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ラボルトの験し

ー/ー



 放課後。
 不安と面倒臭さと好奇心とが5:4:1くらいの心境で美術室に向かう盟子に、南緒はちゃっかりサッカー部マネの仕事を放り出して付いてきた。下はジャージに上はぴったりめのTシャツ。柔らかそうな二の腕は剥き出し、胸の形が強調されていて盟子の方がドキドキしてしまう。
 少し前までは「新入部員のナントカくんが可愛い!」とか言ってたのに現金なものだ。

「触りたくなるよね?」
「え?」
「男なら」
 髪をかきあげると、ミルクティ色のショートの首筋からシトラスミントの制汗剤が香った。

「抱きついちゃおっかな、胸押し付けて」
「あはは……」
「下も可愛いのにした。脱がされてもいいように」
 下って要するにパンツのこと……?
 冗談なのか本気なのかわからなくて、上手く返すこともできなくて、だからいつも曖昧に笑うしかないのだ。

「はーい、いらっしゃーい」
 しかし二人を美術準備室に迎え入れた守谷は、南緒の誘惑作戦をにこやかにことごとくスルーした。敢えてか素なのか、ピタTの胸なんぞ空気であるかのように。南緒はありえない屈辱を受けて心底面白くなさそうな顔をしている。
「先生見て見て、私けっこう胸あるでしょ!?」
 そして自分でアピールするという最終手段に出た。
「ほんとだぁ、羨ましい! あたし胸ないからー」
 しかしどうやら今回も南緒の負け、みたいだ。
 どうせ南緒に狙われるなら、ウブな新入部員くんよりかは手練れ感のある守谷の方が被害は少なく済みそうではある。

「玲峰先生なら触っていいよ?触る?」
 もはや駆け引きとか恥じらいとかは全部放り出してダイレクトに、南緒は守谷の目の前で胸を張る。
「……いいの?」
 湿った声で、守谷がちろりと舌なめずりした。
「なーんちゃって!」
 しかしそれは昨日と同じパターン。
「やっだぁーもう、同じ手にひっかかるとか! 黒田ちゃんさぁ、あんた男に入れ込みやすいタチじゃない?」
 ひとしきり笑い倒した後、昨日と同じように守谷はぱたりとスイッチを切り替える。そこからはもう完全に教師モードで、南緒がどんなにアピールしても危険な香りのする玲峰先生は戻ってこなかった。

「さて」
 ここからは個人的な進路相談だからと南緒を追い出すと、守谷は一旦引っ込んで何やら大きな人の首のような白いものを抱えてくる。美術準備室の机の上に置かれたそれは、どうやら頭部の石膏像らしかった。大きさはバスケットボール大くらい、やたらと鼻梁が高くとろんとした目の女性だ。

「これラボルトって言ってね、初心者向けなのよ」
 なぜだかそう説明しながら、守谷はてきぱきとイーゼルを立て、カルトン(画板)に紙を止めた。彼が何をしようとしているのか、盟子はまだよくわからない。

「これ木炭。芯は抜いてあるから。あと練り消し、ガーゼにカッター。はいどうぞ」
 次々に渡され、よく解らないままに受け取る。
「木炭の色調を出すのに食パン使ったりもするんだけど、まあ今回はそこまでなくてもいっか。さ、これで描いてみて」
「え……?」

 描いてみてと言われて、目の前にひとセット揃えられた画材を見て、盟子は困って守谷の顔を見上げる。
「な、何ですか、これ」
「だから描いてごらん、って。ラボルトを」
 盟子は全身で拒否を表現して後ずさった。

「は!? 無理です! こんなの描けません! 私まだ一度もこういうの描いたことないんです、だってお母さんが勝手に……」
 というか、何がどうなって目の前のこれを描けと言われる顛末になったのか、どこかでワンシーン省略したんじゃないかってくらいに意味が解らない。
「あれ? 絵描くの好きって言わなかった?」
「そりゃ、好きは好きですけど……」
「ならいいじゃん。我流で描いてみ。絵、見たら大体解るのよ」
「で、でもっ、私習ったことなくてっ」
「上手く描こうとか考えないでいいのよ。下手なテクニックなんて意味ないんだから。好きなように素で描いてみなよ」

 ふわん、とベルガモットが香った。涼やかでどこか遠い、守谷に近づくといつも微かに感知する香り。きれいに整えられた眉の下から、まっすぐ盟子を射抜く瞳。

……描かない、という選択肢はなさそうだった。



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みんなのリアクション

 放課後。
 不安と面倒臭さと好奇心とが5:4:1くらいの心境で美術室に向かう盟子に、南緒はちゃっかりサッカー部マネの仕事を放り出して付いてきた。下はジャージに上はぴったりめのTシャツ。柔らかそうな二の腕は剥き出し、胸の形が強調されていて盟子の方がドキドキしてしまう。 少し前までは「新入部員のナントカくんが可愛い!」とか言ってたのに現金なものだ。
「触りたくなるよね?」
「え?」
「男なら」
 髪をかきあげると、ミルクティ色のショートの首筋からシトラスミントの制汗剤が香った。
「抱きついちゃおっかな、胸押し付けて」
「あはは……」
「下も可愛いのにした。脱がされてもいいように」
 下って要するにパンツのこと……?
 冗談なのか本気なのかわからなくて、上手く返すこともできなくて、だからいつも曖昧に笑うしかないのだ。
「はーい、いらっしゃーい」
 しかし二人を美術準備室に迎え入れた守谷は、南緒の誘惑作戦をにこやかにことごとくスルーした。敢えてか素なのか、ピタTの胸なんぞ空気であるかのように。南緒はありえない屈辱を受けて心底面白くなさそうな顔をしている。
「先生見て見て、私けっこう胸あるでしょ!?」
 そして自分でアピールするという最終手段に出た。
「ほんとだぁ、羨ましい! あたし胸ないからー」
 しかしどうやら今回も南緒の負け、みたいだ。
 どうせ南緒に狙われるなら、ウブな新入部員くんよりかは手練れ感のある守谷の方が被害は少なく済みそうではある。
「玲峰先生なら触っていいよ?触る?」
 もはや駆け引きとか恥じらいとかは全部放り出してダイレクトに、南緒は守谷の目の前で胸を張る。
「……いいの?」
 湿った声で、守谷がちろりと舌なめずりした。
「なーんちゃって!」
 しかしそれは昨日と同じパターン。
「やっだぁーもう、同じ手にひっかかるとか! 黒田ちゃんさぁ、あんた男に入れ込みやすいタチじゃない?」
 ひとしきり笑い倒した後、昨日と同じように守谷はぱたりとスイッチを切り替える。そこからはもう完全に教師モードで、南緒がどんなにアピールしても危険な香りのする玲峰先生は戻ってこなかった。
「さて」
 ここからは個人的な進路相談だからと南緒を追い出すと、守谷は一旦引っ込んで何やら大きな人の首のような白いものを抱えてくる。美術準備室の机の上に置かれたそれは、どうやら頭部の石膏像らしかった。大きさはバスケットボール大くらい、やたらと鼻梁が高くとろんとした目の女性だ。
「これラボルトって言ってね、初心者向けなのよ」
 なぜだかそう説明しながら、守谷はてきぱきとイーゼルを立て、カルトン(画板)に紙を止めた。彼が何をしようとしているのか、盟子はまだよくわからない。
「これ木炭。芯は抜いてあるから。あと練り消し、ガーゼにカッター。はいどうぞ」
 次々に渡され、よく解らないままに受け取る。
「木炭の色調を出すのに食パン使ったりもするんだけど、まあ今回はそこまでなくてもいっか。さ、これで描いてみて」
「え……?」
 描いてみてと言われて、目の前にひとセット揃えられた画材を見て、盟子は困って守谷の顔を見上げる。
「な、何ですか、これ」
「だから描いてごらん、って。ラボルトを」
 盟子は全身で拒否を表現して後ずさった。
「は!? 無理です! こんなの描けません! 私まだ一度もこういうの描いたことないんです、だってお母さんが勝手に……」
 というか、何がどうなって目の前のこれを描けと言われる顛末になったのか、どこかでワンシーン省略したんじゃないかってくらいに意味が解らない。
「あれ? 絵描くの好きって言わなかった?」
「そりゃ、好きは好きですけど……」
「ならいいじゃん。我流で描いてみ。絵、見たら大体解るのよ」
「で、でもっ、私習ったことなくてっ」
「上手く描こうとか考えないでいいのよ。下手なテクニックなんて意味ないんだから。好きなように素で描いてみなよ」
 ふわん、とベルガモットが香った。涼やかでどこか遠い、守谷に近づくといつも微かに感知する香り。きれいに整えられた眉の下から、まっすぐ盟子を射抜く瞳。
……描かない、という選択肢はなさそうだった。