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第七十五話

ー/ー



 一対多、そんな状況を二人とも経験してこなかった訳ではない。
 しかし、こうして目の当たりにしている敵が、学び舎で共に学んできた同志であることが、何より引っかかるのだ。
 丙良は、複数の怪人から容赦なしに攻撃されるも、ロック・バスターを振るい、それぞれ散り散りに吹き飛ばす。
 何とか怒りは思いとどまり、刀背打ちで抑えたものの、それでも立ち上がる怪人たち。
 礼安も、殺傷力、破壊力ともに上位のエクスカリバーを使うことはせず、全て徒手空拳で立ち向かう。
 あくまで無力化、それを考えながらも、人体の急所を的確について渾身の一撃を叩きこむ。
 心臓部にコークスクリュー、鳩尾にショートアッパー、脛を砕くローキック。
 全て、明確な殺意など微塵もない。元の姿に戻し、また笑いあえる時を信じていたからだ。
 しかし、その礼安の考えを嘲笑うかのように、全力を出せない彼女に、脳震盪待ったなしの顔面へのストレート、からの臓器を弄ぶフロントキック。全て、心得がある人間が行っているため、装甲越しとはいえ余計にダメージがかさむ。
 仮面越しではあるが、苦しそうな表情が見えるも、
「……礼安ちゃん……!!」
 それでも礼安は、弱音を漏らさない。どころか、『痛い』の一言すら言わない。神奈川支部とやりあった時から、いかなる痛みを負おうとも一切漏らさないのだ。
(……君の意志は、僕よりも異常なほどに硬いんだ)
 どこか思い悩んでいた丙良は、そんな礼安の勇敢な姿に感銘を受け、自分の周りの怪人たちをロック・バスターで激しく何度も打ち据える。
 それでも尚、何事も無かったように立ち上がる怪人たち。一抹の恐怖を覚えるほどに、タフネスが増強されているのだ。
「――今の、刀背打ちとはいえロック・バスターの一撃だ。相当の破壊力があるはずなんだけど?」
 丙良が当然の疑問を投げかけると、同級生だったモノは自分の腹を割き、臓器や骨が自動で修復されていく様をまざまざと見せつける。礼安は青ざめ、吐きそうになっていたが、丙良は黙ったまま。
 血肉が蠢き、それぞれが自立するように修復されていく。心臓部へ帰結するような動きであるため、血と心臓部に渦巻く魔力こそ修復の源なのだ。
『……俺たちは、お前らなんぞに負けはしない。お前らのような、むかっ腹の立つ『真の天才』を屠るための力を授かったんだ』
 その瞬間に、丙良は勝機が見えた。しかし、それを実現させるには礼安の協力が必要不可欠。
「礼安ちゃん!!」
 人の『中身』を近距離で目の当たりにした礼安は、今なお気分が悪そうであったが、静かに頷いた。丙良の思惑を、しっかりと感じ取ったのだ。
 ロック・バスターを地面に突き立て、目の前の地面を広範囲で攪拌。さながら、生クリームからホイップクリームをハンドミキサーでも使って作り出すように、渦を巻きながら辺り一帯に巨大な砂や泥地獄を作り出す。
 跳躍し抜け出そうとする怪人たちであったが、丙良がそれを許さない。土や泥の中に魔力を練りこんでいるため、自分の許可する者以外が脱出することは許さない。
「今だよ、礼安ちゃん!!」
 魔力を一点集中、礼安の地面一部分だけを高速で射出。宙へと飛び上がり、拳に自身の魔力の粗方を注ぎ込む。右拳に、迸る雷。次第に巨大なものとなり、仮想の空すら礼安に味方をし、辺りが雷雲渦巻く悪天候へと変化していく。
「本来、土と雷は相性が悪い。地面が雷を吸収するから、タッグとしては成立し辛い傾向にある。ポケモンだって、地面は電気を無効にするからね!」
 次第に、地面は泥……以外に、あるものが混じり始めた。
「だが、僕はその弱点が存在しない、電気……いや、磁力と相性のいい、『砂鉄を操る力』も保有しているからだ!」
 丙良のベース能力は、ご存じ土……その中でも、少々珍しい、砂鉄を扱うものだった。
『なッ……!!』
 このことは、よほど近しい間柄の人間にしか教えていない。それこそ、同じクラスの生徒かつ信じられる人間くらいにしか教えていないのだ。武器科でこれを知っているのはエヴァのみである。
 元来土の中には、無数の砂鉄が存在する。それを、本来骨組みが存在しない流体の中で、無数の支柱と仮定し、自在に操っているのだ。ロック・バスターは、そんな砂鉄の動きを補助する能力も内包している。
「さ、彼らに怒りの鉄槌を食らわせてやるといい。僕らと敵対することは、どういうことか……君が教えてあげるんだ」
 礼安は、宙で静かに頷くと雷の速度で急降下。丙良は辺りに散らばる威力を何とか吸収するために、クッション材のような柔らかさに地面を急激に軟化、泥中の砂鉄の濃度、および単純量を倍加させる。
『合体必殺承認! マグネシアンアンサンブル・プレリュード!!』
 位置エネルギー、そして膨大な魔力エネルギーから生まれる尋常でない破壊力の拳が、渦の中心部に突き刺さる。そしてそのタイミングで渦全体に超電流が流れ込み、それぞれの砂鉄と干渉しあい。
 全ての怪人の心臓を的確に狙う、砂鉄から伝わる莫大な電気エネルギー。それぞれ貫く攻撃が、天にまで上る龍のように迸る。これほどのものにまで、丙良の干渉と単純な礼安の魔力により増幅されたのだ。
「――大成功だ。君たちの敗因は、『中身をさらしたこと』だ」
 修復能力のタネ明かし。それはある意味、二人に対しての多勢であったため、余裕の表れだったのかもしれない。
 しかし同級生であっても、洞察力は丙良の方が優れていたのだ。
 心臓に突き立てられる、雷の刃。容赦なく、心臓を貫き、魔力の核たる血の動きを操り、一瞬にして止める。それと同時にドライバーも砕け散るのであった。
「……生半可な準備ごときで、僕たちに勝とうだなんて……十年は早いんじゃあないかな?」

 土の渦を消し去り、意識不明の状態の同級生たちを支障ないように並べたのち、礼安は呟いた。
「……丙良ししょー。何で皆、私たちに『嫉妬』して、『裏切った』の?」
 人の心について、まだ深い理解は及んでいない礼安。先ほどの戦いの中で、礼安をはじめとした『真の天才』や、透が該当するであろう『努力の天才』への嫉妬の感情が、よく分からずにいたのだ。
 『努力』は裏切らない。そう教わってきた礼安にとって、失敗し、人生を失墜する感覚が分からずにいたのだ。その経験をしなかったわけではないだろうが、ショックによりそこの記憶が飛んでいるのかもしれない。真実は礼安本人のみぞ知る。
 さらに、そこに『裏切り』が加わったものは、本人にとって不可解でしかなかったのだ。かつてあった『最悪』により、人間的感情の大幅な欠如が起こったがための、疑念であったのだ。
 丙良は、こういった高説を語ることは不得手であった。エヴァ同様、大した人生を歩んでいるわけでもないため、さらに人間の根源的感情の一つであるマイナスのものを、分かりやすく説明するのも難しい。
 しかし、これは自分に言い聞かせるもの。そう思考しながら、人の持つ最低な部分についてぽつりぽつりと語り始めた。
「――これはあくまで持論だけどね。誰かに『嫉妬』するのは、憧れの延長線上にあると思うんだ。目指す存在があるからこそ、人は頑張ろうとするし。嫉妬は、その頑張りをある程度重ねた人間が、自分と同一線上に立っていると思った存在が、自分より先に存在した場合……狙う標的が目標じゃあなく、その同じラインに立っていた隣人へと変わり果ててしまう」
「……この間、エヴァちゃんに『復讐』についても教えてもらったんだ。その時も、憧れから進んでいったら、そして誰かよりも上に立ちたい欲望の結果に、『復讐』に変質するんだって」
 「ある意味そうだね」、そうとだけ言うと、丙良は悲しそうに仮拠点の方を見やった。礼安と共に、遠慮なしに叩きのめした同級生たちが倒れ伏しているであろう、仮の拠点。男女、英雄や武器関係なしに。再生が追い付かないほどに、怒りのままに打ち倒した存在。
「――人である以上、誰かを目標にして、そこに行き着くために共に戦う仲間がいて。そのはずなのに……誰かが抜け駆けすることを、誰も許しはしない。大したことのない努力も、行ってはいけない外道な行いも。全て正当化して、自分を武装する。理論武装、ってやつだね」
 少なくとも、あの敵対してきた同級生たちの目に余る行いは、先ほど完全に裏切る以前から知っていた。
 才能を僻んでいた存在は、そしてその才能を上回るための、努力に対して恨んでいた彼らは、丙良達と同様の努力を重ねた訳ではない。丙良達と同様の痛みを味わったわけでもない。座学や実技、全て『程々』にこなしなあなあで過ごしていた。さらに一部生徒は座学、実技どちらかが優れなかった上に、素行不良であった。
 武器科は、確かに事情を知らない一般人からは『劣等科』と称される科であることは否定しない。しかし、武器科にも英雄科同様の組分けの法則が存在する。相応に努力を重ねた者は、一組に近くなり。そうでもないものは順当に下がり。英雄科と同じく年次ごとにもっとも低い組のものは脱落する。
 礼安たちが神奈川支部と戦っていた時。埼玉支部と戦っていた時。彼らが一体何をしたか。異を唱えられるほどの研鑽を重ねたか。否、そんなことは無かった。
 それほどのことを行う生徒なら、組が後ろの方になど行きはしない。それほどの頑張りがあるなら、二組でも入れただろう。
 往々にして、成功者に対し異を唱え、自分の意に添うように徹底的に邪魔をするのは、決まって大した考えも理想もない、大勢の失敗者であるのだ。
「――人ってものは、自堕落なものでね。いつだって楽をしたがる。目標に向かって楽な道があるなら、喜んでそちらに生きたがる、何とも残念な習性があるんだ。そりゃあそうだ、痛みを伴って得られる十の成果より、一切の被害を負わず得られる一の成果の方に行きたがってしまう」
「……でも、その成果を得られる過程にある痛み、頑張り、経験はどうなるの?」
「そう、それを求めるか求めないかで、人は大きく変わるんだ」
 効率的、非効率的。コスト、タイムパフォーマンス。寄り道、あるいは道草せず目的に向かって歩く。最近の人間はやたらその辺りの概念を賢いと宣い、重視したがる傾向があるが、通常に生きているならそれで一切問題はない。しかし、これが専門的な知識、力を要するものだとしたら、途端に『寄り道』の経験が活きるのだ。
 礼安たちで言うならば、英雄学園外での経験。クランとの出会い、神奈川支部との戦い、透をはじめとした埼玉県に渦巻く問題の解決、埼玉支部との戦い。
 多くのイレギュラーが当たり前となる実戦経験が、礼安たちを同年代の生徒以上に、急激に成長させ、隔絶された化け物足らしめたのだ。
「――嫉妬されるのは、誰かよりも圧倒的に上回っている証。有名税、ってやつだけど……嫉妬されるには、その寄り道こそ正しい道だったんだ。『急がば回れ』って諺は、英雄や武器にとって心理だったんだよ」
「……そっか」
 なるべく、礼安の精神的負担を軽くするように話したものの、それは丙良自身も同様。怒りをある程度抑制し、無力化にとどめた自分を誇った。
「……僕はね。頑張る人は大好きだけど……自分の限界を低く決めて、夢を追うことを辞めた、そんな思考停止した人が大嫌いなんだ。だから僕は、英雄として礼安ちゃんの頑張りが心の底から大好きなんだ」
 その瞳は、悲しみと慈しみに染まっていた。完全に敵対したとはいえ、大嫌いな存在であったとはいえ。曲がりなりにも同級生と剣を交えた苦しみは、ただものではない。
「――丙良ししょーは、優しいんだね」
「礼安ちゃんほどじゃあないよ、僕は」

「よお、深い話しているところ悪ィが……ちょいといいかい、若ェの?」



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 しかし、こうして目の当たりにしている敵が、学び舎で共に学んできた同志であることが、何より引っかかるのだ。
 丙良は、複数の怪人から容赦なしに攻撃されるも、ロック・バスターを振るい、それぞれ散り散りに吹き飛ばす。
 何とか怒りは思いとどまり、刀背打ちで抑えたものの、それでも立ち上がる怪人たち。
 礼安も、殺傷力、破壊力ともに上位のエクスカリバーを使うことはせず、全て徒手空拳で立ち向かう。
 あくまで無力化、それを考えながらも、人体の急所を的確について渾身の一撃を叩きこむ。
 心臓部にコークスクリュー、鳩尾にショートアッパー、脛を砕くローキック。
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「……礼安ちゃん……!!」
 それでも礼安は、弱音を漏らさない。どころか、『痛い』の一言すら言わない。神奈川支部とやりあった時から、いかなる痛みを負おうとも一切漏らさないのだ。
(……君の意志は、僕よりも異常なほどに硬いんだ)
 どこか思い悩んでいた丙良は、そんな礼安の勇敢な姿に感銘を受け、自分の周りの怪人たちをロック・バスターで激しく何度も打ち据える。
 それでも尚、何事も無かったように立ち上がる怪人たち。一抹の恐怖を覚えるほどに、タフネスが増強されているのだ。
「――今の、刀背打ちとはいえロック・バスターの一撃だ。相当の破壊力があるはずなんだけど?」
 丙良が当然の疑問を投げかけると、同級生だったモノは自分の腹を割き、臓器や骨が自動で修復されていく様をまざまざと見せつける。礼安は青ざめ、吐きそうになっていたが、丙良は黙ったまま。
 血肉が蠢き、それぞれが自立するように修復されていく。心臓部へ帰結するような動きであるため、血と心臓部に渦巻く魔力こそ修復の源なのだ。
『……俺たちは、お前らなんぞに負けはしない。お前らのような、むかっ腹の立つ『真の天才』を屠るための力を授かったんだ』
 その瞬間に、丙良は勝機が見えた。しかし、それを実現させるには礼安の協力が必要不可欠。
「礼安ちゃん!!」
 人の『中身』を近距離で目の当たりにした礼安は、今なお気分が悪そうであったが、静かに頷いた。丙良の思惑を、しっかりと感じ取ったのだ。
 ロック・バスターを地面に突き立て、目の前の地面を広範囲で攪拌。さながら、生クリームからホイップクリームをハンドミキサーでも使って作り出すように、渦を巻きながら辺り一帯に巨大な砂や泥地獄を作り出す。
 跳躍し抜け出そうとする怪人たちであったが、丙良がそれを許さない。土や泥の中に魔力を練りこんでいるため、自分の許可する者以外が脱出することは許さない。
「今だよ、礼安ちゃん!!」
 魔力を一点集中、礼安の地面一部分だけを高速で射出。宙へと飛び上がり、拳に自身の魔力の粗方を注ぎ込む。右拳に、迸る雷。次第に巨大なものとなり、仮想の空すら礼安に味方をし、辺りが雷雲渦巻く悪天候へと変化していく。
「本来、土と雷は相性が悪い。地面が雷を吸収するから、タッグとしては成立し辛い傾向にある。ポケモンだって、地面は電気を無効にするからね!」
 次第に、地面は泥……以外に、あるものが混じり始めた。
「だが、僕はその弱点が存在しない、電気……いや、磁力と相性のいい、『砂鉄を操る力』も保有しているからだ!」
 丙良のベース能力は、ご存じ土……その中でも、少々珍しい、砂鉄を扱うものだった。
『なッ……!!』
 このことは、よほど近しい間柄の人間にしか教えていない。それこそ、同じクラスの生徒かつ信じられる人間くらいにしか教えていないのだ。武器科でこれを知っているのはエヴァのみである。
 元来土の中には、無数の砂鉄が存在する。それを、本来骨組みが存在しない流体の中で、無数の支柱と仮定し、自在に操っているのだ。ロック・バスターは、そんな砂鉄の動きを補助する能力も内包している。
「さ、彼らに怒りの鉄槌を食らわせてやるといい。僕らと敵対することは、どういうことか……君が教えてあげるんだ」
 礼安は、宙で静かに頷くと雷の速度で急降下。丙良は辺りに散らばる威力を何とか吸収するために、クッション材のような柔らかさに地面を急激に軟化、泥中の砂鉄の濃度、および単純量を倍加させる。
『合体必殺承認! マグネシアンアンサンブル・プレリュード!!』
 位置エネルギー、そして膨大な魔力エネルギーから生まれる尋常でない破壊力の拳が、渦の中心部に突き刺さる。そしてそのタイミングで渦全体に超電流が流れ込み、それぞれの砂鉄と干渉しあい。
 全ての怪人の心臓を的確に狙う、砂鉄から伝わる莫大な電気エネルギー。それぞれ貫く攻撃が、天にまで上る龍のように迸る。これほどのものにまで、丙良の干渉と単純な礼安の魔力により増幅されたのだ。
「――大成功だ。君たちの敗因は、『中身をさらしたこと』だ」
 修復能力のタネ明かし。それはある意味、二人に対しての多勢であったため、余裕の表れだったのかもしれない。
 しかし同級生であっても、洞察力は丙良の方が優れていたのだ。
 心臓に突き立てられる、雷の刃。容赦なく、心臓を貫き、魔力の核たる血の動きを操り、一瞬にして止める。それと同時にドライバーも砕け散るのであった。
「……生半可な準備ごときで、僕たちに勝とうだなんて……十年は早いんじゃあないかな?」
 土の渦を消し去り、意識不明の状態の同級生たちを支障ないように並べたのち、礼安は呟いた。
「……丙良ししょー。何で皆、私たちに『嫉妬』して、『裏切った』の?」
 人の心について、まだ深い理解は及んでいない礼安。先ほどの戦いの中で、礼安をはじめとした『真の天才』や、透が該当するであろう『努力の天才』への嫉妬の感情が、よく分からずにいたのだ。
 『努力』は裏切らない。そう教わってきた礼安にとって、失敗し、人生を失墜する感覚が分からずにいたのだ。その経験をしなかったわけではないだろうが、ショックによりそこの記憶が飛んでいるのかもしれない。真実は礼安本人のみぞ知る。
 さらに、そこに『裏切り』が加わったものは、本人にとって不可解でしかなかったのだ。かつてあった『最悪』により、人間的感情の大幅な欠如が起こったがための、疑念であったのだ。
 丙良は、こういった高説を語ることは不得手であった。エヴァ同様、大した人生を歩んでいるわけでもないため、さらに人間の根源的感情の一つであるマイナスのものを、分かりやすく説明するのも難しい。
 しかし、これは自分に言い聞かせるもの。そう思考しながら、人の持つ最低な部分についてぽつりぽつりと語り始めた。
「――これはあくまで持論だけどね。誰かに『嫉妬』するのは、憧れの延長線上にあると思うんだ。目指す存在があるからこそ、人は頑張ろうとするし。嫉妬は、その頑張りをある程度重ねた人間が、自分と同一線上に立っていると思った存在が、自分より先に存在した場合……狙う標的が目標じゃあなく、その同じラインに立っていた隣人へと変わり果ててしまう」
「……この間、エヴァちゃんに『復讐』についても教えてもらったんだ。その時も、憧れから進んでいったら、そして誰かよりも上に立ちたい欲望の結果に、『復讐』に変質するんだって」
 「ある意味そうだね」、そうとだけ言うと、丙良は悲しそうに仮拠点の方を見やった。礼安と共に、遠慮なしに叩きのめした同級生たちが倒れ伏しているであろう、仮の拠点。男女、英雄や武器関係なしに。再生が追い付かないほどに、怒りのままに打ち倒した存在。
「――人である以上、誰かを目標にして、そこに行き着くために共に戦う仲間がいて。そのはずなのに……誰かが抜け駆けすることを、誰も許しはしない。大したことのない努力も、行ってはいけない外道な行いも。全て正当化して、自分を武装する。理論武装、ってやつだね」
 少なくとも、あの敵対してきた同級生たちの目に余る行いは、先ほど完全に裏切る以前から知っていた。
 才能を僻んでいた存在は、そしてその才能を上回るための、努力に対して恨んでいた彼らは、丙良達と同様の努力を重ねた訳ではない。丙良達と同様の痛みを味わったわけでもない。座学や実技、全て『程々』にこなしなあなあで過ごしていた。さらに一部生徒は座学、実技どちらかが優れなかった上に、素行不良であった。
 武器科は、確かに事情を知らない一般人からは『劣等科』と称される科であることは否定しない。しかし、武器科にも英雄科同様の組分けの法則が存在する。相応に努力を重ねた者は、一組に近くなり。そうでもないものは順当に下がり。英雄科と同じく年次ごとにもっとも低い組のものは脱落する。
 礼安たちが神奈川支部と戦っていた時。埼玉支部と戦っていた時。彼らが一体何をしたか。異を唱えられるほどの研鑽を重ねたか。否、そんなことは無かった。
 それほどのことを行う生徒なら、組が後ろの方になど行きはしない。それほどの頑張りがあるなら、二組でも入れただろう。
 往々にして、成功者に対し異を唱え、自分の意に添うように徹底的に邪魔をするのは、決まって大した考えも理想もない、大勢の失敗者であるのだ。
「――人ってものは、自堕落なものでね。いつだって楽をしたがる。目標に向かって楽な道があるなら、喜んでそちらに生きたがる、何とも残念な習性があるんだ。そりゃあそうだ、痛みを伴って得られる十の成果より、一切の被害を負わず得られる一の成果の方に行きたがってしまう」
「……でも、その成果を得られる過程にある痛み、頑張り、経験はどうなるの?」
「そう、それを求めるか求めないかで、人は大きく変わるんだ」
 効率的、非効率的。コスト、タイムパフォーマンス。寄り道、あるいは道草せず目的に向かって歩く。最近の人間はやたらその辺りの概念を賢いと宣い、重視したがる傾向があるが、通常に生きているならそれで一切問題はない。しかし、これが専門的な知識、力を要するものだとしたら、途端に『寄り道』の経験が活きるのだ。
 礼安たちで言うならば、英雄学園外での経験。クランとの出会い、神奈川支部との戦い、透をはじめとした埼玉県に渦巻く問題の解決、埼玉支部との戦い。
 多くのイレギュラーが当たり前となる実戦経験が、礼安たちを同年代の生徒以上に、急激に成長させ、隔絶された化け物足らしめたのだ。
「――嫉妬されるのは、誰かよりも圧倒的に上回っている証。有名税、ってやつだけど……嫉妬されるには、その寄り道こそ正しい道だったんだ。『急がば回れ』って諺は、英雄や武器にとって心理だったんだよ」
「……そっか」
 なるべく、礼安の精神的負担を軽くするように話したものの、それは丙良自身も同様。怒りをある程度抑制し、無力化にとどめた自分を誇った。
「……僕はね。頑張る人は大好きだけど……自分の限界を低く決めて、夢を追うことを辞めた、そんな思考停止した人が大嫌いなんだ。だから僕は、英雄として礼安ちゃんの頑張りが心の底から大好きなんだ」
 その瞳は、悲しみと慈しみに染まっていた。完全に敵対したとはいえ、大嫌いな存在であったとはいえ。曲がりなりにも同級生と剣を交えた苦しみは、ただものではない。
「――丙良ししょーは、優しいんだね」
「礼安ちゃんほどじゃあないよ、僕は」
「よお、深い話しているところ悪ィが……ちょいといいかい、若ェの?」