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体育祭!

ー/ー



 パラつく雨で延期になった体育祭だったけれど、予備日はからっと晴れた。

「授業ないし。楽しいじゃん!」
 と、張り切っている南緒を横目に盟子は気分が上がらない。
 いいなぁ、と思う。体育祭を楽しいって言える人。
 体育祭は輝くアイテムを持った人達のための舞台だ。見た目も運動神経も明るい性格も何も持っていない人には出番も見せ場もなくて、座って見ているだけ。自分が何者でもないことを痛感させられる日でしかない。

「おーし絶対勝つ!」
 学校指定ジャージであっても南緒の演出は完璧だった。シャツの袖を肩までまくりあげ、二の腕全開。ハチマキをヘアバンド風に結ぶとボーイッシュなショートの襟足が眩しい。南緒は昔から足も速いしスポーツが大好きだ。更に退屈な授業がないとなれば楽しい以外はないだろう。

 盟子は伸びてきた髪を結い上げた。首筋が既に汗ばんでいる。
「暑くなりそう……」
 ミネラルウォーターのボトルを傾けると、日光が反射してプリズムみたいに輝いた。



 予想通りぐんぐん気温が上がり、午前中は日射しの下での観戦となった。
 あちこちの席を行き来して男子たちときゃあきゃあ騒ぐ南緒は、すっかり体育祭に溶け込んでいる。
 でも盟子はやっぱりテンションが上がらなくて、普通に授業受けてる方が全然マシだと思ってしまうのは毎年のこと。

 午後の部も滞りなく進み、いよいよ最終種目が始まる前、盟子たち吹奏楽部は本部テント脇に移動した。表彰式の得賞歌の演奏があるのだ。
 ようやく終わりが見えて、大したこともしていないのに疲れていた盟子はほっとした。楽しくなかったし、勝ち負けもどうでもいい。
 
 既にテントの前には、最終種目「選抜リレー」のメンバーが整列していた。
 見たところ今年の出場はバスケ部、サッカー部、ラグビー部に陸上部。去年は剣道部が防具に裸足で走っていたっけ。
 そして、固定である教師チーム。
 
「ちょっと守谷先生! 勝ちなさいよ!?」
 それぞれがストレッチや準備をしている喧騒の中、突然ものすごい声量の檄が後ろから飛んできた。秋羽台高校の女帝こと磯部だ。
 そういえば、出るって言ってたな。
 教師チームの最後尾で生徒とにこやかに談笑していた守谷が笑顔で手を振り返す。
「まかしといてー」
 しかし、その黒いTシャツの胸にでかでかと刻まれた不敵な四字熟語にはぎょっとさせられた。
「あたししか勝たんからー」
 胸のど真ん中に、赤い筆文字フォントの大々的な『唯我独尊』。まさしくそのまま。そして襷をかけているところを見るとアンカーらしい。
「いやーん、でもやっぱ緊張しちゃうー」
 とか言いながらの余裕の笑顔。

 放送部による出場チーム紹介が流れ始めると、盟子も訳もなくドキドキしてきた。クラリネット担当で最前列の盟子は、コースラインぎりぎりに臨む特等席だ。走者の緊張や熱意がダイレクトに伝わる。
 そうこうするうちに第一走者がクラウチングスタートの姿勢を取り、ピストルの音が弾けた。同時にクシコスポストが流れ始める。

 最初に抜きんでたのは当然、短距離のエースを持ってきている陸上部だった。
 そして意外にもラグビー部がそれに追随し、その後ろにサッカー部、バスケ部と教師チームが並走する。教師チームは、20歳近くの年齢差がありながらバスケ部と並んでいるのは健闘していると言えそうだ。

 いつのまにか盟子はすっかり前のめりになって観戦している。
 なりふり構わず今この瞬間に全力をかける姿というのは、決してきれいに整ってはいないけれど、胸に迫るものがある。

 陸上部はトップをキープし、10m程の差を何とかそれ以上開けないようにとラグビー部が追いすがっている。
 後ろのバスケ部、サッカー部、教師チームが抜きつ抜かれつで続くが、僅かだった差が次第に広がり、やがて教師チームは最後尾に追いやられてしまった。ほぼ順位が確定した状況のままバトンはアンカーに渡る。

「よーし、行っくわよー」
 直前まで優雅に観戦していた守谷は、バトンを受け取った瞬間、弾けるように飛び出した。
「はっや……」
 思わず呟く。出だしからいきなりの高速回転。
 スタートダッシュでぐんぐん速度をあげ、気付けばバスケ部の背後に迫っている。コーナーで体を傾けながら当然のようにバスケ部を追い抜いた。
 そのままじりじりとスピードを上げ、今度はサッカー部に並ぶ。追い抜く一瞬、余裕の笑顔が小さく浮かんだ。
 瞬発力が抜群に高かったラグビー部アンカーは、しかし1週目の終盤で疲れが見え始め、そこを守谷が追い上げてかかる。これも抜かす。

「あの子、速いのよねぇ」
 磯部がほくほくと笑っている。まるで足が速いことを知っていたみたいな口ぶりだ。
「ごぼう抜きってやつねー」
  
 2周目。ラストスパートに入る陸上部に猛追をかけるが、さすがに距離はなかなか縮まらない。陸部の方もここで教師チームに負けては面子丸潰れだから必死だ。
 ところが。
 ゴールまであと数十メートルというところで異変が起きた。
 まるでウサギのようにぴょんぴょん飛び跳ねて失速する陸上部アンカー。どうやら肉離れを起こしたらしい。
 と、その後ろから突っ込んできた守谷と、足をもつれさせて転倒した陸部アンカーが衝突……

 皆息を呑んだ。

……と、思いきや。

 守谷は軽やかな跳躍で陸部アンカーを飛び越え、体勢を崩しながらもくるりと一回転して立て直した。1秒にも満たない軽業だった。
「ごめん。大丈夫だった?」
 ちょうど目の前になだれ込んできた守谷が、盟子を気遣いながら息を切らして立ち上がる。
「先生、腕が!」
 唯我独尊シャツの肩が破れ、腕が擦り傷になっている。しかしそれには構わず守谷は倒れている陸部アンカーに駆け寄った。
 その後ろをラグビー部、サッカー部、バスケ部が、ちょっと心配そうに失速しながらゴールラインを駆け抜けていった。



 待機していた保健委員と養護教諭が、守谷と陸部アンカーの治療にあたっている。

「いったぁ! 沁みるぅ!」
 腕に消毒液を吹きかけられ、玲峰泣きそうーーー!と守谷が騒いでいるのを横目に、吹奏楽部の生徒たちが失笑している。

「先生、すごい速かったですね」
 そう話しかけた時、盟子は苦手意識をすっかり忘れていた。
「あはは」
 激しく上下する肩はまだ全力疾走の余韻を残している。
「山育ちでさ」
「山?」
 山育ち。どうしたってそうは見えないけれど。
「子供の頃、普通に毎日山の昇り降りしてたの。今よりもっと身軽だったな。その時のあだ名、何だったと思う?」
「え、何だろう」
「山猿」
 そう言って守谷はけらけらと笑った。

「いやぁそれにしてもさすがに現役の陸部は速いわぁ」
 その現役陸部に、追いつきそうだったですけれど。
「でも久しぶりに青春しちゃった。高校生っていいなぁ、羨ましい」

……そうかな。そうなのかな。

 友達、親、進路、自分自身のことも。揺れて悩んで迷ってばかりだ。むしろそういうのをさっさと通り越して、早く大人という安定のポジションに辿り着きたいと盟子は思う。

「でも昔は体育祭って好きじゃなかったんだよね。先生になってからだわ、こんな楽しいの」
「あんたも歳取ったのよ」
 後ろから磯部女帝がそんなことを言った。
「そうかもー、あはは」

 集計の結果、縦割りの4組チームが最高得点を取って優勝ということになった。続いて2組、6組。
 これからその表彰式と閉会式だ。

「はい、得賞歌準備」
 吹奏楽部に号令がかかる。
 山育ちというパワーワードが頭から離れないまま、盟子はマウスピースを咥えた。
……玲峰先生はどこで、どんな風に、何を見て育ってきたのかな。

 昼下がりの空は青くて、競技が終わったばかりの校庭はまだ熱気が冷めやらなかった。




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 パラつく雨で延期になった体育祭だったけれど、予備日はからっと晴れた。
「授業ないし。楽しいじゃん!」
 と、張り切っている南緒を横目に盟子は気分が上がらない。
 いいなぁ、と思う。体育祭を楽しいって言える人。
 体育祭は輝くアイテムを持った人達のための舞台だ。見た目も運動神経も明るい性格も何も持っていない人には出番も見せ場もなくて、座って見ているだけ。自分が何者でもないことを痛感させられる日でしかない。
「おーし絶対勝つ!」
 学校指定ジャージであっても南緒の演出は完璧だった。シャツの袖を肩までまくりあげ、二の腕全開。ハチマキをヘアバンド風に結ぶとボーイッシュなショートの襟足が眩しい。南緒は昔から足も速いしスポーツが大好きだ。更に退屈な授業がないとなれば楽しい以外はないだろう。
 盟子は伸びてきた髪を結い上げた。首筋が既に汗ばんでいる。
「暑くなりそう……」
 ミネラルウォーターのボトルを傾けると、日光が反射してプリズムみたいに輝いた。
 予想通りぐんぐん気温が上がり、午前中は日射しの下での観戦となった。
 あちこちの席を行き来して男子たちときゃあきゃあ騒ぐ南緒は、すっかり体育祭に溶け込んでいる。
 でも盟子はやっぱりテンションが上がらなくて、普通に授業受けてる方が全然マシだと思ってしまうのは毎年のこと。
 午後の部も滞りなく進み、いよいよ最終種目が始まる前、盟子たち吹奏楽部は本部テント脇に移動した。表彰式の得賞歌の演奏があるのだ。
 ようやく終わりが見えて、大したこともしていないのに疲れていた盟子はほっとした。楽しくなかったし、勝ち負けもどうでもいい。
 既にテントの前には、最終種目「選抜リレー」のメンバーが整列していた。
 見たところ今年の出場はバスケ部、サッカー部、ラグビー部に陸上部。去年は剣道部が防具に裸足で走っていたっけ。
 そして、固定である教師チーム。
「ちょっと守谷先生! 勝ちなさいよ!?」
 それぞれがストレッチや準備をしている喧騒の中、突然ものすごい声量の檄が後ろから飛んできた。秋羽台高校の女帝こと磯部だ。
 そういえば、出るって言ってたな。
 教師チームの最後尾で生徒とにこやかに談笑していた守谷が笑顔で手を振り返す。
「まかしといてー」
 しかし、その黒いTシャツの胸にでかでかと刻まれた不敵な四字熟語にはぎょっとさせられた。
「あたししか勝たんからー」
 胸のど真ん中に、赤い筆文字フォントの大々的な『唯我独尊』。まさしくそのまま。そして襷をかけているところを見るとアンカーらしい。
「いやーん、でもやっぱ緊張しちゃうー」
 とか言いながらの余裕の笑顔。
 放送部による出場チーム紹介が流れ始めると、盟子も訳もなくドキドキしてきた。クラリネット担当で最前列の盟子は、コースラインぎりぎりに臨む特等席だ。走者の緊張や熱意がダイレクトに伝わる。
 そうこうするうちに第一走者がクラウチングスタートの姿勢を取り、ピストルの音が弾けた。同時にクシコスポストが流れ始める。
 最初に抜きんでたのは当然、短距離のエースを持ってきている陸上部だった。
 そして意外にもラグビー部がそれに追随し、その後ろにサッカー部、バスケ部と教師チームが並走する。教師チームは、20歳近くの年齢差がありながらバスケ部と並んでいるのは健闘していると言えそうだ。
 いつのまにか盟子はすっかり前のめりになって観戦している。
 なりふり構わず今この瞬間に全力をかける姿というのは、決してきれいに整ってはいないけれど、胸に迫るものがある。
 陸上部はトップをキープし、10m程の差を何とかそれ以上開けないようにとラグビー部が追いすがっている。
 後ろのバスケ部、サッカー部、教師チームが抜きつ抜かれつで続くが、僅かだった差が次第に広がり、やがて教師チームは最後尾に追いやられてしまった。ほぼ順位が確定した状況のままバトンはアンカーに渡る。
「よーし、行っくわよー」
 直前まで優雅に観戦していた守谷は、バトンを受け取った瞬間、弾けるように飛び出した。
「はっや……」
 思わず呟く。出だしからいきなりの高速回転。
 スタートダッシュでぐんぐん速度をあげ、気付けばバスケ部の背後に迫っている。コーナーで体を傾けながら当然のようにバスケ部を追い抜いた。
 そのままじりじりとスピードを上げ、今度はサッカー部に並ぶ。追い抜く一瞬、余裕の笑顔が小さく浮かんだ。
 瞬発力が抜群に高かったラグビー部アンカーは、しかし1週目の終盤で疲れが見え始め、そこを守谷が追い上げてかかる。これも抜かす。
「あの子、速いのよねぇ」
 磯部がほくほくと笑っている。まるで足が速いことを知っていたみたいな口ぶりだ。
「ごぼう抜きってやつねー」
 2周目。ラストスパートに入る陸上部に猛追をかけるが、さすがに距離はなかなか縮まらない。陸部の方もここで教師チームに負けては面子丸潰れだから必死だ。
 ところが。
 ゴールまであと数十メートルというところで異変が起きた。
 まるでウサギのようにぴょんぴょん飛び跳ねて失速する陸上部アンカー。どうやら肉離れを起こしたらしい。
 と、その後ろから突っ込んできた守谷と、足をもつれさせて転倒した陸部アンカーが衝突……
 皆息を呑んだ。
……と、思いきや。
 守谷は軽やかな跳躍で陸部アンカーを飛び越え、体勢を崩しながらもくるりと一回転して立て直した。1秒にも満たない軽業だった。
「ごめん。大丈夫だった?」
 ちょうど目の前になだれ込んできた守谷が、盟子を気遣いながら息を切らして立ち上がる。
「先生、腕が!」
 唯我独尊シャツの肩が破れ、腕が擦り傷になっている。しかしそれには構わず守谷は倒れている陸部アンカーに駆け寄った。
 その後ろをラグビー部、サッカー部、バスケ部が、ちょっと心配そうに失速しながらゴールラインを駆け抜けていった。
 待機していた保健委員と養護教諭が、守谷と陸部アンカーの治療にあたっている。
「いったぁ! 沁みるぅ!」
 腕に消毒液を吹きかけられ、玲峰泣きそうーーー!と守谷が騒いでいるのを横目に、吹奏楽部の生徒たちが失笑している。
「先生、すごい速かったですね」
 そう話しかけた時、盟子は苦手意識をすっかり忘れていた。
「あはは」
 激しく上下する肩はまだ全力疾走の余韻を残している。
「山育ちでさ」
「山?」
 山育ち。どうしたってそうは見えないけれど。
「子供の頃、普通に毎日山の昇り降りしてたの。今よりもっと身軽だったな。その時のあだ名、何だったと思う?」
「え、何だろう」
「山猿」
 そう言って守谷はけらけらと笑った。
「いやぁそれにしてもさすがに現役の陸部は速いわぁ」
 その現役陸部に、追いつきそうだったですけれど。
「でも久しぶりに青春しちゃった。高校生っていいなぁ、羨ましい」
……そうかな。そうなのかな。
 友達、親、進路、自分自身のことも。揺れて悩んで迷ってばかりだ。むしろそういうのをさっさと通り越して、早く大人という安定のポジションに辿り着きたいと盟子は思う。
「でも昔は体育祭って好きじゃなかったんだよね。先生になってからだわ、こんな楽しいの」
「あんたも歳取ったのよ」
 後ろから磯部女帝がそんなことを言った。
「そうかもー、あはは」
 集計の結果、縦割りの4組チームが最高得点を取って優勝ということになった。続いて2組、6組。
 これからその表彰式と閉会式だ。
「はい、得賞歌準備」
 吹奏楽部に号令がかかる。
 山育ちというパワーワードが頭から離れないまま、盟子はマウスピースを咥えた。
……玲峰先生はどこで、どんな風に、何を見て育ってきたのかな。
 昼下がりの空は青くて、競技が終わったばかりの校庭はまだ熱気が冷めやらなかった。