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呪文

ー/ー



「ただいまー」
 ドアを後ろ手に閉めて鍵をかけると、パンパンになった足をようやく靴から解放した。
「はぁ、疲れた……」
 アルバイトを終えて帰宅するこの瞬間は嫌いじゃない。
 働いて賃金を得るのは自分という存在が社会に関わっていることを実感できるし、体の疲れは充実感に換算しやすい。

「お帰り。ご飯、盟子の好きなものだよ」
 キッチンからご機嫌そうな母が顔を出した。
「匂いでわかる! バジル煮込みだ!」
「当たりー」
 
 時計を見上げれば21時半を回ろうとしている。手を洗うとすぐに食卓につく。空っぽの胃袋が消化するものを求めてキュウキュウ言っている。
 テーブルにはチキンのトマト煮込みバジル風味が湯気を立てていた。それから温野菜のサラダ、コーンポタージュ。
「いただきます」
「土日の基礎コースって言うのがあるから、まずはデッサンから始めてみたらいいと思うんだよね」
 盟子がスプーンを取り上げてポタージュに沈めるのを見計らって、母は話しだした。

「え、何?」
「デッサンの基礎から教えてくれるんですって」

 例の美大受験用の予備校、鈴城(すずき)芸術アカデミーのことらしい。
 始めてみたらいいというのは、つまりその予備校に入学すること前提として、デッサンを習う初歩コースからどう?というニュアンスだ。
 盟子は困ってポタージュをぐるぐるとかき混ぜた。口に含むタイミングを逸してしまった。なんだか食欲もしぼんだ。
 だってまだ昨日の今日で、資料なんてまともに開いていないのに。

「……お母さん、私まだそういうの決めてないってば」
 娘を何とかその気にさせようと熱っぽくしゃべり続ける母にうんざりして、ついに盟子はスプーンを置いてため息をついた。
 母と意見が衝突することは、これまでほとんどなかった。けれど最近、母の言葉を飲み込むのにひどく難儀している自分がいると気付いてる。そうだね、と素直に言えない。言いたくない。

 ダイニングの壁にいまだ飾られている紫陽花の絵に、盟子は苦々しい気持ちで目をやった。
 水色から紫、ピンクへと変化する紫陽花の淡い色味がなんとも瑞々しいそれは、盟子が小学校の5年生の時に描いたものだった。
 全国規模の小学生絵画コンテストに学校代表として応募したところ、この絵が大賞をとったのだ。「滲んだような絵の具の使い方が紫陽花のグラデーションや雨の雰囲気を良く表現している。小学生とは思えない繊細で完成された筆致」なんてコメントをもらった。それに舞い上がった母が仰々しく額縁に入れたのだ。

 しかし当時は華々しかった受賞作品も、6年もそこに飾ってあるとなんだか痛々しい。日焼けして黄ばんできているし、大賞と言っても所詮は小学生の水彩画。拙い。
 いい加減外せばいいのに、これを飾っておくのは母の執念だ。
 確かに当時は受賞したのがすごく嬉しくて「大きくなったら画家になるんだ」なんて言ったものだし、母も「盟子には才能があるのねぇ」と喜んだ。幸せな家族の1ページだった。でも、そんなのは昔のこと。

――人生一度きりだからやりたいことをやらなきゃダメ。盟子のやりたいことをやればいいの。ちゃんとサポートしてあげるから。

 事あるごとに母に言い聞かせられてきたその言葉は、いつかその時が来たら発動する呪文のように、盟子の心に刷り込まれている。
 
 母が実は絵を描きたくて美大志望だったという話は、その頃に聞かされた。
 ただし進学はしなかったらしい。受けたけれど現役合格が叶わず断念し、仕方なしにそっちの道は諦めて別の大学へ進んだとか。母の両親、つまり盟子の祖父母に強く反対されたそうだ。女が美大なんぞ行ってどうする、と。

 そのこともあってか母は、「やりたいこと」という言葉をやたらと娘に向けてきた。
 「子供にはやりたいことを精一杯やらせてあげたいの」と。
 教育方針というよりは、半ば信念のように。
 そんな中で盟子の得た絵画コンテストの大賞は、夢を諦めざるを得なかった母にとっては悲願だったはずだ。

……でもねお母さん。私まだ、「やりたいこと」がよく解らないんだ。

 盟子だって今はもう画家になりたいとは思っていないし、なれるとも思っていない。売れるような絵を描ける人間が一握りだってことくらい、高校生だって解る。
 それでも母は、盟子には間違いなく芸術の才能があると言って憚らない。
 芸術鑑賞教室の感想文の着眼点が的確だったとか、美術の成績がいいだとか、全部都合いいように解釈されてしまう。
 
「受験だもの。こういうのは早く準備していかないとダメ。私は始めるのが遅かったから失敗したの。だから盟子は私と同じ轍を踏まないでほしいのよ。万全に準備して、思い切りやってみなさい」

 思い切りやってみなさい、とは言うけれど。
 まだ何も決めていないのに、何を準備して何を思いきりやれと言うのか。

「ねえお母さん、私はさ、」
 どこから説明していけばいいのか、気が遠くなってくる。
 将来のことなんて、まだ悩み途中じゃいけないんだろうか。既に決定して舵を切らないといけないんだろうか、今。
「……まだ、美大受けるって決めてないんだけど」

 教師になりたいとか、医者になりたいとか、シェフになりたいとか、やりたいことと進路と職業とが解りやすくリンクしているならいいけれど、問題はそうじゃない場合だ。

 自分に合っていそうな、周囲が納得してくれそうな、実現可能そうな夢を見繕い、それに相応しい進路をタイミング逃さず選び取っていくなんて、そうそう簡単にできることじゃない。というか、かなり難易度が高いんじゃないか。
 それなのに誰もそのやり方を教えてくれず、時期が来たら当たり前のように決断を要求されるなんて過酷すぎる。

「じゃあ普通の大学行くの? そんなのパッとしないしつまらないじゃない。やりたいことをやればいいのよ」

 「やりたいこと」というのを母が殊更強調するのにはもうひとつ理由がある。

 美大受験を断念した母は、文系の大学を出た後小さな会社の事務アルバイトをしている時に父と出会って結婚したそうだ。そうしてそのまま主婦になってしまったから、これといった技術も職歴も持っていない。そこになんらかの後ろめたさというか劣等感があるらしい。
 だから子供には、他人から一目置かれるような能力と個性を身につけさせたいのだろう。

 「やりたいこと」という呪文によって逆に縛られているような気がしてならない。でも、それを明確にして反論する言葉も意志も、盟子はまだ持ってない。

 味のしなくなった料理を飲むようにかきこむと、幸せな満腹感とは程遠く、ただただお腹が重かった。
「おかわりは?」
「ううん、大丈夫。ごちそうさま」
 食道のあたりにつかえていそうなチキンの塊を、冷たい水で強制的に流し込んだ。


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「ただいまー」
 ドアを後ろ手に閉めて鍵をかけると、パンパンになった足をようやく靴から解放した。
「はぁ、疲れた……」
 アルバイトを終えて帰宅するこの瞬間は嫌いじゃない。
 働いて賃金を得るのは自分という存在が社会に関わっていることを実感できるし、体の疲れは充実感に換算しやすい。
「お帰り。ご飯、盟子の好きなものだよ」
 キッチンからご機嫌そうな母が顔を出した。
「匂いでわかる! バジル煮込みだ!」
「当たりー」
 時計を見上げれば21時半を回ろうとしている。手を洗うとすぐに食卓につく。空っぽの胃袋が消化するものを求めてキュウキュウ言っている。
 テーブルにはチキンのトマト煮込みバジル風味が湯気を立てていた。それから温野菜のサラダ、コーンポタージュ。
「いただきます」
「土日の基礎コースって言うのがあるから、まずはデッサンから始めてみたらいいと思うんだよね」
 盟子がスプーンを取り上げてポタージュに沈めるのを見計らって、母は話しだした。
「え、何?」
「デッサンの基礎から教えてくれるんですって」
 例の美大受験用の予備校、|鈴城《すずき》芸術アカデミーのことらしい。
 始めてみたらいいというのは、つまりその予備校に入学すること前提として、デッサンを習う初歩コースからどう?というニュアンスだ。
 盟子は困ってポタージュをぐるぐるとかき混ぜた。口に含むタイミングを逸してしまった。なんだか食欲もしぼんだ。
 だってまだ昨日の今日で、資料なんてまともに開いていないのに。
「……お母さん、私まだそういうの決めてないってば」
 娘を何とかその気にさせようと熱っぽくしゃべり続ける母にうんざりして、ついに盟子はスプーンを置いてため息をついた。
 母と意見が衝突することは、これまでほとんどなかった。けれど最近、母の言葉を飲み込むのにひどく難儀している自分がいると気付いてる。そうだね、と素直に言えない。言いたくない。
 ダイニングの壁にいまだ飾られている紫陽花の絵に、盟子は苦々しい気持ちで目をやった。
 水色から紫、ピンクへと変化する紫陽花の淡い色味がなんとも瑞々しいそれは、盟子が小学校の5年生の時に描いたものだった。
 全国規模の小学生絵画コンテストに学校代表として応募したところ、この絵が大賞をとったのだ。「滲んだような絵の具の使い方が紫陽花のグラデーションや雨の雰囲気を良く表現している。小学生とは思えない繊細で完成された筆致」なんてコメントをもらった。それに舞い上がった母が仰々しく額縁に入れたのだ。
 しかし当時は華々しかった受賞作品も、6年もそこに飾ってあるとなんだか痛々しい。日焼けして黄ばんできているし、大賞と言っても所詮は小学生の水彩画。拙い。
 いい加減外せばいいのに、これを飾っておくのは母の執念だ。
 確かに当時は受賞したのがすごく嬉しくて「大きくなったら画家になるんだ」なんて言ったものだし、母も「盟子には才能があるのねぇ」と喜んだ。幸せな家族の1ページだった。でも、そんなのは昔のこと。
――人生一度きりだからやりたいことをやらなきゃダメ。盟子のやりたいことをやればいいの。ちゃんとサポートしてあげるから。
 事あるごとに母に言い聞かせられてきたその言葉は、いつかその時が来たら発動する呪文のように、盟子の心に刷り込まれている。
 母が実は絵を描きたくて美大志望だったという話は、その頃に聞かされた。
 ただし進学はしなかったらしい。受けたけれど現役合格が叶わず断念し、仕方なしにそっちの道は諦めて別の大学へ進んだとか。母の両親、つまり盟子の祖父母に強く反対されたそうだ。女が美大なんぞ行ってどうする、と。
 そのこともあってか母は、「やりたいこと」という言葉をやたらと娘に向けてきた。
 「子供にはやりたいことを精一杯やらせてあげたいの」と。
 教育方針というよりは、半ば信念のように。
 そんな中で盟子の得た絵画コンテストの大賞は、夢を諦めざるを得なかった母にとっては悲願だったはずだ。
……でもねお母さん。私まだ、「やりたいこと」がよく解らないんだ。
 盟子だって今はもう画家になりたいとは思っていないし、なれるとも思っていない。売れるような絵を描ける人間が一握りだってことくらい、高校生だって解る。
 それでも母は、盟子には間違いなく芸術の才能があると言って憚らない。
 芸術鑑賞教室の感想文の着眼点が的確だったとか、美術の成績がいいだとか、全部都合いいように解釈されてしまう。
「受験だもの。こういうのは早く準備していかないとダメ。私は始めるのが遅かったから失敗したの。だから盟子は私と同じ轍を踏まないでほしいのよ。万全に準備して、思い切りやってみなさい」
 思い切りやってみなさい、とは言うけれど。
 まだ何も決めていないのに、何を準備して何を思いきりやれと言うのか。
「ねえお母さん、私はさ、」
 どこから説明していけばいいのか、気が遠くなってくる。
 将来のことなんて、まだ悩み途中じゃいけないんだろうか。既に決定して舵を切らないといけないんだろうか、今。
「……まだ、美大受けるって決めてないんだけど」
 教師になりたいとか、医者になりたいとか、シェフになりたいとか、やりたいことと進路と職業とが解りやすくリンクしているならいいけれど、問題はそうじゃない場合だ。
 自分に合っていそうな、周囲が納得してくれそうな、実現可能そうな夢を見繕い、それに相応しい進路をタイミング逃さず選び取っていくなんて、そうそう簡単にできることじゃない。というか、かなり難易度が高いんじゃないか。
 それなのに誰もそのやり方を教えてくれず、時期が来たら当たり前のように決断を要求されるなんて過酷すぎる。
「じゃあ普通の大学行くの? そんなのパッとしないしつまらないじゃない。やりたいことをやればいいのよ」
 「やりたいこと」というのを母が殊更強調するのにはもうひとつ理由がある。
 美大受験を断念した母は、文系の大学を出た後小さな会社の事務アルバイトをしている時に父と出会って結婚したそうだ。そうしてそのまま主婦になってしまったから、これといった技術も職歴も持っていない。そこになんらかの後ろめたさというか劣等感があるらしい。
 だから子供には、他人から一目置かれるような能力と個性を身につけさせたいのだろう。
 「やりたいこと」という呪文によって逆に縛られているような気がしてならない。でも、それを明確にして反論する言葉も意志も、盟子はまだ持ってない。
 味のしなくなった料理を飲むようにかきこむと、幸せな満腹感とは程遠く、ただただお腹が重かった。
「おかわりは?」
「ううん、大丈夫。ごちそうさま」
 食道のあたりにつかえていそうなチキンの塊を、冷たい水で強制的に流し込んだ。