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高く、遠くて

ー/ー



 舞い手たちが金襴の仕切り幕の奥に消えていくと、ふっと現実に戻った。
 舞台はただの空間になり、鏡板(舞台奥の壁)の紅白梅図だけが静かに咲き誇っている。

 盟子は近くの売店に走ると、氷水からミネラルウォーターのボトルを引き上げた。
「これ、お願いします」
 そうして神楽殿の裏手で出待ちする。

 きっと怒られるんだろうな。生徒に見られたらすごく嫌がるんだろうな。
 そうだとしても。

 まもなくして女神の気配は跡形もない、白シャツにチノパン姿のお兄さんがふらふらと降りてきた。他の舞い手に何度も頭を下げられながら。

「先生! 玲峰先生!」

 呪詛されたっていいと思って声をかけた前向きさは、まるで自分じゃないみたいだった。
「ちょっと! いつからいたの!?」
 盟子に気づいた守谷が悲鳴を上げる。
「水どうぞ。お疲れさまでした」
「見たの!?」
「呪ってもらってかまわないです」
 サイテーーーーー!!!!と絶叫して、守谷はへなへなとしゃがみこむ。

「先生、水分補給した方が」
「そういう話じゃなくて! 見に来ないでって言ったのに!」
「ごめんなさい、でも……」
 いつも受け身で、人の顔色ばかりうかがって消去法的に生きてきた。
「どうしても、どうしても見たくて……」
 そんな自分の中にも、こうやって熱くなれる思いがあったんだな、と。
「ここで尻込みしたら、きっと私はこの先もずっとこのままなんだろうなぁって……」

 守谷は困ったようにため息を吐くと、無理矢理押し付けられたミネラルウォーターのキャップを捻る。
「そんな顔されたら何も言えないじゃん」
 この気温の中であの衣装を着て舞ったのだから喉が渇いてるはず、という盟子の読みは合っていたみたいだ。
 口をつけたボトルは水平からあっという間に角度を上げて行った。

「……それであの、先生って一体何者なんですか?」

 それはごく純粋な疑問であると同時に、生き様も仕事も家業も、どれをとっても自立して完璧に見える守谷への最高の賛辞のつもりだったのだけれど。
「ぶっ!」
 突然、ものすごい勢いで守谷が咳き込んだ。むせたらしい。

「ちょっとあんたねぇ、人のことをそんな……げほっ!」
「だ、大丈夫ですか?」
「宇宙人か何かみたく言わないでよ!」
「は、はあ」
「ちょっと踊れるだけの普通のお兄さんだってば!」

 さっきまで女神様だった人が、ヒューヒューげほげほむせながら必死に弁解しているのが何だかおかしい。
「あれは絶対普通じゃないですよ!」
「ひっどい! 変な人だと思ってるんだ!」
「そうじゃなくって」
「あーもうこんなの生徒に見られてサイテー! 人生終わった。死にたい……」
「違いますってば!」
 半泣きで頭を抱える守谷に、ついに盟子の方がぷつんと切れた。
「そうじゃなくて、先生すごいなぁって、神楽いいなぁって、そう思ったんです!」

 気持ちをうまく伝えられないのはこんなに苦しいものなんだと、初めて感じた。
 悔しくてもどかしくて。言葉にしてあげられない想いがこぼれそうになる。
「え、待って待って」
 そこ泣くぅ!?と、守谷があたふたし始める。
「おかしいですね、私が泣くの」
 盟子は泣き笑いを浮かべた。

「……先生は大人で、色んな経験とか実績とか技術とかを持ってて羨ましいです。私には何にもないから」
 涙の味は苦くてしょっぱい。
 心を制御することすらもままならない自分は、やっぱり子供でしかなくて。

「あのね、これは違うのよ。神楽は小さい頃からやってたの。そういう家だったから……」
 差し出されたハンカチはお洒落なブランドもので、守谷がいつも纏っているベルガモットの涼しい香りがした。

「だって、あなたまだ高校生だよ? 今は自分の中に色々蓄える時期じゃん」

 こうして気遣われて優しくされるのだって情けない。
 あんたなんかまだまだ青いガキね!とはっきり言い渡される方が、いっそ清々しいのに。

「あたし神社の次男でさ」
 守谷は照れくさそうに口を開く。
「そういうのって世襲だから、いずれは兄貴と一緒に家を継がなきゃいけなかったんだけど。それに猛反発してこうやって違うことやっててさ。でも神楽は昔から好きだったんだよねぇ」
 だから時々見たくなっちゃうの、と笑った。

「今考えると喧嘩以外にも別の方法があったのかも。でも押し付けられたり急かされるのはやっぱり辛いよね」
 あたしの反抗期はそりゃあやばかったわよ!と、頑張って盟子を笑わせようとしてくれている。それがまた申し訳なくて。

「あ! そういえば」

 ハンカチを今返そうか、洗濯して返すべきかと盟子が迷っていると、守谷が急にスマホを取り出して何かを確認しだした。

「来月、実家の遠峰神社の例大祭なのね。そこでも神楽やるから、もしよかったら。ただちょっと遠いから、親御さんか彼氏くんとでも」
「先生は出るんですか?」
 彼氏くん、というのを否定するのも忘れて盟子は顔をあげた。涙はもう乾き始めている。
「あたしは出ません。絶賛絶縁中につき」

……だとしても。

「行きます。行きたい。ていうか、絶対行く!」
 先生が生まれ育った世界を、見てみたいな。

「神楽、好き?」
「好きです!」
「嬉しい」
 頭をくしゃくしゃと撫でられた。
 先生、こんなふうに笑うんだな。嬉しいのに何だか胸が痛い。
 その感覚が何なのか確かめようとする前に、ばぁん!と肩を叩かれた。

「そうそう! 後悔しないよう色々やってみないと。高校生じゃん!」

 大人と、子供。
 目の前の笑顔は遥かに遠く高くて。
 どうしたって届けない、と思った。



次のエピソードへ進む 大人なんだから


みんなのリアクション

 舞い手たちが金襴の仕切り幕の奥に消えていくと、ふっと現実に戻った。
 舞台はただの空間になり、鏡板(舞台奥の壁)の紅白梅図だけが静かに咲き誇っている。
 盟子は近くの売店に走ると、氷水からミネラルウォーターのボトルを引き上げた。
「これ、お願いします」
 そうして神楽殿の裏手で出待ちする。
 きっと怒られるんだろうな。生徒に見られたらすごく嫌がるんだろうな。
 そうだとしても。
 まもなくして女神の気配は跡形もない、白シャツにチノパン姿のお兄さんがふらふらと降りてきた。他の舞い手に何度も頭を下げられながら。
「先生! 玲峰先生!」
 呪詛されたっていいと思って声をかけた前向きさは、まるで自分じゃないみたいだった。
「ちょっと! いつからいたの!?」
 盟子に気づいた守谷が悲鳴を上げる。
「水どうぞ。お疲れさまでした」
「見たの!?」
「呪ってもらってかまわないです」
 サイテーーーーー!!!!と絶叫して、守谷はへなへなとしゃがみこむ。
「先生、水分補給した方が」
「そういう話じゃなくて! 見に来ないでって言ったのに!」
「ごめんなさい、でも……」
 いつも受け身で、人の顔色ばかりうかがって消去法的に生きてきた。
「どうしても、どうしても見たくて……」
 そんな自分の中にも、こうやって熱くなれる思いがあったんだな、と。
「ここで尻込みしたら、きっと私はこの先もずっとこのままなんだろうなぁって……」
 守谷は困ったようにため息を吐くと、無理矢理押し付けられたミネラルウォーターのキャップを捻る。
「そんな顔されたら何も言えないじゃん」
 この気温の中であの衣装を着て舞ったのだから喉が渇いてるはず、という盟子の読みは合っていたみたいだ。
 口をつけたボトルは水平からあっという間に角度を上げて行った。
「……それであの、先生って一体何者なんですか?」
 それはごく純粋な疑問であると同時に、生き様も仕事も家業も、どれをとっても自立して完璧に見える守谷への最高の賛辞のつもりだったのだけれど。
「ぶっ!」
 突然、ものすごい勢いで守谷が咳き込んだ。むせたらしい。
「ちょっとあんたねぇ、人のことをそんな……げほっ!」
「だ、大丈夫ですか?」
「宇宙人か何かみたく言わないでよ!」
「は、はあ」
「ちょっと踊れるだけの普通のお兄さんだってば!」
 さっきまで女神様だった人が、ヒューヒューげほげほむせながら必死に弁解しているのが何だかおかしい。
「あれは絶対普通じゃないですよ!」
「ひっどい! 変な人だと思ってるんだ!」
「そうじゃなくって」
「あーもうこんなの生徒に見られてサイテー! 人生終わった。死にたい……」
「違いますってば!」
 半泣きで頭を抱える守谷に、ついに盟子の方がぷつんと切れた。
「そうじゃなくて、先生すごいなぁって、神楽いいなぁって、そう思ったんです!」
 気持ちをうまく伝えられないのはこんなに苦しいものなんだと、初めて感じた。
 悔しくてもどかしくて。言葉にしてあげられない想いがこぼれそうになる。
「え、待って待って」
 そこ泣くぅ!?と、守谷があたふたし始める。
「おかしいですね、私が泣くの」
 盟子は泣き笑いを浮かべた。
「……先生は大人で、色んな経験とか実績とか技術とかを持ってて羨ましいです。私には何にもないから」
 涙の味は苦くてしょっぱい。
 心を制御することすらもままならない自分は、やっぱり子供でしかなくて。
「あのね、これは違うのよ。神楽は小さい頃からやってたの。そういう家だったから……」
 差し出されたハンカチはお洒落なブランドもので、守谷がいつも纏っているベルガモットの涼しい香りがした。
「だって、あなたまだ高校生だよ? 今は自分の中に色々蓄える時期じゃん」
 こうして気遣われて優しくされるのだって情けない。
 あんたなんかまだまだ青いガキね!とはっきり言い渡される方が、いっそ清々しいのに。
「あたし神社の次男でさ」
 守谷は照れくさそうに口を開く。
「そういうのって世襲だから、いずれは兄貴と一緒に家を継がなきゃいけなかったんだけど。それに猛反発してこうやって違うことやっててさ。でも神楽は昔から好きだったんだよねぇ」
 だから時々見たくなっちゃうの、と笑った。
「今考えると喧嘩以外にも別の方法があったのかも。でも押し付けられたり急かされるのはやっぱり辛いよね」
 あたしの反抗期はそりゃあやばかったわよ!と、頑張って盟子を笑わせようとしてくれている。それがまた申し訳なくて。
「あ! そういえば」
 ハンカチを今返そうか、洗濯して返すべきかと盟子が迷っていると、守谷が急にスマホを取り出して何かを確認しだした。
「来月、実家の遠峰神社の例大祭なのね。そこでも神楽やるから、もしよかったら。ただちょっと遠いから、親御さんか彼氏くんとでも」
「先生は出るんですか?」
 彼氏くん、というのを否定するのも忘れて盟子は顔をあげた。涙はもう乾き始めている。
「あたしは出ません。絶賛絶縁中につき」
……だとしても。
「行きます。行きたい。ていうか、絶対行く!」
 先生が生まれ育った世界を、見てみたいな。
「神楽、好き?」
「好きです!」
「嬉しい」
 頭をくしゃくしゃと撫でられた。
 先生、こんなふうに笑うんだな。嬉しいのに何だか胸が痛い。
 その感覚が何なのか確かめようとする前に、ばぁん!と肩を叩かれた。
「そうそう! 後悔しないよう色々やってみないと。高校生じゃん!」
 大人と、子供。
 目の前の笑顔は遥かに遠く高くて。
 どうしたって届けない、と思った。