<小休止①>メネル君の日常
ー/ー
こんにちは、諸君。不思議な少年メネルの世界、楽しんでいただけているかな。
今回はいつもと少々テイストを変えてお届けしよう。初見でここを読みに来てしまった方は、まず本編のいずれかをご覧いただくことをお勧めする。どの話でも本作の世界観はお分りいただけるだろう。
『空の番人』という役目がついているとおり、彼の仕事は決して〝誰かの天気の願いを叶える〟ことではない。それはあくまでもメネルが依頼人の好物を奪うための手段にすぎず、彼には番人として果たさなければならない仕事が山ほどあるのだ。
そこで、だ。今日はメネルが普段どんな日々を過ごしているのか、覗いてみるのはどうかな。いつもは僅かしか出番がない彼のことに、少しは興味あるだろう?
メネルの話をする上で先にお伝えしたいのは、今更かもしれないが彼は断じて普通の人間ではない。かといって神や精霊でもない。番人として空で生活することを余儀なくされた、いわば〝半神〟の存在である。
だが神と人の子というわけではなく、神でも人であることもできない半端な存在なのだ。彼に死の概念はなく、もう何十年もあの麗しき美少年の姿が保たれている。
何故、メネルはそのような存在なのか? ……その経緯については割愛させてもらおう。今日は彼の日常についてのお話なのだから。いずれまたその時が来たら、ゆっくり語ろうじゃないか。
さて、では本題に入ろう。
メネルの日常は世界のどこかの上空で始まる。彼の活動は浮遊する国によって時刻が変わるため、必ずしも朝から始まるわけではない。彼は自身の体内時計に従い、およそ12時間ごとに生活している。また1秒の長さは人間より少し短い。
ただ行動は体内時計が基準でも、メネルは地上の時刻も理解している。つまり彼自身は国境や日付変更線を越えようが「◯時間経った」としか認識しないが、アメリカにいる時は「今はアメリカの1月1日、朝7時」といった日時も把握できるということだ。
9月下旬のこの日、就寝中のメネルはイギリス・ロンドンの上空にいた。ビッグベンの午前10時を知らせる鐘が響き、ちょうど12時間の境を越えた番人様はゆったりとしたお目覚めだ。
本来は半神という特質体上、睡眠は必要ないのだが、「人間は眠って身体を休めるのに、どうして僕は眠ったらダメなのさ」と、お得意のワガママでそれを覆している。
「あ~、よく寝た」
欠伸をしつつ背伸びをするメネル。フワフワと空中を浮いているにも関わらず、それを感じさせないバランスを保っているのは、彼が常に手にしている黄金の杖のおかげだ。先端の装飾は輪が球体を形成するように重なった構造で、その中心に青い玉が浮かんでいる。球体の下部には、彼のお気に入りのイヤリングに似たアクセサリも取り付けられていた。
正面から見て円形に描かれたこのモチーフは、彼の前髪を留めるヘアピンにも使われており、空の番人の紋章である『太陽陣』だ。諸君もきっと本作のタイトルロゴで目にしたであろうマークである。
「なんだい晴の精霊。僕は今、気持ちいい目覚めを迎えたばかりなんだ。そんなに急かして呼び出さないでくれよ」
上半身を起こして早々、メネルは不機嫌そうに顔を顰めた。しかし周りには彼以外の何者の姿も見受けられない。そもそもメネルが使役する天気の精霊の姿は彼以外には見えないのだが、仮に見えたとしても今ここには存在していない。
「あぁもう。はいはい、分かったよ。戻ればいいんだろう? 戻れば」
端から見れば独り言のように文句を垂れながら、彼は渋々立ち上がった。そして杖を一振りすると足元に例の太陽陣が浮かび上がり、ロンドンの上空からメネルの姿は目映い光と共に忽然と消えたのである。
瞬きを一度する間にメネルが姿を現したのは、ご存じのとおり彼の拠点である『番人の間』だ。この場所は残念ながら人間の諸君には非公開。一定の場所にあるとも、風と共に移動しているともいわれている。
『番人の間』は立方体のような透明な壁に囲まれ、外の景色が丸見えだ。人間が立ち入ると、まるで空に浮いているかのような感覚を味わえるだろう。室内は常に太陽の光を浴びているが、特殊な壁によって強さがほどよくコントロールされている。家具は最小限で、番人の玉座と署名用の机と椅子だけである。
この部屋にメネルは太陽陣を使って自由に出入りしており、好きな場所への移動も可能だ。普段は風に乗って気まぐれに浮遊しているメネルも、さすがに地球の裏側へ飛ぶ際にはテレポートの類いを使用しなければ、かなりの時間を要してしまう。
「お待たせ、皆。それで状況は?」
メネルは空模様のマントを翻して、何やら一カ所に集結している精霊たちの元へ足を運んだ。強いて彼らの外見を説明するならば、〝優しい光をまとった球のみの姿〟が適切だろう。彼の声へ真っ先に反応を示したのは、紫色の光を放つ霧の精霊だ。
「……そう。だけど前から言っているだろう? それは人間がやったことで、僕たちが知ったことじゃないよ」
精霊たちが騒いでいるのとは対象的に、メネル自身は至って冷静だ。どうやらまた地上で環境破壊が進んだらしい。ちなみに精霊たちは、彼の脳内に直接言葉を念じて伝えることで、会話を成立させている。言語化は困難である故、メネルの声のみで何卒ご容赦願いたい。
メネルたちは空の管理を行なうのが仕事だが、天候によって地上の環境に勝手に影響を及ぼしてはならないと、上層部から厳しく言い渡されている。そのため指示がない限り、地形が変動するほどの嵐を起こしたり、街が凍るほどの雪を降らせることはできない。
当然、それが人間社会の文明発達によって引き起こされた現象であっても、彼らは手出しをすることなく、変えられた環境の中で引き続き管理を続けていかなければならないのだ。
「ほら。文句ばかり言ってないで、現状のデータを出してくれる?」
主の一言に従い、6体の精霊たちがメネルを取り囲んだ。一斉にその体から放出される光を強めると、液晶パネルのようなものが彼の周りに並び、世界中の風速や地熱といった情報が表示された。
メネルは新しく天気を決める前に、まずこのデータチェックを行う。気象環境に異常がないか、また運行に問題がないかを確認するのだ。どこか頼りない印象の彼だが、仕事中のその目は非常に厳しく、何百とある数値を見落とすことはない。
「ん~、やっぱりどこも気温が高めかぁ……。ここから冬に向かう地域はちょっと厳しいねぇ。嵐の精霊、アメリカ上空の風をもう少し強めよう。晴の精霊はトルコへの太陽光の角度を調整してくれ。まぁムダかもしれないけど、後で様子を見とくよ」
こうしてメネルの指示を受け、精霊たちがその場で天気を微調整。この作業が約3時間ほど続く。次に、膨大なデータを解析して自然のバランスを崩さぬよう、向こう3ヶ月先の気象をスケジューリングしていくのだ。これが何より精霊たちの頭を悩ませる業務であり、気象会議はメネルを抜いて彼らのみで行われている。その間にメネルが世界を飛び回って現場を確認するという流れだ。
この巡回の時間に、メネルが気まぐれで人間の天気の願いを持ち込むのだから……精霊たちの苦労を、少しはお分かりいただけるだろう。急な天気の変更は、彼らのエネルギーも大量に消費するのだから。
「……え。今日は人間を連れてくるな、って? それは分からないなぁ、面白そうなのがあったら聞いちゃうよ。それに、叶えたらまた食事のレパートリーが増えるじゃないか。君たちだって喜んで食べてるだろう?」
鏡を見ながら髪を整え、出掛ける準備をするメネル。その様子を不服そうに見ている精霊たちの視線に気づくと、彼は観念したように「分かった、分かった」と溜め息を吐いた。
「昨日も無理な変更を聞いてもらったし、今日は大人しく帰ってくるよ。そろそろあの人にも怒られそうだしね。じゃ、あとはよろしく~」
そう言い残すと、メネルは再び足元に太陽陣を出現させ、左耳のイヤリングをキラリとひと光りさせて姿を消した。静かになった番人の間で、精霊たちは一カ所に集まって気象会議――の前に愚痴大会を開いているなど、メネルは知る由もない。
一人巡回に出たメネルは、早速アメリカの上空に現れた。嵐の精霊の采配で風が少し強めに吹いている。なお、メネルは寒暖を感じないので、灼熱の地帯だろうと氷河の地域だろうと服装が変わることはない。
この日のアメリカ・ニューヨークは一日中雨が降る設定だ。自由の女神のトーチの上に降り立ったメネルは、色とりどりの傘が開いて行き交う街の様子を眺めた。遅刻をしそうなのか、サラリーマンが一人慌てて道路を走っている。
『クッソー、寝坊した日に限って雨かよ! 走りづらいから一瞬だけでも止んでくんないかなぁ』
そんな声がメネルの耳には届くが、その表情に一切の変化はない。
『雨かぁ。明日デートなんだけど、晴れてくれるかな』
『雨! いいね、雨の匂いは好きさ。もっと強く降ればいいのに』
『オーマイガー、雨ぇ!? 今日は撮影なんだよ、頼むから今すぐ晴れてくれぇ!』
他にも彼の耳には、次から次へと天気についての人々の願望が、大小問わず流れてくる。本人はすっかり慣れてしまっているが、人の姿が目に入る限りはこうした声が常に聞こえている状態だ。その1つ1つに反応していてはキリがない。
ひっきりなしに届く願いを全て受け流し、〝問題なし〟と判断したメネルが次の場所へ飛ぼうとした時だった。
『神様、明日は収穫祭です。どうかこの恵みの雨を、一日だけお休みください』
思わず彼は足を止めた。収穫祭といえば食べ物が溢れるイベントだが、生憎この先のニューヨークは連日雨の予定だ。ここで晴れの願いを叶えれば、美味しいものが手に入るかもしれないが……。
「~~~、ダメだ。大人しく帰るって約束しちゃったじゃないか、もうっ」
口調が丁寧で優しそうな女性の声だったし、交渉すれば確実に契約成立しただろう。だが、約束は約束。意外と律儀なメネルは小さく舌打ちをし、後ろ髪を引かれながらニューヨークを後にした。
次に現れたのはトルコのイスタンブール。世界で最も美しい海峡のひとつとも言われているボスポラス海峡沿いには、多くのクルーズ船の姿があった。船上のテラスで海を眺める観光客は、晴の精霊に調整させた日光と初秋の風を受けてとても気持ちよさそうで、絶好のクルーズ日和となっている。
メネルはトルコでは立ち止まることなく、その風と共に上空を縦断した。真面目に声を聞いていれば、またニューヨークのような後悔をしかねないからだ。
こうして先ほど天候の調整をした地域を3時間かけて見回り、問題がないことを彼は確認する。それが終われば今度はまた、特定の地域を3時間かけて巡回する。彼はサイクルの12時間のほとんどを、そうした監視に費やしているのである。
その後、一旦番人の間に戻ったメネルは、精霊たちが制作した気象スケジュールのチェックを行う。各地の天気が細かく記された資料と向き合うこの時間は、彼に話しかけると鬼の如く怒り狂うため、誰も一切触れないのが決まりだ。この作業が終わって、ようやく彼らはひとときの休息時間に入れる。人間から手に入れた食事を口にしている時が、彼らは一番幸せそうだ。
食事が終わると再びメネルは世界へ飛び立ち、精霊たちは確認の通ったスケジュールを気象予定表に書き込んでいく。そしてまたデータ収集、スケジューリング、確認……といった繰り返しで、世界の天気は決められていくわけである。
ひとしきり紹介したが、これが空の番人としての彼らの日常生活だ。
思ったより真面目に働いているって? こらこら。メネルが聞いたら、また不機嫌になってしまうではないか。一度機嫌を損ねると、沈静するのに苦労するのだから。
別の日。巡回中のメネルは、フランスのアルプス山脈上空を遊泳していた。
時刻は夜10時頃。街の光が届かないこの場所では、今にも降り注ぎそうな満点の星空が広がっている。この頃メネルは、来月にピークを迎えるある流星群の前兆を感じ取っていた。
Leonis Minorids……和名では『こじし座流星群』という。10月中旬から11月初旬にかけて、北半球でしか見ることのできないこの流星群は流星の数も少なく、あまり有名ではない。
放射点であるこじし(小獅子)座は現代の88星座の1つだが、4等星よりも明るい星がなく、小さくて目立たない星座である。
実はメネルは、毎年こじし座が見られるようになると、何故か気がかりで仕方がない。それは恐らく、この星座が誕生した経緯にあろう。
新しい星座のため神話はなく、しし座とおおぐま座の間にある隙間を埋めるように、17世紀に天文学者によって設定された。小さいしし座と表すため、英語では「Leo Minor」。
あまりに不憫だ、とメネルは思った。小さいながらも懸命に輝く星は確かに存在するのに『マイナー』と呼ばれているのだ。立派に堂々としているしし座に対し、その影に隠れるように控えめな「こじし座」。流星群は星座にとっての一大イベントだからこそ、応援したくなるのだろう。
「よく分からないけれど、なんだか親しみを感じるんだよね。あれはまるで……そう、僕みたいなんだ」
それはきっと、メネルの記憶から失われた過去に通ずるものがあるから。しかし何も覚えていない彼は、ほんの少しの哀愁を感じるのみで、その場を立ち去っていく。
空の番人、メネル。
不思議な存在の彼は、まだまだ秘密が多い――。
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『空の番人』という役目がついているとおり、彼の仕事は決して〝誰かの天気の願いを叶える〟ことではない。それはあくまでもメネルが依頼人の好物を奪うための手段にすぎず、彼には番人として果たさなければならない仕事が山ほどあるのだ。
そこで、だ。今日はメネルが普段どんな日々を過ごしているのか、覗いてみるのはどうかな。いつもは僅かしか出番がない彼のことに、少しは興味あるだろう?
メネルの話をする上で先にお伝えしたいのは、今更かもしれないが彼は断じて普通の人間ではない。かといって神や精霊でもない。番人として空で生活することを余儀なくされた、いわば〝半神〟の存在である。
だが神と人の子というわけではなく、神でも人であることもできない半端な存在なのだ。彼に死の概念はなく、もう何十年もあの麗しき美少年の姿が保たれている。
何故、メネルはそのような存在なのか? ……その経緯については割愛させてもらおう。今日は彼の日常についてのお話なのだから。いずれまたその時が来たら、ゆっくり語ろうじゃないか。
さて、では本題に入ろう。
メネルの日常は世界のどこかの上空で始まる。彼の活動は浮遊する国によって時刻が変わるため、必ずしも朝から始まるわけではない。彼は自身の体内時計に従い、およそ12時間ごとに生活している。また1秒の長さは人間より少し短い。
ただ行動は体内時計が基準でも、メネルは地上の時刻も理解している。つまり彼自身は国境や日付変更線を越えようが「◯時間経った」としか認識しないが、アメリカにいる時は「今はアメリカの1月1日、朝7時」といった日時も把握できるということだ。
9月下旬のこの日、就寝中のメネルはイギリス・ロンドンの上空にいた。ビッグベンの午前10時を知らせる鐘が響き、ちょうど12時間の境を越えた番人様はゆったりとしたお目覚めだ。
本来は半神という特質体上、睡眠は必要ないのだが、「人間は眠って身体を休めるのに、どうして僕は眠ったらダメなのさ」と、お得意のワガママでそれを覆している。
「あ~、よく寝た」
欠伸をしつつ背伸びをするメネル。フワフワと空中を浮いているにも関わらず、それを感じさせないバランスを保っているのは、彼が常に手にしている黄金の杖のおかげだ。先端の装飾は輪が球体を形成するように重なった構造で、その中心に青い玉が浮かんでいる。球体の下部には、彼のお気に入りのイヤリングに似たアクセサリも取り付けられていた。
正面から見て円形に描かれたこのモチーフは、彼の前髪を留めるヘアピンにも使われており、空の番人の紋章である『太陽陣』だ。諸君もきっと本作のタイトルロゴで目にしたであろうマークである。
「なんだい|晴の精霊《サニール》。僕は今、気持ちいい目覚めを迎えたばかりなんだ。そんなに急かして呼び出さないでくれよ」
上半身を起こして早々、メネルは不機嫌そうに顔を顰めた。しかし周りには彼以外の何者の姿も見受けられない。そもそもメネルが使役する天気の精霊の姿は彼以外には見えないのだが、仮に見えたとしても今ここには存在していない。
「あぁもう。はいはい、分かったよ。戻ればいいんだろう? 戻れば」
端から見れば独り言のように文句を垂れながら、彼は渋々立ち上がった。そして杖を一振りすると足元に例の太陽陣が浮かび上がり、ロンドンの上空からメネルの姿は目映い光と共に忽然と消えたのである。
瞬きを一度する間にメネルが姿を現したのは、ご存じのとおり彼の拠点である『番人の間』だ。この場所は残念ながら人間の諸君には非公開。一定の場所にあるとも、風と共に移動しているともいわれている。
『番人の間』は立方体のような透明な壁に囲まれ、外の景色が丸見えだ。人間が立ち入ると、まるで空に浮いているかのような感覚を味わえるだろう。室内は常に太陽の光を浴びているが、特殊な壁によって強さがほどよくコントロールされている。家具は最小限で、番人の玉座と署名用の机と椅子だけである。
この部屋にメネルは太陽陣を使って自由に出入りしており、好きな場所への移動も可能だ。普段は風に乗って気まぐれに浮遊しているメネルも、さすがに地球の裏側へ飛ぶ際にはテレポートの類いを使用しなければ、かなりの時間を要してしまう。
「お待たせ、皆。それで状況は?」
メネルは空模様のマントを翻して、何やら一カ所に集結している精霊たちの元へ足を運んだ。強いて彼らの外見を説明するならば、〝優しい光をまとった球のみの姿〟が適切だろう。彼の声へ真っ先に反応を示したのは、紫色の光を放つ|霧の精霊《フォッグ》だ。
「……そう。だけど前から言っているだろう? それは人間がやったことで、僕たちが知ったことじゃないよ」
精霊たちが騒いでいるのとは対象的に、メネル自身は至って冷静だ。どうやらまた地上で環境破壊が進んだらしい。ちなみに精霊たちは、彼の脳内に直接言葉を念じて伝えることで、会話を成立させている。言語化は困難である故、メネルの声のみで何卒ご容赦願いたい。
メネルたちは空の管理を行なうのが仕事だが、天候によって地上の環境に勝手に影響を及ぼしてはならないと、上層部から厳しく言い渡されている。そのため指示がない限り、地形が変動するほどの嵐を起こしたり、街が凍るほどの雪を降らせることはできない。
当然、それが人間社会の文明発達によって引き起こされた現象であっても、彼らは手出しをすることなく、変えられた環境の中で引き続き管理を続けていかなければならないのだ。
「ほら。文句ばかり言ってないで、現状のデータを出してくれる?」
主の一言に従い、6体の精霊たちがメネルを取り囲んだ。一斉にその体から放出される光を強めると、液晶パネルのようなものが彼の周りに並び、世界中の風速や地熱といった情報が表示された。
メネルは新しく天気を決める前に、まずこのデータチェックを行う。気象環境に異常がないか、また運行に問題がないかを確認するのだ。どこか頼りない印象の彼だが、仕事中のその目は非常に厳しく、何百とある数値を見落とすことはない。
「ん~、やっぱりどこも気温が高めかぁ……。ここから冬に向かう地域はちょっと厳しいねぇ。|嵐の精霊《サンドラ》、アメリカ上空の風をもう少し強めよう。|晴の精霊《サニール》はトルコへの太陽光の角度を調整してくれ。まぁムダかもしれないけど、後で様子を見とくよ」
こうしてメネルの指示を受け、精霊たちがその場で天気を微調整。この作業が約3時間ほど続く。次に、膨大なデータを解析して自然のバランスを崩さぬよう、向こう3ヶ月先の気象をスケジューリングしていくのだ。これが何より精霊たちの頭を悩ませる業務であり、気象会議はメネルを抜いて彼らのみで行われている。その間にメネルが世界を飛び回って現場を確認するという流れだ。
この巡回の時間に、メネルが気まぐれで人間の天気の願いを持ち込むのだから……精霊たちの苦労を、少しはお分かりいただけるだろう。急な天気の変更は、彼らのエネルギーも大量に消費するのだから。
「……え。今日は人間を連れてくるな、って? それは分からないなぁ、面白そうなのがあったら聞いちゃうよ。それに、叶えたらまた食事のレパートリーが増えるじゃないか。君たちだって喜んで食べてるだろう?」
鏡を見ながら髪を整え、出掛ける準備をするメネル。その様子を不服そうに見ている精霊たちの視線に気づくと、彼は観念したように「分かった、分かった」と溜め息を吐いた。
「昨日も無理な変更を聞いてもらったし、今日は大人しく帰ってくるよ。そろそろ|あ《・》|の《・》|人《・》にも怒られそうだしね。じゃ、あとはよろしく~」
そう言い残すと、メネルは再び足元に太陽陣を出現させ、左耳のイヤリングをキラリとひと光りさせて姿を消した。静かになった番人の間で、精霊たちは一カ所に集まって気象会議――の前に愚痴大会を開いているなど、メネルは知る由もない。
一人巡回に出たメネルは、早速アメリカの上空に現れた。|嵐の精霊《サンドラ》の采配で風が少し強めに吹いている。なお、メネルは寒暖を感じないので、灼熱の地帯だろうと氷河の地域だろうと服装が変わることはない。
この日のアメリカ・ニューヨークは一日中雨が降る設定だ。自由の女神のトーチの上に降り立ったメネルは、色とりどりの傘が開いて行き交う街の様子を眺めた。遅刻をしそうなのか、サラリーマンが一人慌てて道路を走っている。
『クッソー、寝坊した日に限って雨かよ! 走りづらいから一瞬だけでも止んでくんないかなぁ』
そんな声がメネルの耳には届くが、その表情に一切の変化はない。
『雨かぁ。明日デートなんだけど、晴れてくれるかな』
『雨! いいね、雨の匂いは好きさ。もっと強く降ればいいのに』
『オーマイガー、雨ぇ!? 今日は撮影なんだよ、頼むから今すぐ晴れてくれぇ!』
他にも彼の耳には、次から次へと天気についての人々の願望が、大小問わず流れてくる。本人はすっかり慣れてしまっているが、人の姿が目に入る限りはこうした声が常に聞こえている状態だ。その1つ1つに反応していてはキリがない。
ひっきりなしに届く願いを全て受け流し、〝問題なし〟と判断したメネルが次の場所へ飛ぼうとした時だった。
『神様、明日は収穫祭です。どうかこの恵みの雨を、一日だけお休みください』
思わず彼は足を止めた。収穫祭といえば食べ物が溢れるイベントだが、生憎この先のニューヨークは連日雨の予定だ。ここで晴れの願いを叶えれば、美味しいものが手に入るかもしれないが……。
「~~~、ダメだ。大人しく帰るって約束しちゃったじゃないか、もうっ」
口調が丁寧で優しそうな女性の声だったし、交渉すれば確実に契約成立しただろう。だが、約束は約束。意外と律儀なメネルは小さく舌打ちをし、後ろ髪を引かれながらニューヨークを後にした。
次に現れたのはトルコのイスタンブール。世界で最も美しい海峡のひとつとも言われているボスポラス海峡沿いには、多くのクルーズ船の姿があった。船上のテラスで海を眺める観光客は、晴の精霊に調整させた日光と初秋の風を受けてとても気持ちよさそうで、絶好のクルーズ日和となっている。
メネルはトルコでは立ち止まることなく、その風と共に上空を縦断した。真面目に声を聞いていれば、またニューヨークのような後悔をしかねないからだ。
こうして先ほど天候の調整をした地域を3時間かけて見回り、問題がないことを彼は確認する。それが終われば今度はまた、特定の地域を3時間かけて巡回する。彼はサイクルの12時間のほとんどを、そうした監視に費やしているのである。
その後、一旦番人の間に戻ったメネルは、精霊たちが制作した気象スケジュールのチェックを行う。各地の天気が細かく記された資料と向き合うこの時間は、彼に話しかけると鬼の如く怒り狂うため、誰も一切触れないのが決まりだ。この作業が終わって、ようやく彼らはひとときの休息時間に入れる。人間から手に入れた食事を口にしている時が、彼らは一番幸せそうだ。
食事が終わると再びメネルは世界へ飛び立ち、精霊たちは確認の通ったスケジュールを気象予定表に書き込んでいく。そしてまたデータ収集、スケジューリング、確認……といった繰り返しで、世界の天気は決められていくわけである。
ひとしきり紹介したが、これが空の番人としての彼らの日常生活だ。
思ったより真面目に働いているって? こらこら。メネルが聞いたら、また不機嫌になってしまうではないか。一度機嫌を損ねると、沈静するのに苦労するのだから。
別の日。巡回中のメネルは、フランスのアルプス山脈上空を遊泳していた。
時刻は夜10時頃。街の光が届かないこの場所では、今にも降り注ぎそうな満点の星空が広がっている。この頃メネルは、来月にピークを迎えるある流星群の前兆を感じ取っていた。
|Leonis《レオニズ》 |Minorids《ミノリス》……和名では『こじし座流星群』という。10月中旬から11月初旬にかけて、北半球でしか見ることのできないこの流星群は流星の数も少なく、あまり有名ではない。
放射点であるこじし(小獅子)座は現代の88星座の1つだが、4等星よりも明るい星がなく、小さくて目立たない星座である。
実はメネルは、毎年こじし座が見られるようになると、何故か気がかりで仕方がない。それは恐らく、この星座が誕生した経緯にあろう。
新しい星座のため神話はなく、しし座とおおぐま座の間にある隙間を埋めるように、17世紀に天文学者によって設定された。小さいしし座と表すため、英語では「|Leo Minor《レオ マイナー》」。
あまりに不憫だ、とメネルは思った。小さいながらも懸命に輝く星は確かに存在するのに『マイナー』と呼ばれているのだ。立派に堂々としているしし座に対し、その影に隠れるように控えめな「こじし座」。流星群は星座にとっての一大イベントだからこそ、応援したくなるのだろう。
「よく分からないけれど、なんだか親しみを感じるんだよね。あれはまるで……そう、僕みたいなんだ」
それはきっと、メネルの記憶から失われた過去に通ずるものがあるから。しかし何も覚えていない彼は、ほんの少しの哀愁を感じるのみで、その場を立ち去っていく。
空の番人、メネル。
不思議な存在の彼は、まだまだ秘密が多い――。