第十九話 魚の骨
ー/ー
美咲は幼い頃から魚が大好きだった。他の子供たちが野菜嫌いを克服しようと苦心している間、彼女は魚の骨の取り方を完璧にマスターしていた。
大人になった今でも、その情熱は衰えることがない。
「いただきます」
美咲は目の前に並んだ焼き魚へ箸を伸ばした。今日の夕食は近所の魚屋で見つけた新鮮なアジの開き。香ばしい匂いが部屋中に広がっている。
パリッとした皮の音、そして口の中に広がる脂のまったりとした旨味。美咲は目を閉じてその味わいに口内の神経を集中させた。
「うん、やっぱり魚は最高」
彼女は満足げに手を頬に添えて呟いた。美咲にとって魚を食べることは単なる食事以上の意味を持っていた。それは儀式のようなもので、その喜びは魂の糧となっている。
美咲は丁寧に、しかし確実に魚を平らげていく。普通なら捨ててしまうような小骨も、彼女は嬉々として全て口に運んだ。
「もったいないもったいない」
それが彼女の口癖だった。皿の上に居座っている小骨と皮の小さな欠片を全てさらう。
綺麗にそこにあった焼き魚を全て胃の中に納める為、集めた喜びを喉奥へ導く。
ゴクリ――。先ほどまで美咲の心を満たしていた幸福感が去っていく。
唾をのみ込んでみると、喉の奥に何かが引っかかる感触が居座っているのがわかる。
「あれ? んっ! んっ!」
美咲は首を傾げた。普段なら何の問題もなく飲み込めるはずの骨が、今回はどうしても通らない。
「大丈夫、きっとすぐに……んっ! んっ!」
水を飲んでみる。パンを食べてみる。首を前後左右に動かしてみる。いろいろとその感触を取り除こうと試してみるも違和感は一向に消えない。
「まあ、明日には良くなってるはず」
美咲は自分を慰めるように言った。が、その表情には不安が滲んでいた。
翌朝
目覚めた瞬間、美咲は喉の違和感がまだ残っていることに気づく。
「嘘でしょ……」
彼女は鏡の前に立ち、口を大きく開けて喉を念入りにチェックした。見える範囲のその奥、美咲が確認できない箇所にそれは確かに刺さっている。だが、水を飲み込むたびに感じる違和感は、幾度となく体感していた骨のそれとは明らかに通常とは違っていた。
「きっと気のせいよ」
そう言い聞かせながら美咲は出勤の準備を始めた。
オフィスでの一日はいつも以上に長く感じられた。喉の違和感が彼女の集中力を削ぎ続けていたからだ。
「野村さん、大丈夫?」
同僚の田中が心配そうに声をかけてきた。
「え? ああ、大丈夫よ。ちょっと喉が……んっ!」
「そう? なんか今日、ちょっと口臭が……あ、ごめん。余計なこと言っちゃった」
田中は慌てて謝った。しかし、その言葉は美咲の心に突き刺さった。
(口臭?私が?)
不安が増幅していく。美咲はついに病院へ行くことを決意した。
病院
「では、お口を大きく開けてください」
耳鼻科医師が懐中電灯を手に美咲の喉を覗き込む。
「……ん? これは……」
医師の表情が曇る。
「どうかしましたか?」
美咲は不安そうに口元を手で覆いながら尋ねた。
「ええと……そうですね。おっしゃるとおり魚の骨が刺さっているようですね……で……」
医師は言葉を選びながら続けた。
「骨だと思うのですが……かなり腐食が進んでいるようですね」
腐った――魚の骨? 処置は数分で終わり、取り出された魚の骨を見せてもらった。骨は緑に変色しており、腐敗の兆候が見られた。
「これで大丈夫です。しばらくはうがいを続けてください」
医師の言葉に美咲はほっとした表情を浮かべたが、その安堵感も長く続かなかった。翌朝、美咲に再び喉の違和感が襲う。
(まさか……)
恐る恐る鏡を見ると――今度は見える箇所に長い骨が見える。
「どうして……」
昨日取り除いたはずの骨を再び見つけてパニックになりそうな気持ちを抑えながら、美咲は再び病院へ向かった。 医師も困惑した表情だ。
「またですか?」
「はい……でも昨日は骨のあるようなものは食べていません。うがいもしました」
美咲は小さな声で答えると、レントゲン結果を見る医師の表情がさらに曇った。
「ん? これは……」
「どうしたんですか?」
美咲は心配そうに震える声で尋ねた。
「あなたの喉のここ……皮下と言えばわかりますか? この部分に魚の骨と思われるものが無数に根付いています」
医師の言葉に美咲の世界が揺らぐ。
「無数?どういうことですか?」
医師は沈黙した後、ゆっくりと首を横へ振った。
「こんな症例、初めてです……おそらくですがこの骨は、抜いても抜いても歯の様に、何度も生えてくると思います骨の根が……」
美咲は自分の運命を悟った。これから先、永遠に続く違和感。喉奥から漂う腐敗臭。誰にも理解されない恐怖。
診察室から出たその足取りには力がなく、外へ出ても晴れ渡る空など目にも入らなかった。
ただ、一歩一歩進むごとに喉奥から漂う異臭だけが彼女自身へ語りかけていた。
「愛するものによって滅ぼされる。それこそ最も残酷な罰なのだ」と。
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大人になった今でも、その情熱は衰えることがない。
「いただきます」
美咲は目の前に並んだ焼き魚へ箸を伸ばした。今日の夕食は近所の魚屋で見つけた新鮮なアジの開き。香ばしい匂いが部屋中に広がっている。
パリッとした皮の音、そして口の中に広がる脂のまったりとした旨味。美咲は目を閉じてその味わいに口内の神経を集中させた。
「うん、やっぱり魚は最高」
彼女は満足げに手を頬に添えて呟いた。美咲にとって魚を食べることは単なる食事以上の意味を持っていた。それは儀式のようなもので、その喜びは魂の糧となっている。
美咲は丁寧に、しかし確実に魚を平らげていく。普通なら捨ててしまうような小骨も、彼女は嬉々として全て口に運んだ。
「もったいないもったいない」
それが彼女の口癖だった。皿の上に居座っている小骨と皮の小さな欠片を全てさらう。
綺麗にそこにあった焼き魚を全て胃の中に納める為、集めた喜びを喉奥へ導く。
ゴクリ――。先ほどまで美咲の心を満たしていた幸福感が去っていく。
唾をのみ込んでみると、喉の奥に何かが引っかかる感触が居座っているのがわかる。
「あれ? んっ! んっ!」
美咲は首を傾げた。普段なら何の問題もなく飲み込めるはずの骨が、今回はどうしても通らない。
「大丈夫、きっとすぐに……んっ! んっ!」
水を飲んでみる。パンを食べてみる。首を前後左右に動かしてみる。いろいろとその感触を取り除こうと試してみるも違和感は一向に消えない。
「まあ、明日には良くなってるはず」
美咲は自分を慰めるように言った。が、その表情には不安が滲んでいた。
翌朝
目覚めた瞬間、美咲は喉の違和感がまだ残っていることに気づく。
「嘘でしょ……」
彼女は鏡の前に立ち、口を大きく開けて喉を念入りにチェックした。見える範囲のその奥、美咲が確認できない箇所にそれは確かに刺さっている。だが、水を飲み込むたびに感じる違和感は、幾度となく体感していた骨のそれとは明らかに通常とは違っていた。
「きっと気のせいよ」
そう言い聞かせながら美咲は出勤の準備を始めた。
オフィスでの一日はいつも以上に長く感じられた。喉の違和感が彼女の集中力を削ぎ続けていたからだ。
「野村さん、大丈夫?」
同僚の田中が心配そうに声をかけてきた。
「え? ああ、大丈夫よ。ちょっと喉が……んっ!」
「そう? なんか今日、ちょっと口臭が……あ、ごめん。余計なこと言っちゃった」
田中は慌てて謝った。しかし、その言葉は美咲の心に突き刺さった。
(口臭?私が?)
不安が増幅していく。美咲はついに病院へ行くことを決意した。
病院
「では、お口を大きく開けてください」
耳鼻科医師が懐中電灯を手に美咲の喉を覗き込む。
「……ん? これは……」
医師の表情が曇る。
「どうかしましたか?」
美咲は不安そうに口元を手で覆いながら尋ねた。
「ええと……そうですね。おっしゃるとおり魚の骨が刺さっているようですね……で……」
医師は言葉を選びながら続けた。
「骨だと思うのですが……かなり腐食が進んでいるようですね」
腐った――魚の骨? 処置は数分で終わり、取り出された魚の骨を見せてもらった。骨は緑に変色しており、腐敗の兆候が見られた。
「これで大丈夫です。しばらくはうがいを続けてください」
医師の言葉に美咲はほっとした表情を浮かべたが、その安堵感も長く続かなかった。翌朝、美咲に再び喉の違和感が襲う。
(まさか……)
恐る恐る鏡を見ると――今度は見える箇所に長い骨が見える。
「どうして……」
昨日取り除いたはずの骨を再び見つけてパニックになりそうな気持ちを抑えながら、美咲は再び病院へ向かった。 医師も困惑した表情だ。
「またですか?」
「はい……でも昨日は骨のあるようなものは食べていません。うがいもしました」
美咲は小さな声で答えると、レントゲン結果を見る医師の表情がさらに曇った。
「ん? これは……」
「どうしたんですか?」
美咲は心配そうに震える声で尋ねた。
「あなたの喉のここ……皮下と言えばわかりますか? この部分に魚の骨と思われるものが無数に根付いています」
医師の言葉に美咲の世界が揺らぐ。
「無数?どういうことですか?」
医師は沈黙した後、ゆっくりと首を横へ振った。
「こんな症例、初めてです……おそらくですがこの骨は、抜いても抜いても歯の様に、何度も生えてくると思います骨の根が……」
美咲は自分の運命を悟った。これから先、永遠に続く違和感。喉奥から漂う腐敗臭。誰にも理解されない恐怖。
診察室から出たその足取りには力がなく、外へ出ても晴れ渡る空など目にも入らなかった。
ただ、一歩一歩進むごとに喉奥から漂う異臭だけが彼女自身へ語りかけていた。
「愛するものによって滅ぼされる。それこそ最も残酷な罰なのだ」と。