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第六話 溶ける

ー/ー



 中学生の頃、僕はアニメに夢中だった。
 どんなジャンルでも見たし、とにかく現実では考えられないシーンを見るのが好きだった。学校にいる以外の時間はすべてアニメにつぎ込んでいた。学校なんて嫌いだった。からかってくる奴ら、馬鹿にしたような目で見てくる教師たち。そんな現実なんてどうでもよかった。僕にはアニメがあったから。
 早く家に帰りたかった。大好きな世界に飛び込みたかった。
 アニメの中の海はどこまでも続いているようで、その画面の奥には行き止まりがあるような感覚がした。でも、その四角い画面の中には限られた空間で無限の可能性が広がっていたんだ――。
 
 「ヒヒヒッ」
 
 風を切るような音が部屋に響く。それはかつて人間だった塊から漏れ出た音だった。粘液状の身体を机と一体化させたその塊は、わずかに揺れながらキーボードの上で何度も指先を叩くような動きをする。そして最後に、エンターキーがあったであろう場所を叩いた後、満足げにパソコンの電源ボタンを押した。
 もちろん、電源が入ることはない。電気などとっくに途絶えているからだ。それでも塊は毎日この動作を繰り返していた。パソコンの電源ボタンを押すと隣のモニターへ身体を向ける。それが<彼>――いや、<それ>の日課だった。
 モニターには何も映らずにただ苔むした画面が静かにそこにあるだけ。そのモニター越しには別の塊がうごめいている。それもまた、かつて人間だったものだ。
 人間が死ねなくなって500年が経った世界では、かつてあった文明は形だけ残りすべて失われている。電気、水道、ガスもないが、それでも人類は生き続けているのだ。食事や運動も必要なくなり、生きるための努力をする必要がなくなった結果、人々は何もしなくなった。ただその場で好きなことだけを繰り返し、やがて腐敗し、溶け出していく。
 この塊もまた、その一部。
 机と一体化した身体から伸びる粘液状の触手は床や壁へと広がり、かつて目玉だったと思われる二つの球体は乾いて固まり、黒い何かがこびりついた歯と一緒に机上でへばりついている。塊は延々ルーティンを止めず、わずかな振動とともにパソコンのボタンを押し続ける。
 隣のモニター越しに見えるもうひとつの<塊>――それもまた同じようにもぞもぞと動いており、その塊からは微かな音が聞こえる。それは声なのか、それともただ塊が動いて音を出しているだけなのか分からない。粘液状の身体がわずかに震え、その震えは机全体へと伝わっていく。
 世界では人類全員がこうして溶けながら生き続けている。

 誰も死ぬことはない。ただただ好きだったことを延々と繰り返すだけ。そしてその果てには何もない。
 塊から垂れ落ちる液体が机上へ広がっていき、それが乾いていく。同時に自分自身も徐々に形を失っていく感覚があるのかはわからないが、それでも意識だけは残っている。この状態であとどれだけ生き続けるのだろう? そんな疑問すら彼らの頭には浮かばずにただ溶け落ちる音だけが静寂の中で響いていた……。


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 中学生の頃、僕はアニメに夢中だった。
 どんなジャンルでも見たし、とにかく現実では考えられないシーンを見るのが好きだった。学校にいる以外の時間はすべてアニメにつぎ込んでいた。学校なんて嫌いだった。からかってくる奴ら、馬鹿にしたような目で見てくる教師たち。そんな現実なんてどうでもよかった。僕にはアニメがあったから。
 早く家に帰りたかった。大好きな世界に飛び込みたかった。
 アニメの中の海はどこまでも続いているようで、その画面の奥には行き止まりがあるような感覚がした。でも、その四角い画面の中には限られた空間で無限の可能性が広がっていたんだ――。
 「ヒヒヒッ」
 風を切るような音が部屋に響く。それはかつて人間だった塊から漏れ出た音だった。粘液状の身体を机と一体化させたその塊は、わずかに揺れながらキーボードの上で何度も指先を叩くような動きをする。そして最後に、エンターキーがあったであろう場所を叩いた後、満足げにパソコンの電源ボタンを押した。
 もちろん、電源が入ることはない。電気などとっくに途絶えているからだ。それでも塊は毎日この動作を繰り返していた。パソコンの電源ボタンを押すと隣のモニターへ身体を向ける。それが<彼>――いや、<それ>の日課だった。
 モニターには何も映らずにただ苔むした画面が静かにそこにあるだけ。そのモニター越しには別の塊がうごめいている。それもまた、かつて人間だったものだ。
 人間が死ねなくなって500年が経った世界では、かつてあった文明は形だけ残りすべて失われている。電気、水道、ガスもないが、それでも人類は生き続けているのだ。食事や運動も必要なくなり、生きるための努力をする必要がなくなった結果、人々は何もしなくなった。ただその場で好きなことだけを繰り返し、やがて腐敗し、溶け出していく。
 この塊もまた、その一部。
 机と一体化した身体から伸びる粘液状の触手は床や壁へと広がり、かつて目玉だったと思われる二つの球体は乾いて固まり、黒い何かがこびりついた歯と一緒に机上でへばりついている。塊は延々ルーティンを止めず、わずかな振動とともにパソコンのボタンを押し続ける。
 隣のモニター越しに見えるもうひとつの<塊>――それもまた同じようにもぞもぞと動いており、その塊からは微かな音が聞こえる。それは声なのか、それともただ塊が動いて音を出しているだけなのか分からない。粘液状の身体がわずかに震え、その震えは机全体へと伝わっていく。
 世界では人類全員がこうして溶けながら生き続けている。
 誰も死ぬことはない。ただただ好きだったことを延々と繰り返すだけ。そしてその果てには何もない。
 塊から垂れ落ちる液体が机上へ広がっていき、それが乾いていく。同時に自分自身も徐々に形を失っていく感覚があるのかはわからないが、それでも意識だけは残っている。この状態であとどれだけ生き続けるのだろう? そんな疑問すら彼らの頭には浮かばずにただ溶け落ちる音だけが静寂の中で響いていた……。