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【2】

ー/ー



「美知、どうしてる? 俺、最初の予定よりちょっと早めに寮帰るから海行こうか? 行きたがってただろ?」
 八月半ばに俺が実家から掛けた電話に、彼女は冷たく答えた。

『別にもういいって言ったでしょ。海は澤木(さわき)くんと行ったの。それに、今から行っても泳げないのに意味ある?』
「……え、え、何、──澤木?」
 美知の言葉の意味がわからなかった。
 いや、本当はわかっている。ただ、理解することを脳が拒否しただけだ。

 澤木は英文学科での美知の同級生だ。
 よく一緒に遊んでいたのは知っていた。ただ、彼との仲を気にしたことはなかったんだ。
 美知は奔放な部分はあっても、そういう「裏切り」はしないと信じていた。そして今までは確実にそうだった、と思っている。

 ──今までは。いや、きっと今も。きっと……?

「そんなに海行きたかったのか? 俺と一緒じゃなくても!?」
『ホントにわかんないの? あたしは海なんか別にどうだっていいのよ!』
 怒りよりも困惑で、つい責めるような言い方になってしまう。けれど彼女の返答はさらに俺を動揺させたんだ。

「じゃあどうして……」
『これ以上話しても無意味だから。どうせ一彦には通じないよ。今だって大したことだと思ってないでしょ?』
「いや、なんでそんな決めつけ──」
 焦った俺の言葉は途中で遮られる。

『だってこれが帰省してから初めての連絡だよね。電話もできなかった? あたしから送らなかったらメールの一つさえ打とうとも思わないんだ。さぞ忙しかったんでしょうね!』
 荒々しく言い放ち、彼女は俺の返事を確かめることもなく通話を切った。

 たった二週間かそこら、いちいち連絡取らなくたって俺たちなら平気だろ。心のどこかでそう考えていた。

 俺は美知に甘えてたのかもしれない。すぐに向こうへ引き返した方が良さそうだ、とようやく危機感が芽生えた。

 ──なるべく早く、ちゃんと顔見て話さないと。

 その二日後に大学の寮に戻った俺は、美知を捕まえて話し合おうとした。
 彼女と澤木が何をしたのか、しなかったのか。そんなことはもう本題じゃない。まったく気にならないと言えば嘘になるけどな。

「美知、海行きたかったんじゃないのか? それがどうでもいいって、……だったらいったい何なんだ?」
 一人暮らしの部屋へ行くことを拒まれ、大学のカフェテリアで隣り合って座る。話の途中での俺の質問に彼女は答えなかった。

「ねえ、一彦。あのときのあなた、あたしの希望聞く気なんて最初からなかったよね。口では『悪い』なんて言ってても、自分の決めたこと変えるつもりなんか全然ない。違った?」
 投げやりな口調で問い返される。

「そ、……」
 その通り、だ。
 俺は彼女に一方的に予定を通告しただけだった。
 自分の計画を滞りなく遂行する。それ以外の選択肢なんかなかった。

「海に行けないのが我慢できなかったんじゃない。一彦のそういうところが、あたしはもう無理だと思ったのよ」
「俺は全部お前に合わせなきゃならないのか?」
 思わず口にした俺に、彼女は苛立ちを露わにした。

「だから! あんた何にもわかってないのね! 人間は、数字と記号でキッチリ答えが出る数学の問題とは違うのよ。……ああ、一彦がやってる『数学』は、あたしの知ってる高校までのとは別物だってのは今はやめて」
 美知の台詞に俺は言葉が出なかった。彼女に止められたそのまま口にしそうになってたからだ。
 たぶん普段から無意識のうちに繰り返してただろうことに、今更気づく。

 決して侮る意図なんかなかった。
 単に専門の差でしかない。数学科の俺には、美知たちが原書で読んでる英文学なんて難し過ぎて表紙の題字さえ理解できないんだから。

「そもそも一彦があたしに合わせてくれたことなんてあった? ううん、合わせて欲しかったわけじゃないわ。あたしも好きにしてたし。──だけど疲れた」
「……俺はどうすればよかったんだ?」
 混乱した頭で尋ねた俺に、彼女はやっぱり冷ややかだった。

「訊いてどうするの? 機械みたいに、あたしの言う事プログラムして次からはその通りにするの? ──もうたくさんよ」

 最後にカップに残ったコーヒーを一気に飲み干すと、美知は黙って席を立って去って行った。



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「美知、どうしてる? 俺、最初の予定よりちょっと早めに寮帰るから海行こうか? 行きたがってただろ?」
 八月半ばに俺が実家から掛けた電話に、彼女は冷たく答えた。
『別にもういいって言ったでしょ。海は|澤木《さわき》くんと行ったの。それに、今から行っても泳げないのに意味ある?』
「……え、え、何、──澤木?」
 美知の言葉の意味がわからなかった。
 いや、本当はわかっている。ただ、理解することを脳が拒否しただけだ。
 澤木は英文学科での美知の同級生だ。
 よく一緒に遊んでいたのは知っていた。ただ、彼との仲を気にしたことはなかったんだ。
 美知は奔放な部分はあっても、そういう「裏切り」はしないと信じていた。そして今までは確実にそうだった、と思っている。
 ──今までは。いや、きっと今も。きっと……?
「そんなに海行きたかったのか? 俺と一緒じゃなくても!?」
『ホントにわかんないの? あたしは海なんか別にどうだっていいのよ!』
 怒りよりも困惑で、つい責めるような言い方になってしまう。けれど彼女の返答はさらに俺を動揺させたんだ。
「じゃあどうして……」
『これ以上話しても無意味だから。どうせ一彦には通じないよ。今だって大したことだと思ってないでしょ?』
「いや、なんでそんな決めつけ──」
 焦った俺の言葉は途中で遮られる。
『だってこれが帰省してから初めての連絡だよね。電話もできなかった? あたしから送らなかったらメールの一つさえ打とうとも思わないんだ。さぞ忙しかったんでしょうね!』
 荒々しく言い放ち、彼女は俺の返事を確かめることもなく通話を切った。
 たった二週間かそこら、いちいち連絡取らなくたって俺たちなら平気だろ。心のどこかでそう考えていた。
 俺は美知に甘えてたのかもしれない。すぐに向こうへ引き返した方が良さそうだ、とようやく危機感が芽生えた。
 ──なるべく早く、ちゃんと顔見て話さないと。
 その二日後に大学の寮に戻った俺は、美知を捕まえて話し合おうとした。
 彼女と澤木が何をしたのか、しなかったのか。そんなことはもう本題じゃない。まったく気にならないと言えば嘘になるけどな。
「美知、海行きたかったんじゃないのか? それがどうでもいいって、……だったらいったい何なんだ?」
 一人暮らしの部屋へ行くことを拒まれ、大学のカフェテリアで隣り合って座る。話の途中での俺の質問に彼女は答えなかった。
「ねえ、一彦。あのときのあなた、あたしの希望聞く気なんて最初からなかったよね。口では『悪い』なんて言ってても、自分の決めたこと変えるつもりなんか全然ない。違った?」
 投げやりな口調で問い返される。
「そ、……」
 その通り、だ。
 俺は彼女に一方的に予定を通告しただけだった。
 自分の計画を滞りなく遂行する。それ以外の選択肢なんかなかった。
「海に行けないのが我慢できなかったんじゃない。一彦のそういうところが、あたしはもう無理だと思ったのよ」
「俺は全部お前に合わせなきゃならないのか?」
 思わず口にした俺に、彼女は苛立ちを露わにした。
「だから! あんた何にもわかってないのね! 人間は、数字と記号でキッチリ答えが出る数学の問題とは違うのよ。……ああ、一彦がやってる『数学』は、あたしの知ってる高校までのとは別物だってのは今はやめて」
 美知の台詞に俺は言葉が出なかった。彼女に止められたそのまま口にしそうになってたからだ。
 たぶん普段から無意識のうちに繰り返してただろうことに、今更気づく。
 決して侮る意図なんかなかった。
 単に専門の差でしかない。数学科の俺には、美知たちが原書で読んでる英文学なんて難し過ぎて表紙の題字さえ理解できないんだから。
「そもそも一彦があたしに合わせてくれたことなんてあった? ううん、合わせて欲しかったわけじゃないわ。あたしも好きにしてたし。──だけど疲れた」
「……俺はどうすればよかったんだ?」
 混乱した頭で尋ねた俺に、彼女はやっぱり冷ややかだった。
「訊いてどうするの? 機械みたいに、あたしの言う事プログラムして次からはその通りにするの? ──もうたくさんよ」
 最後にカップに残ったコーヒーを一気に飲み干すと、美知は黙って席を立って去って行った。