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ストーカー

ー/ー



「今日の美術は自習になります」

 朝のホームルームでそう知らされた瞬間、南緒はしなびた草みたいになってしまった。
 夏休み気分もだいぶ抜けて日常が戻りつつある、9月の2週目のことだった。

「玲峰先生が休みとか、ないわー」
 先週に課題の説明は済んでいるから、あとは個人で作業を進めればいいだけなのけれど。でも先生目的で美術を選択した南緒にとって、守谷がいない美術なんてゴミみたいなものだろう。

「ねえねえ、ふじもっちゃーん、玲峰先生なんで休みなの?」
 休み時間に見回りに来た担任の藤本に、南緒が早速問いただしている。すると藤本は、忌引きですって、と声を潜めた。
「なんでもご家族に不幸があったみたいよ」
「えー、うっそ! 大変じゃん」
 申し訳程度に気遣ったあと、南緒はつまらなそうに伸びをした。
 意図せずしてそれが耳に入ってしまった盟子は、鉛筆を動かす手を止めた。

 忌引き。ご家族に不幸。
 ということは、あそこの神社の誰かが亡くなったということなのだろうか。「お爺ちゃんが癌で」と守谷が言っていたことを思い出す。例大祭の日にわざわざ様子を見に来ていたのは、それが関係してるのかもしれない。

 鉛筆を机の上に転がして窓の外に目をやる。
 ここにはこんなにも平穏な日常が流れているというのに。

 実家とは絶縁中で、ほぼ勘当状態。
 そんな状況で、家族と言葉を交わさないままの別れとなってしまったとか、そういうことはないだろうか。
 先生は今、どこで何をしてるだろう。どんな表情で、どんな気持ちでいるんだろう。

 主役を欠いた美術室はやっぱり華がなくて、平坦な作業時間が粛々と流れていった。





「玲さんまだかなぁ」

 閉店前のキッチン。
 コーヒーカップを拭きながら、佐孝健人(さこうたけと)が2階を気にしている。
 少し前に、2階の住人が帰宅した気配があった。1階の風雅堂カフェにいると、足音や玄関ドアの音でなんとなくそれがわかる。
 で、2階の住人は、帰宅後によくコーヒーを飲みに降りて来る。そろそろお気に入りのマイセンのカップを携えて「いらっしゃいましたぁ」とか言って華々しく登場する頃だと健人が考えるのも尤もだ。
 
「新しいエフェクト、はやく玲さんに話したいなー」
 健人はゲームやアニメの専門学校に通う20歳で、8人いる風雅堂アルバイトで唯一の男性だ。
 絵描きとアニメの専門生は気が合うらしい。二人しか通じ合わない話で守谷と健人がげらげら笑い合っているのを何度か見たことがある。
「ちょっと上行って呼んでくるわ」
「あ、健人さん、あの」
 2階に行こうとした健人の背中を、盟子はためらいがちに引き留めた。
「今日、先生忌引きで学校休みだったんです。ご家族に不幸があったとかで」
 健人の肩がぴくりと揺れた。
「まじか……そっとしといた方がいいな」

 それはそうとして、と健人は盟子に向き直る。
「梅ちゃん今日体調悪そうじゃね?」
「え?」
「なんかあんま喋んないし、顔色悪いっていうか。あと俺やっとくから帰っていいよ? 朋さんには伝えとくからさ」
「えっ、そう見えますか!?」
 盟子は慌てた。いつも通りを取り繕っていたつもりだったのに。
「いえ、大丈夫です。ただちょっと考えてることがあって……」
「悩み事とか?」
 盟子をのぞき込んでくるきょとんとした丸い目は無防備で悪意というものがない。頭の中はほぼ好きなゲームとアニメで占められているタイプの楽しい人だ。
 関係ない第三者だから相談するくらいは許されるかも、と盟子は考えた。

「あの……」
「うん」
「加工した写真って見抜けるものですか?」
「へ!?」

 ぽかんとした健人に、盟子は雄眞に脅された話をかいつまんで伝えた。守谷と盟子が映っている鈴城芸術アカデミーでの写真を、「背景をいじって学校に送り付ける」と言われたことを。

「健人さん、そのあたり詳しかったりしますか? 私よくわからなくて」
「プロだぜ」
 そういってにやりと笑った健人は、本人も気にしている天パとなで肩を忘れさせるくらい頼もしく盟子には映った。
「背景いじるって、例えばホテルにするとかそういうこと?」
「全然わかりません。何を考えてるんだか……でもそんな加工した写真で警察沙汰になったりテレビに名前が出たりするものだと思います?」
「ねえよ」
 健人は鼻で笑い飛ばした。
「加工の有無を見抜くアプリだってあるし、プロが調べたら光や影の方向とかですぐわかるだろ。クソガキの考えそうなことだな。まあ、梅ちゃんがしっかり説明すればいいんじゃない?」
 盟子をほっとさせた後、ただなぁ、と健人は腕を組んだ。

「明らかにでっち上げだとしても、そういうことをされると玲さんの信用に傷がつくよな。それは悔しいな」
 その通りだった。

「梅ちゃんが先回りして先生に相談すりゃいいんじゃね? ストーキングされてますって」
 なるほどそれもその通りだ。
 けれどもしそこに踏み込んでしまったら、盟子と雄眞だけの問題ではなくなる。梅崎家と小林家の問題へと広がるだろう。それをする勇気があるかというと。
「どっちを守るか、だろ。親に何か言われるのが怖いなら、黙ってそいつの言いなりになっとくしかないよね」
「……」
 沈み込む盟子に、健人はにこっと笑って見せた。
「まあ、でも匿名でコソコソやってるビビりなんだろ。そんなことしたら逆に名誉棄損で訴えられるぞって脅しとけ」
 こくりと頷く。
 自分は叱られても嫌われてもいい。一番守りたいものは、もうわかりきっている。

「梅ちゃん、しっかりしろよ。梅ちゃんの出方にかかってるからな。そうだ、あれ(・・)貸してやるよ」
 健人はそう言って、ロッカーから何やら小さい機械のようなものを持ってきた。
「ボイレコ。そいつとの会話全部録音しときな」

 と、そこへ。
 カランカラン、と入口の扉にひっかけたベルが鳴って、誰かの入店を知らせた。
「いらっしゃいませー」
 常連客だ。週に4日は仕事後に立ち寄ってくれるお局風のお姐様。

「ちょっと、お兄さぁん」
 中庭が良く見える定番のテーブルに着くと、あえてオーダーを出さないいつものスタイルを今日はなぜか崩して、お局姐様は健人を呼びつけた。
「なんかさ、外に高校生くらいの男の子が立ってるけど、入れてあげなくていいの? アルバイトの面接とかじゃない?」
 黒いシャツでブルーのデニムで……と特徴を聞きながら、「赤いスニーカー」というところで盟子は固まった。

「健人さん、たぶんその人……」
 雄眞で間違いない。このあいだも履いていた靴だ。
 今まではどこか自信なさげな格好をしがちだった雄眞は、しかし盟子と付き合いだしてからやけに主張の激しい色を纏うようになった。「彼女がいる俺を見ろ!」とでも言いたげに。

「クソガキか。梅ちゃんのこと迎えにきたのかな?」
「そんなの頼んでないです! てか、ここの店とか場所とか知らないはずなんですけど」
 考えられるのは母親経由で情報を聞き出した線だ。
「うんうん、最っ高にキモいな。そのキモさだけはパーフェクトだな。褒めてやるよ」

 雄眞は従業員出入り口の前で張っているらしい。仕事が終わって盟子が外に出たところをキャッチするつもりなのだ。
 顔を合わせたくない、というのは無論のこと。それより何より恐ろしいのが、何かの拍子に2階の住人の存在が知れてしまうことだ。

「待てよ、うーんとね……」

 真っ青になる盟子を横目に、健人が何かを思案していた。



次のエピソードへ進む 独りにしないで


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「今日の美術は自習になります」
 朝のホームルームでそう知らされた瞬間、南緒はしなびた草みたいになってしまった。
 夏休み気分もだいぶ抜けて日常が戻りつつある、9月の2週目のことだった。
「玲峰先生が休みとか、ないわー」
 先週に課題の説明は済んでいるから、あとは個人で作業を進めればいいだけなのけれど。でも先生目的で美術を選択した南緒にとって、守谷がいない美術なんてゴミみたいなものだろう。
「ねえねえ、ふじもっちゃーん、玲峰先生なんで休みなの?」
 休み時間に見回りに来た担任の藤本に、南緒が早速問いただしている。すると藤本は、忌引きですって、と声を潜めた。
「なんでもご家族に不幸があったみたいよ」
「えー、うっそ! 大変じゃん」
 申し訳程度に気遣ったあと、南緒はつまらなそうに伸びをした。
 意図せずしてそれが耳に入ってしまった盟子は、鉛筆を動かす手を止めた。
 忌引き。ご家族に不幸。
 ということは、あそこの神社の誰かが亡くなったということなのだろうか。「お爺ちゃんが癌で」と守谷が言っていたことを思い出す。例大祭の日にわざわざ様子を見に来ていたのは、それが関係してるのかもしれない。
 鉛筆を机の上に転がして窓の外に目をやる。
 ここにはこんなにも平穏な日常が流れているというのに。
 実家とは絶縁中で、ほぼ勘当状態。
 そんな状況で、家族と言葉を交わさないままの別れとなってしまったとか、そういうことはないだろうか。
 先生は今、どこで何をしてるだろう。どんな表情で、どんな気持ちでいるんだろう。
 主役を欠いた美術室はやっぱり華がなくて、平坦な作業時間が粛々と流れていった。
「玲さんまだかなぁ」
 閉店前のキッチン。
 コーヒーカップを拭きながら、|佐孝健人《さこうたけと》が2階を気にしている。
 少し前に、2階の住人が帰宅した気配があった。1階の風雅堂カフェにいると、足音や玄関ドアの音でなんとなくそれがわかる。
 で、2階の住人は、帰宅後によくコーヒーを飲みに降りて来る。そろそろお気に入りのマイセンのカップを携えて「いらっしゃいましたぁ」とか言って華々しく登場する頃だと健人が考えるのも尤もだ。
「新しいエフェクト、はやく玲さんに話したいなー」
 健人はゲームやアニメの専門学校に通う20歳で、8人いる風雅堂アルバイトで唯一の男性だ。
 絵描きとアニメの専門生は気が合うらしい。二人しか通じ合わない話で守谷と健人がげらげら笑い合っているのを何度か見たことがある。
「ちょっと上行って呼んでくるわ」
「あ、健人さん、あの」
 2階に行こうとした健人の背中を、盟子はためらいがちに引き留めた。
「今日、先生忌引きで学校休みだったんです。ご家族に不幸があったとかで」
 健人の肩がぴくりと揺れた。
「まじか……そっとしといた方がいいな」
 それはそうとして、と健人は盟子に向き直る。
「梅ちゃん今日体調悪そうじゃね?」
「え?」
「なんかあんま喋んないし、顔色悪いっていうか。あと俺やっとくから帰っていいよ? 朋さんには伝えとくからさ」
「えっ、そう見えますか!?」
 盟子は慌てた。いつも通りを取り繕っていたつもりだったのに。
「いえ、大丈夫です。ただちょっと考えてることがあって……」
「悩み事とか?」
 盟子をのぞき込んでくるきょとんとした丸い目は無防備で悪意というものがない。頭の中はほぼ好きなゲームとアニメで占められているタイプの楽しい人だ。
 関係ない第三者だから相談するくらいは許されるかも、と盟子は考えた。
「あの……」
「うん」
「加工した写真って見抜けるものですか?」
「へ!?」
 ぽかんとした健人に、盟子は雄眞に脅された話をかいつまんで伝えた。守谷と盟子が映っている鈴城芸術アカデミーでの写真を、「背景をいじって学校に送り付ける」と言われたことを。
「健人さん、そのあたり詳しかったりしますか? 私よくわからなくて」
「プロだぜ」
 そういってにやりと笑った健人は、本人も気にしている天パとなで肩を忘れさせるくらい頼もしく盟子には映った。
「背景いじるって、例えばホテルにするとかそういうこと?」
「全然わかりません。何を考えてるんだか……でもそんな加工した写真で警察沙汰になったりテレビに名前が出たりするものだと思います?」
「ねえよ」
 健人は鼻で笑い飛ばした。
「加工の有無を見抜くアプリだってあるし、プロが調べたら光や影の方向とかですぐわかるだろ。クソガキの考えそうなことだな。まあ、梅ちゃんがしっかり説明すればいいんじゃない?」
 盟子をほっとさせた後、ただなぁ、と健人は腕を組んだ。
「明らかにでっち上げだとしても、そういうことをされると玲さんの信用に傷がつくよな。それは悔しいな」
 その通りだった。
「梅ちゃんが先回りして先生に相談すりゃいいんじゃね? ストーキングされてますって」
 なるほどそれもその通りだ。
 けれどもしそこに踏み込んでしまったら、盟子と雄眞だけの問題ではなくなる。梅崎家と小林家の問題へと広がるだろう。それをする勇気があるかというと。
「どっちを守るか、だろ。親に何か言われるのが怖いなら、黙ってそいつの言いなりになっとくしかないよね」
「……」
 沈み込む盟子に、健人はにこっと笑って見せた。
「まあ、でも匿名でコソコソやってるビビりなんだろ。そんなことしたら逆に名誉棄損で訴えられるぞって脅しとけ」
 こくりと頷く。
 自分は叱られても嫌われてもいい。一番守りたいものは、もうわかりきっている。
「梅ちゃん、しっかりしろよ。梅ちゃんの出方にかかってるからな。そうだ、|あれ《・・》貸してやるよ」
 健人はそう言って、ロッカーから何やら小さい機械のようなものを持ってきた。
「ボイレコ。そいつとの会話全部録音しときな」
 と、そこへ。
 カランカラン、と入口の扉にひっかけたベルが鳴って、誰かの入店を知らせた。
「いらっしゃいませー」
 常連客だ。週に4日は仕事後に立ち寄ってくれるお局風のお姐様。
「ちょっと、お兄さぁん」
 中庭が良く見える定番のテーブルに着くと、あえてオーダーを出さないいつものスタイルを今日はなぜか崩して、お局姐様は健人を呼びつけた。
「なんかさ、外に高校生くらいの男の子が立ってるけど、入れてあげなくていいの? アルバイトの面接とかじゃない?」
 黒いシャツでブルーのデニムで……と特徴を聞きながら、「赤いスニーカー」というところで盟子は固まった。
「健人さん、たぶんその人……」
 雄眞で間違いない。このあいだも履いていた靴だ。
 今まではどこか自信なさげな格好をしがちだった雄眞は、しかし盟子と付き合いだしてからやけに主張の激しい色を纏うようになった。「彼女がいる俺を見ろ!」とでも言いたげに。
「クソガキか。梅ちゃんのこと迎えにきたのかな?」
「そんなの頼んでないです! てか、ここの店とか場所とか知らないはずなんですけど」
 考えられるのは母親経由で情報を聞き出した線だ。
「うんうん、最っ高にキモいな。そのキモさだけはパーフェクトだな。褒めてやるよ」
 雄眞は従業員出入り口の前で張っているらしい。仕事が終わって盟子が外に出たところをキャッチするつもりなのだ。
 顔を合わせたくない、というのは無論のこと。それより何より恐ろしいのが、何かの拍子に2階の住人の存在が知れてしまうことだ。
「待てよ、うーんとね……」
 真っ青になる盟子を横目に、健人が何かを思案していた。