真っ直ぐこちらを睨みつけて来るその目は、まるでこれまでの盟子じゃないみたいだった。
「何だと!?」
「脅したって無駄だよ。ちゃんと知り合いの専門家に相談してるんだから。写真の捏造くらいで懲戒処分なんかにできないって」
 言葉に詰まる。
 専門家。権威の肩書にはめっぽう弱い。大ごとにされたりしたら困る。今ここで盟子を従わせるためだけにやっていることだ。
「ほ、ほんとにやるぞっ」
「どうぞ。私は磯部先生にちゃんと説明するつもりだし、逆に名誉棄損で訴えられるのは小林の方だって専門家が言ってたもん。正々堂々できないことなんてやめといたら?」
「調子に乗るなよ!?」
 かしゃん、と。見ている前で盟子は自転車に鍵を入れる。
「もう帰る」
 自転車がすっと目の前を通り過ぎていく。数メートル行ったところで盟子は一度足を止め、こちらを振り返った。
「すごく残念だよ。小林は優しくて楽しい人だって思ってた。そういうことする人じゃない、って」
 言い残すと、盟子はあっという間に校門を抜けて行った。