第二十話 小説
ー/ー
カタカタカタ……。
部屋に響くキーボードの音が夜の静寂に割り込む。
窓の外は月が煌々と浮かぶ暗闇。時計の針は午前3時を指している。月明りに机上のライトを被せ、11インチのモニターに向かう男の目はまるで昼間のように冴えていた。
その男の名は高橋誠。32歳、フリーランスのライターだ。
2週間前、彼は一つの決意をした。「死ぬまで小説を書き続ける」と。それ以来、高橋は食事も睡眠も忘れ、ただひたすらにキーボードを叩き続けていた。
カタカタカタ……。
指が滑らかに動く。指の動きに合わせて画面に文字が並ぶ。
高橋の体は、日に日にやせ細っていった。頬はこけ、目は窪み、皮膚は紙のように乾いていくが彼の指だけは驚くほど機敏に動き続ける。
「あああああ……」高橋の口から声が漏れる。その声は細くかすれて聞き取れないほどだ。
彼の目の前にはホラー小説の最終章となる文字の絨毯が広がっていた。主人公が最後の危機に立ち向かう場面。高橋は自分の全てを注ぎ込むようにテンポを崩さずに文字を紡いでいく。
カタカタカタ……。
彼は決意を貫いた。高橋は最後の一文を打ち終えると彼の体から催眠術にかけられたように力がすっと抜けた。
ガタン――。
軽くなった身体が椅子から転げ落ちる音が響く。
ゴロリと床に横たわる高橋の目は天井を見つめたままピクリとも動かない。その口元にはかすかな笑みが浮かんでいた。それから3秒時計の針が進むと高橋の体はぼろぼろと崩れ始めた。
皮膚が剥がれ、肉が溶け、骨が砕けていく。カチと長針が動くいたとき、高橋の体はすっかり残らず消え、パソコンの画面だけが完成した小説を静かに映し出していた。
「ただいま~」
玄関が開き、一人の若い女性が部屋へ入ってくる。彼女の名は佐々木。高橋と同居している友人だ。
「あれ、また雨降ってきたのかな?」
雨粒が窓を打ち付ける音を聞いた佐々木は傘を畳みながら窓の外を見た。灰色の空から細かな雨が降り続いている。
「誠さん、ただい……あれ?」
リビングへ入った佐々木は、高橋の姿が見えないことに気づいた。
「まーたやつは飯も食わんで徹夜で書いてるのかな……」
「ま、いつものことか」と軽くため息をつきキッチンへ向かった。そして簡単な夕食を済ませて自分の部屋へ戻る。「さて、私も書きますか」
彼女もまた小説家志望だった。 パソコンの電源を入れ、ソフトを立ち上げると一日中頭に思い浮かべていた文字をいつものようにキーボードで打ち始める。
カタカタカタ……。
最初はゆっくりとしたペースだったが、徐々にそのスピードが上がっていく。
カタカタカタカタ……。
佐々木の目が異様な輝きを帯び始めた。「あああああ……」口元がゆっくりと開いていく。
一ヶ月後
ネットカフェの一室。
椅子にもたれかかりながら伸びをする男の名は月真猫。
「さて、他人様の作品でも読んでみるか、勉強も必要だ」
彼は某小説投稿サイトを開いて驚きながら呟いた。
「高橋誠……佐々木咲姫……? すご、毎日こんな量投稿してんのか」
ぼーっとその二人の作品を読み進めていくと、違和感を覚えた。
「ん、この二人……どちらも長編小説を書き上げているけど、最終話が無いな」
月真猫は首を傾げ、モニターをにらむ。すぐに推測を諦めたのかキィっと椅子を鳴らして伸びをする。
「まあいいや。それより俺も書かないと」
そう言って再びキーボードへ向かった。
場所は変わって月真猫は自宅アパートで執筆中していた。
カタカタカタ……。
月真猫の指はキーボードの上を滑るように動いていた。
「今日いい感じかも! 漫喫はあれはあれで良いけど、結構疲れるんだよね」
彼は独り言を呟きながら画面を見つめる。物語は佳境に差し掛かり、彼自身もその世界に没頭していた。
ふと気づけば、彼の指は自分の意志とは関係なく動き始めていた。
カタカタカタカタ……。
「ん? あれ? なにこれ……」
月真猫は眉をひそめた。画面には自分が書いた覚えのない文字が次々と現れていく。
「え? これは……『これが最後の物語』?」 その一文が画面に浮かび上がると、月真猫の体に異変が起きた。
全身が急速に冷たくなり指先から感覚が消えていく。月真猫の心はその変化に付いていけずに、オロオロとどうしていいのかわからないまま、目の前の世界が徐々に暗転していった。
「なに……これ……こ……わ」
声を出そうとするも喉からはかすれた音しか出ない。視界は完全に暗闇に包まれ、最後に聞こえた音。
カタカタカタ……。
キーボードを打つ音が彼の聞いた最後の音だった。
それからしばらくして、某小説投稿サイトは騒然としていた。
「この高橋誠と佐々木咲姫の小説が更新されてる!」
「完結編だって! やばい、今すぐ読まなきゃ!」
「月真猫って作家もずっと更新無かったけど、同じ時期に完結編が投稿されたって」
「高橋誠さんと佐々木咲姫さんは失踪したって聞いたけど、月真猫さんは関係あるの?」
「仕事してる場合じゃねぇ!」
コメント欄には驚きと興奮の声が溢れていたが、その物語を読み終えた人々は皆、一様に沈黙した。
恐怖。戦慄。そして言葉にできない何か――。読み終えた者たちは皆、同じことを思った。
「魂を削って書いたような物語だ」
一週間後
とある高校の教室。
「ねえねえ、知ってる?」
「何?」
「最近ネットで話題になってる『執筆病』ってやつ」
「へー、それ何?」
「小説を書いてる人が突然姿を消すんだって。で、その人たちが書いた小説はめちゃくちゃ面白いらしいよ」
教室の窓の外では、小雨が降り始めていた。
その夜
某小説投稿サイトのサーバールームで管理者の男性がモニターを覗き込んでいる。
「おっかしいな……アクセス数が異常に増えてる」
彼は慌ててデータを確認してある事実に気づく。
「これは……」
彼の顔が青ざめた。
サイト内では、小説がまるで生き物のように増殖していた。それらを書く作者名には見覚えがあった。
高橋誠。佐々木美咲。そして。月真猫。
さらに奇妙なことに、それらを読んだ人々も次々と新しい物語を書き始めている。それはまるで伝染病のようだった。
管理者は震える手でキーボードを打ち始めた。
「緊急シャットダウンしないと……」
カタカタカタ……。
プログラムを打とうとした彼自身の指が勝手に動き始めた。
「えっ!?なんだこれ!?」
驚く間もなく、彼の意識は遠ざかり始めた。
カタカタカタ……。
新たな物語がまた一つ生まれようとしていた。
3か月後――世界中で奇妙な現象が報告され始めた。
「小説を書いている人々が次々と姿を消している」
「読まれた小説から奇妙な音や匂いがする」
「本や画面から手や顔が浮かび上がる」
専門家たちはこの現象を「感染文学」と名付けて研究したが、誰もその正体を解明できなかった。
ただ一つ確かなことは、現在、あなたはこの物語を読んでいる。という事実。
今なら自分にも小説を書ける気がする。その脳から指先へ伝わる衝動。それは新しい物語を書き始めたいという欲望だ。それこそが感染文学という甘美な呪いなのだ。
終わらない物語、永遠に続く執筆という名の地獄。
あなたの見ている『これが最後の物語』
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部屋に響くキーボードの音が夜の静寂に割り込む。
窓の外は月が煌々と浮かぶ暗闇。時計の針は午前3時を指している。月明りに机上のライトを被せ、11インチのモニターに向かう男の目はまるで昼間のように冴えていた。
その男の名は高橋誠。32歳、フリーランスのライターだ。
2週間前、彼は一つの決意をした。「死ぬまで小説を書き続ける」と。それ以来、高橋は食事も睡眠も忘れ、ただひたすらにキーボードを叩き続けていた。
カタカタカタ……。
指が滑らかに動く。指の動きに合わせて画面に文字が並ぶ。
高橋の体は、日に日にやせ細っていった。頬はこけ、目は窪み、皮膚は紙のように乾いていくが彼の指だけは驚くほど機敏に動き続ける。
「あああああ……」高橋の口から声が漏れる。その声は細くかすれて聞き取れないほどだ。
彼の目の前にはホラー小説の最終章となる文字の絨毯が広がっていた。主人公が最後の危機に立ち向かう場面。高橋は自分の全てを注ぎ込むようにテンポを崩さずに文字を紡いでいく。
カタカタカタ……。
彼は決意を貫いた。高橋は最後の一文を打ち終えると彼の体から催眠術にかけられたように力がすっと抜けた。
ガタン――。
軽くなった身体が椅子から転げ落ちる音が響く。
ゴロリと床に横たわる高橋の目は天井を見つめたままピクリとも動かない。その口元にはかすかな笑みが浮かんでいた。それから3秒時計の針が進むと高橋の体はぼろぼろと崩れ始めた。
皮膚が剥がれ、肉が溶け、骨が砕けていく。カチと長針が動くいたとき、高橋の体はすっかり残らず消え、パソコンの画面だけが完成した小説を静かに映し出していた。
「ただいま~」
玄関が開き、一人の若い女性が部屋へ入ってくる。彼女の名は佐々木。高橋と同居している友人だ。
「あれ、また雨降ってきたのかな?」
雨粒が窓を打ち付ける音を聞いた佐々木は傘を畳みながら窓の外を見た。灰色の空から細かな雨が降り続いている。
「誠さん、ただい……あれ?」
リビングへ入った佐々木は、高橋の姿が見えないことに気づいた。
「まーたやつは飯も食わんで徹夜で書いてるのかな……」
「ま、いつものことか」と軽くため息をつきキッチンへ向かった。そして簡単な夕食を済ませて自分の部屋へ戻る。「さて、私も書きますか」
彼女もまた小説家志望だった。 パソコンの電源を入れ、ソフトを立ち上げると一日中頭に思い浮かべていた文字をいつものようにキーボードで打ち始める。
カタカタカタ……。
最初はゆっくりとしたペースだったが、徐々にそのスピードが上がっていく。
カタカタカタカタ……。
佐々木の目が異様な輝きを帯び始めた。「あああああ……」口元がゆっくりと開いていく。
一ヶ月後
ネットカフェの一室。
椅子にもたれかかりながら伸びをする男の名は月真猫。
「さて、他人様の作品でも読んでみるか、勉強も必要だ」
彼は某小説投稿サイトを開いて驚きながら呟いた。
「高橋誠……佐々木咲姫……? すご、毎日こんな量投稿してんのか」
ぼーっとその二人の作品を読み進めていくと、違和感を覚えた。
「ん、この二人……どちらも長編小説を書き上げているけど、最終話が無いな」
月真猫は首を傾げ、モニターをにらむ。すぐに推測を諦めたのかキィっと椅子を鳴らして伸びをする。
「まあいいや。それより俺も書かないと」
そう言って再びキーボードへ向かった。
場所は変わって月真猫は自宅アパートで執筆中していた。
カタカタカタ……。
月真猫の指はキーボードの上を滑るように動いていた。
「今日いい感じかも! 漫喫はあれはあれで良いけど、結構疲れるんだよね」
彼は独り言を呟きながら画面を見つめる。物語は佳境に差し掛かり、彼自身もその世界に没頭していた。
ふと気づけば、彼の指は自分の意志とは関係なく動き始めていた。
カタカタカタカタ……。
「ん? あれ? なにこれ……」
月真猫は眉をひそめた。画面には自分が書いた覚えのない文字が次々と現れていく。
「え? これは……『これが最後の物語』?」 その一文が画面に浮かび上がると、月真猫の体に異変が起きた。
全身が急速に冷たくなり指先から感覚が消えていく。月真猫の心はその変化に付いていけずに、オロオロとどうしていいのかわからないまま、目の前の世界が徐々に暗転していった。
「なに……これ……こ……わ」
声を出そうとするも喉からはかすれた音しか出ない。視界は完全に暗闇に包まれ、最後に聞こえた音。
カタカタカタ……。
キーボードを打つ音が彼の聞いた最後の音だった。
それからしばらくして、某小説投稿サイトは騒然としていた。
「この高橋誠と佐々木咲姫の小説が更新されてる!」
「完結編だって! やばい、今すぐ読まなきゃ!」
「月真猫って作家もずっと更新無かったけど、同じ時期に完結編が投稿されたって」
「高橋誠さんと佐々木咲姫さんは失踪したって聞いたけど、月真猫さんは関係あるの?」
「仕事してる場合じゃねぇ!」
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恐怖。戦慄。そして言葉にできない何か――。読み終えた者たちは皆、同じことを思った。
「魂を削って書いたような物語だ」
一週間後
とある高校の教室。
「ねえねえ、知ってる?」
「何?」
「最近ネットで話題になってる『執筆病』ってやつ」
「へー、それ何?」
「小説を書いてる人が突然姿を消すんだって。で、その人たちが書いた小説はめちゃくちゃ面白いらしいよ」
教室の窓の外では、小雨が降り始めていた。
その夜
某小説投稿サイトのサーバールームで管理者の男性がモニターを覗き込んでいる。
「おっかしいな……アクセス数が異常に増えてる」
彼は慌ててデータを確認してある事実に気づく。
「これは……」
彼の顔が青ざめた。
サイト内では、小説がまるで生き物のように増殖していた。それらを書く作者名には見覚えがあった。
高橋誠。佐々木美咲。そして。月真猫。
さらに奇妙なことに、それらを読んだ人々も次々と新しい物語を書き始めている。それはまるで伝染病のようだった。
管理者は震える手でキーボードを打ち始めた。
「緊急シャットダウンしないと……」
カタカタカタ……。
プログラムを打とうとした彼自身の指が勝手に動き始めた。
「えっ!?なんだこれ!?」
驚く間もなく、彼の意識は遠ざかり始めた。
カタカタカタ……。
新たな物語がまた一つ生まれようとしていた。
3か月後――世界中で奇妙な現象が報告され始めた。
「小説を書いている人々が次々と姿を消している」
「読まれた小説から奇妙な音や匂いがする」
「本や画面から手や顔が浮かび上がる」
専門家たちはこの現象を「感染文学」と名付けて研究したが、誰もその正体を解明できなかった。
ただ一つ確かなことは、現在、あなたはこの物語を読んでいる。という事実。
今なら自分にも小説を書ける気がする。その脳から指先へ伝わる衝動。それは新しい物語を書き始めたいという欲望だ。それこそが感染文学という甘美な呪いなのだ。
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