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ずっと遠くの、冬休み。

ー/ー




 「せんせえい、カツノリくんがまた違反してまあす」

 ミホコが大きな声でステラ先生のところへ走ってゆきます。
 ステラ先生はおおきな動作で黒板の文字を消していたところでしたが、ミホコの声に振り向いて、その拍子に黒板消しを頭の上に落としてしまいました。

 「ひゃ……ど、どうしたのミホコさん」

 あわあわと黒板消しを抱えて、明るい青の髪にチョークの粉をかぶったまま、ステラ先生はミホコの目線に合わせて腰を落とします。

 「あのね、カツノリくんがね……」
 「ちょっとミホコちゃん! おれなんにもしてねえし!」

 カツノリが慌てた顔でばたばたと走ってきます。浅黒い肌にブロンドの髪。白いシャツがずいぶんだぼだぼですが、最近の流行なのでしょう。

 「うそだもんねえあたし知ってるもん、ちょっと背中みせてみなさいよお」
 「……なんにもねえし」
 「ないなら見せられるじゃん、ほらあ!」

 言いながら、ミホコはカツノリの肩に手をかけ、くるりと振り向かせました。二人ともごく平均的な体格を選んでいますから、同じほどの背丈、同じほどの体重なのです。でもミホコは運動が得意ですから、力の使い方も上手です。カツノリはかないません。
 むこうを向かされたカツノリのシャツの下から、棘の生えたしっぽがぷるんと出てきました。緑色の鱗が生えています。見つかってしまって照れたように左右に揺れています。カツノリは両手を後ろに回して隠そうとしますが、もう遅いのです。
 ステラ先生は目を丸くしました。

 「あれれ、カツノリくん、ちょっと手、見せてみて」
 「……う」

 カツノリはばつの悪そうな顔で両手を差し出します。
 その指の先には、長い爪。
 よくみれば口の端からすこしだけ牙も覗いています。
 ステラ先生はそれを見つけて、ぷっと吹き出してから、少しだけ眉を逆立ててみせました。

 「こおら、だめじゃない。そういうのは、大人になってから。いろんなこと勉強してお許しをもらわないと、人間以外の外装(ボディ)は使っちゃだめなの。あなたのためだよ、なれない身体に引っ張られたら、あなたの(ライブラリ)、傷ついちゃうからね」
 「……はあい」
 「これ、お兄さんかお父さんのコード?」
 「うん、兄ちゃん。お休みの日に魔法王っていうゲームで使うんだって」
 「そう。あとでちゃんとごめんなさいするんだよ」
 「はあい」
 「じゃ、先生が解除(ディコンストラクト)しておくからね」

 ステラ先生はそういうと、目を少しだけ細めました。なにかに集中しています。ぴん、という音が周囲に聴こえたように思えました。そのときにはもう、カツノリからは尻尾も牙も消えています。
 ミホコたちはまだ幼年学級だから分かりませんが、ステラ先生は公務員ですから、監督権限を持つ児童や生徒の身装(ボディ)をその場で変更する権限を持っているのです。
 ついでに先生は、そのときにチョークの粉まみれになっていた服を取り替えてしまいました。紺色のスーツから、薄いブラウンのジャンパースカートへ。よく見れば髪の色まで少しだけ変わっています。
 これは、ほんとうは先生もちょっとだけ、違反なのです。

 「じゃあ、ほらみんな、席について。明日から冬休みだからね、最後にみんなで約束をするよ」

 生徒たちがぱらぱらと自分の席に戻ります。

 「お正月になると、新しい年が来ます。さて、来年は、何年ですかあ?」
 「にせんひゃくねえん!」

 みんなが元気よく声を揃えます。

 「そうですね、二十二世紀、っていう、新しい時代のはじまりです。冬休みは宿題はないけれど、おうちのひとといろんなことをお話して、みんなが大人になったらどんな世界になるのかなあって、考えてみてくださいね」
 「はあい」
 「お休みのあいだも、仮世界(エア)に来るときは大人のひとに断ってからね。普段はできるだけ、おうちのなかで自分の身体で過ごすこと」
 「はあい」
 「じゃあ、約束。新学期がはじまっても、みんな元気で、また会おうね!」
 「はあい!」

 みんなは大きな声を出し、ぱっと立ち上がりました。
 やんちゃな子は、その場でもうサインアウトして、姿が薄くなります。でもほとんどの子は、大人にそうしなさいと言われているとおり、ちゃんと教室を出て廊下を歩いて、玄関を出てから仮世界を抜けるのです。
 
 学校も、そうして大人になってからの仕事も、ほとんどのことを電子的に創られた仮世界で行うようになった現在でも、いえ、そういう現在だから、百年も昔の習慣がとても大事にされています。
 みんな廊下を歩くし、チョークを使うし、教科書をぱらぱらとめくるのです。
 もちろんすべて、自分自身の身体と同じ、服装と同じ、仮想空間に構築されたマテリアルです。
 
 どんな子も、性別も体格もかかわりなく、大人の指導に基づいて、好きな体格、好きな身体を選んで暮らすことができるのです。
 それでも心がある以上、問題は残っています。
 いじめも、悩みも、なくなってはいません。
 それでも。

 「……みんながお年寄りになる百年後、二十三世紀。どんな世界になっているのかなあ。たくさんたくさん、素敵なことを経験して、素敵な世界、作ってくれたらいいなあ」

 ステラ先生は自宅で、仮世界からログアウトしました。
 ヘッドセットを外して、ベッドに寝たまま、しわしわになった自分の手を撫でます。
 と、あることを思い出して、声を出しました。

 「……ああ、そういえば」 

 今日は彼女の、九十七歳の誕生日でした。



 <了>


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 「せんせえい、カツノリくんがまた違反してまあす」
 ミホコが大きな声でステラ先生のところへ走ってゆきます。
 ステラ先生はおおきな動作で黒板の文字を消していたところでしたが、ミホコの声に振り向いて、その拍子に黒板消しを頭の上に落としてしまいました。
 「ひゃ……ど、どうしたのミホコさん」
 あわあわと黒板消しを抱えて、明るい青の髪にチョークの粉をかぶったまま、ステラ先生はミホコの目線に合わせて腰を落とします。
 「あのね、カツノリくんがね……」
 「ちょっとミホコちゃん! おれなんにもしてねえし!」
 カツノリが慌てた顔でばたばたと走ってきます。浅黒い肌にブロンドの髪。白いシャツがずいぶんだぼだぼですが、最近の流行なのでしょう。
 「うそだもんねえあたし知ってるもん、ちょっと背中みせてみなさいよお」
 「……なんにもねえし」
 「ないなら見せられるじゃん、ほらあ!」
 言いながら、ミホコはカツノリの肩に手をかけ、くるりと振り向かせました。二人ともごく平均的な体格を選んでいますから、同じほどの背丈、同じほどの体重なのです。でもミホコは運動が得意ですから、力の使い方も上手です。カツノリはかないません。
 むこうを向かされたカツノリのシャツの下から、棘の生えたしっぽがぷるんと出てきました。緑色の鱗が生えています。見つかってしまって照れたように左右に揺れています。カツノリは両手を後ろに回して隠そうとしますが、もう遅いのです。
 ステラ先生は目を丸くしました。
 「あれれ、カツノリくん、ちょっと手、見せてみて」
 「……う」
 カツノリはばつの悪そうな顔で両手を差し出します。
 その指の先には、長い爪。
 よくみれば口の端からすこしだけ牙も覗いています。
 ステラ先生はそれを見つけて、ぷっと吹き出してから、少しだけ眉を逆立ててみせました。
 「こおら、だめじゃない。そういうのは、大人になってから。いろんなこと勉強してお許しをもらわないと、人間以外の外装《ボディ》は使っちゃだめなの。あなたのためだよ、なれない身体に引っ張られたら、あなたの心《ライブラリ》、傷ついちゃうからね」
 「……はあい」
 「これ、お兄さんかお父さんのコード?」
 「うん、兄ちゃん。お休みの日に魔法王っていうゲームで使うんだって」
 「そう。あとでちゃんとごめんなさいするんだよ」
 「はあい」
 「じゃ、先生が解除《ディコンストラクト》しておくからね」
 ステラ先生はそういうと、目を少しだけ細めました。なにかに集中しています。ぴん、という音が周囲に聴こえたように思えました。そのときにはもう、カツノリからは尻尾も牙も消えています。
 ミホコたちはまだ幼年学級だから分かりませんが、ステラ先生は公務員ですから、監督権限を持つ児童や生徒の身装《ボディ》をその場で変更する権限を持っているのです。
 ついでに先生は、そのときにチョークの粉まみれになっていた服を取り替えてしまいました。紺色のスーツから、薄いブラウンのジャンパースカートへ。よく見れば髪の色まで少しだけ変わっています。
 これは、ほんとうは先生もちょっとだけ、違反なのです。
 「じゃあ、ほらみんな、席について。明日から冬休みだからね、最後にみんなで約束をするよ」
 生徒たちがぱらぱらと自分の席に戻ります。
 「お正月になると、新しい年が来ます。さて、来年は、何年ですかあ?」
 「にせんひゃくねえん!」
 みんなが元気よく声を揃えます。
 「そうですね、二十二世紀、っていう、新しい時代のはじまりです。冬休みは宿題はないけれど、おうちのひとといろんなことをお話して、みんなが大人になったらどんな世界になるのかなあって、考えてみてくださいね」
 「はあい」
 「お休みのあいだも、仮世界《エア》に来るときは大人のひとに断ってからね。普段はできるだけ、おうちのなかで自分の身体で過ごすこと」
 「はあい」
 「じゃあ、約束。新学期がはじまっても、みんな元気で、また会おうね!」
 「はあい!」
 みんなは大きな声を出し、ぱっと立ち上がりました。
 やんちゃな子は、その場でもうサインアウトして、姿が薄くなります。でもほとんどの子は、大人にそうしなさいと言われているとおり、ちゃんと教室を出て廊下を歩いて、玄関を出てから仮世界を抜けるのです。
 学校も、そうして大人になってからの仕事も、ほとんどのことを電子的に創られた仮世界で行うようになった現在でも、いえ、そういう現在だから、百年も昔の習慣がとても大事にされています。
 みんな廊下を歩くし、チョークを使うし、教科書をぱらぱらとめくるのです。
 もちろんすべて、自分自身の身体と同じ、服装と同じ、仮想空間に構築されたマテリアルです。
 どんな子も、性別も体格もかかわりなく、大人の指導に基づいて、好きな体格、好きな身体を選んで暮らすことができるのです。
 それでも心がある以上、問題は残っています。
 いじめも、悩みも、なくなってはいません。
 それでも。
 「……みんながお年寄りになる百年後、二十三世紀。どんな世界になっているのかなあ。たくさんたくさん、素敵なことを経験して、素敵な世界、作ってくれたらいいなあ」
 ステラ先生は自宅で、仮世界からログアウトしました。
 ヘッドセットを外して、ベッドに寝たまま、しわしわになった自分の手を撫でます。
 と、あることを思い出して、声を出しました。
 「……ああ、そういえば」 
 今日は彼女の、九十七歳の誕生日でした。
 <了>