リーランドの温室
ー/ー
朝食後、約束通り、私たちはレディ・リーランドに伴われて温室を目指しました。
「温室は屋敷からは少々離れておりますので、車で参りますか」
そう問われたのですが、昨日、急ぎ足で拝見したリーランドの途方もなく美しい庭を見逃す手はないと思い、歩いて行くことにしました。――幸いにも、天気は快晴。白灰色の雲が多くかかって薄い色の空を隠していますが、レディ・リーランドやフィリップの言葉を借りれば、快晴、なのだそうです。
リーランドの庭は、〈春〉と言われて想像できるものを全て詰め込んだような、花盛りの、それはそれは美しい庭でした。きっとこの庭で見つけられない色などないでしょう。そんな風に思うほどに、濃きも浅きも色とりどりの花たちが、そこここへと咲き誇っているのです。
城壁の名残でしょうか、朽ちた石壁に絡みつく濃い赤紫のオールドローズが朝露に濡れて輝いています。煌めく小川の周りには、水色、薄紫、銀白のネモフィラが絨毯のように広がって、美しいグラデーションを見せていました。綺麗に刈り込まれた芝生は瑞々しい緑で、その中程を貫くように敷かれた石畳は淡い蜂蜜色。花壇には、薄桃色のまん丸いアリウム、真っ白いオルレア、すらっと背の高いラベンダー、可憐なブルーベル、他に名前も知らない可愛らしい花々が、一見雑多に、しかし、その実、計算され尽くしているのでしょう、視界に入ると見事なまとまりを見せるように植えられています。
温室までの約3kmの道のりは、とても気持ちのいい朝の散歩となったのでした。
リーランド家の温室は、城館の古さに反して、割りとモダンな印象の、直線で構成された大きな建物でした。中は、想像していたような――熱帯の木々が所狭しと生い茂っている――わけでは全然なく、まだ小さな苗木の鉢植えや、やっと芽が出たばかりの苗床などが整然と並べられた空間でした。
「苗の保護施設みたいですね」
フィリップが感心した様子で呟けば、
「…というよりは実験場ね」
ロサルヴァも小声で応じて、笑顔を保ったままのカタリナに肘でつつかれています。
「大切に育てられているのが分かりますね」
小さな命が大事にされているのを見るのは気持ちのいいものなので、私は心からの笑顔をレディ・リーランドに向けました。
「ええ。ここは、殆どエリックが管理していて――と言っても、毎週末帰ってくるわけではないので、普段の世話は私などがしておりますけども」
この大量の植物の赤ちゃんたちのお世話をするのは、如何にも大変そうです。
感嘆しつつ見渡すと、まだあまり大きくなっていない薔薇の苗に、数輪、花が付いています。それは、夜が明けた後の空のような、薄橙と桃がマーブルのように混ざりあった、実に微妙な色の、見たことのない薔薇でした。シャローカップ咲きというのか、浅く弧を描いたカップ状の花形で、中の花弁がくしゅくしゅと縮こまっているのが、大層可愛らしい印象です。
「――この薔薇もエリックが作ったのですか?」
心奪われて尋ねると、レディ・リーランドは笑顔で頷いて、
「そうです。――確か、〈朝焼け〉の薔薇だそうですよ」
「美しいわ」
でも、残念なことに、私が従兄たちに頼まれて分けてもらいに来た薔薇とは違うようです。
「お求めの〈光〉の薔薇はこちらです」
先導されて両脇を苗木の鉢植えに囲まれた細い通路を奥へ進んでいくと、少し開けた場所に出ました。広場のように丸く蜂蜜色の石畳が敷かれていて、真ん中には、青銅色のガーデンテーブルセットが置いてあります。その丸いテーブルの上に、まだ若い薔薇の苗木が一鉢置かれていて――…私の目が、一輪だけ付いた花に吸い寄せられました。
それは、純白に、ほんの少しだけ純度の高い黄を混ぜたような絶妙な色彩に、シルクのごとき艶と光沢を備えて、比類なき高貴さを湛えた薔薇でした。
山の端から覗いたばかりの朝の太陽が〈光〉の筋を四方に投げかるときの、まさしく、その〈光〉の色でした。
「朝の〈光〉、そのままの色ですね――すばらしいわ」
よくもまあ、このように微妙な〈光〉という色彩を、それらしく再現できたものです。
私は心からの賛辞を込めて呟きました。
最も、植物の交配技術に疎い私のこと、エリックの才能が素晴らしいのか、それとも、もしかすると、類い希な強運によって偶然生み出されたものなのか、全く判断は付きませんでしたが。
「こちらの鉢をお持ち頂こうと思って、用意しておりました」
レディ・リーランドが〈光〉の薔薇を見つめながらそう仰いました。
「ありがとうございます」
私が応じると、
「まだ仕上がったばかりの薔薇だそうですので、数がなく、一鉢しか差し上げられなくて申し訳ありませんが」
「いえ。元より一鉢だけの約束でしたから」
いくらエトガルといえども、貴重な薔薇を何鉢も分けて欲しいとは言わないはずです。
「持って帰ったら鉢のまま少し様子を見て、良い折に地植えしようと思います。――ロイシュライゼの土を気に入ってくれると良いのですけれど」
「きっと根付きます。――見た目の割りに強い薔薇だそうですから」
「よかった」
私は少し安心して微笑みました。
「それで、この〈光〉の薔薇、名前は――」
「それなのですが、まだ決まっていないと、教えてくれないのです」
「そうなのですか」
不思議に思って私が小首を傾げると、決まっていないわけないでしょうにねぇ、と、レディ・リーランドも苦笑されるのでした。しかし、考えてみれば、エリックは時々秘密めかしたことをする質なので、もしかしたらこの薔薇の名前には、何かとっておきの秘密があるのかもしれません。一方で、類い稀なるのんびりやさんでもあるため、単純にまだ名前が決まっていないだけの可能性もありますが。
(今度エリックに会ったら、お礼を言いがてら聞いてみましょう…)
私はそう心に誓い、宝庫のようなリーランドの温室を後にしたのでした。
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朝食後、約束通り、私たちはレディ・リーランドに伴われて温室を目指しました。
「温室は屋敷からは少々離れておりますので、車で参りますか」
そう問われたのですが、昨日、急ぎ足で拝見したリーランドの途方もなく美しい庭を見逃す手はないと思い、歩いて行くことにしました。――幸いにも、天気は快晴。白灰色の雲が多くかかって薄い色の空を隠していますが、レディ・リーランドやフィリップの言葉を借りれば、快晴、なのだそうです。
リーランドの庭は、〈春〉と言われて想像できるものを全て詰め込んだような、花盛りの、それはそれは美しい庭でした。きっとこの庭で見つけられない色などないでしょう。そんな風に思うほどに、濃きも浅きも色とりどりの花たちが、そこここへと咲き誇っているのです。
城壁の名残でしょうか、朽ちた石壁に絡みつく濃い赤紫のオールドローズが朝露に濡れて輝いています。煌めく小川の周りには、水色、薄紫、銀白のネモフィラが絨毯のように広がって、美しいグラデーションを見せていました。綺麗に刈り込まれた芝生は瑞々しい緑で、その中程を貫くように敷かれた石畳は淡い蜂蜜色。花壇には、薄桃色のまん丸いアリウム、真っ白いオルレア、すらっと背の高いラベンダー、可憐なブルーベル、他に名前も知らない可愛らしい花々が、一見雑多に、しかし、その実、計算され尽くしているのでしょう、視界に入ると見事なまとまりを見せるように植えられています。
温室までの約3kmの道のりは、とても気持ちのいい朝の散歩となったのでした。
リーランド家の温室は、城館の古さに反して、割りとモダンな印象の、直線で構成された大きな建物でした。中は、想像していたような――熱帯の木々が所狭しと生い茂っている――わけでは全然なく、まだ小さな苗木の鉢植えや、やっと芽が出たばかりの苗床などが整然と並べられた空間でした。
「苗の保護施設みたいですね」
フィリップが感心した様子で呟けば、
「…というよりは実験場ね」
ロサルヴァも小声で応じて、笑顔を保ったままのカタリナに肘でつつかれています。
「大切に育てられているのが分かりますね」
小さな命が大事にされているのを見るのは気持ちのいいものなので、私は心からの笑顔をレディ・リーランドに向けました。
「ええ。ここは、殆どエリックが管理していて――と言っても、毎週末帰ってくるわけではないので、普段の世話は私などがしておりますけども」
この大量の植物の赤ちゃんたちのお世話をするのは、如何にも大変そうです。
感嘆しつつ見渡すと、まだあまり大きくなっていない薔薇の苗に、数輪、花が付いています。それは、夜が明けた後の空のような、薄橙と桃がマーブルのように混ざりあった、実に微妙な色の、見たことのない薔薇でした。シャローカップ咲きというのか、浅く弧を描いたカップ状の花形で、中の花弁がくしゅくしゅと縮こまっているのが、大層可愛らしい印象です。
「――この薔薇もエリックが作ったのですか?」
心奪われて尋ねると、レディ・リーランドは笑顔で頷いて、
「そうです。――確か、〈朝焼け〉の薔薇だそうですよ」
「美しいわ」
でも、残念なことに、私が従兄たちに頼まれて分けてもらいに来た薔薇とは違うようです。
「お求めの〈光〉の薔薇はこちらです」
先導されて両脇を苗木の鉢植えに囲まれた細い通路を奥へ進んでいくと、少し開けた場所に出ました。広場のように丸く蜂蜜色の石畳が敷かれていて、真ん中には、青銅色のガーデンテーブルセットが置いてあります。その丸いテーブルの上に、まだ若い薔薇の苗木が一鉢置かれていて――…私の目が、一輪だけ付いた花に吸い寄せられました。
それは、純白に、ほんの少しだけ純度の高い黄を混ぜたような絶妙な色彩に、シルクのごとき艶と光沢を備えて、比類なき高貴さを湛えた薔薇でした。
山の端から覗いたばかりの朝の太陽が〈光〉の筋を四方に投げかるときの、まさしく、その〈光〉の色でした。
「朝の〈光〉、そのままの色ですね――すばらしいわ」
よくもまあ、このように微妙な〈光〉という色彩を、それらしく再現できたものです。
私は心からの賛辞を込めて呟きました。
最も、植物の交配技術に疎い私のこと、エリックの才能が素晴らしいのか、それとも、もしかすると、類い希な強運によって偶然生み出されたものなのか、全く判断は付きませんでしたが。
「こちらの鉢をお持ち頂こうと思って、用意しておりました」
レディ・リーランドが〈光〉の薔薇を見つめながらそう仰いました。
「ありがとうございます」
私が応じると、
「まだ仕上がったばかりの薔薇だそうですので、数がなく、一鉢しか差し上げられなくて申し訳ありませんが」
「いえ。元より一鉢だけの約束でしたから」
いくらエトガルといえども、貴重な薔薇を何鉢も分けて欲しいとは言わないはずです。
「持って帰ったら鉢のまま少し様子を見て、良い折に地植えしようと思います。――ロイシュライゼの土を気に入ってくれると良いのですけれど」
「きっと根付きます。――見た目の割りに強い薔薇だそうですから」
「よかった」
私は少し安心して微笑みました。
「それで、この〈光〉の薔薇、名前は――」
「それなのですが、まだ決まっていないと、教えてくれないのです」
「そうなのですか」
不思議に思って私が小首を傾げると、決まっていないわけないでしょうにねぇ、と、レディ・リーランドも苦笑されるのでした。しかし、考えてみれば、エリックは時々秘密めかしたことをする質なので、もしかしたらこの薔薇の名前には、何かとっておきの秘密があるのかもしれません。一方で、類い稀なるのんびりやさんでもあるため、単純にまだ名前が決まっていないだけの可能性もありますが。
(今度エリックに会ったら、お礼を言いがてら聞いてみましょう…)
私はそう心に誓い、宝庫のようなリーランドの温室を後にしたのでした。