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 「今日は良い日ですね」と声をかけるのが私の仕事だ。

 この街には祝いと呪いのバランスをとる小さな事業所――幸不幸調整委員会がある。

 自治会の承認を受けて行われている稼業であり、その対象は特区に住んでいるすべての住人だ。東地区の娼婦でも南地区のでも西地区で職務を全うしている清掃ロボットも良い日の対象である。

 幸不幸調整委員会の仕事を簡単に説明しよう。職員は祝か呪か、いずれかの魔法を声に付与される。

 声に祝福が付与された者は「今日は良い日ですね」と対象に声をかける。すると、かけられた者は一日、誰からも祝われたような時間を送ることができる。

 反対に、声に呪いが付与された者は「今日は悪い日ですね」と住人に声をかけていく。話しかけられた者は、その日一日都合の悪い生活を送ることになる。

 つまり、祝詞と呪詛によって、街の中にある運を少しづつ調整していくのである。

 私の支給された魔法は祝福の力。

 すなわち、私が声をかけた者は良い日になるのである。

 具合が悪そうなモンスターにも、呪いがかけられた薬指にも、きょろきょろと怪しいサラリーマンにも、もちろん、何もかもが楽しくて仕方がなさそうな女子高生にも、等しく声をかけていく。その誰もが私の声かけで祝いの一日を送る。

 声をかけるだけの簡単な仕事に思えるが、人を祝う仕事も実は苦労は尽きない。

 ノルマはないが、一日中、声をかけて回る仕事は喉の酷使でのど飴が必須。休みなく歩き通しのため、天候の悪い日や昨今の猛暑厳寒では、体力維持と体調管理は欠かせない。実は非常な肉体労働である。

 声をかける相手にも気を遣うサービス業でもあるし、報酬もその苦労を鑑みると決して多くはないし。

 しかし、私はこの街の住人の笑顔が好きだ! 声をかけた人が私を見た時の、私が幸運の調整委員会の人間だとわかった時の、パッと明るくなる表情を見られることは幸せな仕事だと思っている。

 ある日の出来事。

 閉じかけている穴があった。縁がしわしわと委縮し、人間を一人、異界へ誘うことも難しそうな元気のない空間の入り口。このままでいれば、萎んで怪異としては消滅してしまうだろう。

 こういった怪異にも話しかけるのが私の仕事だが、人間でも怪異でも、落ち込んでいる者に声をかけるのは何年この仕事をしていても慣れないものだ。

 最悪の気分の時に、今日は良い日ですね、と声をかけられれば、嫌な気分になったり、憤りを憶えたりすることの方が多いだろう。

 しかし、「今日はいい日ですね」と声をかけなければ私の祝福の魔法はかからないのである。

 私は意を決して、遠目から穴に向かって声をかけた。穴に届くように、両手をメガホンにして。

「今日はいい日ですね!」

 大声は虚しく穴の中に吸い込まれていく。穴の中に広がる暗闇は音を反響させない空間らしい。辺りがしん、と静まり返った。まるで渾身のジョークが滑ったかのような静寂が恥ずかしい。早めに、祝福の効果が出ると良いのだが。まさか、声が吸い込まれてしまって魔法の効果が無くなってしまうという事はないだろう。

 穴はというと、私の声を吸い込んで、一度、収縮した。その言葉の意味を確かめるようにぐにゃぐにゃと身体を捩って咀嚼する。さて、声の効果はあったのか……。

 ――次の瞬間、穴は馬鹿にしているのか、とでも言うようにガバっと大きく口を開いた。そこには深淵が広がっており、今度は私自身を吸いこもうと縁を伸展させて身体を震わせる。

 身構えた私を襲ったのはそよ風だった。

 力ない吸引が私の身体をゆっくりと穴に近づける。靴裏がざらざらと音を立ててアスファルトの上を滑った。抵抗できるほどの力。私の身体は引きずられつつも、二、三歩後退すれば、元いた場所に戻ることができた。

 人間の一人も簡単に吸い込めなくなっているなんて、とんでもなく弱った穴である。

 ところが、私の魔法の一言で穴の運勢が変わったようだ。

 元の穴が持っていたエネルギーが祝福の魔法によって穴に戻ってきたに違いない。

 吸引力が増した。加速するように、風が強く、速くなっていく。ごう、と風が吹いたかと思うと私の身体が風と共に翻る。弱り切った穴、と油断していた私はそれで尻餅をついた。

 立っていられそうもない風に煽られ、慌ててそこにあった看板に摑まる。

「ぐわぁ!」

 その慌てふためく様子を見て勢いづいたのか、増していく吸引力。しわしわと萎れていた穴の縁は、今や力強く収縮と発散を繰り返して私の身体を吸い込まんとしていた。

 摑まっていた看板の足が根元から音を立てて曲がる。飛ばされてくるゴミや枝がぶつかり、その吸引力の凄まじさを物語っている。

 さながら、台風の中での実況中継。私の身体がじわじわと、穴へと近づいていく。踏ん張って看板の幹にしがみつくが、手が滑ってうまくとどまることができない。

 この看板も完全に根元から抜けてしまえば。穴に吸い込まれてしまう――!

 力を失った穴――そう、侮っていたのが運の尽き。

 ボキ、と金属が折れる衝撃があった。支えを失った身体が看板の脚に抱き着いたまま、飛ばされる。風をきる音が聞こえた。もう駄目だ、吸い込まれる――!!

 穴が暗闇の底から輝きを放った。眩い光が私を、路地を包んでいく――。

 ふいに風がやんだ。

 急に止まった吸引のせいで、私は地面にたたきつけられた。反動で穴の前に倒れ、投げ出されている。光に包まれながらも状況が掴めずにいると、私の身体を吸いこもうとしていた穴は小休止し、虹色の光を放っていた。

「いったい、何が……」

 唐突に穴が収縮した。ぐんにゃりと曲がり、身を捩る。再び吸い込まれる、そう思って身構えたが、穴は予想外の行動をとったのだった。

 ぽん。穴が何かを吐きだした。それは、古びたパンパンの財布だった。ぽん。再び出てきたのは無数のカード――よく見ると、普段使いしている銀行のキャッシュカードに似ている。シャン。次に落ちたのは金銀細工のアクセサリーである。

 ぐしゃぐしゃになった前髪をかきあげると、そこには小銭、小切手、高価なモンスターの皮などの金品が溢れている。

 穴の中から金目のものが無尽蔵に吐き出されていく。吸い込まれるどころか、吐きだされているのである。

 付近で様子をうかがっていた人々が続々と集まってきた。

「あんた、運がいいね」

 一人の男が私に声をかけた。

「この穴は、穴は穴でも幸運を授けてくれる穴なんだよ」

 祝いの言葉を穴にかけた私は、図らずも、自分が祝われる立場になったらしい。

 その日は、祝福を受けたようなハッピーな気分で過ごすことができた。


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 「今日は良い日ですね」と声をかけるのが私の仕事だ。
 この街には祝いと呪いのバランスをとる小さな事業所――幸不幸調整委員会がある。
 自治会の承認を受けて行われている稼業であり、その対象は特区に住んでいるすべての住人だ。東地区の娼婦でも南地区のでも西地区で職務を全うしている清掃ロボットも良い日の対象である。
 幸不幸調整委員会の仕事を簡単に説明しよう。職員は祝か呪か、いずれかの魔法を声に付与される。
 声に祝福が付与された者は「今日は良い日ですね」と対象に声をかける。すると、かけられた者は一日、誰からも祝われたような時間を送ることができる。
 反対に、声に呪いが付与された者は「今日は悪い日ですね」と住人に声をかけていく。話しかけられた者は、その日一日都合の悪い生活を送ることになる。
 つまり、祝詞と呪詛によって、街の中にある運を少しづつ調整していくのである。
 私の支給された魔法は祝福の力。
 すなわち、私が声をかけた者は良い日になるのである。
 具合が悪そうなモンスターにも、呪いがかけられた薬指にも、きょろきょろと怪しいサラリーマンにも、もちろん、何もかもが楽しくて仕方がなさそうな女子高生にも、等しく声をかけていく。その誰もが私の声かけで祝いの一日を送る。
 声をかけるだけの簡単な仕事に思えるが、人を祝う仕事も実は苦労は尽きない。
 ノルマはないが、一日中、声をかけて回る仕事は喉の酷使でのど飴が必須。休みなく歩き通しのため、天候の悪い日や昨今の猛暑厳寒では、体力維持と体調管理は欠かせない。実は非常な肉体労働である。
 声をかける相手にも気を遣うサービス業でもあるし、報酬もその苦労を鑑みると決して多くはないし。
 しかし、私はこの街の住人の笑顔が好きだ! 声をかけた人が私を見た時の、私が幸運の調整委員会の人間だとわかった時の、パッと明るくなる表情を見られることは幸せな仕事だと思っている。
 ある日の出来事。
 閉じかけている穴があった。縁がしわしわと委縮し、人間を一人、異界へ誘うことも難しそうな元気のない空間の入り口。このままでいれば、萎んで怪異としては消滅してしまうだろう。
 こういった怪異にも話しかけるのが私の仕事だが、人間でも怪異でも、落ち込んでいる者に声をかけるのは何年この仕事をしていても慣れないものだ。
 最悪の気分の時に、今日は良い日ですね、と声をかけられれば、嫌な気分になったり、憤りを憶えたりすることの方が多いだろう。
 しかし、「今日はいい日ですね」と声をかけなければ私の祝福の魔法はかからないのである。
 私は意を決して、遠目から穴に向かって声をかけた。穴に届くように、両手をメガホンにして。
「今日はいい日ですね!」
 大声は虚しく穴の中に吸い込まれていく。穴の中に広がる暗闇は音を反響させない空間らしい。辺りがしん、と静まり返った。まるで渾身のジョークが滑ったかのような静寂が恥ずかしい。早めに、祝福の効果が出ると良いのだが。まさか、声が吸い込まれてしまって魔法の効果が無くなってしまうという事はないだろう。
 穴はというと、私の声を吸い込んで、一度、収縮した。その言葉の意味を確かめるようにぐにゃぐにゃと身体を捩って咀嚼する。さて、声の効果はあったのか……。
 ――次の瞬間、穴は馬鹿にしているのか、とでも言うようにガバっと大きく口を開いた。そこには深淵が広がっており、今度は私自身を吸いこもうと縁を伸展させて身体を震わせる。
 身構えた私を襲ったのはそよ風だった。
 力ない吸引が私の身体をゆっくりと穴に近づける。靴裏がざらざらと音を立ててアスファルトの上を滑った。抵抗できるほどの力。私の身体は引きずられつつも、二、三歩後退すれば、元いた場所に戻ることができた。
 人間の一人も簡単に吸い込めなくなっているなんて、とんでもなく弱った穴である。
 ところが、私の魔法の一言で穴の運勢が変わったようだ。
 元の穴が持っていたエネルギーが祝福の魔法によって穴に戻ってきたに違いない。
 吸引力が増した。加速するように、風が強く、速くなっていく。ごう、と風が吹いたかと思うと私の身体が風と共に翻る。弱り切った穴、と油断していた私はそれで尻餅をついた。
 立っていられそうもない風に煽られ、慌ててそこにあった看板に摑まる。
「ぐわぁ!」
 その慌てふためく様子を見て勢いづいたのか、増していく吸引力。しわしわと萎れていた穴の縁は、今や力強く収縮と発散を繰り返して私の身体を吸い込まんとしていた。
 摑まっていた看板の足が根元から音を立てて曲がる。飛ばされてくるゴミや枝がぶつかり、その吸引力の凄まじさを物語っている。
 さながら、台風の中での実況中継。私の身体がじわじわと、穴へと近づいていく。踏ん張って看板の幹にしがみつくが、手が滑ってうまくとどまることができない。
 この看板も完全に根元から抜けてしまえば。穴に吸い込まれてしまう――!
 力を失った穴――そう、侮っていたのが運の尽き。
 ボキ、と金属が折れる衝撃があった。支えを失った身体が看板の脚に抱き着いたまま、飛ばされる。風をきる音が聞こえた。もう駄目だ、吸い込まれる――!!
 穴が暗闇の底から輝きを放った。眩い光が私を、路地を包んでいく――。
 ふいに風がやんだ。
 急に止まった吸引のせいで、私は地面にたたきつけられた。反動で穴の前に倒れ、投げ出されている。光に包まれながらも状況が掴めずにいると、私の身体を吸いこもうとしていた穴は小休止し、虹色の光を放っていた。
「いったい、何が……」
 唐突に穴が収縮した。ぐんにゃりと曲がり、身を捩る。再び吸い込まれる、そう思って身構えたが、穴は予想外の行動をとったのだった。
 ぽん。穴が何かを吐きだした。それは、古びたパンパンの財布だった。ぽん。再び出てきたのは無数のカード――よく見ると、普段使いしている銀行のキャッシュカードに似ている。シャン。次に落ちたのは金銀細工のアクセサリーである。
 ぐしゃぐしゃになった前髪をかきあげると、そこには小銭、小切手、高価なモンスターの皮などの金品が溢れている。
 穴の中から金目のものが無尽蔵に吐き出されていく。吸い込まれるどころか、吐きだされているのである。
 付近で様子をうかがっていた人々が続々と集まってきた。
「あんた、運がいいね」
 一人の男が私に声をかけた。
「この穴は、穴は穴でも幸運を授けてくれる穴なんだよ」
 祝いの言葉を穴にかけた私は、図らずも、自分が祝われる立場になったらしい。
 その日は、祝福を受けたようなハッピーな気分で過ごすことができた。