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1000年の邂逅

ー/ー



「ったく、学校の先生って気が抜けないんだわぁ」
 合計7点の絵画作品をホールの壁に展示し終えて、コーヒーを啜りながら赤いパーカーのお兄さんがぼやいている。

「いやぁ、玲くんが梅ちゃんの先生やってるとはねー」
 ほとんど取り付けも終わった後にしれっと戻ってきた朋さんが愉快そうに笑った。
「まったく、玲さんなら玲さんって先に言っといてくださいよ! 無駄に気を使ったじゃないですか!」
 花が怒っている。既に守谷とは知り合いらしい。
「ごめんごめん」
「何それあたしには気使わないってこと?」
「当たり前でしょ」
 聞けば朋さんの甥っ子が美大で守谷と同期なのだとか。二人は予備校時代からの友達で、その繋がりでこれまでも何度かここで作品を展示しているらしい。

「で、守谷先生はこの上(・・・)に住んでいるんですか……?」
 盟子が恐る恐る尋ねると守谷はひどく不機嫌そうに眉間にしわをよせた。
「はぁぁ? モリヤって誰それ、あたし知りませんけど」
 授業ちゃんと聞いてたの?と睨まれて、玲峰先生(・・・・)と慌てて言い直す。そういえば今年度初の美術の授業で、玲峰先生と呼ばなきゃ返事はしないと断言していたのだった。

「まぁ何て言うか、住んでるっちゃ住んでるよね」
「僕が勧めたの。よかったらうちの2階アトリエにでもどう?って」
 この風雅堂カフェの上の部屋を、守谷が間借りしているそうだ。
 2階なら盟子も何度か入ったことがある。事務室の奥の階段から上がるか、外の階段からも行ける。そこそこ広さはあるのに中途半端な物置になっているデッドスペースだった。
 つまり画家が搬入に来ると言っても守谷が2階から絵を降ろすだけのことなので、朋さんは盟子と花に適当に任せて出かけたということらしい。
 そしてバイト先の上に守谷が住んでいたなんて、盟子は4月から全然気づかなかった。

「梅ちゃんよかったねー、先生が上に住んでるなんて楽しそう」
 朋さんと花がざっくり無責任にまとめようとするけれど、はっきり言って良くも楽しくも全然ない。
 風雅堂カフェはお気に入りの職場で大切な居場所。その上に学校の先生、しかも特殊な人が住んでいるなんてやりづらい以外の何物でもない。うっかり顔を合わせるだけで面倒だし気まずいし、それは向こうも同じに決まってる。

「だけど玲くんもさ、そろそろ実家に戻って親御さん安心させてあげたらいいのに」
 すっかり寛いだ朋さんが、急にぽろりとそんなことをこぼした。
「その後どうなの? 仲直りはしたの? まだ帰れないわけ?」
 しかし、何らかの込み入った事情らしいその話題が出たとたん、優雅な仕草でコーヒーカップを傾けていた守谷が激しく咽込んだ。
「ちょ朋さんそれ! やめてよ!」
 生徒の前なんだから!と。
 いつも余裕100%の守谷が、らしくなくこんなふうに慌てているのを見るのは始めてかもしれない。そして今の朋さんの発言から逆説的に、どうやら親とは仲直りが必要な状態で気安く実家には戻れないらしいことが知れてしまった。

——親と喧嘩でもしてるのかな……?

 先生だと思うと特別なフィルターがかかる。
 けれど今目の前にいるのは、渋谷や表参道にいそうな普通のお兄さんでしかなくて、そんなふうに親と喧嘩したり反発したりということがあるのかと思うと不思議だ。

 残りの掃除を終えると、盟子はホールに飾られた作品のひとつの前に立った。
 美大に行ってまで描きたい熱意は確実にないけれど、芸術鑑賞なら胸を張って趣味だとも好きだとも言える。

 なんだろう、妙にドキドキする。
 作品というのは内に抱えているもの表現形だ。だとすると、ここに描かれたものはそこの原色お兄さんの内面ということになる。メイクや洋服、肉体すらもはぎ取った奥にあるその人の心。

——風景画、と言うのだろうか、これは。

 どこか高い場所から都会の景色を望むアングル。
 眼下に広がるのは、あらゆるものを呑み込むスクラップアンドビルドの街並み。ビルの屋上を這いまわる排気ダクトや空調設備はとても近未来的なのに、宇宙の色に近づいていく空がノスタルジックで切なくて胸に沁みる。夕暮れ時、なのかもしれない。
 そしてたった今降り立ったのか、あるいは今から飛び立つのかわからない頭のもげた有翼の像が、何かの指標のようにビルのてっぺんに佇んでいる。

「1000年の邂逅」
 それがこの絵のタイトルだ。
 
 もっとどっかーんとした原色ダイナミックな絵を描きそうなものだけれど、色味はどちらかというと淡く、街並みや建物の描き込みも細かい。

 自由と、希望と、一抹の寂しさ。
 そんなものを感じる。
 居場所を探して、ここじゃないどこかを夢見て、どこかにたどり着きたくて。

「玲峰先生、これ……」
「ああ、よく言われるの。100号くらいのデカいやつ描きそうとか、ポロックみたいなアクションペインティングやってそうとか。でも今回はね、喫茶店に合いそうな絵を持ってきたの。ほらこういうお店って雰囲気が大事じゃない? 画材はアクリルね」
 ばつが悪いのか、何かを訊かれる前に守谷は一気にまくし立てた。
「画材じゃなくて、あの……」

 先生にこの絵を描かせたものは何ですか。

 本当はそう、訊いてみたかった。




次のエピソードへ進む 置き去りの心


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「ったく、学校の先生って気が抜けないんだわぁ」
 合計7点の絵画作品をホールの壁に展示し終えて、コーヒーを啜りながら赤いパーカーのお兄さんがぼやいている。
「いやぁ、玲くんが梅ちゃんの先生やってるとはねー」
 ほとんど取り付けも終わった後にしれっと戻ってきた朋さんが愉快そうに笑った。
「まったく、玲さんなら玲さんって先に言っといてくださいよ! 無駄に気を使ったじゃないですか!」
 花が怒っている。既に守谷とは知り合いらしい。
「ごめんごめん」
「何それあたしには気使わないってこと?」
「当たり前でしょ」
 聞けば朋さんの甥っ子が美大で守谷と同期なのだとか。二人は予備校時代からの友達で、その繋がりでこれまでも何度かここで作品を展示しているらしい。
「で、守谷先生は|この上《・・・》に住んでいるんですか……?」
 盟子が恐る恐る尋ねると守谷はひどく不機嫌そうに眉間にしわをよせた。
「はぁぁ? モリヤって誰それ、あたし知りませんけど」
 授業ちゃんと聞いてたの?と睨まれて、|玲峰先生《・・・・》と慌てて言い直す。そういえば今年度初の美術の授業で、玲峰先生と呼ばなきゃ返事はしないと断言していたのだった。
「まぁ何て言うか、住んでるっちゃ住んでるよね」
「僕が勧めたの。よかったらうちの2階アトリエにでもどう?って」
 この風雅堂カフェの上の部屋を、守谷が間借りしているそうだ。
 2階なら盟子も何度か入ったことがある。事務室の奥の階段から上がるか、外の階段からも行ける。そこそこ広さはあるのに中途半端な物置になっているデッドスペースだった。
 つまり画家が搬入に来ると言っても守谷が2階から絵を降ろすだけのことなので、朋さんは盟子と花に適当に任せて出かけたということらしい。
 そしてバイト先の上に守谷が住んでいたなんて、盟子は4月から全然気づかなかった。
「梅ちゃんよかったねー、先生が上に住んでるなんて楽しそう」
 朋さんと花がざっくり無責任にまとめようとするけれど、はっきり言って良くも楽しくも全然ない。
 風雅堂カフェはお気に入りの職場で大切な居場所。その上に学校の先生、しかも特殊な人が住んでいるなんてやりづらい以外の何物でもない。うっかり顔を合わせるだけで面倒だし気まずいし、それは向こうも同じに決まってる。
「だけど玲くんもさ、そろそろ実家に戻って親御さん安心させてあげたらいいのに」
 すっかり寛いだ朋さんが、急にぽろりとそんなことをこぼした。
「その後どうなの? 仲直りはしたの? まだ帰れないわけ?」
 しかし、何らかの込み入った事情らしいその話題が出たとたん、優雅な仕草でコーヒーカップを傾けていた守谷が激しく咽込んだ。
「ちょ朋さんそれ! やめてよ!」
 生徒の前なんだから!と。
 いつも余裕100%の守谷が、らしくなくこんなふうに慌てているのを見るのは始めてかもしれない。そして今の朋さんの発言から逆説的に、どうやら親とは仲直りが必要な状態で気安く実家には戻れないらしいことが知れてしまった。
——親と喧嘩でもしてるのかな……?
 先生だと思うと特別なフィルターがかかる。
 けれど今目の前にいるのは、渋谷や表参道にいそうな普通のお兄さんでしかなくて、そんなふうに親と喧嘩したり反発したりということがあるのかと思うと不思議だ。
 残りの掃除を終えると、盟子はホールに飾られた作品のひとつの前に立った。
 美大に行ってまで描きたい熱意は確実にないけれど、芸術鑑賞なら胸を張って趣味だとも好きだとも言える。
 なんだろう、妙にドキドキする。
 作品というのは内に抱えているもの表現形だ。だとすると、ここに描かれたものはそこの原色お兄さんの内面ということになる。メイクや洋服、肉体すらもはぎ取った奥にあるその人の心。
——風景画、と言うのだろうか、これは。
 どこか高い場所から都会の景色を望むアングル。
 眼下に広がるのは、あらゆるものを呑み込むスクラップアンドビルドの街並み。ビルの屋上を這いまわる排気ダクトや空調設備はとても近未来的なのに、宇宙の色に近づいていく空がノスタルジックで切なくて胸に沁みる。夕暮れ時、なのかもしれない。
 そしてたった今降り立ったのか、あるいは今から飛び立つのかわからない頭のもげた有翼の像が、何かの指標のようにビルのてっぺんに佇んでいる。
「1000年の邂逅」
 それがこの絵のタイトルだ。
 もっとどっかーんとした原色ダイナミックな絵を描きそうなものだけれど、色味はどちらかというと淡く、街並みや建物の描き込みも細かい。
 自由と、希望と、一抹の寂しさ。
 そんなものを感じる。
 居場所を探して、ここじゃないどこかを夢見て、どこかにたどり着きたくて。
「玲峰先生、これ……」
「ああ、よく言われるの。100号くらいのデカいやつ描きそうとか、ポロックみたいなアクションペインティングやってそうとか。でも今回はね、喫茶店に合いそうな絵を持ってきたの。ほらこういうお店って雰囲気が大事じゃない? 画材はアクリルね」
 ばつが悪いのか、何かを訊かれる前に守谷は一気にまくし立てた。
「画材じゃなくて、あの……」
 先生にこの絵を描かせたものは何ですか。
 本当はそう、訊いてみたかった。