【3】
ー/ー
「一彦。あたし海に行きたい」
なんの接触もないまま一週間が過ぎ、突然「会いたい」とメールが来た。約束して大学で向き合った俺に、美知が真剣な表情でそれだけ口にする。
理由を聞ける雰囲気じゃなかった。今はとにかく、彼女の希望通りにする以外、俺にできることはない。
「……わかった。どこ──」
「泳ぐんじゃないから浅野浜行こう。近いし」
「それでいいのか?」
「うん」
真夏でも遊泳場にはならない、小さな海岸。
せいぜい地域の人たちを集めた『イベント』で、前もって貝を埋めた潮干狩りをする程度の場所だ。
電車を乗り継いで、大学からは一時間程度。
ちょっとした風変わりなデートの一環で、季節はずれに何度か海を眺めに来たことはあった。
あの頃は、こんな気分で訪ねる日が来るなんて思い浮かべたこともなかったな。
有名な観光地でもなく、地元民の穴場のデートスポットですらない寂れた海辺には、八月も終わろうかという時期には人影も見当たらなかった。
「これ見てて」
俺に顔を向けることさえせずに、道路から石段を下りてすぐの乾いた砂地に無雑作に荷物を置く美知。
キャンバス地の黒いトートバッグだ。普段彼女が持っているものとはまったく違う。汚れてもいいように選んだのか。
そのまま一人海に向かって進み、美知は波の届かない砂浜でサンダルを脱いだ。それらを両手に持って、波打ち際を裸足で歩く、確かに恋人だった女。
物理的な距離はさほどでもなかった。そもそもそんなに広い浜ではない。
けど俺は、彼女をすごく遠くに感じた。濡れた砂に刻まれた足跡も、それが波にさらわれて消えるさまも、すべてはっきり見えたのに。
もう以前の二人じゃない。この心の距離で思い知らされた。
あの浜辺で、俺と美知の恋は完全に終わったんだ。
◇ ◇ ◇
「これでホントにさよならだね。もう会うこともないかなぁ」
卒業式の後、ごく普通に呼び止められて告げられた別れだった。恋人としてではなく、大学の仲間としての。
「うん、そうだな。会う必要もないだろ?」
「必要。必要、か。──そうね、じゃあ元気で」
俺の言葉に、美知は一瞬皮肉っぽく唇を歪ませる
でもすぐにその表情は掻き消えて、彼女は見慣れた明るい笑顔で片手を上げた。
俺は家を離れてこの大学に来て寮生活を送っていた。四年過ごして馴染んだ土地。
たぶんもう、余程のことがない限り来ることもない。単なる「学び舎のあったところ」になるんだろう。
美知も地元出身ではなく、大学近くのワンルームマンションで暮らしてた。余所者同士、気が合ったってのもあったのかな、と今更のように思う。
いや別に排他的な土地柄でもないし、そもそも遠方からの学生も多かったから関係ないか。
出身地とも大学のある街とも違う都会の私立高校に、俺は数学教諭の職を得た。
美知の進路は、結構な大企業に就職するらしいくらいで具体的には知らされていなかった。
学部も違うし、もうただの「縁の薄い友人・知人」程度でしかないんだからな。
別れた後も、俺たちは大学で会えばごく普通に挨拶して、たまには喋ったりしていた。
だけど恋人同士じゃなくなったら友達に戻るだなんて、そんなこと本当にできるんだろうか。
現実に、俺は全然『自然』じゃなかった。それこそプログラムかもしれない。「友人として」の言動を無意識に探りながら彼女に対応してた。
向こうは、……どうだったのか俺にはわからない。
結局、俺は美知のことなんて少しも見えてなかったのかもな。
二年付き合って、数えきれないくらい抱き合ってても。
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理由を聞ける雰囲気じゃなかった。今はとにかく、彼女の希望通りにする以外、俺にできることはない。
「……わかった。どこ──」
「泳ぐんじゃないから浅野浜行こう。近いし」
「それでいいのか?」
「うん」
真夏でも遊泳場にはならない、小さな海岸。
せいぜい地域の人たちを集めた『イベント』で、前もって貝を埋めた潮干狩りをする程度の場所だ。
電車を乗り継いで、大学からは一時間程度。
ちょっとした風変わりなデートの一環で、季節はずれに何度か海を眺めに来たことはあった。
あの頃は、こんな気分で訪ねる日が来るなんて思い浮かべたこともなかったな。
有名な観光地でもなく、地元民の穴場のデートスポットですらない寂れた海辺には、八月も終わろうかという時期には人影も見当たらなかった。
「これ見てて」
俺に顔を向けることさえせずに、道路から石段を下りてすぐの乾いた砂地に無雑作に荷物を置く美知。
キャンバス地の黒いトートバッグだ。普段彼女が持っているものとはまったく違う。汚れてもいいように選んだのか。
そのまま一人海に向かって進み、美知は波の届かない砂浜でサンダルを脱いだ。それらを両手に持って、波打ち際を裸足で歩く、確かに恋人《《だった》》女。
物理的な距離はさほどでもなかった。そもそもそんなに広い浜ではない。
けど俺は、彼女をすごく遠くに感じた。濡れた砂に刻まれた足跡も、それが波にさらわれて消えるさまも、すべてはっきり見えたのに。
もう以前の二人じゃない。この心の距離で思い知らされた。
あの浜辺で、俺と美知の恋は完全に終わったんだ。
◇ ◇ ◇
「これでホントにさよならだね。もう会うこともないかなぁ」
卒業式の後、ごく普通に呼び止められて告げられた別れだった。恋人としてではなく、大学の仲間としての。
「うん、そうだな。会う必要もないだろ?」
「必要。必要、か。──そうね、じゃあ元気で」
俺の言葉に、美知は一瞬皮肉っぽく唇を歪ませる
でもすぐにその表情は掻き消えて、彼女は見慣れた明るい笑顔で片手を上げた。
俺は家を離れてこの大学に来て寮生活を送っていた。四年過ごして馴染んだ土地。
たぶんもう、余程のことがない限り来ることもない。単なる「学び舎のあったところ」になるんだろう。
美知も地元出身ではなく、大学近くのワンルームマンションで暮らしてた。余所者同士、気が合ったってのもあったのかな、と今更のように思う。
いや別に排他的な土地柄でもないし、そもそも遠方からの学生も多かったから関係ないか。
出身地とも大学のある街とも違う都会の私立高校に、俺は数学教諭の職を得た。
美知の進路は、結構な大企業に就職するらしいくらいで具体的には知らされていなかった。
学部も違うし、もうただの「縁の薄い友人・知人」程度でしかないんだからな。
別れた後も、俺たちは大学で会えばごく普通に挨拶して、たまには喋ったりしていた。
だけど恋人同士じゃなくなったら友達に戻るだなんて、そんなこと本当にできるんだろうか。
現実に、俺は全然『自然』じゃなかった。それこそプログラムかもしれない。「友人として」の言動を無意識に探りながら彼女に対応してた。
向こうは、……どうだったのか俺にはわからない。
結局、俺は美知のことなんて少しも見えてなかったのかもな。
二年付き合って、数えきれないくらい抱き合ってても。