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アイル

ー/ー



 夏休みに、夏期講習に行かされることになった。

 鈴城(すずき)芸術アカデミー、美大受験のための予備校へ。
 曖昧になんとなくぐずぐず言ってるうちに、とにかくまずは一度夏期講習に出てみるのがいい、と押し切られてしまったのだった。
 
 で、夏期講習では何をするのかというと。
 一週間ひたすらデッサンをするらしい。午前10時から、夕方の4時まで。
 そして今日はその初日。

「おっはよーっ」

 アカデミー入り口の円柱の脇で、やたら目立つパープルな人が盟子に向かって手を振っているのは気のせいじゃない。
 建物に入っていく予備校生たちもさすがに美大志望なだけあってなかなかに個性的で前衛的な雰囲気だ。けれどそれに決して引けを取らない、目の覚めるような鮮やかなシャツにヴィンテージデニムの組み合わせが存在感を放っている。

「あ、玲峰センセー!」
 盟子がそこまで辿り着いて挨拶とお礼を伝える前に、数人の生徒が守谷を取り囲んだ。

「先生ひっさしぶりじゃん! 元気だったぁ?」
 更に他の生徒たちもそれに気付き、輪が大きくなっていく。
「うん、元気だよー。うっそレイナ髪の毛ばっさり行ったねー!」
 満面の笑顔で応じる守谷。
「あ、カノンも久しぶりー! 調子どう?」

 美大生だった頃から、守谷はここ鈴城(すずき)芸術アカデミーでデッサンコースの講師アルバイトをしていたらしい。そして美大生になる前は、ここに通う生徒のひとりだったとか。だからこうして知り合いだの教え子だのがわらわら寄ってくるというわけだ。
 確かに。既にこれだけ教え子がいるなら、教壇に立とうが女子に囲まれようが動じないのも頷ける、と盟子は納得した。ま、あの見た目であの性格なわけだし、人気講師だったんだろうな。

 それにしても、美大志望生はパワフルだ。
 高校の美術部というとなんとなく地味なイメージが付きまとうけれど、ここでは皆、自分という存在を思い思いに主張している。髪や服装だけの問題じゃない。表現や創造の道を選ぶというのはそういうことなんだと思い知らされる。皆芸術家の卵なのだ。
 そんな生徒たちの中心にいるパープルなあのお兄さんも、ここの世界の住人属性で間違いないはずだ。

 これ以上近づくのは躊躇われて、盟子は独りでアカデミーの中に入っていった。
「ええと、お店はどこかな……」
 デッサンのクラスを受講するにあたって、併設の画材店で必要な画材一式を購入しておかなければならない。

「待ちなさいって!」
 そこへ守谷が追いかけて来た。
「本日はわざわざご足労いただいてありがとうございます」
 盟子は慇懃無礼に応じた。感謝しているのに、何だか心がささくれ立っている。
「いえいえ、どーいたしまして!」
「……派手な色がほんっと似合いますね」
「そうなの! あたしブルべ冬だからー、ビビッドな色が似合うんだ」

 今日は守谷がお下がりの画材を持ってきてくれるという話になっていて、ついでに画材店での買い物も見繕ってくれることになっていたのだ。
 でも今、素直になれない気持ちで、口から出てくる言葉がもれなくトゲトゲしてしまう。向こうは全くダメージを受けていないっぽいけれど。

「あ、ちょっとまって! カルトンは買わなくていいの、あたしのお古あげるから。画用紙と練り消しだけ買いなよ。木炭はね……」
「いいです、全部新しいの買います」
「どうせ続ける予定ないんでしょ? 新品買っても無駄じゃん」
 盟子の事情を知った上での言葉なのだろうけれど、そうはっきり言われるといい気はしない。

「何その目つき」
「自分のことは自分で何とかします」
「やだぁもう若いくせに意地っ張りー」
 守谷はそんな盟子をカラッと笑い飛ばした。
「ね、これも何かの縁だからさ、黙って受け取りなよ? ほらあたしと梅ちゃんてなんかもう因縁ってカンジじゃない? 生息域が色々と重なりまくってて」
 余ったお金で服でも買っておしゃれしたら?と他意なく言われて、それがカチンときた。ここの予備校生と比べて自分が地味なのは、痛いほどに自覚していたから。

「……それって私がおしゃれじゃないってことですか?」
 美しい完璧な眉を、守谷が大袈裟に顰めた。
「そのひねくれ根性かわいくなーい」
「はい、かわいくないって解ってます」
 やけにつっかかりたくなる理由は、なんとなく気付いている。

——どうせここは私のいる場所じゃないし。

 おまえなんか来なくていい。来たって無駄だ、と。
 そんなふうに言われている気がした。
 いくらお慈悲で優しくしてくれたって、先生だってどうせあちら側(・・・・)のくせに。

「いいからせんせぇのゆーこと聞くっ!」
 しかし「せんせぇ」の威力は絶大で、盟子は結局お下がりの画材を押し付けられてしまった。
「ま、一回くらい真剣にやってみたらお母さんも納得してくれるんじゃない? どーしても嫌だったらあたしから口添えしてあげるから。この子の実力じゃ無理でーす、とか言って。あはは」
 こうしてまた、さりげない気遣いで背中を押されてしまう。
「あとはもう自分でやりま……」
「玲くん!」

 その時だった。
 弾けるようなきらきらした声がエントランスホールに響いて、辺りがぱっと明るくなった、気がした。
 玲くん。
 その名前が誰を指し示しているのかは疑いようもない。

 突如現れて守谷の腕に絡みついたその人のことを、盟子ははっきり覚えていた。

 あの子だ。
 私を見て!という強い輝きを全身から放つその子のことは忘れもしない。
 ぱっつん前髪のピンクベージュのロングヘアは、見間違いようもない。
 雄眞と行ったダリの展覧会で守谷と一緒にいた女の子。たぶん、彼女。
 正面から向き合うと、アーモンドのようなきれいな二重の瞳がまるでドールみたいだ。そうか、彼女もここの関係者なんだ。

「あっれ? アイル、どうしてここいるの?」
 普段は見せない優しい表情で守谷はアイルという女の子に応じた。
 ふうん、南緒のことはしれっとスルーするくせに、やっぱり彼女には態度が違うんだ。

「へへー。今日玲くん来るって聞いたから、アイルも来ちゃったの」
 それはもう完璧にきらっきらの笑顔と態度を見せて、アイルと呼ばれた彼女は守谷に甘える。2人で世界を作ってる。

 はいはいはい。仲良くどうぞ。
 自分でも笑ってしまうくらいに心がざわついているいる。

「玲くん、校長のとこに挨拶いくんでしょ? そしたらお昼一緒に食べに行こうよ?」
 いいよぉ、と返す優しい口調と笑顔は学校では見たことがない。そうか、彼女に対しては甘々なんだ。

「ねえ、お昼、梅ちゃんも一緒に来る?」
 いたたまれなすぎて辛くなって踝を返したところで、後ろからそんな言葉をかけられて盟子は耳を疑った。

 は?
 それって……どういうこと?
 ああそうか、私なんかカップルにまじっても害はないと思われているんだ。どうせ存在感ないものね。

「いえ」
 精一杯ぶっきらぼうに返した盟子を、アイルは無表情にちらりと一瞥してきた。まるでレジのスキャンを思わせるような目で。

――価値ナシ。

 守谷玲峰に関わる女の子として、邪魔にも益にもならないと判断されたらしかった。



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 夏休みに、夏期講習に行かされることになった。
 |鈴城《すずき》芸術アカデミー、美大受験のための予備校へ。
 曖昧になんとなくぐずぐず言ってるうちに、とにかくまずは一度夏期講習に出てみるのがいい、と押し切られてしまったのだった。
 で、夏期講習では何をするのかというと。
 一週間ひたすらデッサンをするらしい。午前10時から、夕方の4時まで。
 そして今日はその初日。
「おっはよーっ」
 アカデミー入り口の円柱の脇で、やたら目立つパープルな人が盟子に向かって手を振っているのは気のせいじゃない。
 建物に入っていく予備校生たちもさすがに美大志望なだけあってなかなかに個性的で前衛的な雰囲気だ。けれどそれに決して引けを取らない、目の覚めるような鮮やかなシャツにヴィンテージデニムの組み合わせが存在感を放っている。
「あ、玲峰センセー!」
 盟子がそこまで辿り着いて挨拶とお礼を伝える前に、数人の生徒が守谷を取り囲んだ。
「先生ひっさしぶりじゃん! 元気だったぁ?」
 更に他の生徒たちもそれに気付き、輪が大きくなっていく。
「うん、元気だよー。うっそレイナ髪の毛ばっさり行ったねー!」
 満面の笑顔で応じる守谷。
「あ、カノンも久しぶりー! 調子どう?」
 美大生だった頃から、守谷はここ|鈴城《すずき》芸術アカデミーでデッサンコースの講師アルバイトをしていたらしい。そして美大生になる前は、ここに通う生徒のひとりだったとか。だからこうして知り合いだの教え子だのがわらわら寄ってくるというわけだ。
 確かに。既にこれだけ教え子がいるなら、教壇に立とうが女子に囲まれようが動じないのも頷ける、と盟子は納得した。ま、あの見た目であの性格なわけだし、人気講師だったんだろうな。
 それにしても、美大志望生はパワフルだ。
 高校の美術部というとなんとなく地味なイメージが付きまとうけれど、ここでは皆、自分という存在を思い思いに主張している。髪や服装だけの問題じゃない。表現や創造の道を選ぶというのはそういうことなんだと思い知らされる。皆芸術家の卵なのだ。
 そんな生徒たちの中心にいるパープルなあのお兄さんも、ここの世界の住人属性で間違いないはずだ。
 これ以上近づくのは躊躇われて、盟子は独りでアカデミーの中に入っていった。
「ええと、お店はどこかな……」
 デッサンのクラスを受講するにあたって、併設の画材店で必要な画材一式を購入しておかなければならない。
「待ちなさいって!」
 そこへ守谷が追いかけて来た。
「本日はわざわざご足労いただいてありがとうございます」
 盟子は慇懃無礼に応じた。感謝しているのに、何だか心がささくれ立っている。
「いえいえ、どーいたしまして!」
「……派手な色がほんっと似合いますね」
「そうなの! あたしブルべ冬だからー、ビビッドな色が似合うんだ」
 今日は守谷がお下がりの画材を持ってきてくれるという話になっていて、ついでに画材店での買い物も見繕ってくれることになっていたのだ。
 でも今、素直になれない気持ちで、口から出てくる言葉がもれなくトゲトゲしてしまう。向こうは全くダメージを受けていないっぽいけれど。
「あ、ちょっとまって! カルトンは買わなくていいの、あたしのお古あげるから。画用紙と練り消しだけ買いなよ。木炭はね……」
「いいです、全部新しいの買います」
「どうせ続ける予定ないんでしょ? 新品買っても無駄じゃん」
 盟子の事情を知った上での言葉なのだろうけれど、そうはっきり言われるといい気はしない。
「何その目つき」
「自分のことは自分で何とかします」
「やだぁもう若いくせに意地っ張りー」
 守谷はそんな盟子をカラッと笑い飛ばした。
「ね、これも何かの縁だからさ、黙って受け取りなよ? ほらあたしと梅ちゃんてなんかもう因縁ってカンジじゃない? 生息域が色々と重なりまくってて」
 余ったお金で服でも買っておしゃれしたら?と他意なく言われて、それがカチンときた。ここの予備校生と比べて自分が地味なのは、痛いほどに自覚していたから。
「……それって私がおしゃれじゃないってことですか?」
 美しい完璧な眉を、守谷が大袈裟に顰めた。
「そのひねくれ根性かわいくなーい」
「はい、かわいくないって解ってます」
 やけにつっかかりたくなる理由は、なんとなく気付いている。
——どうせここは私のいる場所じゃないし。
 おまえなんか来なくていい。来たって無駄だ、と。
 そんなふうに言われている気がした。
 いくらお慈悲で優しくしてくれたって、先生だってどうせ|あちら側《・・・・》のくせに。
「いいからせんせぇのゆーこと聞くっ!」
 しかし「せんせぇ」の威力は絶大で、盟子は結局お下がりの画材を押し付けられてしまった。
「ま、一回くらい真剣にやってみたらお母さんも納得してくれるんじゃない? どーしても嫌だったらあたしから口添えしてあげるから。この子の実力じゃ無理でーす、とか言って。あはは」
 こうしてまた、さりげない気遣いで背中を押されてしまう。
「あとはもう自分でやりま……」
「玲くん!」
 その時だった。
 弾けるようなきらきらした声がエントランスホールに響いて、辺りがぱっと明るくなった、気がした。
 玲くん。
 その名前が誰を指し示しているのかは疑いようもない。
 突如現れて守谷の腕に絡みついたその人のことを、盟子ははっきり覚えていた。
 あの子だ。
 私を見て!という強い輝きを全身から放つその子のことは忘れもしない。
 ぱっつん前髪のピンクベージュのロングヘアは、見間違いようもない。
 雄眞と行ったダリの展覧会で守谷と一緒にいた女の子。たぶん、彼女。
 正面から向き合うと、アーモンドのようなきれいな二重の瞳がまるでドールみたいだ。そうか、彼女もここの関係者なんだ。
「あっれ? アイル、どうしてここいるの?」
 普段は見せない優しい表情で守谷はアイルという女の子に応じた。 ふうん、南緒のことはしれっとスルーするくせに、やっぱり彼女には態度が違うんだ。
「へへー。今日玲くん来るって聞いたから、アイルも来ちゃったの」
 それはもう完璧にきらっきらの笑顔と態度を見せて、アイルと呼ばれた彼女は守谷に甘える。2人で世界を作ってる。
 はいはいはい。仲良くどうぞ。
 自分でも笑ってしまうくらいに心がざわついているいる。
「玲くん、校長のとこに挨拶いくんでしょ? そしたらお昼一緒に食べに行こうよ?」
 いいよぉ、と返す優しい口調と笑顔は学校では見たことがない。そうか、彼女に対しては甘々なんだ。
「ねえ、お昼、梅ちゃんも一緒に来る?」
 いたたまれなすぎて辛くなって踝を返したところで、後ろからそんな言葉をかけられて盟子は耳を疑った。
 は?
 それって……どういうこと?
 ああそうか、私なんかカップルにまじっても害はないと思われているんだ。どうせ存在感ないものね。
「いえ」
 精一杯ぶっきらぼうに返した盟子を、アイルは無表情にちらりと一瞥してきた。まるでレジのスキャンを思わせるような目で。
――価値ナシ。
 守谷玲峰に関わる女の子として、邪魔にも益にもならないと判断されたらしかった。