遠峰神社
ー/ー 一週間、朝から晩まで絵を描く日々に少し慣れて少しうんざりしてきた頃に、夏期講習は最終日を迎えた。
8月10日。
それと同時に、今日は武蔵野川の花火大会でもある。
付き添いと称して勝手についてくる雄眞とアカデミーの手前で別れ、盟子はため息をつく。疲れた。
電車の中で花火大会の段取りを何度も確認されたのには本当に辟易した。返事をするまで「なあそうだろ?」「わかるよな?」と目を覗き込んでくるのだ。
これから更に青くなるだろう、8月の空を見上げる。
夏の1ページを隙なく塗りつぶすセミの声。みんなみんな、セミだって、必死で生きてるんだな。だから私も。
盟子はいつも通りアカデミーの建物に入った。
でも、ここから先はたぶん、いつも通りじゃなくなる。頼れるのは自分だけで、味方は自分だけ。そんなふうになるだろう。
——できるのかな、私。
じっと掌を見つめる。
——大丈夫だって! できるわよー。
そう、聞こえた気がした。
*
お昼休憩の後、ちょっと急用が入りましたと嘘をついてアカデミーを出ると、緊張で胸が破裂しそうにバクバクした。
授業をさぼる。しかも嘘をついて。
それは盟子にとってはかなり、相当、自分の基盤を揺るがすくらいの大ごとだ。
外を歩きだすと、まだまだパワー全開の陽射しが容赦なく降り注いでくる。それを照り返すアスファルトに上下からじりじりと焼かれる。眩しくて手をかざすと、指の隙間から白い入道雲がのぞいた。
永遠に届かなそうなそのてっぺんに、その人の端正な後ろ姿が見える気がする。でもまだまだ遠くて、泣きたくなるくらいに遠くて。
あとどれだけ歩いたら、あそこまで届けるんだろうな。
*
盟子が十峰の駅に降り立ったのは、空の青さがだいぶ遠のいた頃だった。
べっこう飴のような優しい西日がホームに降り注いでいる。
これから向かう先は、遠峰神社。
十峰に遠峰。
二つの名は同じ土地を指していて、どちらも山がちな地形を表しているらしい。古い文書には両方の漢字が見られ、近年では駅名や地名には十峰を、神社には遠峰の漢字を当てていると守谷にきいた。昔は「峯」だったけど、常用漢字の「峰」になったんだよー、なんて話も。
8月10日の今日、盟子は夏期講習も花火大会も放り出すという、自分でも驚くような行動に出た。
何故ならば。
今日は守谷の実家である遠峰神社の例大祭だからだ。
『連日の疲れで体調悪くなったので早退しました。少し休んでから自分で帰ります。迎えはいいよ。花火は行けなそう。ごめんね』
電車の中でそうメッセージを送ったら、雄眞から怒涛のような着信が鳴り止まなかった。うんざりして電源を切ったけれど、もしかしたら家にまで押しかけて来たかもしれない。
でも、それについては後で考えることにした。
……見回すと、十峰で電車を降りた人は本当に数えるほどで、みんな足早に階段を降りてあっという間に見えなくなった。地元の人だろうか。
十峰の名の通り背景は山ばかりで、それらも影に呑み込まれつつあり、夕暮れ時に取り残された盟子は急に心細くなった。
小さな駅舎を出ると、20分ほど待って今度は駅前停留所からバスに乗る。
発車したバスは駅前通りからすぐに細い路地へと入っていく。いつのまにか視界に占める緑色がどんどん多くなり、それに比例して心許なさが増していく。数名いた乗客は全員年寄りで、気が付けば皆降りてしまっていた。完全に山道になった。
「……すみません、あの、神楽を見に行く人っていないんですか」
盟子は運転手の後ろの席に移り、思い切って声をかけてみる。
初老の運転士はミラーを介してちらりと盟子を一瞥した。高校生の女の子が一人。どう見たって不審だろう。
「ああ、遠峰さんの夜神楽ね。皆さん大体、麓の宿に泊りがけなの。だからこの時間にやってくるお客さんはあんまりいないね。でもケーブルカー乗り場には少しいるんじゃないかな」
それを聞いて不安は更に増した。
開演は19時。それから約1時間だとして、大部分が泊り客なら帰りのバスなんて出てないんじゃないだろうか。
ないって言われたらどうしよう。怖くて訊くことができない。
……今になって気付いた。
「来る」ことしか考えていなかったのだ。
何とか雄眞をまいて、親をごまかして。それだけで頭がいっぱいだった。
大人どころか、そんなのただのバカで無鉄砲な子供と同じだ。ポンコツすぎる自分をゴミ箱に捨てたくなる。
8月10日。
それと同時に、今日は武蔵野川の花火大会でもある。
付き添いと称して勝手についてくる雄眞とアカデミーの手前で別れ、盟子はため息をつく。疲れた。
電車の中で花火大会の段取りを何度も確認されたのには本当に辟易した。返事をするまで「なあそうだろ?」「わかるよな?」と目を覗き込んでくるのだ。
これから更に青くなるだろう、8月の空を見上げる。
夏の1ページを隙なく塗りつぶすセミの声。みんなみんな、セミだって、必死で生きてるんだな。だから私も。
盟子はいつも通りアカデミーの建物に入った。
でも、ここから先はたぶん、いつも通りじゃなくなる。頼れるのは自分だけで、味方は自分だけ。そんなふうになるだろう。
——できるのかな、私。
じっと掌を見つめる。
——大丈夫だって! できるわよー。
そう、聞こえた気がした。
*
お昼休憩の後、ちょっと急用が入りましたと嘘をついてアカデミーを出ると、緊張で胸が破裂しそうにバクバクした。
授業をさぼる。しかも嘘をついて。
それは盟子にとってはかなり、相当、自分の基盤を揺るがすくらいの大ごとだ。
外を歩きだすと、まだまだパワー全開の陽射しが容赦なく降り注いでくる。それを照り返すアスファルトに上下からじりじりと焼かれる。眩しくて手をかざすと、指の隙間から白い入道雲がのぞいた。
永遠に届かなそうなそのてっぺんに、その人の端正な後ろ姿が見える気がする。でもまだまだ遠くて、泣きたくなるくらいに遠くて。
あとどれだけ歩いたら、あそこまで届けるんだろうな。
*
盟子が十峰の駅に降り立ったのは、空の青さがだいぶ遠のいた頃だった。
べっこう飴のような優しい西日がホームに降り注いでいる。
これから向かう先は、遠峰神社。
十峰に遠峰。
二つの名は同じ土地を指していて、どちらも山がちな地形を表しているらしい。古い文書には両方の漢字が見られ、近年では駅名や地名には十峰を、神社には遠峰の漢字を当てていると守谷にきいた。昔は「峯」だったけど、常用漢字の「峰」になったんだよー、なんて話も。
8月10日の今日、盟子は夏期講習も花火大会も放り出すという、自分でも驚くような行動に出た。
何故ならば。
今日は守谷の実家である遠峰神社の例大祭だからだ。
『連日の疲れで体調悪くなったので早退しました。少し休んでから自分で帰ります。迎えはいいよ。花火は行けなそう。ごめんね』
電車の中でそうメッセージを送ったら、雄眞から怒涛のような着信が鳴り止まなかった。うんざりして電源を切ったけれど、もしかしたら家にまで押しかけて来たかもしれない。
でも、それについては後で考えることにした。
……見回すと、十峰で電車を降りた人は本当に数えるほどで、みんな足早に階段を降りてあっという間に見えなくなった。地元の人だろうか。
十峰の名の通り背景は山ばかりで、それらも影に呑み込まれつつあり、夕暮れ時に取り残された盟子は急に心細くなった。
小さな駅舎を出ると、20分ほど待って今度は駅前停留所からバスに乗る。
発車したバスは駅前通りからすぐに細い路地へと入っていく。いつのまにか視界に占める緑色がどんどん多くなり、それに比例して心許なさが増していく。数名いた乗客は全員年寄りで、気が付けば皆降りてしまっていた。完全に山道になった。
「……すみません、あの、神楽を見に行く人っていないんですか」
盟子は運転手の後ろの席に移り、思い切って声をかけてみる。
初老の運転士はミラーを介してちらりと盟子を一瞥した。高校生の女の子が一人。どう見たって不審だろう。
「ああ、遠峰さんの夜神楽ね。皆さん大体、麓の宿に泊りがけなの。だからこの時間にやってくるお客さんはあんまりいないね。でもケーブルカー乗り場には少しいるんじゃないかな」
それを聞いて不安は更に増した。
開演は19時。それから約1時間だとして、大部分が泊り客なら帰りのバスなんて出てないんじゃないだろうか。
ないって言われたらどうしよう。怖くて訊くことができない。
……今になって気付いた。
「来る」ことしか考えていなかったのだ。
何とか雄眞をまいて、親をごまかして。それだけで頭がいっぱいだった。
大人どころか、そんなのただのバカで無鉄砲な子供と同じだ。ポンコツすぎる自分をゴミ箱に捨てたくなる。
そうこうするうちに終点の「清滝」に到着して盟子はバスを降りた。
そこは十峰山の登山口で、ここからは今度はケーブルカーに乗るのだ。
運転士の言う通り、確かに10人に満たないくらいだけれど待っている人がいた。
『本日、遠峰神社の神楽上演に合わせて下山の臨時便を出しています』
ケーブルカーの券売機の近くにはそう張り紙が出ている。帰りはとりあえずここまでは戻って来れそうだ。
往復チケットを購入してしまうと、半ばヤケになってきた。
空席だらけのケーブルカーが出発すると、心配になるような急勾配をギリギリと昇ってゆく。窓の外はまるで深海だ。立ち上がってくる杉の根元が闇に溶けている。
乗っていたのは10分にも満たない時間で、下ろされた場所は唖然とするくらいに山の中だった。
駅よりも標高が高いのか肌寒い。しかし、夏期講習で真夏の都会を行き来していた盟子に上着という発想があるはずもなく、着の身着のままだ。
今度は歩きらしい。
続く山道の前に立つ大きな赤い鳥居は、ここから参道が始まっていることを示している。道なりに点々と灯る灯篭を頼りに進んでいく。
途中、「野生動物に配慮して蛍光灯を使用していません」という不安を搔き立てる看板を見かけた。今こうして盟子が歩いている近くで蠢いているかもしれないその野生動物は、間違いなく害のないものなんだろうか。襲い掛かって来たりしないだろうか。それもわからない。
ひとつ確実なのは、守谷の言う「山育ち」の意味を身をもって理解できたということだ。
その後山道を30分近く歩き続け、急階段をくねくねと昇り、大鳥居の向こうにようやく立派な随身門が見えてきた時は心底ほっとした。
そこを過ぎると古めかしい社務所や宝物殿、神楽殿が見えてくる。
境内は明るくて、嘘のように賑わっていた。
きっと早い時間から人が集っていたんだろう。燃え盛る篝火が厳然と構える社殿を照らし出している。厳かな神威を感じて思わず頭を下げた。神様が見ていらっしゃるんだなと、身体が感じる。
――見られているという意識。
それは守谷が「イケメンの条件」で語っていたことだ。美しい姿勢でいるためには、見られているという意識が必要だと。
つまりそれは、神楽を舞う時に人の視線を受けるという他に、神社を守る家系の中で常日頃から神様に見られていることを念頭に置いた言葉じゃなかっただろうか。
そんな解釈が急に浮かんだ。
……私、とんでもないことしてるな。
ふっと吐き出したため息が闇夜に溶けていった。
午前中にアカデミーにいたのが遠い昔みたいだ。
ほとんど中身らしいものもない軽いバッグに入っているのは、財布にスマホ、飲みかけの紅茶とガムと飴。寂しくなってきた胃袋に飴を送り込むと、盟子は神楽殿に上がって薄暗い中で正座をして待つ。
つい、目が勝手に探してしまう。
すっと伸びた美しい背筋を。緩いウエーブの髪の毛を。
来ないとは聞いているものの、もしかしたらという僅かな期待を捨てきれなくて。
やがて篝火のはぜる音に混じって緩やかな笛の音が流れ始めた。
神前を清める舞、「奉幣」が始まったのだ。
みんなのリアクション
まだリアクションはありません。最初の一歩を踏み出しましょう!
一週間、朝から晩まで絵を描く日々に少し慣れて少しうんざりしてきた頃に、夏期講習は最終日を迎えた。
8月10日。
それと同時に、今日は武蔵野川の花火大会でもある。
8月10日。
それと同時に、今日は武蔵野川の花火大会でもある。
付き添いと称して勝手についてくる雄眞とアカデミーの手前で別れ、盟子はため息をつく。疲れた。
電車の中で花火大会の段取りを何度も確認されたのには本当に辟易した。返事をするまで「なあそうだろ?」「わかるよな?」と目を覗き込んでくるのだ。
電車の中で花火大会の段取りを何度も確認されたのには本当に辟易した。返事をするまで「なあそうだろ?」「わかるよな?」と目を覗き込んでくるのだ。
これから更に青くなるだろう、8月の空を見上げる。
夏の1ページを隙なく塗りつぶすセミの声。みんなみんな、セミだって、必死で生きてるんだな。だから私も。
夏の1ページを隙なく塗りつぶすセミの声。みんなみんな、セミだって、必死で生きてるんだな。だから私も。
盟子はいつも通りアカデミーの建物に入った。
でも、ここから先はたぶん、|いつも通り《・・・・・》じゃなくなる。頼れるのは自分だけで、味方は自分だけ。そんなふうになるだろう。
でも、ここから先はたぶん、|いつも通り《・・・・・》じゃなくなる。頼れるのは自分だけで、味方は自分だけ。そんなふうになるだろう。
——できるのかな、私。
じっと掌を見つめる。
——大丈夫だって! できるわよー。
そう、聞こえた気がした。
*
お昼休憩の後、ちょっと急用が入りましたと嘘をついてアカデミーを出ると、緊張で胸が破裂しそうにバクバクした。
授業をさぼる。しかも嘘をついて。
それは盟子にとってはかなり、相当、自分の基盤を揺るがすくらいの大ごとだ。
それは盟子にとってはかなり、相当、自分の基盤を揺るがすくらいの大ごとだ。
外を歩きだすと、まだまだパワー全開の陽射しが容赦なく降り注いでくる。それを照り返すアスファルトに上下からじりじりと焼かれる。眩しくて手をかざすと、指の隙間から白い入道雲がのぞいた。
永遠に届かなそうなそのてっぺんに、その人の端正な後ろ姿が見える気がする。でもまだまだ遠くて、泣きたくなるくらいに遠くて。
永遠に届かなそうなそのてっぺんに、その人の端正な後ろ姿が見える気がする。でもまだまだ遠くて、泣きたくなるくらいに遠くて。
あとどれだけ歩いたら、あそこまで届けるんだろうな。
*
盟子が|十峰《とおみね》の駅に降り立ったのは、空の青さがだいぶ遠のいた頃だった。
べっこう飴のような優しい西日がホームに降り注いでいる。
べっこう飴のような優しい西日がホームに降り注いでいる。
これから向かう先は、|遠峰《とおみね》神社。
十峰に遠峰。
二つの名は同じ土地を指していて、どちらも山がちな地形を表しているらしい。古い文書には両方の漢字が見られ、近年では駅名や地名には十峰を、神社には遠峰の漢字を当てていると守谷にきいた。昔は「峯」だったけど、常用漢字の「峰」になったんだよー、なんて話も。
二つの名は同じ土地を指していて、どちらも山がちな地形を表しているらしい。古い文書には両方の漢字が見られ、近年では駅名や地名には十峰を、神社には遠峰の漢字を当てていると守谷にきいた。昔は「峯」だったけど、常用漢字の「峰」になったんだよー、なんて話も。
8月10日の今日、盟子は夏期講習も花火大会も放り出すという、自分でも驚くような行動に出た。
何故ならば。
今日は守谷の実家である遠峰神社の例大祭だからだ。
何故ならば。
今日は守谷の実家である遠峰神社の例大祭だからだ。
『連日の疲れで体調悪くなったので早退しました。少し休んでから自分で帰ります。迎えはいいよ。花火は行けなそう。ごめんね』
電車の中でそうメッセージを送ったら、雄眞から怒涛のような着信が鳴り止まなかった。うんざりして電源を切ったけれど、もしかしたら家にまで押しかけて来たかもしれない。
でも、それについては後で考えることにした。
でも、それについては後で考えることにした。
……見回すと、十峰で電車を降りた人は本当に数えるほどで、みんな足早に階段を降りてあっという間に見えなくなった。地元の人だろうか。
十峰の名の通り背景は山ばかりで、それらも影に呑み込まれつつあり、夕暮れ時に取り残された盟子は急に心細くなった。
十峰の名の通り背景は山ばかりで、それらも影に呑み込まれつつあり、夕暮れ時に取り残された盟子は急に心細くなった。
小さな駅舎を出ると、20分ほど待って今度は駅前停留所からバスに乗る。
発車したバスは駅前通りからすぐに細い路地へと入っていく。いつのまにか視界に占める緑色がどんどん多くなり、それに比例して心許なさが増していく。数名いた乗客は全員年寄りで、気が付けば皆降りてしまっていた。完全に山道になった。
発車したバスは駅前通りからすぐに細い路地へと入っていく。いつのまにか視界に占める緑色がどんどん多くなり、それに比例して心許なさが増していく。数名いた乗客は全員年寄りで、気が付けば皆降りてしまっていた。完全に山道になった。
「……すみません、あの、神楽を見に行く人っていないんですか」
盟子は運転手の後ろの席に移り、思い切って声をかけてみる。
初老の運転士はミラーを介してちらりと盟子を一瞥した。高校生の女の子が一人。どう見たって不審だろう。
「ああ、遠峰さんの夜神楽ね。皆さん大体、麓の宿に泊りがけなの。だからこの時間にやってくるお客さんはあんまりいないね。でもケーブルカー乗り場には少しいるんじゃないかな」
盟子は運転手の後ろの席に移り、思い切って声をかけてみる。
初老の運転士はミラーを介してちらりと盟子を一瞥した。高校生の女の子が一人。どう見たって不審だろう。
「ああ、遠峰さんの夜神楽ね。皆さん大体、麓の宿に泊りがけなの。だからこの時間にやってくるお客さんはあんまりいないね。でもケーブルカー乗り場には少しいるんじゃないかな」
それを聞いて不安は更に増した。
開演は19時。それから約1時間だとして、大部分が泊り客なら帰りのバスなんて出てないんじゃないだろうか。
ないって言われたらどうしよう。怖くて訊くことができない。
開演は19時。それから約1時間だとして、大部分が泊り客なら帰りのバスなんて出てないんじゃないだろうか。
ないって言われたらどうしよう。怖くて訊くことができない。
……今になって気付いた。
「来る」ことしか考えていなかったのだ。
何とか雄眞をまいて、親をごまかして。それだけで頭がいっぱいだった。
大人どころか、そんなのただのバカで無鉄砲な子供と同じだ。ポンコツすぎる自分をゴミ箱に捨てたくなる。
「来る」ことしか考えていなかったのだ。
何とか雄眞をまいて、親をごまかして。それだけで頭がいっぱいだった。
大人どころか、そんなのただのバカで無鉄砲な子供と同じだ。ポンコツすぎる自分をゴミ箱に捨てたくなる。
そうこうするうちに終点の「清滝」に到着して盟子はバスを降りた。
そこは十峰山の登山口で、ここからは今度はケーブルカーに乗るのだ。
運転士の言う通り、確かに10人に満たないくらいだけれど待っている人がいた。
そこは十峰山の登山口で、ここからは今度はケーブルカーに乗るのだ。
運転士の言う通り、確かに10人に満たないくらいだけれど待っている人がいた。
『本日、遠峰神社の神楽上演に合わせて下山の臨時便を出しています』
ケーブルカーの券売機の近くにはそう張り紙が出ている。帰りはとりあえずここまでは戻って来れそうだ。
往復チケットを購入してしまうと、半ばヤケになってきた。
ケーブルカーの券売機の近くにはそう張り紙が出ている。帰りはとりあえずここまでは戻って来れそうだ。
往復チケットを購入してしまうと、半ばヤケになってきた。
空席だらけのケーブルカーが出発すると、心配になるような急勾配をギリギリと昇ってゆく。窓の外はまるで深海だ。立ち上がってくる杉の根元が闇に溶けている。
乗っていたのは10分にも満たない時間で、下ろされた場所は唖然とするくらいに山の中だった。
駅よりも標高が高いのか肌寒い。しかし、夏期講習で真夏の都会を行き来していた盟子に上着という発想があるはずもなく、着の身着のままだ。
乗っていたのは10分にも満たない時間で、下ろされた場所は唖然とするくらいに山の中だった。
駅よりも標高が高いのか肌寒い。しかし、夏期講習で真夏の都会を行き来していた盟子に上着という発想があるはずもなく、着の身着のままだ。
今度は歩きらしい。
続く山道の前に立つ大きな赤い鳥居は、ここから参道が始まっていることを示している。道なりに点々と灯る灯篭を頼りに進んでいく。
途中、「野生動物に配慮して蛍光灯を使用していません」という不安を搔き立てる看板を見かけた。今こうして盟子が歩いている近くで蠢いているかもしれないその野生動物は、間違いなく害のないものなんだろうか。襲い掛かって来たりしないだろうか。それもわからない。
ひとつ確実なのは、守谷の言う「山育ち」の意味を身をもって理解できたということだ。
続く山道の前に立つ大きな赤い鳥居は、ここから参道が始まっていることを示している。道なりに点々と灯る灯篭を頼りに進んでいく。
途中、「野生動物に配慮して蛍光灯を使用していません」という不安を搔き立てる看板を見かけた。今こうして盟子が歩いている近くで蠢いているかもしれないその野生動物は、間違いなく害のないものなんだろうか。襲い掛かって来たりしないだろうか。それもわからない。
ひとつ確実なのは、守谷の言う「山育ち」の意味を身をもって理解できたということだ。
その後山道を30分近く歩き続け、急階段をくねくねと昇り、大鳥居の向こうにようやく立派な随身門が見えてきた時は心底ほっとした。
そこを過ぎると古めかしい社務所や宝物殿、神楽殿が見えてくる。
そこを過ぎると古めかしい社務所や宝物殿、神楽殿が見えてくる。
境内は明るくて、嘘のように賑わっていた。
きっと早い時間から人が集っていたんだろう。燃え盛る篝火が厳然と構える社殿を照らし出している。厳かな神威を感じて思わず頭を下げた。神様が見ていらっしゃるんだなと、身体が感じる。
きっと早い時間から人が集っていたんだろう。燃え盛る篝火が厳然と構える社殿を照らし出している。厳かな神威を感じて思わず頭を下げた。神様が見ていらっしゃるんだなと、身体が感じる。
――見られているという意識。
それは守谷が「イケメンの条件」で語っていたことだ。美しい姿勢でいるためには、見られているという意識が必要だと。
つまりそれは、神楽を舞う時に人の視線を受けるという他に、神社を守る家系の中で常日頃から神様に見られていることを念頭に置いた言葉じゃなかっただろうか。
そんな解釈が急に浮かんだ。
つまりそれは、神楽を舞う時に人の視線を受けるという他に、神社を守る家系の中で常日頃から神様に見られていることを念頭に置いた言葉じゃなかっただろうか。
そんな解釈が急に浮かんだ。
……私、とんでもないことしてるな。
ふっと吐き出したため息が闇夜に溶けていった。
午前中にアカデミーにいたのが遠い昔みたいだ。
ほとんど中身らしいものもない軽いバッグに入っているのは、財布にスマホ、飲みかけの紅茶とガムと飴。寂しくなってきた胃袋に飴を送り込むと、盟子は神楽殿に上がって薄暗い中で正座をして待つ。
午前中にアカデミーにいたのが遠い昔みたいだ。
ほとんど中身らしいものもない軽いバッグに入っているのは、財布にスマホ、飲みかけの紅茶とガムと飴。寂しくなってきた胃袋に飴を送り込むと、盟子は神楽殿に上がって薄暗い中で正座をして待つ。
つい、目が勝手に探してしまう。
すっと伸びた美しい背筋を。緩いウエーブの髪の毛を。
来ないとは聞いているものの、もしかしたらという僅かな期待を捨てきれなくて。
すっと伸びた美しい背筋を。緩いウエーブの髪の毛を。
来ないとは聞いているものの、もしかしたらという僅かな期待を捨てきれなくて。
やがて篝火のはぜる音に混じって緩やかな笛の音が流れ始めた。
神前を清める舞、「|奉幣《ほうべい》」が始まったのだ。