「くっそ、|付与《エンチャント》|炎《ファイア》!」
僕の右手に熱が灯るのと同時に、炎の魔力弾が発射される。とても褒められた弾道ではないものの、弾は何とかポイズンスライムに命中し、撃破することに成功した。
お姫様抱っこしながら魔力弾を撃つのはやっぱ少しやりにくいな……。
無理やり腕を突き出して腰付近から弾を撃つから照準を合わせようにも上手く合わない、外す時は何発も外して大変な目にあったものだ。
あれから十数分程度走り続けているが、未だに森を出られそうな気配はない。モンスターの出現頻度は低い気がするから確かに良い道を通っているんだろうが、少し不安になってきた。
「レイナお嬢様! 道って、こっちで合ってるんですよね……!?」
息を切らしながら問いかける。段々と僕とパラメラの体力も限界に近づいているようだった。明らかに足の動き方に重みを感じる。
パラメラに関しては、右前脚がもつれて転びそうになっていることさえある。互いに全速力て駆け抜けてきたのだから当然だ。
「合ってるわ。ごめんなさい、森を抜けるにはまだもう少しかかるの。……もしキツイなら降りるわよ? 大丈夫?」
「いえ、大丈夫です」
「そう? ならいいけれど」
毒にやられてる人を走らせる訳にもいかない。それに、僕自身はまだ大丈夫だった。リュックを収納できる魔法があれば楽に走れるなと思うくらいで、まだいける。
気になるのはパラメラだった。少しバテ始めてるようだから、そこが気にかかる。まぁ、僕もそこまで体力がもちそうな訳じゃないけど。
最悪、ハバティの近くまで来て、|且《か》つレイナさんがまだ歩ける状態だったらその間だけ一人で歩いてもらおう。僕たちはあくまで道中のモンスター戦闘の補助でいい、それでも十分役目は果たせているはずだ。
「じゃあ、いきましょう。いくよ、パラメラ」
「きゅ」
そうして、また僕たちは森の中を駆けて行った。
パラメラの前脚がもつれる。見ると、また右の方だった。やはりバテているようだ。
僕も僕で、そろそろ限界が近づいているように思える。段々と息が荒くなってきて、疲労からか手足の力が抜けそうになることがあるのだ。
「レイナお嬢様、後どのくらいですか? あと、毒は今どのくらいに?」
「もう少し、もう少しよ。毒はそうね、先程よりは進んでいるけど、まだ体力は残ってるわ」
なるほど、それなら……どうしようか。僕らの体力状況を|鑑《かんが》みても、そろそろ限界だ。……もう少しだけ進んで、状況にもよるがそこから歩いてもらうことにしよう。
先程からはモンスターとも遭遇していないし、それで大丈夫だろう。
「わかりました、ならもう少し僕らの方で進んでみるので、その後はお嬢様自身で歩いてもらえますか?」
「ええ、それでいいなら」
「……よし、パラメラ、ラストスパートだ」
「きゅ、きゅう」
パラメラの顔色も悪そうだ。早いとこ行くとしよう。
僕らは、まだ駆け抜けていく。
段々と僕の脚が破裂しそうなくらいにパンパンになってくる。ふと走りながら横を見ると、パラメラが幾度か右前脚をもつれさせて転びそうになっていた。
そろそろ頃合いか。
前方を見ると、良い感じに休めそうな木の切り口があった。少し高めに切られており、椅子のようになっている。あそこで終わりにしておこう。僕はそう思い、最後の力を振り絞って走った。
果たしてそこまで体力が持つだろうか。いや、可能な限り走らなければ。そう、例え今の僕のように、その木の切り口が|四《・》|重《・》に見えるほど疲労していたとしても。
……。
「……はぁ、はぁ……!」
……。
……っ!?
僕は咄嗟に足で急ブレーキをかけた。それに驚いたように、パラメラも僕に合わせてその場に止まり、レイナさんは僕の方を見上げる。
違う、ちょっと待て。いや、やはりおかしい。
なぜ今まで僕は気がつかなかったのだろうか。なんで、いやいつから、僕の目は四重に物がぼやけるようになったのだろうか。
これくらいの疲労でここまでの異常は起きやしないだろう。これは明らかな病的|異《・》|常《・》だ。それに……。
僕はパラメラの方を見る。僕以上に息切れをしていて、疲労を回復させようとしているのか脚を曲げてリラックスしている。その脚は、|右《・》|の《・》|前《・》|脚《・》。思えば、パラメラは右前脚ばかりもつらせているじゃないか。
いや、あるかもしれない。あるかもしれないが、それにしても頻度が高すぎる気がする。何より、本当に顔色が悪いじゃないか。
……嫌な予感がした。その事実を確かめるため、僕は恐る恐る自分の手のひらを確認した。
「……っ」
そこには、その嫌な予感が絵となって広がっていた。|黒《・》|い《・》|薔《・》|薇《・》|の《・》|花《・》|に《・》|続《・》|く《・》|痛《・》|々《・》|し《・》|い《・》|茎《・》|の《・》|跡《・》、ポイズンスライムの毒の痕跡だ。
どうしてだ?
レイナさんと出会ってからポイズンスライムと出くわしはしたものの、向こうが攻撃をするより先に撃退していた。僕が毒にかかるはずもない。
パラメラの方は、最初に会ったポイズンスライムの攻撃が飛び散って被弾したのだろうが……。僕は有り得ない。
それともう一つ気になることがあった。冷静に考えて、僕より背丈のある女性を、こんなに長時間リュックを背負いながらお姫様抱っこをして走るなんて普通はできない。初めは相応の重さだったように思える。だが、いつの間にか片手で持てるくらいの重さになっているのだ。
……ありえない。この女性は、|軽《・》|す《・》|ぎ《・》|る《・》。一体僕は、何をここまで運んできたんだ?
ふと前を見ると、一人の商人が先程の木の切り口に座り、汗を流しながら僕らの方を見ているのがわかった。遠目に見ても分かるほどに唖然としている。よく見れば、僕がイルミナを出ようとした時に見た商人の人だ。
先程はあそこに商人の姿なんてなかったはずだ。いや、僕が気づかなかっただけだろう。はは、やはり今の僕は異常だ。
僕の中の嫌な予感が、さらに確信へと向かおうとしている中、その商人は決定的な一言を僕に向かって発した。
「き、キミは一体……なぜ、そんなモノを抱えているんだい……?」
「……っ!! くそっ!」
僕は、商人の言葉を聞くと、即座にそのレイナさんだったものから手を離した。それは地面に叩き落とされるが、その時の音は人間が落ちた音とは思えない、非常に軽い音だった。
それこそ、|ス《・》|ラ《・》|イ《・》|ム《・》が落ちた時の音のようだった。
動けそうにもないパラメラの首根っこを掴み、僕の方へと引き寄せる。そして、そいつから僕は距離をとった。
「あーあー……毒の王子様はやっぱり現れないのね……。ふふ、はははは……!」
そいつは立ち上がり、ゆっくりと僕の方を振り向いてくる。顔は確かにレイナさん、けれど、手足が徐々にレイナさんのものではなくなっていくのが目に見えた。紫色に変色していき、最終的にスライム状のデロデロとしたものへと変化した。
真紅の瞳は変わらず輝く、初めはルビーの輝きを宿す瞳に思えたそれも、今は血の滲んだ瞳、ブラッドモンスターの目の輝きにしか見えない。
「ちっ……お前、ポイズンスライム……で合ってるんだよな?」
パラメラをそっと地面に置き、僕は思わず指を指して睨みつけながら|訊《き》いた。内心焦っていた。毒を受けていることもそうだが、仮にこいつがポイズンスライムだったとして、ブラッドモンスターが人に化けてしかも人語を話せた事例なんて聞いたことがなかったからだ。
そいつは、その笑い声を徐々に落ち着かせていき、僕に向かって話しかけてくる。その目は、僕を蔑んでいるのか、どこか悟ったような目つきをしていた。
「ははははは、はは、は……ええ、そうよ。私はポイズンスライム、レイナなんて名前じゃないわ」
「人の言葉が話せるのは何でだ? てかそもそも、どうして人の身体を持ってる?」
僕は、率直な疑問をそのままぶつけた。するとそいつは、特に隠す素振りもなく口を開いた。
「二ヶ月ほど前に、私は一人の人間と対峙した。それがこの顔の持ち主、レイナ。その時から彼女は毒の王子様が好きでね、わざと|ポイズンスライム《わたし》の攻撃を受けたの。毒の痕跡が似ているというだけで」
ポイズンスライムは、紫色に変色していた部分を元に戻し、その当時の状態を再現するかのように綺麗な白い肌色をその身に灯した。
「あなたなら分かるんじゃない? 異世界書物にお熱ならあなたなら、彼女のとった行動にも、多少なり共感ができると思っているわ」
「……さぁね」
僕は、その返答に迷った。ここで共感できると言ってはしゃぐのは違うと思った。けれど、否定はできなかった。
実際、僕はペイン&マジックの主人公に憧れて冒険を始めたし、その主人公のようになりたいと願った。実際に起こした行動こそ違うが、その行動原理はどちらも、物語や主人公に対する憧れであることには間違いなかったのだ。
ポイズンスライムは続ける。
「そう。でも結局、彼女は私の毒にやられて、さらには私に捕食されてしまった。それからよ、レイナの体になれたり、話せるようになったりしたのは。詳しいことは分からないけど、彼女の想いの強さが影響しているんじゃない?」
「へぇ」
ポイズンスライムは軽々しくそう言ったが、僕にはその態度こそが胸にひっかかりを生じさせた。
だってつまりそれは……。
「それはつまり、レイナさんの好きな|異世界書物《もの》を利用して罠を張り、今回の僕らみたいな獲物に上手く自然に毒を仕掛けてるってことか?」
他人の好きなモノを自分の私欲のために利用しているということだから。
「……そうなるのかしらね」
「そうか」
僕は短剣を右手に構え、力強く握りしめた。短剣を引き目に構え、反対に左手を前に突き出す。緊張か怒りか、その手は不自然に強ばっていた。
「気が早いのね、せっかちはお姫様に嫌われるわよ。テトラ王子様」
「お前になら別に嫌われてもいいかな」
煽るようにしてこいつは言ってきたが、僕は動じることなく強気に言い返した。大丈夫だ、ポイズンスライムとはもう何度も戦った。同じようにやればいいだけ、姿が少し違うだけだ。
気にしないといけないのは、パラメラだ。僕もそうだが、既に体力を消耗しているし毒の進行状況が酷い。これ以上の被弾は避けた方がいいだろう。
……さて。
「はぁ。本当は戦いたくないのだけれど」
「残念だけど」
僕は突き出した左手に重ねるようにして短剣を握る手を合わせる。向こうから何か仕掛けてくる様子はない、それなら先制攻撃だ。
両手で短剣を握るような形にし、そうして、一瞬だけ静止する。
「それは僕が許さない!」
その一瞬の静止が、望まずとも戦闘の合図となった。僕は叫びをあげると共に、前方に構えていた両手を後ろへ振りかぶることで走り出しに勢いをつけた。
駆け抜ける。この距離なら下手に魔力弾を使うよりも初手で斬りつけて、決め手に魔力弾を使う方が確実だろう。
僕の動きより一歩遅れて、ポイズンスライムが後退しながら右手を|翳《かざ》した。お得意の毒攻撃を放つつもりだろうか。いや、それよりも僕の攻撃の方が速く届く。
この勝負は僕の勝ちだ。そう確信して、僕はポイズンスライム目掛けて剣を振るった。
だがその瞬間、ある言葉が空中に響く。
「|付与《エンチャント》|岩《ロック》!」
付与魔法、間違いなくそれは付与魔法の詠唱だった。本来魔法は人が発動するもの、というか人が創り出したものだ。
だが、僕の目に映ったのは、聞こえたのは、その常識を|覆《くつがえ》すものだった。
誰が唱えたものか、僕でなければ奥にいる商人でもなく、もちろんパラメラでもない。確かに僕が見たのは、例外中の例外、ポイズンスライムの付与魔法だった。
さらに、僕の驚きはそれだけに留まらなかった。
「|精《・》|霊《・》|魔《・》|法《・》、|岩塊壁《がんかいへき》!」
「……っ、なにっ!?」
僕はその言葉を聞いた時、あまりの驚きから反応が遅れてしまった。だが、その一瞬が命取りだった。
振りかぶった剣はそのまま空を裂いていくものの、ポイズンスライムまであと少しというところでイレギュラーが発生する。
ポイズンスライムの右手の前に、付与魔法の時に現れるような魔法陣が出現し、中にある文字の羅列がぐるぐると回転し始めた。黄土色で、付与魔法の際よりも一回り大きなたった一つの魔法陣、その中には|術《・》|式《・》と呼ばれる文字の羅列や文章がズラズラと並んでいる。
これは……まずい。
そう判断するも、それを行動に起こすより先に、僕とポイズンスライムの間にある|凡《およ》そ四十センチ程の隙間、その何も無い場所に突如として、岩の塊が壁となって出現した。下から現れたそれは、僕の背丈よりも遥かに高く、僕が件を振り終わるよりも速く、僕とポイズンスライムとの間を埋めてしまう。
振るった剣は弾かれてしまい、反動で僕は身体が仰け反た。
待て、待て待て待て待て。何が起こったって言うんだ?
こいつは確かに魔法を使った。岩の付与魔法を使った瞬間、やつの|翳《かざ》した右手に黄土色の精霊、岩の精霊達が集まり、魔法陣が形成され、そのまま岩の|付与《エンチャント》が行われた。
それだけじゃない。次の瞬間、こいつは精霊魔法を使ってこの岩の壁を作り出し、僕の攻撃を跳ね返してきた。
……ありえない。
精霊魔法は、いわば応用の魔法だ。付与魔法で得た魔法の属性を元に、技として魔法を出す、それが精霊魔法である。例えば、水の付与をしているなら雨を降らせたり水鉄砲を打ったり、風の付与をしているなら竜巻を起こしたり自身の俊敏力を上昇させたりだ。
付与魔法が魔力に色をつけるだけの魔法だとするなら、精霊魔法はその魔力を形として具現化する魔法である。つまりは付与魔法の先にある、より高度な魔法だと思えばいい。
発動するには付与魔法同様に魔法陣を形成するのだが、中身が少し異なる。精霊魔法は複雑な魔法であり、竜巻を出すにしても水鉄砲を打つにしても必ず|術《・》|式《・》の詠唱が必要となるのだ。それに関わってくるのが、魔法陣の中に埋め込まれていた言葉の羅列である。
本来はあれを口に出して唱える必要があるが、魔法陣に術式そのものを埋め込むことでそれを省略している。
この術式が無いと、精霊魔法を発動してもその形が維持できず、ただの魔力となって霧散してしまう。要するに術式は、魔法を形取る器あるいは型のようなものだ。コップ一杯程度の魔力があるとして、その魔力を水に変えるのが付与魔法、その水を入れるコップが精霊魔法といった感じである。
ただなんにせよ、それをポイズンスライムが使えることに驚きだった。僕も未だ使うことのできていない精霊魔法を、なんでモンスターが使えているのか、理解ができなかった。
「……くっ!!」
一瞬唖然としてしてしまったが、すぐに立て直す。僕は左手を前に突き出し、この分厚い壁の向こうに居るであろうそいつを睨んだ。
「|付与《エンチャント》|炎《ファイア》!」
そして、炎の付与魔法を発動する。剣でどうにかできないなら、とにかく今はこれでぶち抜くしかない。
僕の左腕に赤の魔法陣が三つ重なる。それと同時に、左手を始めとした僕の体内に熱が生まれた。
やつがどこに居たのかはまだ覚えている。この短時間でそれほど遠くには移動できないはずだ。
左手の中に小さな火種が生まれ、瞬時にそれは発火する。やがて大きな火の玉となったそれをポイズンスライム目掛けて発射するため、僕はじっくりと、その岩の壁を見つめた。
そして、好機は訪れる。
壁となっていた岩の塊は、魔法を解除されたのかボロボロと崩れ落ち始め、黄土色の魔力となって空中に霧散していった。岩の精霊達がそれに群がり、僕の視界を埋め尽くすも、はっきりと僕の目にはそいつが映る。
僕は、今振り絞れるありったけの力を出して、慣れてきたその動作を行おうとした。だが、魔力弾を発射する直前、僕はこれが好機であると同時に、僕のピンチでもあることを理解する。もう一度言おう、はっきりと僕の目にはそれが映ったのだ。
黄土色の魔法陣、精霊魔法の術式が。
「なっ……!」
気がついた時にはもう遅かった。後ろに倒れつつある体を持ち直し、逃げる準備なんて整えられるわけもなく、僕はただポイズンスライムが魔法を放つのを大人しく待つしか、選択肢は無かった。
「精霊魔法、ロックファイト!」
瞬間、先程よりも空いた僕とポイズンスライムの間合いから、今度は岩の壁ではなく拳の形をした岩の塊が僕目掛けて伸びてくる。アッパーのように放たれたその拳が、僕の体をその片手で握りつぶせるほどの大きさと圧倒的なパワーを誇っていることなんて目に見えて分かった。
肌に触れた瞬間、その岩の硬さを実感する。そしてそこから、考える暇もなく僕の体は、その大きな岩の塊に突き飛ばされた。
「がはっ、げほっ」
仰向けに地面に叩きつけられ、何とか立ち上がろうとするものの、そう簡単にはいかなかった。ハンマーで殴られたような鈍い衝撃が内蔵を襲い、ビリビリとした痛みが今体を打ちつけたところに電撃の如く走る。
なにより、毒の進行が酷い状態だった。左足を軸にして立ち上がろうとした途端、力が抜けてまた尻もちをついてしまう。見上げた時に映ったポイズンスライムの顔が幾つにも分裂し、もうやつがどんな表情でこちらを見ているのかも判別がつかない状態だった。
やつが近づいてくる。焦った息を整えると、少し楽になった。やつはこちらを嘲笑うかのように微かな笑みを浮かべながら、近づいてきていた。
……っくそ。
「な、なんで……なんで魔法が使える」
「言ったはずよ。彼女の想いの強さから、この体を得たってね。当然、彼女が使えていた魔法も使えるわ」
「はは、すごい奇跡が起きたってことね」
「ええ、お姫様を連れ出す王子様が現れたくらいの奇跡がね」
とんでもない奇跡がありえたもんだなと思いながら、僕は立ち上がろうとする。けどやはり、体に力が入らなかった。
ポイズンスライムはそれに何の躊躇いや情けもかけず、右手を|翳《かざ》し、魔法を撃つ体勢に入る。
まずい。もういっそのこと奇跡に賭けて転移ペンダントを使うか迷い、首にかけてあるペンダントに手をかけたその時だった。
「そ、そこの君! これを使うんだ!」
次の瞬間、僕の頭に何かがぶつかった。地面に落ちたそれを見ると、小さな筒状の瓶に入った緑色の液体が二つ転がっているのが見えた。解毒薬だ。
物が飛んできた方向を見ると、そこには商人が立っていた。腰を抜かして呆気にとられていた商人が、この状況を見て僕に救いの手を差し伸べてきたのだ。
「君とそこのペットくんも毒にやられているんだろ!? 遠慮せず使え! 商人の俺にしてやれることなんてこれくらいしかないんだ!」
「っ! ありがとう……!」
商人の足は震えていた。見たことの無いこの状況に怯えているのだろう。
だがありがたい助けだ。突き飛ばされた衝撃でパラメラとは少し距離が離れているが、すぐにでも僕がこれを飲めば多少なり状況は打開できるはず……。
そうして、僕はその解毒薬二つを手に取り、うち一つの栓を開けようとした。しかし、前方の状況を見てその手は止まった。
ポイズンスライムが、商人の方を向いたのだ。
「余計なことを……精霊魔法!」
っ! まずい!
僕の方に向けていた右手を、今度は商人の方に向け、スライムはその言葉を声高に言い放った。ポイズンスライムの右手の前に先程見た黄土色の魔法陣が形成され、中心付近に並ぶ術式が再度回転する。
それと同時に、商人の足元にも同じような魔法陣がワンサイズ大きく出現した。間違いない、さっきの岩の拳の魔法を商人に向かって放つつもりだ。
でも……でも!
……この距離じゃ、間に合わない。
僕はどうすればいいのか分からず、ただその場で魔法が放たれるのをぼーっと眺めるしかなかった。
「ロックファイト!」
ポイズンスライムがそう言い放つと、商人の足元にある魔法陣から岩の拳が勢いよく発現してくる。混乱しているのか、商人自身もどうすればいいのか分からずその場で硬直しているようだった。
ダメだ、直撃する。そう思った。
「きゅきゅきゅっ」
だが、まだ諦めていない者がまだ一人、いや一匹、そこにいた。
「パラメラ!」
先程までうずくまっていたパラメラが、いつの間にか駆け出していた。まだ前脚をかばうような走り方だ、万全じゃない。
それでもパラメラは商人の方目掛けて駆け抜けて行った。小さな体で単身その脅威に突き進んでいく。足のバネを利用して、|見《・》|事《・》、商人と岩の拳の間に飛び込んだ。
そして、パラメラは突き飛ばされた。
「きゅきゅっ……ぎゅう〜」
その予想外の出来事から手を|弛《ゆる》めたのか、何か条件によって止まったのかは定かじゃないが、パラメラを飛ばしたその位置で岩の拳は止まり、魔力の泡となって消えていく。何とか、商人にまでは拳が行き届かずに済んだ。
けれど、パラメラの体は今の一撃でボロボロになっていた。当然だ、あの小さな体で攻撃を直に喰らえばそうなる。
「くっ……くそっ! この!」
我に返った商人がすぐさまパラメラの方へと駆け寄って行くのが見えた。向こうの方はとにかく任せるしかない。僕はやるべき役目は他にある。
僕は、握っていた解毒薬の栓を抜き即座に中身を飲み干した。空瓶をその辺に投げ捨て、改めてポイズンスライムの方を睨む。
だが、恨むべきは自分自身であることなど分かりきっていた。パラメラを守ってやれなかった自分が憎い。けどそんなことを今考えても仕方がない。だから今は、目の前のことに集中する。
|ポイズンスライム《こいつ》をぶっとばすことに!
僕は立ち上がり、落とした短剣を拾い上げて一気にやつとの距離を詰めた。ついさっきまで力の抜けていた足に力が戻ってきている。随分と上等な解毒薬を渡されたようだ、もう効果が出ている。
ポイズンスライムの方もパラメラが飛び出してきたことには驚いたのか、最初、僕が走り出したことに気がつかず商人達の方を呆気にとられた表情で見ていた。僕が移動していることに気がつくと、また僕の方に向かって右手を|翳《かざ》してくる。
また壁を出されたら終わりだ。とにかくまずは攻撃を当てることを意識しないと……。だったら……炎じゃダメだ。なら何がいい? 速く着弾する魔力弾……あれか。
僕は少し前のバトルのことを思い出した。あの時の、ヴェルベッドの時のバトルだ。
ああ、あれならいけるだろう。そう思い、僕は初めて付与魔法を発動した時のように、魔法の発動に集中し始めた。炎以外の|付与《エンチャント》は正直まだ苦手だ。だけどこの状況、他の付与魔法も使いこなさないと間違いなく負ける。
だから、思い出すんだ。あの時ヴェルベッドのやつがどういう風に使っていたか、それを受けた時の衝撃はどんなものだったか、今の空気は、風の流れはどうなっているか。
乾燥した優しいそよ風、それでいてピリピリとした雰囲気を漂わせた空気の流れが、僕の耳を刺激した。僕が動く度にそれは強くなり、より正確に風を知覚できるようになる。
いける、いける。
風向きは完全に向こうのペース、それを今度はこっちに吹かせるんだ。追い風をこっちのものに、今吹いているそよ風を、絶対的なこちらの風にするんだ。
僕の左手の前に、魔法陣が形成される。今度はいつもの赤色の炎の魔法陣ではなく、風の精霊達を引き寄せる、深緑色の風の魔法陣だ。
今のそよ風じゃ終わらせない。今から僕がここに、この場に、僕らが勝つ為の風を吹かせる……!
僕が、この場に突風を響かせるんだ!
「|付与《エンチャント》|風《ウィンド》!」
左手の前に展開されていた魔法陣は腕を抜け、二つ三つと増えていく。そして、重なった。どことなく、僕の体内に爽快な気分が溢れてきたような気がする。
「精霊魔法、岩塊壁!」
ポイズンスライムがそう唱えると、僕の足元付近から、僕とポイズンスライムを隔てる厚い壁が生えてきた。たちまちポイズンスライムの姿は見えなくなり、僕からの攻撃を阻む。
「はっははは! 隙をついて攻撃するつもりだったの? でも残念だったわね、私の方が速いわよ!」
僕を嘲笑うかのようにやつは高笑いを見せた。
そうだ、向こうは付与魔法を終えているのに対して僕は付与魔法を発動するところから始めた都合上、向こうが先に魔法を使うのは仕方の無いことだ。この時点じゃ僕に勝ち目は無い。
けどそんなことは読んでいる。だからこうするんだ。
「どこ見てる! 僕はこっちだぞ!」
壁が生じると同時に、あるいはそれより少し先に、僕は壁の無い方へと回り込んでいた。左手に巻き起こされた小さな旋風に力を込める。
僕は既に魔力弾を撃つ体勢に入っていた。
「まさか! くっ、精霊魔法、ロックファイト!」
今度は僕の足元に、先程とは違う岩の破片が散らばり、パラメラを吹き飛ばした時と同じ黄土色の魔法陣が発生する。
ポイズンスライムの右手にも、それと同じ魔法陣が浮かび上がっていた。
ここで向こうのロックファイトの発動が成功すれば僕もパラメラと同じように吹き飛ばされ、勝ち目はなくなるだろう。
「っ勝負だ、ポイズンスライム!」
僕は左手を振りかざし、ボールを投げ飛ばす感覚で風の魔力弾を放った。こいつが岩の拳を撃ち込むのが先か、僕の魔力弾が命中するのが先か、早撃ちのガンマン勝負といったところか。
徐々に岩の破片が塊となっていき、人の握り拳と同じ形へと変貌していく。一方僕の放った魔力弾は、あの時ヴェルベッドが放った時と同じように、周囲の風を巻き込んで肥大化し、さらに加速していく。
そして、勝負は決した。
「なっ!?」
僕の魔力弾が、ポイズンスライムの右手にある、形成中の魔法陣に命中した。瞬間、その魔法陣は散りばめられた紙が風に飛ばされるようにして、魔力弾の風に流されて黄土色の魔法陣の欠片が吹き飛ばされていく。
衝撃でポイズンスライムの体勢も崩れた。
今がチャンスだ。
でも、この早撃ち勝負、僕の得意な炎の|付与《エンチャント》をかけ直している暇は無い。立て直す隙を与えず、追撃を仕掛けるんだ。
僕は右手に持つ短剣の柄を両手で握り締め、ポイズンスライム目掛けて走り出した。怒りからか集中からか、自分でも分からないが眉間にシワを寄せ、着実にやつとの距離を詰めて行く。
「くらえぇぇ!」
そして、僕がポイズンスライムの後方へと抜け出した時、僕の握っている短剣の刃の部分には紫色の液体が付着していた。
「くっ!」
「……掠めたか!」
振り返ると、ポイズンスライムの頬に切り傷がついていた。そこから、血が流れ出るように紫色の体液がドロリと流れている。それが顎の下から滴り落ちようとした時、やつは左手でそれを拭った。
焦ったか。短剣のリーチ不足か。それとも両方か。原因は何かしらあるだろうが、今はそんなことをしている暇は無い。
僕は短剣を構え、もう一度戦闘の体勢に入った。
「……」
ポイズンスライムは、そんな僕を見つめる。そして数秒ほど経った後、たった一滴だけだが、何故か涙を流した。
「えっ、な、なんで泣いて……?」
「……ふふ」
その涙が切り傷に馴染むのが見え、やがてポイズンスライムは乾いた笑いを僕に向けた。純粋な笑顔じゃなく、何かを諦めたような、そんな笑いだった。
僕が状況が飲み込めず混乱し、その場に立ち尽くしていると、向こうの方から場に動きを生じさせた。
ポイズンスライムが逃げたのだ。
「なにっ、待てっ! ……くそ」
僕はやつを追いかけるか迷ったが、その一歩を踏み出そうとしたところで立ち止まった。別にあいつを倒すことが目的じゃない。今はとにかくパラメラの方に行かないと。
僕は森の奥へと駆け込んでいく。ポイズンスライムの背中を少しの間見つめながら、パラメラと商人の方へと駆け寄った。
見たところ、既に処置は終えているのか、パラメラは商人の腕の中で元気にしっぽを振っていた。
よかった。パラメラは大丈夫そうだ。
ポイズンスライムとの戦闘を終えた僕はそれを見て安堵し、糸が張るほど強ばっていた顔に緩みを生んだ。