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Tomorrow Never Comes Ⅰ

ー/ー





 今週いっぱいは雨だゆ、とキリアは言った。
「天気も予知できるの?」と僕が聞くと、「お母さんの占いだゆ」と返された。なんだ、またラミアさんのスピリチュアルか。でもまあ、あの人の占いは妙に当たるから侮れない。
 それにしても雨か。思わぬ長期連休が確定したってのに、僕の中に「休むぞ!」って気分はこれっぽっちも湧いてこなかった。理由は──。

「先生!訪問診療の依頼、入ってるっすよ!」
 フォンファが元気に報告してくる。最近、なぜか雨の日を狙ったみたいに訪問診療の依頼がちょくちょく来るようになった。

 訪問診療っていうのは、まあそのままだけど、僕ら歯医者が患者さんのお家にお邪魔して治療をすることだ。外に出られない事情を抱えた方が対象で、要するに「歯医者が出張するサービス」みたいなもんだ。

「げえっ」
 思わず変な声が出た。でも誤解しないでほしい。僕は訪問診療が嫌いなわけじゃない。むしろ大好きだ。患者さんの生活に寄り添ってサポートするなんて、医療人としての醍醐味、本懐だと思う。
 それに、普段診療室にこもりきりだから、外に出られるだけで気分転換になる。隣町なんて行けたらもう遠足気分だ。

 だけど、それでも今回は話が別だった。理由は──

「患者さん、ドラゴンみたいっすよ!」
 フォンファが楽しげに僕の周りをスキップする。わざとらしく弾んだ声で、僕の気を引こうとしているのが丸わかりだ。

「荒れ果ての地の山頂付近、天空の塔の最上階だそうっす!」

 言い切る瞬間、ピタッと止まって両手を広げる。そのまま大きく口を開けて「ガオーッ」と低い声を出す。どうやらこれがドラゴンのポーズらしい。

「断ろう」
 僕は迷いなく即答した。

「なん! でっすか! 冒険の予感っすよ!」
 フォンファは腕を振り回しながら、ドラゴンごっこの動きをさらにエスカレートさせる。

 仕方ないので僕も対抗して、手をばたつかせてフォンファの周りをぐるぐる回る。動きだけは無駄に全力だ。意外な方向からの反撃にフォンファが怯む。今だ。
「何を好き好んで死にに行かなきゃならないんだ! 僕のか弱い身体を考えろ!」
 わざと大げさに声を張り上げたら、唾が飛んだ。フォンファの顔にも少し。

「……いやだなぁ、先生」
 フォンファが冷めた目で僕を見る。駄々をこねる子どもを見守る保護者のような目だ。

 僕はバツが悪くなって、腕をだらりと下げた。
「それにドラゴンなら、飛んでこいよ……」
 ぼそりとつぶやくと、フォンファは軽く肩をすくめた。

「いや、それはそうですけど、多分もう結構なお年なんじゃないですか? 依頼書に1000歳って書いてますし」

「ドラゴンならそのくらい普通でしょ。そもそもドラゴンの寿命なんて知らないけど……で、他に何か書いてある?」

「えっと……」フォンファが依頼書を見直す。

「『最近熱いものがしみる。特にドラゴンブレスを吐くとしみる。どうにかならないか。行くの面倒だから来い』だそうです」

「断ろう」
 再び即答する僕。
「なんでっすか! ドラゴンですよ!
 ドラゴンブレス見たいっす!」
「行くの面倒とか言っちゃってるじゃない。こっちも行きません!」

 フォンファは小さく唇を尖らせる。
「やだー! ウチだけでも行こっすかね」
「行ってどうするゆ」
 突然現れたキリアが、いつもののんびりした声で口を挟む。

「きっと食われるゆ」
 スタッフルームから顔を出したキリアの手には、半分飲みかけのコーヒーのマグカップがあった。

「ドラゴンってキョンシー食べるの?」
 フォンファが気軽に訊く。

「雑食だゆ。歯医者を連れてこなかったら食われるかもゆ」
 キリアの言葉はいつも以上にあっさりしている。

「こわっ! 断りましょう先生!」
 フォンファが急に態度を翻す。さっきまでの冒険心はどこへ行ったのか。

「そうしよう……」
 僕が呟くと、キリアは迷いなく受話器を取り、電話口で短く告げた。
「お断りしますゆ」

 これで終わった。そう思ったのも束の間だった。
「……あれ、先生。塔からFAX来たっすよ。『ドラゴン族に代々伝わる秘酒とか、ドラゴン印のクッキーとかあるから来てよ』って」
 フォンファがニヤリと笑う。
「行くっきゃないっすね」

 反してキリアは迷いなく受話器を取り、電話口で短く告げた。
「無理なもんは無理ゆ」

「なんでっすかー!」
 キリアのあまりにサバサバした態度に、ドラゴンから恨みを買わないか心配になる。でもまぁ、ドラゴンたちはかなり傲慢だからこれくらい言わないと分かんないだろうね。

 ガサガサと封筒とチラシの山を仕分けていたフォンファが、ふと手を止めて「あれっこれは」と声を上げた。小さな声だけど、僕には十分だった。彼女が「これは」と言うときは、たいてい厄介ごとの予兆だ。

「別の依頼書が届いてるっすよ」
 フォンファが、紙束の中から一枚の紙を取り出して、じっと読んでいる。その顔には、妙な期待感すら漂っていた。

「断ろう」
 僕は即答しながら、キリアが淹れてくれたコーヒーポッドに手を伸ばした。残り少しのコーヒーを確保して、さっさとこの会話を終わらせたい。

「早いっすよ! 話くらい聞くべきっす!」
 フォンファが僕の手を軽く叩く。ちょうどいいタイミングでコーヒーを取られるのを阻止された。

「どうせろくでもない訪問診療なんだよ。隣町くらいだったらいいけど」
 僕は大げさにため息をつきながら、肩を落としてみせた。まるで疲れ切ったサラリーマンの演技だ。これくらいしないとフォンファは本気で僕を酷使するつもりに違いない。

 フォンファは、僕の態度なんか完全無視で依頼書の内容を読み上げていく。
「隣町の」
 ここで一瞬、僕の耳がピクっと動く。隣町なら歩いてせいぜい数分だし、温厚な人ばかり住んでいる。散歩ついでに行くのも悪くない。

「行くか」

「隣町の、さらに隣っすね」
 フォンファがニヤリとしながら、わざとベロを出してウィンクをしてみせる。

「詐欺じゃん。言い方詐欺だよ、フォンファ」
 僕は彼女を睨む。でも、そんな僕をまた無視して、フォンファは続けた。

「言質とったっす。行くっすよ、先生!」
 依頼書を振り回してニヤニヤ笑うフォンファ。その紙切れが、どうにも爆弾みたいに見えるのは僕の気のせいじゃないと思う。

「で、どんな依頼なの?」
 仕方なく、僕は聞いた。

「うーん、酒飲みたちからの依頼っすね」
 フォンファがあっさり答える。

「やめない?」
「やめとこうゆ」
 すかさずキリアが合いの手を入れる。ナイス、キリア。君だけが僕の味方だ。

「だめっす! 行くっすよ! ほら! 内容をよく読んでみてっす」
 フォンファが珍しく真剣な顔になる。そして、差し出された依頼書を、僕とキリアはしぶしぶ受け取った。

 内容を読むと、達筆な文字が並んでいて、思わず唸る。「酒場のマスターや村の連中の家族が未だ帰らない。家に帰してやりたい」送り主の友人への切実な思いが、文面からひしひしと伝わってくるじゃないか。歯医者は関係なさそうな気もするが、これ、軽々しく断れるやつじゃないじゃない。

「行くゆ」
 キリアが短くそう言った。

「……そうだね。行こうか」
 僕は頷くしかなかった。

 医院の扉に吊るされた札を裏返して、「CLOSE」の文字を見えるようにする。この瞬間、僕たちの訪問診療のスイッチが入った。

「さて、行きますか。二人とも、守ってね」
 情けない笑みを浮かべて言った僕の言葉に、フォンファとキリアが軽く笑った気がした。でも、それが本当に笑いだったのか、僕の空耳だったのかは、ちょっとわからない。


 必要最低限の機材だけをバックパックに詰め込む僕の横で、フォンファとキリアは何やら楽しげに荷物を詰めていた。いや、荷物というより、趣味の品?というのが正しいかもしれない。

 フォンファはポーチにお菓子をぎっしり詰めながら、「先生、甘いの好きっすか?」なんて聞いてくる。いやいや、僕のこと考えて詰めてるならそれ、治療道具とか救急セットじゃない?と思いつつ、めんどくさいので答えは「まあまあ」とだけ返した。

 一方、キリアはリュックにゲームのカセットを次々と詰め込みながら、「これもいるゆ、これも」と呟いている。ちらっと見てしまったのが運の尽きだ。僕の視線を感じた彼女がこちらを振り向かずに一言。
「診療機材は重いから、先生を守れないゆ」

 ……いやいや、そういう話じゃないでしょ、と突っ込みたくなるのをぐっと堪えた。確かに守られる側としては、反論の余地がない。僕は諦めて、自分のバックパックを背負い直すことにした。



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「天気も予知できるの?」と僕が聞くと、「お母さんの占いだゆ」と返された。なんだ、またラミアさんのスピリチュアルか。でもまあ、あの人の占いは妙に当たるから侮れない。
 それにしても雨か。思わぬ長期連休が確定したってのに、僕の中に「休むぞ!」って気分はこれっぽっちも湧いてこなかった。理由は──。
「先生!訪問診療の依頼、入ってるっすよ!」
 フォンファが元気に報告してくる。最近、なぜか雨の日を狙ったみたいに訪問診療の依頼がちょくちょく来るようになった。
 訪問診療っていうのは、まあそのままだけど、僕ら歯医者が患者さんのお家にお邪魔して治療をすることだ。外に出られない事情を抱えた方が対象で、要するに「歯医者が出張するサービス」みたいなもんだ。
「げえっ」
 思わず変な声が出た。でも誤解しないでほしい。僕は訪問診療が嫌いなわけじゃない。むしろ大好きだ。患者さんの生活に寄り添ってサポートするなんて、医療人としての醍醐味、本懐だと思う。
 それに、普段診療室にこもりきりだから、外に出られるだけで気分転換になる。隣町なんて行けたらもう遠足気分だ。
 だけど、それでも今回は話が別だった。理由は──
「患者さん、ドラゴンみたいっすよ!」
 フォンファが楽しげに僕の周りをスキップする。わざとらしく弾んだ声で、僕の気を引こうとしているのが丸わかりだ。
「荒れ果ての地の山頂付近、天空の塔の最上階だそうっす!」
 言い切る瞬間、ピタッと止まって両手を広げる。そのまま大きく口を開けて「ガオーッ」と低い声を出す。どうやらこれがドラゴンのポーズらしい。
「断ろう」
 僕は迷いなく即答した。
「なん! でっすか! 冒険の予感っすよ!」
 フォンファは腕を振り回しながら、ドラゴンごっこの動きをさらにエスカレートさせる。
 仕方ないので僕も対抗して、手をばたつかせてフォンファの周りをぐるぐる回る。動きだけは無駄に全力だ。意外な方向からの反撃にフォンファが怯む。今だ。
「何を好き好んで死にに行かなきゃならないんだ! 僕のか弱い身体を考えろ!」
 わざと大げさに声を張り上げたら、唾が飛んだ。フォンファの顔にも少し。
「……いやだなぁ、先生」
 フォンファが冷めた目で僕を見る。駄々をこねる子どもを見守る保護者のような目だ。
 僕はバツが悪くなって、腕をだらりと下げた。
「それにドラゴンなら、飛んでこいよ……」
 ぼそりとつぶやくと、フォンファは軽く肩をすくめた。
「いや、それはそうですけど、多分もう結構なお年なんじゃないですか? 依頼書に1000歳って書いてますし」
「ドラゴンならそのくらい普通でしょ。そもそもドラゴンの寿命なんて知らないけど……で、他に何か書いてある?」
「えっと……」フォンファが依頼書を見直す。
「『最近熱いものがしみる。特にドラゴンブレスを吐くとしみる。どうにかならないか。行くの面倒だから来い』だそうです」
「断ろう」
 再び即答する僕。
「なんでっすか! ドラゴンですよ!
 ドラゴンブレス見たいっす!」
「行くの面倒とか言っちゃってるじゃない。こっちも行きません!」
 フォンファは小さく唇を尖らせる。
「やだー! ウチだけでも行こっすかね」
「行ってどうするゆ」
 突然現れたキリアが、いつもののんびりした声で口を挟む。
「きっと食われるゆ」
 スタッフルームから顔を出したキリアの手には、半分飲みかけのコーヒーのマグカップがあった。
「ドラゴンってキョンシー食べるの?」
 フォンファが気軽に訊く。
「雑食だゆ。歯医者を連れてこなかったら食われるかもゆ」
 キリアの言葉はいつも以上にあっさりしている。
「こわっ! 断りましょう先生!」
 フォンファが急に態度を翻す。さっきまでの冒険心はどこへ行ったのか。
「そうしよう……」
 僕が呟くと、キリアは迷いなく受話器を取り、電話口で短く告げた。
「お断りしますゆ」
 これで終わった。そう思ったのも束の間だった。
「……あれ、先生。塔からFAX来たっすよ。『ドラゴン族に代々伝わる秘酒とか、ドラゴン印のクッキーとかあるから来てよ』って」
 フォンファがニヤリと笑う。
「行くっきゃないっすね」
 反してキリアは迷いなく受話器を取り、電話口で短く告げた。
「無理なもんは無理ゆ」
「なんでっすかー!」
 キリアのあまりにサバサバした態度に、ドラゴンから恨みを買わないか心配になる。でもまぁ、ドラゴンたちはかなり傲慢だからこれくらい言わないと分かんないだろうね。
 ガサガサと封筒とチラシの山を仕分けていたフォンファが、ふと手を止めて「あれっこれは」と声を上げた。小さな声だけど、僕には十分だった。彼女が「これは」と言うときは、たいてい厄介ごとの予兆だ。
「別の依頼書が届いてるっすよ」
 フォンファが、紙束の中から一枚の紙を取り出して、じっと読んでいる。その顔には、妙な期待感すら漂っていた。
「断ろう」
 僕は即答しながら、キリアが淹れてくれたコーヒーポッドに手を伸ばした。残り少しのコーヒーを確保して、さっさとこの会話を終わらせたい。
「早いっすよ! 話くらい聞くべきっす!」
 フォンファが僕の手を軽く叩く。ちょうどいいタイミングでコーヒーを取られるのを阻止された。
「どうせろくでもない訪問診療なんだよ。隣町くらいだったらいいけど」
 僕は大げさにため息をつきながら、肩を落としてみせた。まるで疲れ切ったサラリーマンの演技だ。これくらいしないとフォンファは本気で僕を酷使するつもりに違いない。
 フォンファは、僕の態度なんか完全無視で依頼書の内容を読み上げていく。
「隣町の」
 ここで一瞬、僕の耳がピクっと動く。隣町なら歩いてせいぜい数分だし、温厚な人ばかり住んでいる。散歩ついでに行くのも悪くない。
「行くか」
「隣町の、さらに隣っすね」
 フォンファがニヤリとしながら、わざとベロを出してウィンクをしてみせる。
「詐欺じゃん。言い方詐欺だよ、フォンファ」
 僕は彼女を睨む。でも、そんな僕をまた無視して、フォンファは続けた。
「言質とったっす。行くっすよ、先生!」
 依頼書を振り回してニヤニヤ笑うフォンファ。その紙切れが、どうにも爆弾みたいに見えるのは僕の気のせいじゃないと思う。
「で、どんな依頼なの?」
 仕方なく、僕は聞いた。
「うーん、酒飲みたちからの依頼っすね」
 フォンファがあっさり答える。
「やめない?」
「やめとこうゆ」
 すかさずキリアが合いの手を入れる。ナイス、キリア。君だけが僕の味方だ。
「だめっす! 行くっすよ! ほら! 内容をよく読んでみてっす」
 フォンファが珍しく真剣な顔になる。そして、差し出された依頼書を、僕とキリアはしぶしぶ受け取った。
 内容を読むと、達筆な文字が並んでいて、思わず唸る。「酒場のマスターや村の連中の家族が未だ帰らない。家に帰してやりたい」送り主の友人への切実な思いが、文面からひしひしと伝わってくるじゃないか。歯医者は関係なさそうな気もするが、これ、軽々しく断れるやつじゃないじゃない。
「行くゆ」
 キリアが短くそう言った。
「……そうだね。行こうか」
 僕は頷くしかなかった。
 医院の扉に吊るされた札を裏返して、「CLOSE」の文字を見えるようにする。この瞬間、僕たちの訪問診療のスイッチが入った。
「さて、行きますか。二人とも、守ってね」
 情けない笑みを浮かべて言った僕の言葉に、フォンファとキリアが軽く笑った気がした。でも、それが本当に笑いだったのか、僕の空耳だったのかは、ちょっとわからない。
 必要最低限の機材だけをバックパックに詰め込む僕の横で、フォンファとキリアは何やら楽しげに荷物を詰めていた。いや、荷物というより、趣味の品?というのが正しいかもしれない。
 フォンファはポーチにお菓子をぎっしり詰めながら、「先生、甘いの好きっすか?」なんて聞いてくる。いやいや、僕のこと考えて詰めてるならそれ、治療道具とか救急セットじゃない?と思いつつ、めんどくさいので答えは「まあまあ」とだけ返した。
 一方、キリアはリュックにゲームのカセットを次々と詰め込みながら、「これもいるゆ、これも」と呟いている。ちらっと見てしまったのが運の尽きだ。僕の視線を感じた彼女がこちらを振り向かずに一言。
「診療機材は重いから、先生を守れないゆ」
 ……いやいや、そういう話じゃないでしょ、と突っ込みたくなるのをぐっと堪えた。確かに守られる側としては、反論の余地がない。僕は諦めて、自分のバックパックを背負い直すことにした。