テキーラの規格を満たす
ー/ー うるさいのはサイレント時代の時代劇だけかと思ったら、さにあらず。マルガリータはテキーラの銘柄にも強い拘りを持っていた。
「当然でしょ」と鼻息荒く彼女は言った。
「法律で基準が決まってんの。それを満たさないものはテキーラを名乗れない。それにテキーラはメキシコ人の魂よ。フランスのワインと一緒。分かる? 日本人にとっての時代劇と同じって言ったら、分かるでしょ」
それなら日本酒だろうと思ったけど面倒なので言わずにおいた。彼女にとって時代劇は日本人なら誰もが愛しているエンターテイメントなのだ。それを否定すると国籍が疑われる。身分を証明するのは彼女と結婚を考えるようになってからで遅くない。僕は、なんちゃってテキーラを一口啜ってグラスを置いた。
「分かった。ところで君の探していた時代劇のフィルム、見つかったかい?」
マルガリータは肩を落とした。
「見つからないの。京都の撮影所にならあると思って来たけど、太秦にもないって。国会図書館に問い合わせても駄目だったから、もう見つからないかも」
大変だったね、と僕は言った。絶対に見つからないだろうと予想していたから、無駄な努力をしたものだと内心では思っていた。日本のサイレント映画はフィルムが現存していないものが多い。名作と言われている作品でも、そうなのだ。マルガリータが探し求めている無名の映画なんか、保存されているわけがない。しがない映画ライターだが、それくらい僕にだって想像できる。
「メキシコから、そのために来日したのにね。残念だったけど、でも、これで諦めがついたろう」
そう言ってから僕は、日本が大好きな君のために立派な和風の旅館を予約しておいたよ、と伝えた。SNSで知り合う女の大半がガッカリな外見の中にあって、マルガリータは合格ラインだった。サイレントの剣戟映画から日本好きになったという話も、意味不明だが愛嬌がある。メキシコから僕を頼って来日した、その縁を生かさねば! と婚活で連敗中の僕は決意していた。
「冬の日本海を、君に見せたい」
そう言う僕にマルガリータは微笑んだ。
「ありがとう、でも、その前に会う人がいるの」
「だ、誰?」
「私が探している映画『鞍馬無念竜・祇園唐十郎冬景色』の脚本を持っている人なの。そのコピーを私にプレゼントしてくれるって」
動揺する僕の前に、その人物が現れた。雪の降るそうな空模様の古都の雰囲気にぴったりの風情をたたえた高齢の女性だった。足が不自由なようで杖を使っているけれど、それ以外は元気そうに見えた。彼女はマルガリータに紙の束を渡した。
「これが『鞍馬無念竜・祇園唐十郎冬景色』のシナリオの写しだよ」
「ありがとうございます……あの、何か御礼をしたいのですが」
そう言うマルガリータに老女は微笑んだ。
「いいんだよ。貴女みたいな外国人の可愛い娘さんに作品を愛してもらえて、きっと兄さんは満足してくれるから、それでいいのさ」
僕は口を挟んだ。
「兄さんというのは、どなたなのです?」
老女は少しばかり背筋を伸ばして答えた。
「殺陣師の石川歌右衛門です」
僕は唾を飲み込んだ。幻の殺陣師と呼ばれた伝説の男、石川歌右衛門の経歴は一切知られていない。それは日本映画史の謎の一つだ。
金になりそうな、何か大切な情報の切れっぱしをつかんだ気がして僕は、老女に尋ねた。
「すみません。あなたは石川歌右衛門さんの妹さんですか?」
老女は言った。
「すみません。千字を越えたので、ここで失礼させていただきます」
今にも雪の降りそうな曇り空の下を杖を突きながら、しかし確かな足取りで老女は去って行った。
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うるさいのはサイレント時代の時代劇だけかと思ったら、さにあらず。マルガリータはテキーラの銘柄にも強い拘りを持っていた。
「当然でしょ」と鼻息荒く彼女は言った。
「法律で基準が決まってんの。それを満たさないものはテキーラを名乗れない。それにテキーラはメキシコ人の魂よ。フランスのワインと一緒。分かる? 日本人にとっての時代劇と同じって言ったら、分かるでしょ」
それなら日本酒だろうと思ったけど面倒なので言わずにおいた。彼女にとって時代劇は日本人なら誰もが愛しているエンターテイメントなのだ。それを否定すると国籍が疑われる。身分を証明するのは彼女と結婚を考えるようになってからで遅くない。僕は、なんちゃってテキーラを一口啜ってグラスを置いた。
「分かった。ところで君の探していた時代劇のフィルム、見つかったかい?」
マルガリータは肩を落とした。
「見つからないの。京都の撮影所にならあると思って来たけど、太秦にもないって。国会図書館に問い合わせても駄目だったから、もう見つからないかも」
大変だったね、と僕は言った。絶対に見つからないだろうと予想していたから、無駄な努力をしたものだと内心では思っていた。日本のサイレント映画はフィルムが現存していないものが多い。名作と言われている作品でも、そうなのだ。マルガリータが探し求めている無名の映画なんか、保存されているわけがない。しがない映画ライターだが、それくらい僕にだって想像できる。
「メキシコから、そのために来日したのにね。残念だったけど、でも、これで諦めがついたろう」
そう言ってから僕は、日本が大好きな君のために立派な和風の旅館を予約しておいたよ、と伝えた。SNSで知り合う女の大半がガッカリな外見の中にあって、マルガリータは合格ラインだった。サイレントの剣戟映画から日本好きになったという話も、意味不明だが愛嬌がある。メキシコから僕を頼って来日した、その縁を生かさねば! と婚活で連敗中の僕は決意していた。
「冬の日本海を、君に見せたい」
そう言う僕にマルガリータは微笑んだ。
「ありがとう、でも、その前に会う人がいるの」
「だ、誰?」
「私が探している映画『鞍馬無念竜・祇園唐十郎冬景色』の脚本を持っている人なの。そのコピーを私にプレゼントしてくれるって」
動揺する僕の前に、その人物が現れた。雪の降るそうな空模様の古都の雰囲気にぴったりの風情をたたえた高齢の女性だった。足が不自由なようで杖を使っているけれど、それ以外は元気そうに見えた。彼女はマルガリータに紙の束を渡した。
「これが『鞍馬無念竜・祇園唐十郎冬景色』のシナリオの写しだよ」
「ありがとうございます……あの、何か御礼をしたいのですが」
そう言うマルガリータに老女は微笑んだ。
「いいんだよ。貴女みたいな外国人の可愛い娘さんに作品を愛してもらえて、きっと兄さんは満足してくれるから、それでいいのさ」
僕は口を挟んだ。
「兄さんというのは、どなたなのです?」
老女は少しばかり背筋を伸ばして答えた。
「殺陣師の石川歌右衛門です」
僕は唾を飲み込んだ。幻の殺陣師と呼ばれた伝説の男、石川歌右衛門の経歴は一切知られていない。それは日本映画史の謎の一つだ。
金になりそうな、何か大切な情報の切れっぱしをつかんだ気がして僕は、老女に尋ねた。
「すみません。あなたは石川歌右衛門さんの妹さんですか?」
老女は言った。
「すみません。千字を越えたので、ここで失礼させていただきます」
今にも雪の降りそうな曇り空の下を杖を突きながら、しかし確かな足取りで老女は去って行った。