物語はそう、確かこんな感じだ。
毒の病に侵されたお嬢様が、毒の影響で陽を浴びられない生活を送っている中、一人の男性が現れる。
男性はお嬢様に一目惚れしていて、その好意をお嬢様に伝えるも毒のことが気がかりだったお嬢様は好意に応えられなかった。
だが、外の世界を味わってみたかったお嬢様は男性に「私を守りながら外に連れ出してみて」と無茶ぶりをし、男性は実際にそれをやってみせる。
その時見た外の景色と、男性の真剣な姿勢に惹かれてお嬢様は男性のことが好きになり、毒も治る。毒は、好きな人ができると治るものであったのだ。
こうして枷となるものが無くなったお嬢様は無事、男性の好意に応え恋人となった。
うん、そんな感じだった気がする。
僕は、毒の王子様の本を隅々まで調べあげた。けれど、どこにも名前らしきものは見当たらない。せめて、それさえあれば持ち主を見つけることができたかもしれないのだけれど。
「まさかここで異世界書物と出会えるなんて……」
僕と同じように冒険者としてこの森に来ているのだろうか。あるいは本屋としてイルミナ図書館に足を運んでいる最中、商品である本を落としたとか、反対に商品として仕入れた本を道中で落としたとか。
どうにせよ商人以外で、これを個人的な理由で森に持ち込んでいる人なのであれば一度話がしてみたい。モンスターの出るこの森に異世界書物を持ち込む、それはつまり、それほどこの本にお熱ということでもあるはずだ。
「よし」
僕は本を持ち歩くことにした。何も液体が付着していないとはいえバッグの中に入れるのは感覚的に嫌だったもので、とりあえず利き手じゃない左手で持つ。
「ひとまずこれは僕の方で預かっておくとしよう。ね、パラメラ」
「きゅ?」
パラメラはイマイチ理解していない様子だ。
持ち主がハバティに用のある人だったらいいのだけれど。そう思いながら、僕は立ち上がろうとした。
だがその時、先程ポイズンスライムが飛び出してきたところからまた、何かが|蠢く《うごめく》気配がし始めた。先程よりもゆっくりと、そして動きは大きい。
僕はパラメラを守るように本を持ったまま左手を覆い被せ、反対側の手で短剣を構えた。
動きからしてポイズンスライムではなさそうだ。強いて言うなら、誰かが草木をかき分けて必死に前に進もうとしている音に近い。
色々考えていると、その音の主は正体を現した。
「はぁ……は……はぁ」
僕は、その姿を見て短剣を握っていた手を緩めた。その正体は、僕より一回り二回りほど背丈の高い女性だったのだ。
黒い薔薇の髪飾りに、黒のロングコートと黒い手袋、そしてその防寒対策とは程遠い、コートの隙間から見える黒いスカートに黒タイツ。全身を黒で染め上げたコーデの少女だった。黒でない箇所がを挙げるとするなら、その赤い真紅の瞳と灰色気味な髪に織り交ざる赤色のメッシュくらいだろう。
見るからに息切れをしていて、その疲れからか膝に手を着き顔を伏している。敵意は無さそうだったため、僕は少女が息を整えるまで立ち上がって待つことにした。
「ごめんなさい、ここら辺で毒の王子様っていう本を見なかったかしら? ちょっと、ポイズンスライムに取られちゃったのだけれど」
息を整えるなり即座に彼女は尋ねてきた。僕はそれを聞いてピンと来る。かなり困った顔をしているし、情報も合っている。この人が持ち主に間違いない。
「もしかして、これのことですか?」
僕は、左手に持っていたそれを彼女に差し出してみた。すると彼女は、沈んだような表情なんてしてなかったと思わせるくらいに目を輝かせ始め、口元を隠すように手を合わせた。
「ああ! それよそれ、あなたが見つけてくださったの?」
「ちょうどポイズンスライムを倒した時にそいつが落としていったもので。ちょっと溶けてますけどね」
「構わないわ。はぁ、素敵……ありがとう」
彼女は本を受け取ると、その場でクルクルとターンをして本を抱きしめる。その仕草は、本に恋でもしているかのようだった。
「毒の王子様、好きなんですか?」
異世界書物が大好きな身として、この質問は避けられなかった。
彼女は本を抱きしめたまま、こちらに視線を向ける。そして、自分の世界に入り込んだようにうっとりとしながら口を開いた。
「好きなんてものじゃないわ。愛しているの」
「へぇ」
「変?」
僕が素っ気ない返しをしたからか、彼女は疑問そうに訊いてきた。
「いえ全然、僕も愛してるってくらい好きな異世界書物がありますから。異世界書物の劇見たさに、これからハバティに行くつもりですし」
無論、愛しているのはペイマジのことだ。それにしても、僕以外にもこんなに本を愛する人とは初めて会うな。ある種、奇跡とも呼べる出会いかもしれない。
「そうなのね。じゃあ私たち、似たもの同士ね」
「はは、確かにそうですね」
二人で談笑していると、何の前兆もなく、彼女の足がふらついた。そのまま、僕の方へと倒れてくる。
「おっと」
左手首を手に取り支え、倒れてきた彼女を受け止めた。背中に手を回し、より安定するように支えた。
「大丈夫ですか?」
僕は、反射的にその言葉を彼女に投げかけた。僕から彼女の表情は見えないが、少し体調が悪そうに感じられる。
「ええ、大丈夫。ちょっと……ね」
すると彼女は、自身の左手首に目を配った。何かと思い僕もその方へ視線を向けると、手袋と長袖の間から見えるほんの少しの肌に、とある模様のようなものが見えた。
僕は、それを見てすぐにその模様が何か判別できた。トキメラにこの模様が見えたら|要《・》|注《・》|意《・》と念を押されたものだったのだ。
「これ、ポイズンスライムの毒じゃないですか」
失礼を承知で、僕はなんの断りもなく彼女の袖を肘あたりまで捲った。真っ黒な棘を持った何かの茎が腕を這うようにして伸びている。その先端となる箇所、つまり手首の少し下あたりでは、真っ黒な薔薇が鋭利に咲き誇っていた。
そう、毒の王子様に出てくるような黒い薔薇の毒模様が、少女の体にはあったのだ。
そして、こんな毒の特徴をこの付近で持っているものを、僕は一匹しか知らなかった。それがポイズンスライムの毒だ。
「さっき異世界書物を取られた時にやられちゃって」
そうか、確かにポイズンスライムと接触していたならそのはずだ。もう少し早めに気がつくべきだった。
とはいえ、僕はこの毒について詳しい訳では無いが、見た感じ毒は進行していないように思える。
|生憎《あいにく》解毒薬は持っていない。毒を治すなら近くの街、イルミナに戻るかハバティへ向かうかしないといけないだろう。
そこでピンと閃き、自分に手を当てた。
転移ペンダントは?
いやけど、もしこれが自分一人しか転移できないものだとしたら……? そうなってしまえばかなりマズイだろう。彼女を一人とパラメラを置いて僕だけがイルミナに帰ることになってしまう。
もう少しペンダントの詳細を聞いておけばよかった。とにかく今は、イルミナかハバティへ走り抜けなければならないようだ。
どちらがいいか、僕の中で思考を巡らせる。イルミナの方が間違いなく近いし、道順を僕は知っている。何より森を抜ければモンスターの出現は限りなくゼロになるはずだ。なら、イルミナだろう。
「なら、一旦イルミナへ向かいましょう。道順は僕が知っています」
僕はそう言うとすぐに、彼女の腕を掴み、パラメラに目配せをして走り出した。パラメラもそれに気がつき、走る体勢に入る。
「待って」
彼女が言った。僕はすぐに立ち止まり、その言葉に耳を向ける。
「ハバティに行きましょう。あなた、ハバティに向かう予定でしたのよね?」
「でも」
「大丈夫、私はハバティから来たの。近道も、モンスターの沸きにくい場所も知ってるから。それに、毒が進行するのにはまだまだ時間がかかるわ」
僕は迷った。けれど、確かにそれならハバテイへ向かった方がいいかもしれない。イルミナのセキュリティの特徴として、出るのは簡単だが入るのが難しい。しっかりと自身の身分を証明して、イルミナにとって害のない存在だとアピールしなければならないのだ。
門番として対応しているのが騎士団ということもあり、入国に関するセキュリティは他国と比較しても強固なことだろう。つまりは、時間がかかるのだ。
病院なども混雑している可能性がある。
それなら、この人の提案を飲んだ方が良いだろう。
「……わかりました、ならハバティに向かいましょう。パラメラ」
僕が言うとパラメラは、自分を奮い立てるようにして体を振り、走り出す構えに入った。僕にそれに続き、再度彼女の腕を引っ張ろうとする。
「待って」
だが、彼女はその場に立ち止まったままだった。見ると、何かを思いついたような顔をしている。何かを企んでいる時の笑顔だ。
「まだ何か?」
「私、毒の王子様が好きなの」
「? それが何か?」
僕は彼女が何を言いたいのか理解できなかった。それでも、彼女は続ける。
「毒に侵され、外の世界を見ることの叶わないお姫様、そしてそんなお姫様を連れ出す運命の王子様……私ね、そんな物語に憧れていたの。私もいつの日か、お姫様になれないかって」
そこまで聞いて、僕は彼女が何を言いたいのか理解した。ああ、なんだ、そういうことか。
どうやら彼女は、ハバティに行く前に僕に一芝居打って欲しいらしい。
そうと決まれば、僕はそれっぽい台詞を言う準備を整えるまでだった。僕は掴んでいた彼女の腕を離し、自分の身なりを小綺麗にする。
彼女は、いたずらな笑みを払い除け、可憐な瞳でこちらを見つめてきた。僕であって僕じゃない誰かを見つめるその視線は、まるでか弱い囚われの女の子を表現しているかのようだった。そう、お姫様のような。
「ねぇ、|王《・》|子《・》|様《・》、毒に侵されて|森の外《そと》の光を浴びることのできない私を、連れ出してくれない?」
彼女は、僕に手を差し出してきた。細長くて今にも折れてしまいそうな指、それでいて可憐な手のひらが、今か今かとそれを待ち望んでいる。
僕は一息ついて、そこに彼女が待ち望んでいるであろう答えを差し伸べた。
「わかりましたよ、|お《・》|嬢《・》|様《・》。僕があなたをお守りいたします」
僕は、彼女の手に覆い被さるようにして自分の手を重ねた。手袋の上からでも分かる肌の温かさが、僕に伝わってくる。
まったく、ワガママなお姫様、いや、お嬢様なことだ。
「ふふ、ありがと」
彼女は満足したのか、くすりと笑ってお礼を述べた。
「ちなみにお嬢様、あなたのお名前は?」
「え、ああ、レイナよ、よろしくね。あなたは?」
「僕はテトラです。それではレイナお嬢様」
お互いに自己紹介を終えると、僕はレイナさんの方へと近づき、彼女の下の方へと手を回した。
「? どうしたの?」
彼女が毒の王子様に出てくるようなお嬢様に憧れているというのなら、一芝居打った以上、異世界書物ファンとして僕も、それには本気で応えないといけないだろう。そう、あの王子様がそうしたように。
「えっあの、ちょっ」
僕は、レイナさんをお姫様抱っこした。
「これで向かいましょう」
「……ふふ、完璧ね。テトラ王子」
レイナさんの微笑みに、僕も優しく微笑みかけた。そして、改めてパラメラの方に目を向ける。
「それじゃ、パラメラも行くよ」
「きゅっ」
そう言うと、二人揃ってハバティの方へと前進し始めた。初めからフルアクセルで、障害物が無い限り走り続ける。
両手にはレイナさん、背中には大きなリュック、とてもじゃないが戦闘は困難の壁に阻まれることだろう。
さぁ、ここからは本当に王子様にならないといけない時間なようだ。