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イケメンの条件

ー/ー



 芸術の科目は、音楽・書道・美術の中から選ぶことになっている。

 去年音楽をとっていた南緒は、今年度はちゃっかり美術を選んだ。楽さで言えば音楽や書道なはずだけれど、理由は解りきっている。
 けれど盟子にとっては逆で、好きだった美術の授業がすっかり憂鬱になってしまった。
 勝手に進路相談をされてラボルトの件で守谷と気まずくなったのもあるし、南緒がいるせいで授業にも没頭できない。

 ただ授業そのものはごく真っ当、ではあった。去年より緩いとかキツいとか内容がエキセントリックだとか、そういうことはなかった。守谷は皆に対して公平だし、作品への助言や説明もちゃんとしていて、美術の先生として普通に機能している。当然と言えば当然なのだけれど。

 美術の授業が始まると、雨季を迎えた砂漠の植物みたいに南緒が生き生きし始める。
 この後体育祭の練習があるのを理由にTシャツにジャージ姿。他の生徒たちが制服だから、まずはひとりだけ別の格好で注目を惹くという、たぶんそういう計算。スタイルもいいから自信しかないだろう。で、すっかり主役になりきって守谷の視線を意識している。

 2時間続きの一コマ目が終わって休み時間になると、早速南緒が教壇にすっ飛んでいった。
「ねえねえ玲峰センセ、体育祭出る?」
 鼻にかかった高い声は意図せずして耳に入ってくる。
「出ますよー」
「え、もしかして」
「選抜リレーに」
 それを聞いた南緒の目が輝いた。

 秋羽台高校の体育祭には、いつから始まったのか謎な伝統競技、選抜リレーというものがある。5チームで競う部活対抗リレー競技のことだ。
 そのうちの1チームを教師チームとして固定し、残りの4チームは出場を希望する部の立候補もしくは抽選で選ばれる。で、各チーム5人の選手を出して競い合う。つまり教師が唯一参加できる競技なのだ。
 ただし競技というよりはアトラクション寄りで、服装も自由、水泳部が出る時はゴーグルに水着のパンツ一丁で走ったりもする。部のメンツをかけて本気で走るもよし、笑いを取ってアピールするもよしの目玉種目。

「ホントに!? でもなんで玲峰先生が出るの?」
 確かに去年の教師チームは体育の先生や運動部顧問なんかが出ていたはずで、美術教師なんか出る幕じゃないのに。

「磯部先生様が出ろって仰るんですもの、逆らえないじゃん」
 守谷は肩を竦める。確かにそれはあり得そうだ。
 アトラクションには華が必要で、彼が出場すれば盛り上がると踏んでの采配だろう。噂によると教師チームの出場者は、磯部女帝の「あんた出なさいよ」の一言でほぼ決まるらしいから。

「玲峰先生、足速い?」
「速そうだと思う?」
「速そう!」
「当日見てのお楽しみー」

 次第に他の生徒たちもわらわらと集まってきた。年が近いせいか性格なのか、何だかんだで生徒扱いがうまい人ではある。

「ねえねえ先生、教師チームの他のメンバーは?」
「えっとね、大石先生と佐藤先生でしょ、それから星野先生……あと三井先生だったかな」
 大石と佐藤は体育教師、星野は野球部顧問だし三井はバスケ部顧問だ。他のメンツは体育関係で、やっぱり守谷は華担当、らしい。
「それって顔じゃん」
 誰かが言った。
「磯部先生、今年はイケメン揃えて来たんじゃね?」
「せんせえ僕もイケメンになりたいでーす」
「ちょっとあんた! それ本気で言ってる!?」
 ふざけた調子で男子生徒が言うと、守谷が急に真顔になった。
「はあい、みんな注目」

 それは突如として始まった。
 守谷はくるりと身を翻すと黒板に何か書き始める。

 「イ」から始まる。
 ひとつずつあらわれていく文字を追っていくと、『イケメンの条件』と並んだ。まぁあたしはイケメンと言うより美人ですけどねと言いながら指先の粉を優雅にはらう。
「イケメンの条件。これ何だと思いますか?」

 休み時間中だというのに、一瞬でほぼ全員の視線を教壇に集めた。

「顔だと思う」「スタイルっしょ」「骨格じゃない?」
 と、それっぽい答えが飛んでくる。
「はい全部違います。答えは姿勢。し・せ・い」

 姿勢、と黒板に文字が追加される。
 姿勢ですかぁ?という意外そうな声がして、でもこれから何を言い出すのだろうという期待が生徒たちの間に漲っている。

「例えばね、顔100点でも背中から見て猫背だったらちょっと冷めない? なんか残念じゃない?」
 それな、と南緒が盛大に同意した。

「と、言うことはですよ。姿勢って配点高いわけ」
 確かに。言われればその通りだと思う。
「でもね、美しい姿勢を保つのって楽じゃないんだわこれが。みんなも背筋曲がってるよ? 気付いてる?」
 生徒たちは慌てて姿勢を正した。
「美しい姿勢って、痩せて筋肉が少なくても太って体が重くても保てないの。だからまずバランスのいい体でいる必要があるわけです」

 バランス、と誰かがメモをとりながら呟いた。

「バランスのいい体でいるためには、バランスの取れた生活をしてバランスの取れた精神でいること。精神と生活の歪みは確実に肉体に出ます。いいかな? これテストに出るからねー」
 
 筆洗バケツに滴る水の音がぴちゃんと響く。皆真剣に聞きすぎていて笑うのも忘れている。

「ほらほら、一時的に背筋伸ばしても30秒でダレるんだわ。美しい姿勢を保ち続ける(・・・・・)っていうのがこれまた大変なんです」
 そう言われて皆、ダレてきていた姿勢を慌てて引き締める。いつの間にか盟子もすっかり引き込まれていた。

「じゃあどうしたら美しい姿勢を保ち続けられるか」
 姿勢、という文字をばあんと叩くと黒板がふるふると震えた。泣き黒子の目元が妖しく細められる。

「それは見られているという意識を持つこと。自分がどう見られているか、どう見えているか、美しく見えているか」
 皆、ごくりと息を呑む。
「勘違いしないでね、ナルシストって意味じゃないの。自分を顧みる視点を常に持とうねってこと。これは顔の造りに関係なく誰でもできるよね?」
 チョークの付いた指先を、守谷はハンカチで優雅にふき取った。

「……以上のことに注意すれば、存在そのものがイケメンになれます。オレどうせイケメンじゃねーしとか思ってるそこのあなた! その精神が不細工だっつーのよ! いい? ちなみに……」
 守谷は茶目っ気たっぷりに微笑んだ。

「あたし顔で選ばれたんじゃないから。足速いもーん! あ、やべ言っちゃった」

 そこへ折よく4時間目の始業ベルが鳴った。

「はーい席つくー」
 教卓の周りに集まっていた女子たちが席に戻っていく。特別講座が終わって、美術の授業が再開する。

 やっぱりそうだった、と盟子は密かに確信していた。
 歪みなく美しい姿勢。高潔な所作。
 息をするようにそれをやってのけるのが、どれほど精神力を要するか。始業式の一礼にあんなにも惹きつけられたのは、ちゃんとそれに気づけていたんだ、私。
 地に落ちていた自分への評価がほんの少し回復した、かもしれない。

「……あ、」

 盟子は曲がりそうになってきた背筋を慌てて伸ばした。
 せめて姿勢だけでもそうありたい、と願って。


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 芸術の科目は、音楽・書道・美術の中から選ぶことになっている。
 去年音楽をとっていた南緒は、今年度はちゃっかり美術を選んだ。楽さで言えば音楽や書道なはずだけれど、理由は解りきっている。
 けれど盟子にとっては逆で、好きだった美術の授業がすっかり憂鬱になってしまった。
 勝手に進路相談をされてラボルトの件で守谷と気まずくなったのもあるし、南緒がいるせいで授業にも没頭できない。
 ただ授業そのものはごく真っ当、ではあった。去年より緩いとかキツいとか内容がエキセントリックだとか、そういうことはなかった。守谷は皆に対して公平だし、作品への助言や説明もちゃんとしていて、美術の先生として普通に機能している。当然と言えば当然なのだけれど。
 美術の授業が始まると、雨季を迎えた砂漠の植物みたいに南緒が生き生きし始める。
 この後体育祭の練習があるのを理由にTシャツにジャージ姿。他の生徒たちが制服だから、まずはひとりだけ別の格好で注目を惹くという、たぶんそういう計算。スタイルもいいから自信しかないだろう。で、すっかり主役になりきって守谷の視線を意識している。
 2時間続きの一コマ目が終わって休み時間になると、早速南緒が教壇にすっ飛んでいった。
「ねえねえ玲峰センセ、体育祭出る?」
 鼻にかかった高い声は意図せずして耳に入ってくる。
「出ますよー」
「え、もしかして」
「選抜リレーに」
 それを聞いた南緒の目が輝いた。
 秋羽台高校の体育祭には、いつから始まったのか謎な伝統競技、選抜リレーというものがある。5チームで競う部活対抗リレー競技のことだ。
 そのうちの1チームを教師チームとして固定し、残りの4チームは出場を希望する部の立候補もしくは抽選で選ばれる。で、各チーム5人の選手を出して競い合う。つまり教師が唯一参加できる競技なのだ。
 ただし競技というよりはアトラクション寄りで、服装も自由、水泳部が出る時はゴーグルに水着のパンツ一丁で走ったりもする。部のメンツをかけて本気で走るもよし、笑いを取ってアピールするもよしの目玉種目。
「ホントに!? でもなんで玲峰先生が出るの?」
 確かに去年の教師チームは体育の先生や運動部顧問なんかが出ていたはずで、美術教師なんか出る幕じゃないのに。
「磯部先生様が出ろって仰るんですもの、逆らえないじゃん」
 守谷は肩を竦める。確かにそれはあり得そうだ。
 アトラクションには華が必要で、彼が出場すれば盛り上がると踏んでの采配だろう。噂によると教師チームの出場者は、磯部女帝の「あんた出なさいよ」の一言でほぼ決まるらしいから。
「玲峰先生、足速い?」
「速そうだと思う?」
「速そう!」
「当日見てのお楽しみー」
 次第に他の生徒たちもわらわらと集まってきた。年が近いせいか性格なのか、何だかんだで生徒扱いがうまい人ではある。
「ねえねえ先生、教師チームの他のメンバーは?」
「えっとね、大石先生と佐藤先生でしょ、それから星野先生……あと三井先生だったかな」
 大石と佐藤は体育教師、星野は野球部顧問だし三井はバスケ部顧問だ。他のメンツは体育関係で、やっぱり守谷は華担当、らしい。
「それって顔じゃん」
 誰かが言った。
「磯部先生、今年はイケメン揃えて来たんじゃね?」
「せんせえ僕もイケメンになりたいでーす」
「ちょっとあんた! それ本気で言ってる!?」
 ふざけた調子で男子生徒が言うと、守谷が急に真顔になった。
「はあい、みんな注目」
 それは突如として始まった。
 守谷はくるりと身を翻すと黒板に何か書き始める。
 「イ」から始まる。
 ひとつずつあらわれていく文字を追っていくと、『イケメンの条件』と並んだ。まぁあたしはイケメンと言うより美人ですけどねと言いながら指先の粉を優雅にはらう。
「イケメンの条件。これ何だと思いますか?」
 休み時間中だというのに、一瞬でほぼ全員の視線を教壇に集めた。
「顔だと思う」「スタイルっしょ」「骨格じゃない?」
 と、それっぽい答えが飛んでくる。
「はい全部違います。答えは姿勢。し・せ・い」
 姿勢、と黒板に文字が追加される。
 姿勢ですかぁ?という意外そうな声がして、でもこれから何を言い出すのだろうという期待が生徒たちの間に漲っている。
「例えばね、顔100点でも背中から見て猫背だったらちょっと冷めない? なんか残念じゃない?」
 それな、と南緒が盛大に同意した。
「と、言うことはですよ。姿勢って配点高いわけ」
 確かに。言われればその通りだと思う。
「でもね、美しい姿勢を保つのって楽じゃないんだわこれが。みんなも背筋曲がってるよ? 気付いてる?」
 生徒たちは慌てて姿勢を正した。
「美しい姿勢って、痩せて筋肉が少なくても太って体が重くても保てないの。だからまずバランスのいい体でいる必要があるわけです」
 バランス、と誰かがメモをとりながら呟いた。
「バランスのいい体でいるためには、バランスの取れた生活をしてバランスの取れた精神でいること。精神と生活の歪みは確実に肉体に出ます。いいかな? これテストに出るからねー」
 筆洗バケツに滴る水の音がぴちゃんと響く。皆真剣に聞きすぎていて笑うのも忘れている。
「ほらほら、一時的に背筋伸ばしても30秒でダレるんだわ。美しい姿勢を|保ち続ける《・・・・・》っていうのがこれまた大変なんです」
 そう言われて皆、ダレてきていた姿勢を慌てて引き締める。いつの間にか盟子もすっかり引き込まれていた。
「じゃあどうしたら美しい姿勢を保ち続けられるか」
 姿勢、という文字をばあんと叩くと黒板がふるふると震えた。泣き黒子の目元が妖しく細められる。
「それは見られているという意識を持つこと。自分がどう見られているか、どう見えているか、美しく見えているか」
 皆、ごくりと息を呑む。
「勘違いしないでね、ナルシストって意味じゃないの。自分を顧みる視点を常に持とうねってこと。これは顔の造りに関係なく誰でもできるよね?」
 チョークの付いた指先を、守谷はハンカチで優雅にふき取った。
「……以上のことに注意すれば、存在そのものがイケメンになれます。オレどうせイケメンじゃねーしとか思ってるそこのあなた! その精神が不細工だっつーのよ! いい? ちなみに……」
 守谷は茶目っ気たっぷりに微笑んだ。
「あたし顔で選ばれたんじゃないから。足速いもーん! あ、やべ言っちゃった」
 そこへ折よく4時間目の始業ベルが鳴った。
「はーい席つくー」
 教卓の周りに集まっていた女子たちが席に戻っていく。特別講座が終わって、美術の授業が再開する。
 やっぱりそうだった、と盟子は密かに確信していた。
 歪みなく美しい姿勢。高潔な所作。
 息をするようにそれをやってのけるのが、どれほど精神力を要するか。始業式の一礼にあんなにも惹きつけられたのは、ちゃんとそれに気づけていたんだ、私。
 地に落ちていた自分への評価がほんの少し回復した、かもしれない。
「……あ、」
 盟子は曲がりそうになってきた背筋を慌てて伸ばした。
 せめて姿勢だけでもそうありたい、と願って。