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南緒

ー/ー



 窓際に並んだ机が春色の空を映している。
 ソーダ水の泡がパチパチ弾けるみたいに、朝の教室のあちこちで笑い声が響いていた。
 新しいクラスの席は廊下側で、残念なことに外の景色が見えづらい。既にもう次の席替えを夢見ながらひんやりとした椅子に盟子は腰かけた。出席簿順では梅崎盟子の「う」はいつも廊下側なのだ。

「中学生に戻ったみたいだよなー、なんかさ」
 ちょっと意地悪そうな猫っぽい目を輝かせて黒田南緒(くろだなお)が笑った。
 つやつやのグロスの唇から八重歯がのぞく。南緒の笑顔は同性にも眩しいくらいだ。そこにボーイッシュなショートヘアと男子っぽい言動が乗っかると真逆の効果を生み出す。極限まで短くしたスカートからは健康的なふとももが見え隠れして危険地帯となっている。
 南緒が盟子にはないものを沢山持っているのは、それはもう大昔から受け入れて納得してはいるけれど、久々に話すとやっぱり気後れしてしまう。

「ほんとだよね」
 中学生の頃よくそうしていたように、盟子は無難に応じた。
 南緒と盟子は小、中と同じ学校に通った幼馴染だ。
 中学までは何も考えず無邪気に笑い合っていた気がする。奥手な盟子を活発な南緒がいつも引っ張って、何だかんだ仲良しではあった。けれど積極的で見た目も目立つ南緒は高校で急にあか抜けて、埋めがたい距離ができてしまった。
 もはや付き合う仲間が違う。普段は大人びた一軍女子たちとつるんでいるし、男友達も多い。男子の背中をバシバシ叩きながらげらげら笑い合うなんていう芸当は、盟子には永久にできそうにない。
 だから2年生になってまた同じクラスになったものの、以前のように仲良くしていける気がしない。まあ、それは向こうも同じだろうけれど。

「ねえねえ、誰だっけ、あの美術の先生。守谷先生、だっけ 」
 そんな南緒が地味な幼馴染にわざわざ話しかけてくる理由が、単に懐かしさだけじゃないことくらい察しが付くわけで。
「守谷先生さぁ、けっこうイケメンだったよね? 私年上って好きかも」
 水気たっぷりに潤んだ小悪魔な猫目が輝いている。

「え、あ、守谷先生?」
 その名前の響きがとてもきれいだと、最初は思った。古風で雅な一礼と、肩を揺らさない美しい後ろ姿。
 けれどそれは、女帝磯部に怒鳴られてた謎な性別の人というイメージで既に上書きされてしまっていた。盟子の中では。

「ああいう人っていいなー。付き合ったら楽しそう! てか付き合いたい!」
 仮にも学校の先生に対して、「かっこいい」くらいならまだわかるけれど、付き合うという発想が出てくるあたりがもう次元が違う。

「……えーと、南緒って他校の人と付き合ってたんじゃなかった……?」
「あいつとは先月別れたんだよね。まあ私が振ったんだけど」
 まるで紙屑でも捨てるように言い放つ。無造作に髪をかきあげると耳元に星型のピアスが見えて、甘いフレッシュフローラルが一瞬香る。彼氏もよく変わるし髪の毛の色もよく変わる。3月まではチェリーピンクだったはずが今はミルクティ色に落ち着いている。

「私さー、守谷先生ちょっとからかってみよっかな」
「え」
 若い男の先生となれば、年頃の乙女たちの格好の標的になることはある程度は仕方ないのだろうけれど。でも年上の男性を「からかう」なんて堂々と言えるその自信はどっから湧いて来るのか。やっぱり可愛くてモテたらそんなポジティブな思考になるものだろうか。

「でもあの人ってほら……オネェ、ってやつじゃないの?」
「だーかーらぁ、そこが良いんじゃん! そう思わない? それでさぁ盟子って美術部っしょ? 後でちょっと美術室行かねー?」

 ああこれか、と。
 盟子は閃いた。南緒が急にすり寄って来た理由。
 守谷玲峰と接点を持つための最初の足掛かりに、美術部の旧友を使おうというわけだ。何とも言えず、盟子は曖昧に笑った。

 確かに盟子は美術部に所属している。
 一年生の時、部員が少ないから掛け持ちでいいから入部してほしいと前任の美術の先生に頼まれて入ったのだ。ほぼ名義貸しのような状態で、時々気が向けば絵を描きに行くくらい。吹奏楽部がメインだから2年生になった今年はあまり行けなさそうだし、いわば幽霊部員であって。
 それにあの先生には正直近づきたくない気がしていて、今年の芸術科目は美術を取るかどうかということでも悩み中だ。

「で、でもさほら、別にわざわざ美術室行かなくたって、そのうち授業があるでしょ。美術とったら?」
「えー、話してみたいじゃん!」
 狩る気満々の肉食系笑顔。
 あーあ、あの先生南緒に狙われちゃったか……まぁ、可哀想とも思わないけど。似たような属性っぽいしいいんじゃないの?

「そいえば盟子もさー、今年こそは彼氏作んなきゃ」
「は? 何の話!?」
 話の展開が突拍子もなさ過ぎて諸々付いて行けず、目が回りそうだ。
雄眞(ゆうま)とかお似合いだと思うんだけど、どう? 本気で」
 本気でって言われても。
 急に上がったその名前を、盟子は慌てて全否定する。

 小林雄眞。
 彼は盟子や南緒と同じ中学から秋羽台高校に進学してきた生徒だった。
 目立つタイプではないけれどいわゆる良いヤツで、盟子にとっては気負いなく話せる稀有な男友達の一人だ。でもそういう対象としては100%ありえない。

「小林はいい人だけど、好きとかそういうんじゃないよ」
「でた、いい人」
 南緒が手を叩いて笑う。
「そのいい人ってのがクセモノなの! いい人なら思い切って付き合えよ。ダメなら別れたらいいんだし」

 何の利益もないはずなのに、やたらとそういうことを斡旋したがる理由は今もって解らないままだ。
 中学2年生あたりから、南緒はひたすらに男子の話ばかりするようになった。話すだけでは飽き足らず、あっという間に行動に移していつのまにか告白したりされたり付き合っていたりするそのスピード感には尊敬の念すら抱きそうになる。

「そっ、それで……美術室にはいつ行くんだっけ?」
 小林雄眞と勝手にくっつけられても困るので、盟子は急いで話題を戻した。 
 結論、南緒には守谷玲峰に熱を上げててもらうのが一番平和ということ。
「あ、それねー、昼休みに行くから! 盟子も色々協力してなー」
「今日!?」

 そりゃそうか。こんなに自信に満ちていたら躊躇うことなんて何一つないし、さぞかし毎日楽しくて見える景色も違うんだろうな。

――盟子も協力してな。

 その一言がどういう意味を持つのか未だよく解らないまま、小林雄眞とのことを蒸し返される前に盟子は急いで全面同意した。


次のエピソードへ進む 春色の授業


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 窓際に並んだ机が春色の空を映している。
 ソーダ水の泡がパチパチ弾けるみたいに、朝の教室のあちこちで笑い声が響いていた。
 新しいクラスの席は廊下側で、残念なことに外の景色が見えづらい。既にもう次の席替えを夢見ながらひんやりとした椅子に盟子は腰かけた。出席簿順では梅崎盟子の「う」はいつも廊下側なのだ。
「中学生に戻ったみたいだよなー、なんかさ」
 ちょっと意地悪そうな猫っぽい目を輝かせて|黒田南緒《くろだなお》が笑った。
 つやつやのグロスの唇から八重歯がのぞく。南緒の笑顔は同性にも眩しいくらいだ。そこにボーイッシュなショートヘアと男子っぽい言動が乗っかると真逆の効果を生み出す。極限まで短くしたスカートからは健康的なふとももが見え隠れして危険地帯となっている。
 南緒が盟子にはないものを沢山持っているのは、それはもう大昔から受け入れて納得してはいるけれど、久々に話すとやっぱり気後れしてしまう。
「ほんとだよね」
 中学生の頃よくそうしていたように、盟子は無難に応じた。
 南緒と盟子は小、中と同じ学校に通った幼馴染だ。
 中学までは何も考えず無邪気に笑い合っていた気がする。奥手な盟子を活発な南緒がいつも引っ張って、何だかんだ仲良しではあった。けれど積極的で見た目も目立つ南緒は高校で急にあか抜けて、埋めがたい距離ができてしまった。
 もはや付き合う仲間が違う。普段は大人びた一軍女子たちとつるんでいるし、男友達も多い。男子の背中をバシバシ叩きながらげらげら笑い合うなんていう芸当は、盟子には永久にできそうにない。
 だから2年生になってまた同じクラスになったものの、以前のように仲良くしていける気がしない。まあ、それは向こうも同じだろうけれど。
「ねえねえ、誰だっけ、あの美術の先生。守谷先生、だっけ 」
 そんな南緒が地味な幼馴染にわざわざ話しかけてくる理由が、単に懐かしさだけじゃないことくらい察しが付くわけで。
「守谷先生さぁ、けっこうイケメンだったよね? 私年上って好きかも」
 水気たっぷりに潤んだ小悪魔な猫目が輝いている。
「え、あ、守谷先生?」
 その名前の響きがとてもきれいだと、最初は思った。古風で雅な一礼と、肩を揺らさない美しい後ろ姿。
 けれどそれは、女帝磯部に怒鳴られてた謎な性別の人というイメージで既に上書きされてしまっていた。盟子の中では。
「ああいう人っていいなー。付き合ったら楽しそう! てか付き合いたい!」
 仮にも学校の先生に対して、「かっこいい」くらいならまだわかるけれど、付き合うという発想が出てくるあたりがもう次元が違う。
「……えーと、南緒って他校の人と付き合ってたんじゃなかった……?」
「あいつとは先月別れたんだよね。まあ私が振ったんだけど」
 まるで紙屑でも捨てるように言い放つ。無造作に髪をかきあげると耳元に星型のピアスが見えて、甘いフレッシュフローラルが一瞬香る。彼氏もよく変わるし髪の毛の色もよく変わる。3月まではチェリーピンクだったはずが今はミルクティ色に落ち着いている。
「私さー、守谷先生ちょっとからかってみよっかな」
「え」
 若い男の先生となれば、年頃の乙女たちの格好の標的になることはある程度は仕方ないのだろうけれど。でも年上の男性を「からかう」なんて堂々と言えるその自信はどっから湧いて来るのか。やっぱり可愛くてモテたらそんなポジティブな思考になるものだろうか。
「でもあの人ってほら……オネェ、ってやつじゃないの?」
「だーかーらぁ、そこが良いんじゃん! そう思わない? それでさぁ盟子って美術部っしょ? 後でちょっと美術室行かねー?」
 ああこれか、と。
 盟子は閃いた。南緒が急にすり寄って来た理由。
 守谷玲峰と接点を持つための最初の足掛かりに、美術部の旧友を使おうというわけだ。何とも言えず、盟子は曖昧に笑った。
 確かに盟子は美術部に所属している。
 一年生の時、部員が少ないから掛け持ちでいいから入部してほしいと前任の美術の先生に頼まれて入ったのだ。ほぼ名義貸しのような状態で、時々気が向けば絵を描きに行くくらい。吹奏楽部がメインだから2年生になった今年はあまり行けなさそうだし、いわば幽霊部員であって。
 それにあの先生には正直近づきたくない気がしていて、今年の芸術科目は美術を取るかどうかということでも悩み中だ。
「で、でもさほら、別にわざわざ美術室行かなくたって、そのうち授業があるでしょ。美術とったら?」
「えー、話してみたいじゃん!」
 狩る気満々の肉食系笑顔。
 あーあ、あの先生南緒に狙われちゃったか……まぁ、可哀想とも思わないけど。似たような属性っぽいしいいんじゃないの?
「そいえば盟子もさー、今年こそは彼氏作んなきゃ」
「は? 何の話!?」
 話の展開が突拍子もなさ過ぎて諸々付いて行けず、目が回りそうだ。
「|雄眞《ゆうま》とかお似合いだと思うんだけど、どう? 本気で」
 本気でって言われても。
 急に上がったその名前を、盟子は慌てて全否定する。
 小林雄眞。
 彼は盟子や南緒と同じ中学から秋羽台高校に進学してきた生徒だった。
 目立つタイプではないけれどいわゆる良いヤツで、盟子にとっては気負いなく話せる稀有な男友達の一人だ。でもそういう対象としては100%ありえない。
「小林はいい人だけど、好きとかそういうんじゃないよ」
「でた、いい人」
 南緒が手を叩いて笑う。
「そのいい人ってのがクセモノなの! いい人なら思い切って付き合えよ。ダメなら別れたらいいんだし」
 何の利益もないはずなのに、やたらとそういうことを斡旋したがる理由は今もって解らないままだ。
 中学2年生あたりから、南緒はひたすらに男子の話ばかりするようになった。話すだけでは飽き足らず、あっという間に行動に移していつのまにか告白したりされたり付き合っていたりするそのスピード感には尊敬の念すら抱きそうになる。
「そっ、それで……美術室にはいつ行くんだっけ?」
 小林雄眞と勝手にくっつけられても困るので、盟子は急いで話題を戻した。 
 結論、南緒には守谷玲峰に熱を上げててもらうのが一番平和ということ。
「あ、それねー、昼休みに行くから! 盟子も色々協力してなー」
「今日!?」
 そりゃそうか。こんなに自信に満ちていたら躊躇うことなんて何一つないし、さぞかし毎日楽しくて見える景色も違うんだろうな。
――盟子も協力してな。
 その一言がどういう意味を持つのか未だよく解らないまま、小林雄眞とのことを蒸し返される前に盟子は急いで全面同意した。