祈祷師は女の住むマンションに足を踏み入れる。
エレベーターを降りて指定された部屋のインターホンを押すと、すぐに扉が開いた。女は無表情で玄関先に立っている。白いワンピースに身を包み、化粧気のない顔。その佇まいにはどこか影があり、言葉にできない違和感が漂っていた。しかし、それ以上に目を引くのはその部屋。中に入ると、祈祷師は思わず眉をひそめる。
部屋にはベッドが一つ置かれているだけ。テーブル、テレビ、冷蔵庫もない。クローゼットは閉じられているが、中身があるようには見えない。壁には装飾もなく、窓にはカーテンすらかかっていない。ただ薄暗い光が差し込むだけで、生活感がまるで感じられない空間だ。
「では、準備を始めます」
祈祷師はそう告げると、持参した道具を取り出し、簡易的な祭壇を作り始めた。白い布を敷き、その上に神具や祓串(はらえぐし)を並べる。女は黙ってその様子を見ている。その沈黙は重く、部屋全体に異様な空気を漂わせているようだった。
準備が整うと、二人は向かい合って座った。床には座布団すらなく、ただ硬いフローリングの上だ。祈祷師は祓串を手に取り、女の頭に軽く触れるように押さえた。そして経を唱え始める。
最初は静かだった女の身体が少しずつ横に揺れ始めた。その揺れは次第に大きくなり、やがて激しくなる。今にも倒れそうなほど左右に揺れる女。その口から低いうなり声が「ううう……」と漏れ出す。
祈祷師は経を唱える声を大きくし、祓串を力強く振る。その動きに呼応するように女の揺れも激しさを増していった。部屋全体が二人の動作と声で満たされていくようだった。
そうしていると突然女の動きがぴたりと止まる。祈祷師も動きを止め、経を唱える声を小さくして、その内唱えるのを辞めた。そして深々と礼をした後、「終わりました」と告げ、女の頭をそっと持ち上げると、その顔には穏やかな表情が浮かんでいた。
「ありがとうございました」
女はベッドの布団の間から封筒を取り出してそれを祈祷師に差し出す。受け取った祈祷師は軽く一礼をして、部屋を後にした。
祈祷師はマンションの外へ出ると封筒の中身を確認するため雑にちぎるように開ける。中を覗き込んだ瞬間――彼の口元には満足げな笑みが浮かんだ。
「今回もちょろい仕事だったな」
そう呟きながら道路へ一歩踏み出したその瞬間――轟音とともに彼の身体に向けてトラックが突っ込んできた。
衝撃で宙へ舞った祈祷師の身体は、マンションの壁面へ叩きつけられる。彼の手に包まれていた紙幣が散乱し、風に乗って空高く舞い上がった。
一方マンションの窓からその光景を見下ろしていた女は、一瞬たりとも表情を変えず、祈祷師の身体の成り行きをただじっと見つめていただけだった。女は見下ろすのをやめて静かに部屋を後にし、祈祷師の亡骸に目も向けずに大通りまで向かうとスッとタクシーへ乗り込んだ。
タクシーが停まった先に築50年ほど経った古びた一軒家がある。その家へ入るとすぐ仏壇の前へ向かい、小さく頭を下げた。
「お母さま、終わりました。私の使命はこれで終わりです」
そう仏壇の写真に向けて呟くと、仏壇の前に置いてあった呪術道具一式を段ボール箱へ仕舞い始めた。その中から写真が一枚ハラハラと落ちる。写真には先の祈祷師が写っている。
その裏側には赤い文字でこう書かれていた。「ペテン師必ず殺す」
写真を雑に破り捨てた後、女は仏間から隣室へ移動する。その部屋には切り抜き記事や雑誌が散乱しており、「霊感商法の魔の手」「偽りの救済」「信じた代償」といったタイトルの記事が印刷されている。その中には、「谷原真由子54歳――彼女は何故死を選んだのか」という記事も混ざっている。
女はそれらの記事を一瞥すると小さく息を吐くと静かに部屋から出て行った。その家には再び静寂だけが残される。ただ、その場に散らばる切り抜き記事だけが、この家で何が行われていたのか、その理由と結末について語ろうとしているようだった。