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別れない

ー/ー



 駅前のファッションビルのカフェで、目の前のグレープフルーツジュースの存在も忘れたまま盟子は窓の外を眺めていた。
 2階からは西日に染まる駅が見渡せる。その向こうにはこんもり茂った常緑の森が陰影を濃くしている。初田神社だ。

 待ち人が来た。

「何だよ、突然」
 白いニットシャツで決めたつもりであろう雄眞が、立てた前髪を気にしながら隣に座った。
 急に呼び出されても困るとぶつくさ言いながらも、まんざらでもなさそうな顔だ。大きく足を組むと、ど派手な赤いスニーカーが目に入った。新しく買ったんだな、とわかる。最近やけに服装に気を使っている。
「ごめんね、突然」
 形式的な謝罪だけすると、盟子はそのこと(・・・・)をさっそく切り出した。

「……あのさ、私達って付き合ってるの?」

 すると雄眞は予定通りの反応を見せた。大袈裟に片眉をつりあげて。
「は?」
「……私たちって付き合ってるのかな?」
「何言ってんの? 当たり前だろ」
「私、付き合うって言った覚えないんですけど」
「はぁぁ?」
 わざとらしい抑揚。嫌いだ、人を威圧するようなこういう態度。
 普段は無害そうな雰囲気のくせに、最近盟子に対してはこんな高圧的な一面を見せてくる。

 でも、自分にも責任があるとわかってる。面倒ごとから逃げ、曖昧な関係を受動的に肯定し続けて、小林雄眞の嫌な部分を引き出してしまった。

「小林がここで告白してくれた時、こんなパッとしない私を好きになってくれたお礼のつもりでありがとうって言ったの。でもね……」

——好き、じゃないんだ、小林のことは。やっとその意味が分かった。

「私は小林のことが好きだなんて言ってないし、付き合うとも言ってないんだよね」
「どうしたんだよ、ちゃんと話そうぜ。何かあったの?」
 気持ち悪いほど優し気な笑顔で伸ばしてきた手から反射的に身をかわす。

「私ね、好きとか付き合うの意味がよくわかってなかったの」
 誰かを好きになること、惹かれることの意味が、今は痛いほどよくわかる。
「小林は友達としては大好きだよ。でも男の人として見れないし好きになれない。だからもう、こういう関係は終わりにしたいの。前みたいな普通の友達に戻りたい」
 誠心誠意伝えたらわかってくれるかもしれないという期待がひとかけら、その時はまだどこかにあった。
 けれどそれはあっけなく叩き壊された。

「はぁ? 俺は別れないからな」
「そんなのおかしいよ!」
 別れてあげる、なんていう許可を願ったわけじゃない。
「最初から付き合ってないもん!」

 話の噛み合わなさに、湧き上がってくるのは怒りを通り越して絶望だった。
 一体あれは誰だったんだろう、小学生の頃から仲良くしていた、優しくて話しやすい男の子は。鼻にしわを寄せて目を吊り上げている、目の前のこの人は。

「……へぇ、そんなこと言っていいのかな?」
 しかし、もっと怒り狂うと思っていたにも関わらず、コーラをすする小林雄眞は妙に余裕の態度だ。
 何だか嫌な予感がした。

「で、あの守谷とかいう変態美術教師が好きなわけ?」
「は!?」
初田神社で(・・・・・)一緒にいたもんなぁ(・・・・・・・・)?」
 続く言葉に盟子は固まった。

――初田神社で一緒にいたもんなぁ?

……夏前の、初田神社の例大祭。
 学校の帰りに、初田神社まで守谷を案内したあの時。
 
 それをどこかから見ていて、さもいかがわしいことでもあるかのように学校に通報した誰かがいた。
 まさかその「誰か」の正体が。

「これ、見ろよ」
 追い打ちをかけるように差し出された雄眞のスマホ。
 そこに表示されていたのは、盟子らしき人物が映った写真だった。
 少し遠いけれど着ている服から自分だとすぐに解る。そして背景に見覚えがある。これは鈴城芸術アカデミーの画材売り場。
 更によく見れば、盟子に向かい合って立っている人物がいる。鮮やかなパープルのシャツは守谷で間違いない。どうやら夏期講習初日みたいだ。お下がりの画材を持ってきてくれた時だろう。

 それにしてもなぜ雄眞がこんな画像をもっているのか。まだその意味がよくつかめない。
「動画もあるよ。あいつがお前の肩つかんでるところとか」
 そういえばこの日は、唐突に雄眞がアカデミーまで迎えに来た日でもあった。

……と、思いだしたところでこの写真の意味がわかり、背筋が寒くなる。

 偶然、ではない気がする。
 つまり夏期講習初日は、朝からずっと入り口で張ってたということ?
 初田神社で神楽を見たあの日は、たまたま盟子と守谷を見つけただけだろうか。それとも尾行でもしていたのか。

「最低! 気持ち悪い!」
「違うって、お前の予備校どんなとこかなと思ってちょっと見にいったらさぁ、なんであいつがいるんだよ。お前に付きまとってんじゃねぇの?」
「付きまとってるのは小林の方でしょ!?」
「これ磯部に匿名で送り付けてもいいけどどうする? 背景ちょこっといじってさ。ちょうど私服だしやばいんじゃない?」
「やめて!」
 ムキになっては逆に怪しいと思いつつも、冷静ではいられない。
「先生はお下がりの画材を持ってきてくれただけだよ!」
 そもそも鈴城アカデミーを紹介してきたのは小林雄眞の母親で、そうするようにそそのかしたのは南緒だ。
 そこに巻き込まれた被害者なのだ。盟子も守谷も。

「俺あいつ大嫌いなんだよね。ちょっと騒がれてるからっていい気になってて気持ちわりぃ。死ねばいいのに」
 真っ青になっている盟子の手からスマホを抜き取ると、雄眞は鼻で笑った。

「どうでもいいけど、教師が女子高生に手を出したら犯罪だからな。下手するとテレビに名前出ちゃうかもなー」
 膝の上で握りしめる盟子のこぶしに、雄眞の手が添えられる。
 それを振り払えばどうなるか考えろよという無言の圧力。

「盟子もさ、落ち着いて考えてみろよ。俺は必ず公務員になるし親もそれなりに資産があるんだから、一緒にいれば安心だし好きなことやらせてやれるじゃん。何が一番大事かよく考えて行動を慎めよ」
 まるで我儘をいう子供を諭すように、優しく肩を抱き寄せて囁く。
「俺さ、小学生の時からずっと盟子のこと好きだったんだから。解ってよ」

 まだストローさえさしていないグレープフルーツジュースに盟子がようやく手を伸ばしたのは、雄眞の頭から全部ぶちまけてやろうかと本気で思ったからだ。
 でも、それをしてしまったら。

「それからさ、髪は下ろせよ。長くしてる方がいいって」
 結わえていたポニーテールのゴムを、すっと抜き取られた。流れるように落ちてくる毛先を背中にはらって、盟子はふらふらと立ち上がった。

「私帰る。夕食までに帰れって言われてるから」
「……」
 家庭の話を持ち出すと雄眞がおとなしくなるのを知っている。
 盟子の家とは家族ぐるみで知り合いだから、親の評判を落とすようなことはしないしできないのだ。元々は小心者で、親には頭が上がらない。

 その沈黙の隙に、盟子は小走りで店を出た。
 飲むこともぶちまけることもできなかったグレープフルーツジュースを、ぽつんと置き去りにして。



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 駅前のファッションビルのカフェで、目の前のグレープフルーツジュースの存在も忘れたまま盟子は窓の外を眺めていた。
 2階からは西日に染まる駅が見渡せる。その向こうにはこんもり茂った常緑の森が陰影を濃くしている。初田神社だ。
 待ち人が来た。
「何だよ、突然」
 白いニットシャツで決めたつもりであろう雄眞が、立てた前髪を気にしながら隣に座った。
 急に呼び出されても困るとぶつくさ言いながらも、まんざらでもなさそうな顔だ。大きく足を組むと、ど派手な赤いスニーカーが目に入った。新しく買ったんだな、とわかる。最近やけに服装に気を使っている。
「ごめんね、突然」
 形式的な謝罪だけすると、盟子は|そのこと《・・・・》をさっそく切り出した。
「……あのさ、私達って付き合ってるの?」
 すると雄眞は予定通りの反応を見せた。大袈裟に片眉をつりあげて。
「は?」
「……私たちって付き合ってるのかな?」
「何言ってんの? 当たり前だろ」
「私、付き合うって言った覚えないんですけど」
「はぁぁ?」
 わざとらしい抑揚。嫌いだ、人を威圧するようなこういう態度。
 普段は無害そうな雰囲気のくせに、最近盟子に対してはこんな高圧的な一面を見せてくる。
 でも、自分にも責任があるとわかってる。面倒ごとから逃げ、曖昧な関係を受動的に肯定し続けて、小林雄眞の嫌な部分を引き出してしまった。
「小林がここで告白してくれた時、こんなパッとしない私を好きになってくれたお礼のつもりでありがとうって言ったの。でもね……」
——好き、じゃないんだ、小林のことは。やっとその意味が分かった。
「私は小林のことが好きだなんて言ってないし、付き合うとも言ってないんだよね」
「どうしたんだよ、ちゃんと話そうぜ。何かあったの?」
 気持ち悪いほど優し気な笑顔で伸ばしてきた手から反射的に身をかわす。
「私ね、好きとか付き合うの意味がよくわかってなかったの」
 誰かを好きになること、惹かれることの意味が、今は痛いほどよくわかる。
「小林は友達としては大好きだよ。でも男の人として見れないし好きになれない。だからもう、こういう関係は終わりにしたいの。前みたいな普通の友達に戻りたい」
 誠心誠意伝えたらわかってくれるかもしれないという期待がひとかけら、その時はまだどこかにあった。
 けれどそれはあっけなく叩き壊された。
「はぁ? 俺は別れないからな」
「そんなのおかしいよ!」
 別れてあげる、なんていう許可を願ったわけじゃない。
「最初から付き合ってないもん!」
 話の噛み合わなさに、湧き上がってくるのは怒りを通り越して絶望だった。
 一体あれは誰だったんだろう、小学生の頃から仲良くしていた、優しくて話しやすい男の子は。鼻にしわを寄せて目を吊り上げている、目の前のこの人は。
「……へぇ、そんなこと言っていいのかな?」
 しかし、もっと怒り狂うと思っていたにも関わらず、コーラをすする小林雄眞は妙に余裕の態度だ。
 何だか嫌な予感がした。
「で、あの守谷とかいう変態美術教師が好きなわけ?」
「は!?」
「|初田神社で《・・・・・》|一緒にいたもんなぁ《・・・・・・・・》?」
 続く言葉に盟子は固まった。
――初田神社で一緒にいたもんなぁ?
……夏前の、初田神社の例大祭。
 学校の帰りに、初田神社まで守谷を案内したあの時。
 それをどこかから見ていて、さもいかがわしいことでもあるかのように学校に通報した誰かがいた。
 まさかその「誰か」の正体が。
「これ、見ろよ」
 追い打ちをかけるように差し出された雄眞のスマホ。
 そこに表示されていたのは、盟子らしき人物が映った写真だった。
 少し遠いけれど着ている服から自分だとすぐに解る。そして背景に見覚えがある。これは鈴城芸術アカデミーの画材売り場。
 更によく見れば、盟子に向かい合って立っている人物がいる。鮮やかなパープルのシャツは守谷で間違いない。どうやら夏期講習初日みたいだ。お下がりの画材を持ってきてくれた時だろう。
 それにしてもなぜ雄眞がこんな画像をもっているのか。まだその意味がよくつかめない。
「動画もあるよ。あいつがお前の肩つかんでるところとか」
 そういえばこの日は、唐突に雄眞がアカデミーまで迎えに来た日でもあった。
……と、思いだしたところでこの写真の意味がわかり、背筋が寒くなる。
 偶然、ではない気がする。
 つまり夏期講習初日は、朝からずっと入り口で張ってたということ?
 初田神社で神楽を見たあの日は、たまたま盟子と守谷を見つけただけだろうか。それとも尾行でもしていたのか。
「最低! 気持ち悪い!」
「違うって、お前の予備校どんなとこかなと思ってちょっと見にいったらさぁ、なんであいつがいるんだよ。お前に付きまとってんじゃねぇの?」
「付きまとってるのは小林の方でしょ!?」
「これ磯部に匿名で送り付けてもいいけどどうする? 背景ちょこっといじってさ。ちょうど私服だしやばいんじゃない?」
「やめて!」
 ムキになっては逆に怪しいと思いつつも、冷静ではいられない。
「先生はお下がりの画材を持ってきてくれただけだよ!」
 そもそも鈴城アカデミーを紹介してきたのは小林雄眞の母親で、そうするようにそそのかしたのは南緒だ。
 そこに巻き込まれた被害者なのだ。盟子も守谷も。
「俺あいつ大嫌いなんだよね。ちょっと騒がれてるからっていい気になってて気持ちわりぃ。死ねばいいのに」
 真っ青になっている盟子の手からスマホを抜き取ると、雄眞は鼻で笑った。
「どうでもいいけど、教師が女子高生に手を出したら犯罪だからな。下手するとテレビに名前出ちゃうかもなー」
 膝の上で握りしめる盟子のこぶしに、雄眞の手が添えられる。
 それを振り払えばどうなるか考えろよという無言の圧力。
「盟子もさ、落ち着いて考えてみろよ。俺は必ず公務員になるし親もそれなりに資産があるんだから、一緒にいれば安心だし好きなことやらせてやれるじゃん。何が一番大事かよく考えて行動を慎めよ」
 まるで我儘をいう子供を諭すように、優しく肩を抱き寄せて囁く。
「俺さ、小学生の時からずっと盟子のこと好きだったんだから。解ってよ」
 まだストローさえさしていないグレープフルーツジュースに盟子がようやく手を伸ばしたのは、雄眞の頭から全部ぶちまけてやろうかと本気で思ったからだ。
 でも、それをしてしまったら。
「それからさ、髪は下ろせよ。長くしてる方がいいって」
 結わえていたポニーテールのゴムを、すっと抜き取られた。流れるように落ちてくる毛先を背中にはらって、盟子はふらふらと立ち上がった。
「私帰る。夕食までに帰れって言われてるから」
「……」
 家庭の話を持ち出すと雄眞がおとなしくなるのを知っている。
 盟子の家とは家族ぐるみで知り合いだから、親の評判を落とすようなことはしないしできないのだ。元々は小心者で、親には頭が上がらない。
 その沈黙の隙に、盟子は小走りで店を出た。
 飲むこともぶちまけることもできなかったグレープフルーツジュースを、ぽつんと置き去りにして。