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妖精の声に導かれて

ー/ー



 飲み会が終わり、足早に駅の方に向かった。飲酒は一切していないしできないから、僕は車で帰る事が出来る。安いコインパーキングに停めているから、料金を払って帰るだけ。歩きで十五分掛かるのが難点ではあるが、他の場所の半額だから安いものだ。てくてくと歩きを進めて向かう。
 
 十五分掛かると言ったが、今日は交通量が多かったせいで倍くらい掛かってしまった。雪も降っていて事故が起きて、車線規制で渋滞が出来てたのも痛かった。今日はなんかついてないなあ。そうため息を漏らした。ため息は白く料金所のライトがあってもくっきりと目立っていた。
 
 時間が多く掛かったせいで少し予算オーバー……やっぱりついてない。急いで帰ろう。そうしようとした時だった。
 
霜田(しもだ)くん!」
 
 聞き覚えのある、柔らかく高い声だった。一瞬良いようで悪い予感はしたけど、そんな事を気にせず振り返る。
 
 そこには、雪の妖精がもう一度僕の目の前に現れていたのだった。
 
「や、山野さんっ。どうしてここに?!」
 
 驚いて声を上げると、悪戯をした子どものような表情を浮かべていた。
 
「うーん。久しぶりにこの辺に来たから、迷ってたの。で、見覚えのある背中を見たからついて行ったら、霜田くんだった。だから声を掛けたの」
 
 そう言う事だったのか。別に悪口を言うつもりとかそう言うのではなかったので安心した。
 
「そ、そうだったの。この辺、再開発で、変わっちゃったから。しばらくぶりなら、仕方ないよね」
 
「でしょー? それで、私もっと呑みたいから、良かったら一緒にどこかで呑みたいけどどう?」
 
 今日はついてないと言ったけど、今訂正する。滅茶苦茶幸運な日だ。この為のついてないだったのかと納得した。
 
「い、いいけど。車、乗ってるから、酒飲めない……。元々飲めないから、楽しくないけど、それでも、いい?」
 
 僕の詰まりながらの答えにも、美雪さんは嫌な顔をせずにいいよと答えてくれた。
 
 それから僕は車を出して、美雪さんを助手席に乗せて遅くまでやっている居酒屋に連れて行った。
 
 居酒屋の事は全く覚えていない。夢のような時間で、美雪さんが常ににこやかな表情で暖かな雰囲気だった事しか覚えていない。話した中身を覚えていないのは勿体ないけど、一緒の場所で同じ時を過ごせた事を幸せに覚えよう。一瞬だけ見てなかった時があったかもしれないけど、大体はまだ直視できていた。その理由は多分わからない。
 
「楽しかったねー」
 
「あ、う、うん。山野さんと、話せて良かった」
 
 少しだけじゃまだ慣れないらしい。言葉が上手く出てこない。それでも美雪さんは態度を変えず柔らかいまま。出来た人だ。
 
「い、家帰るでしょ? お、送ってくよ」
 
 僕がそう言うと、ありがとうと言ってその提案に乗ってくれた。店に奇跡的に空いていて停められた駐車場から車を出して、美雪さんを助手席に乗せた。車に乗るなり、その場所を入力した。この場所……見覚えと言うか、ラブホだったはず。なんでそんな場所を? 疑問が浮かび上がる。
 
 それを察したのか、美雪さんは凍てつく目と声で言った。
 
「行って」
 
 僕はその通りに動く事しか出来なかった。車を走らせて二十分でそこに着いた。ラブホに併設されている地下駐車場に車を僕は何も言わずに停めた。
 
「つ、着いたよ。じゃ、じゃあこれで……」
 
 そう言った瞬間に、今度はより強い寒気を美雪さんは纏わせていた。
 
「来て。一緒に」
 
 結婚している女性に未婚の男が着いていく。しかもラブホに。絶対ダメなシチュエーションと言うのは僕にもわかる。でも、逆らえない。操られるように僕も車から降りて、美雪さんに着いて行った。
 
 フロントに何か言って追加料金を支払っていた。何を話したかはわからない。ただ、その後美雪さんから手招きされ、また糸に引かれた人形のようにどちらに手繰り寄せられていた。
 
 操られるままに部屋に入ってしまった。今なら引き返せそう。美雪さんはシャワーを浴びていて、僕は部屋に一人。でも、弱い僕にはそれが出来ない。何もないのに身体が動かないからだ。何が起きるかはわからない。最悪な事でない事を僕は祈った。
 
 しばらくすると、美雪さんが上がってきてこちらに向かってくる。バスローブを纏っているだけの状態で。何が起きるかはわからない。気づいたのは、今指輪を外している事だけ。ベッドに座り込む僕の隣にゆっくりと腰をかけ、そして、潤んだ瞳で僕を見ていた。
 
「助けて、欲しい……助けて……っ」
 
 一瞬言葉の意味がわからなかったが、目線を下に少し下げたら、その意味を理解できてしまった。
 
 美しい雪原のような肌と想像していた身体には、おびただしい切り傷や痣などの跡。痛々しいでは済まないような酷い惨状だった。
 
「逃げ出して、やっとここに来れたの。他の人には頼りたくない。(しゅう)くんにしか頼れない。だから、助けて……」
 
 美雪さんは両の手のか弱い力で僕の左手を包んでいた。
 
 何故僕を頼ったのかはわからない。わからないけど、酷い事情があれどこれ自体が不倫と取られてもおかしくない。戻る事はできなくもない。戻って平和に暮らすのなら今しかない。脳内に警告灯がぐわんぐわんと回る。ブザーでの警告もされている。
 
 
 …………でも。僕が見惚れた雪の妖精に触れられるのも今しかないし、その選択に舵を切らないと二度とない。絶対に来ない。僕が好きだった人を抱きしめられる最初で最後のチャンスでしかない。
 
 
――――
 
 
 触れてしまおう。抱きしめてしまおう。僕がどうなろうと知ったことではない。僕はただ、見惚れた妖精に、好きな人を抱きしめる事を選ぶ。社会的に死ぬとか関係ない。僕はその欲望に従うのみ。例えバッドエンドになろうとも。美雪さんがあの日の笑顔を取り戻して、明るく温かなあの場所に還る事が出来るのならば、僕は悪にでもヴィランにでも魔王にでも犯罪者にでもなってやる。
 
 脳内の警告灯と警報音を破壊して、自分の本能に従う事を決めた。その瞬間から世界は澄んだ空気に変わった気がした。
 
 覚悟を決めた僕は美雪さんを抱きしめ、熱い口付けを交わした。その熱は雪が一瞬で溶ける程のものだった。飲み慣れないお酒の味とアルコールでくらくらとしためまいが少しだけ感じられた。


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 十五分掛かると言ったが、今日は交通量が多かったせいで倍くらい掛かってしまった。雪も降っていて事故が起きて、車線規制で渋滞が出来てたのも痛かった。今日はなんかついてないなあ。そうため息を漏らした。ため息は白く料金所のライトがあってもくっきりと目立っていた。
 時間が多く掛かったせいで少し予算オーバー……やっぱりついてない。急いで帰ろう。そうしようとした時だった。
「|霜田《しもだ》くん!」
 聞き覚えのある、柔らかく高い声だった。一瞬良いようで悪い予感はしたけど、そんな事を気にせず振り返る。
 そこには、雪の妖精がもう一度僕の目の前に現れていたのだった。
「や、山野さんっ。どうしてここに?!」
 驚いて声を上げると、悪戯をした子どものような表情を浮かべていた。
「うーん。久しぶりにこの辺に来たから、迷ってたの。で、見覚えのある背中を見たからついて行ったら、霜田くんだった。だから声を掛けたの」
 そう言う事だったのか。別に悪口を言うつもりとかそう言うのではなかったので安心した。
「そ、そうだったの。この辺、再開発で、変わっちゃったから。しばらくぶりなら、仕方ないよね」
「でしょー? それで、私もっと呑みたいから、良かったら一緒にどこかで呑みたいけどどう?」
 今日はついてないと言ったけど、今訂正する。滅茶苦茶幸運な日だ。この為のついてないだったのかと納得した。
「い、いいけど。車、乗ってるから、酒飲めない……。元々飲めないから、楽しくないけど、それでも、いい?」
 僕の詰まりながらの答えにも、美雪さんは嫌な顔をせずにいいよと答えてくれた。
 それから僕は車を出して、美雪さんを助手席に乗せて遅くまでやっている居酒屋に連れて行った。
 居酒屋の事は全く覚えていない。夢のような時間で、美雪さんが常ににこやかな表情で暖かな雰囲気だった事しか覚えていない。話した中身を覚えていないのは勿体ないけど、一緒の場所で同じ時を過ごせた事を幸せに覚えよう。一瞬だけ見てなかった時があったかもしれないけど、大体はまだ直視できていた。その理由は多分わからない。
「楽しかったねー」
「あ、う、うん。山野さんと、話せて良かった」
 少しだけじゃまだ慣れないらしい。言葉が上手く出てこない。それでも美雪さんは態度を変えず柔らかいまま。出来た人だ。
「い、家帰るでしょ? お、送ってくよ」
 僕がそう言うと、ありがとうと言ってその提案に乗ってくれた。店に奇跡的に空いていて停められた駐車場から車を出して、美雪さんを助手席に乗せた。車に乗るなり、その場所を入力した。この場所……見覚えと言うか、ラブホだったはず。なんでそんな場所を? 疑問が浮かび上がる。
 それを察したのか、美雪さんは凍てつく目と声で言った。
「行って」
 僕はその通りに動く事しか出来なかった。車を走らせて二十分でそこに着いた。ラブホに併設されている地下駐車場に車を僕は何も言わずに停めた。
「つ、着いたよ。じゃ、じゃあこれで……」
 そう言った瞬間に、今度はより強い寒気を美雪さんは纏わせていた。
「来て。一緒に」
 結婚している女性に未婚の男が着いていく。しかもラブホに。絶対ダメなシチュエーションと言うのは僕にもわかる。でも、逆らえない。操られるように僕も車から降りて、美雪さんに着いて行った。
 フロントに何か言って追加料金を支払っていた。何を話したかはわからない。ただ、その後美雪さんから手招きされ、また糸に引かれた人形のようにどちらに手繰り寄せられていた。
 操られるままに部屋に入ってしまった。今なら引き返せそう。美雪さんはシャワーを浴びていて、僕は部屋に一人。でも、弱い僕にはそれが出来ない。何もないのに身体が動かないからだ。何が起きるかはわからない。最悪な事でない事を僕は祈った。
 しばらくすると、美雪さんが上がってきてこちらに向かってくる。バスローブを纏っているだけの状態で。何が起きるかはわからない。気づいたのは、今指輪を外している事だけ。ベッドに座り込む僕の隣にゆっくりと腰をかけ、そして、潤んだ瞳で僕を見ていた。
「助けて、欲しい……助けて……っ」
 一瞬言葉の意味がわからなかったが、目線を下に少し下げたら、その意味を理解できてしまった。
 美しい雪原のような肌と想像していた身体には、おびただしい切り傷や痣などの跡。痛々しいでは済まないような酷い惨状だった。
「逃げ出して、やっとここに来れたの。他の人には頼りたくない。|柊《しゅう》くんにしか頼れない。だから、助けて……」
 美雪さんは両の手のか弱い力で僕の左手を包んでいた。
 何故僕を頼ったのかはわからない。わからないけど、酷い事情があれどこれ自体が不倫と取られてもおかしくない。戻る事はできなくもない。戻って平和に暮らすのなら今しかない。脳内に警告灯がぐわんぐわんと回る。ブザーでの警告もされている。
 …………でも。僕が見惚れた雪の妖精に触れられるのも今しかないし、その選択に舵を切らないと二度とない。絶対に来ない。僕が好きだった人を抱きしめられる最初で最後のチャンスでしかない。
――――
 触れてしまおう。抱きしめてしまおう。僕がどうなろうと知ったことではない。僕はただ、見惚れた妖精に、好きな人を抱きしめる事を選ぶ。社会的に死ぬとか関係ない。僕はその欲望に従うのみ。例えバッドエンドになろうとも。美雪さんがあの日の笑顔を取り戻して、明るく温かなあの場所に還る事が出来るのならば、僕は悪にでもヴィランにでも魔王にでも犯罪者にでもなってやる。
 脳内の警告灯と警報音を破壊して、自分の本能に従う事を決めた。その瞬間から世界は澄んだ空気に変わった気がした。
 覚悟を決めた僕は美雪さんを抱きしめ、熱い口付けを交わした。その熱は雪が一瞬で溶ける程のものだった。飲み慣れないお酒の味とアルコールでくらくらとしためまいが少しだけ感じられた。