17
ー/ー
「……私ね。生んで育てるつもりだったの」
オレの絵に視線を落としながら、スミレが言った。
「もちろん最初は動揺したし、父親は案の定、音信不通になったけど。たとえひとりでも、ちゃんと母親になろうって思った。自分の元へ来てくれた命を……私の都合だけで、なかったことにしたくないから」
小学校低学年ぐらいだろうか。子供たちの楽しそうな声が、外から聞こえてきた。薄暗くなってきたので家へ帰るところなのだろう。「また明日ね」と大きな声で言い合っている。それを聞いて、スミレが目を細めた。
「でも結局、流れちゃったの。育ててあげられなかった」
驚きはない。なんとなく、そんな気がしていたからだ。オレは少しだけ、唇を噛みしめた。
「とても悲しいのに、どこかホッとしている自分もいて……どうすればいいのか分からなかった。貴方に会いに行ったのは、そのあと。どうしても桔平の顔が見たくなったの。自分勝手よね。こんなんだから、この母親じゃダメだって子供に思われたのかも」
「そんなわけねぇよ。大事にしようとしていたんだろ?」
もしかすると自分の子供かもしれない。それはずっと考えてきたことだ。それなのに、すべてひとりで背負わせてしまった。オレがしっかりしていれば。そんな思いが、またこみ上げてくる。
「私、貴方のそういうところが好きなのよ。とても繊細で、とても優しいところ。いまでも……ずっと大好き」
真っすぐ見つめられた。
胸が痛むのは、罪悪感からなのか。戻れない過去を悔いても仕方ない。そんなことは分かっている。
ただ、悔いのないように生きるなんて綺麗事だ。人間は生きている限り、数え切れないほどの後悔を抱えていく。問題は、縛られて動けなくなるか、それでも前へ進もうとするか。スミレが後者なのは、見ただけで分かった。
「でも……いくら好きだとしても、私じゃ桔平のよさを引き出せなかった。ただ苦しめてしまうだけ。だから、貴方の前から消えようと思ったのよ」
「……あれから、なにをしていたんだ?」
「就職せずに、1年間ヨーロッパにいたの。そこでまたアートを学び直して、帰国してからいまの会社に入って……浅尾桔平の絵を世に出すことを、ずっと目標にしてた。今回ようやく、それを実現できるわ」
オレは忘れたいと思っていたのに、スミレはオレのことをずっと考えてくれていたのか。まったく、自分の弱さに反吐が出るな。
「分かっていると思うけど、ここからがスタートよ。浅尾桔平は、これから一気に注目を浴びることになる。だから愛茉さんにも、覚悟するように伝えておいて。その紅茶は陣中見舞いみたいなものよ。たまたま買いすぎたから」
「ふーん。素直じゃねぇよなぁ」
「うるさいわね。もう帰るから」
「ちゃんと愛茉に渡しておくよ。イギリス土産だって」
スミレが少し口を尖らせる。笑うと怒られそうなので、オレは口元を手で隠した。
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「……私ね。生んで育てるつもりだったの」
オレの絵に視線を落としながら、スミレが言った。
「もちろん最初は動揺したし、父親は案の定、音信不通になったけど。たとえひとりでも、ちゃんと母親になろうって思った。自分の元へ来てくれた命を……私の都合だけで、なかったことにしたくないから」
小学校低学年ぐらいだろうか。子供たちの楽しそうな声が、外から聞こえてきた。薄暗くなってきたので家へ帰るところなのだろう。「また明日ね」と大きな声で言い合っている。それを聞いて、スミレが目を細めた。
「でも結局、流れちゃったの。育ててあげられなかった」
驚きはない。なんとなく、そんな気がしていたからだ。オレは少しだけ、唇を噛みしめた。
「とても悲しいのに、どこかホッとしている自分もいて……どうすればいいのか分からなかった。貴方に会いに行ったのは、そのあと。どうしても桔平の顔が見たくなったの。自分勝手よね。こんなんだから、この母親じゃダメだって子供に思われたのかも」
「そんなわけねぇよ。大事にしようとしていたんだろ?」
もしかすると自分の子供かもしれない。それはずっと考えてきたことだ。それなのに、すべてひとりで背負わせてしまった。オレがしっかりしていれば。そんな思いが、またこみ上げてくる。
「私、貴方のそういうところが好きなのよ。とても繊細で、とても優しいところ。いまでも……ずっと大好き」
真っすぐ見つめられた。
胸が痛むのは、罪悪感からなのか。戻れない過去を悔いても仕方ない。そんなことは分かっている。
ただ、悔いのないように生きるなんて綺麗事だ。人間は生きている限り、数え切れないほどの後悔を抱えていく。問題は、縛られて動けなくなるか、それでも前へ進もうとするか。スミレが後者なのは、見ただけで分かった。
「でも……いくら好きだとしても、私じゃ桔平のよさを引き出せなかった。ただ苦しめてしまうだけ。だから、貴方の前から消えようと思ったのよ」
「……あれから、なにをしていたんだ?」
「就職せずに、1年間ヨーロッパにいたの。そこでまたアートを学び直して、帰国してからいまの会社に入って……浅尾桔平の絵を世に出すことを、ずっと目標にしてた。今回ようやく、それを実現できるわ」
オレは忘れたいと思っていたのに、スミレはオレのことをずっと考えてくれていたのか。まったく、自分の弱さに反吐が出るな。
「分かっていると思うけど、ここからがスタートよ。浅尾桔平は、これから一気に注目を浴びることになる。だから愛茉さんにも、覚悟するように伝えておいて。その紅茶は陣中見舞いみたいなものよ。たまたま買いすぎたから」
「ふーん。素直じゃねぇよなぁ」
「うるさいわね。もう帰るから」
「ちゃんと愛茉に渡しておくよ。イギリス土産だって」
スミレが少し口を尖らせる。笑うと怒られそうなので、オレは口元を手で隠した。