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【1】

ー/ー



 愛犬が天寿を全うして遠い国へと旅立った。

 十三年間、家族として暮らしてきた柴犬のマロン。
 少なくとも俺たちの目に映った限りでは、苦しまず眠るように逝けたのだけが救いなのか?

「お兄ちゃん、もうさぁ……、あんまりグズグズしてたらマロンも安心して成仏できないじゃん」
「うるせえ! お前に何がわかるんだよ!」

 マロンが元気だったころの写真をスマホに呼び出して沈んでいた俺は、気遣わし気な妹に勢い任せに怒鳴る。
 反撃するかのように、向こうも声を荒げた。

「わかるに決まってるでしょ! あたしにとってもマロンは家族だったんだから!」
 気丈な妹の瞳が潤んでいるのを見てしまって、俺は自分の失言を悟る。

 マロンが家に来たのは俺が小二の時だった。
 二つしか違わない真世(まよ)がマロンと過ごした年月は、俺とまったく同じなんだ。

「……ゴメン。俺が悪かった」
 殊勝に謝る俺に、真世がふっと身体の力を抜いたのがわかる。

「いいよ。ショックで錯乱したんだと思って許してあげる。──でもさ、あたしもお父さんお母さんも、みんなマロンが居なくなって辛いんだよ。自分だけが不幸だと思わないで」
 淡々と、しかしきつい台詞を投げつけられた俺には返す言葉もなかった。

 何より、俺と真世が争うことをマロンが喜ぶわけがない。
 幼い俺たちがくだらないことで喧嘩してた部屋の隅で、耳を心持ち寝かせるようにして哀しそうにも見えたマロン。

 今はもうこの世にいない愛しい存在の、つぶらな優しい眼差しを思い出す。


    ◇  ◇  ◇
 大学から帰って来た俺の視界に飛び込んできたのは、玄関前の何やら白くて丸いもの。

 近づいて確かめたら真っ白な仔猫だった。俺を見上げたその青い目が、吸い込まれそうなほど綺麗だ。

「ただいま~。お母さん、猫がいる! 知ってた?」
 今日はお母さんいる日だっけ? どっちにしても真世はいるか。

「おかえり、到真(とうま)。……猫って何のこと?」
 解錠してドアを開けて呼び掛けた俺に、在宅してたらしい母親が奥から出て来て首を傾げている。

「ほら、コイツ!」
 同じ場所にちょこんと座ったままだった仔猫をひょいと持ち上げて、お母さんの目の前に突き出した。

「猫! やだぁ、可愛いじゃない」
 嬉々として差し伸べて来た両手に、俺はそっと仔猫を渡す。

 マロンがいなくなって数か月が経ち、表面上は何も変わらないくらいには平常に戻った。
 だけど、何かが足りない。埋められない隙間があちこちにあるんだ。

 それでも、家族の誰ひとりとして「新しく犬を飼おう」と言い出したりしなかった。

 まだ、早い。
 家のそこかしこに、マロンの残像がチラつく気がする。餌と水の容器も洗いはしたものの、結局片付けられずに勝手口の上がり(かまち)の端に置いたままだ。以前の、長年の、習慣の場所に。

 ……逆の発想で、それを上書きするために違う犬を、って考えもあるのかもしれないけどさ。

 久しぶりに感じる、ふわふわの温かい生き物の感触。たぶんお母さんも同じように感じてるのが表情から伝わって来た。

「真世ちゃん! 真世、聞こえてる!? ちょっと来て、早く!」
 仔猫を抱えたまま、大きな声で妹を呼ぶお母さん。

「ん~? 何よ、お母さ、──猫!? どしたの、いったい!」
 二階の妹の部屋のドアが開く音がした。だるそうな返事と共に階段を降りて来た真世が、仔猫を認めた途端目を輝かせて最後の数段を駆け下りる。

 現金だな。いや、無理ないか。

「ねー、この猫ちゃん飼お! きっとうちを選んで来たんだよ。だってわざわざ門開けてまで、余所んちに捨てて行くような人いないでしょー?」
 お母さんから受け取った仔猫を抱きながら、見つけたときの事情を聞いた真世が俺たちを交互に見て興奮したように捲し立てた。

 実際には、とても長距離を移動できるとは思えない赤ちゃん猫だよ。
 おそらくすぐ近所、……下手したら我が家の真ん前に捨てられたんじゃないかな。たまたま門の下を潜り抜けて玄関ポーチまで辿り着いた、ってのが現実的な落としどころだとは思う。
 思う、んだけど。

 ただ、今それを口にする気はなかった。正論を押し通すのが常に正しいとは限らないんだよな。
 真世の言うとおり、「この猫はうちを選んで来たんだ」って歓迎する方がみんなハッピーなのは間違いないんだから。
 家族に猫嫌いは一人もいないし、つか全員すげー動物好きなんだよなぁ。

 その場の三人で出した結論を、夜になって帰宅した父親もすんなり承諾した。というか、俺たちの話なんかそっちのけで仔猫に興味津々だった……。

 そういうわけで、白い毛並みに宝石みたいな青い瞳の美しい仔猫は我が家の一員に相成ったわけだ。



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 十三年間、家族として暮らしてきた柴犬のマロン。
 少なくとも俺たちの目に映った限りでは、苦しまず眠るように逝けたのだけが救いなのか?
「お兄ちゃん、もうさぁ……、あんまりグズグズしてたらマロンも安心して成仏できないじゃん」
「うるせえ! お前に何がわかるんだよ!」
 マロンが元気だったころの写真をスマホに呼び出して沈んでいた俺は、気遣わし気な妹に勢い任せに怒鳴る。
 反撃するかのように、向こうも声を荒げた。
「わかるに決まってるでしょ! あたしにとってもマロンは家族だったんだから!」
 気丈な妹の瞳が潤んでいるのを見てしまって、俺は自分の失言を悟る。
 マロンが家に来たのは俺が小二の時だった。
 二つしか違わない|真世《まよ》がマロンと過ごした年月は、俺とまったく同じなんだ。
「……ゴメン。俺が悪かった」
 殊勝に謝る俺に、真世がふっと身体の力を抜いたのがわかる。
「いいよ。ショックで錯乱したんだと思って許してあげる。──でもさ、あたしもお父さんお母さんも、みんなマロンが居なくなって辛いんだよ。自分だけが不幸だと思わないで」
 淡々と、しかしきつい台詞を投げつけられた俺には返す言葉もなかった。
 何より、俺と真世が争うことをマロンが喜ぶわけがない。
 幼い俺たちがくだらないことで喧嘩してた部屋の隅で、耳を心持ち寝かせるようにして哀しそうにも見えたマロン。
 今はもうこの世にいない愛しい存在の、つぶらな優しい眼差しを思い出す。
    ◇  ◇  ◇
 大学から帰って来た俺の視界に飛び込んできたのは、玄関前の何やら白くて丸いもの。
 近づいて確かめたら真っ白な仔猫だった。俺を見上げたその青い目が、吸い込まれそうなほど綺麗だ。
「ただいま~。お母さん、猫がいる! 知ってた?」
 今日はお母さんいる日だっけ? どっちにしても真世はいるか。
「おかえり、|到真《とうま》。……猫って何のこと?」
 解錠してドアを開けて呼び掛けた俺に、在宅してたらしい母親が奥から出て来て首を傾げている。
「ほら、コイツ!」
 同じ場所にちょこんと座ったままだった仔猫をひょいと持ち上げて、お母さんの目の前に突き出した。
「猫! やだぁ、可愛いじゃない」
 嬉々として差し伸べて来た両手に、俺はそっと仔猫を渡す。
 マロンがいなくなって数か月が経ち、表面上は何も変わらないくらいには平常に戻った。
 だけど、何かが足りない。埋められない隙間があちこちにあるんだ。
 それでも、家族の誰ひとりとして「新しく犬を飼おう」と言い出したりしなかった。
 まだ、早い。
 家のそこかしこに、マロンの残像がチラつく気がする。餌と水の容器も洗いはしたものの、結局片付けられずに勝手口の上がり|框《かまち》の端に置いたままだ。以前の、長年の、習慣の場所に。
 ……逆の発想で、それを上書きするために違う犬を、って考えもあるのかもしれないけどさ。
 久しぶりに感じる、ふわふわの温かい生き物の感触。たぶんお母さんも同じように感じてるのが表情から伝わって来た。
「真世ちゃん! 真世、聞こえてる!? ちょっと来て、早く!」
 仔猫を抱えたまま、大きな声で妹を呼ぶお母さん。
「ん~? 何よ、お母さ、──猫!? どしたの、いったい!」
 二階の妹の部屋のドアが開く音がした。だるそうな返事と共に階段を降りて来た真世が、仔猫を認めた途端目を輝かせて最後の数段を駆け下りる。
 現金だな。いや、無理ないか。
「ねー、この猫ちゃん飼お! きっとうちを選んで来たんだよ。だってわざわざ門開けてまで、余所んちに捨てて行くような人いないでしょー?」
 お母さんから受け取った仔猫を抱きながら、見つけたときの事情を聞いた真世が俺たちを交互に見て興奮したように捲し立てた。
 実際には、とても長距離を移動できるとは思えない赤ちゃん猫だよ。
 おそらくすぐ近所、……下手したら我が家の真ん前に捨てられたんじゃないかな。たまたま門の下を潜り抜けて玄関ポーチまで辿り着いた、ってのが現実的な落としどころだとは思う。
 思う、んだけど。
 ただ、今それを口にする気はなかった。正論を押し通すのが常に正しいとは限らないんだよな。
 真世の言うとおり、「この猫はうちを選んで来たんだ」って歓迎する方がみんなハッピーなのは間違いないんだから。
 家族に猫嫌いは一人もいないし、つか全員すげー動物好きなんだよなぁ。
 その場の三人で出した結論を、夜になって帰宅した父親もすんなり承諾した。というか、俺たちの話なんかそっちのけで仔猫に興味津々だった……。
 そういうわけで、白い毛並みに宝石みたいな青い瞳の美しい仔猫は我が家の一員に相成ったわけだ。