アルトⅤ
ー/ー アルトは、勇斗の家のリビングでテレビを見ていた。
ニュース番組が流れている。『また闇バイトか』というテロップが表示されていた。老人が自宅で何者かに襲われ、犯人は現金を奪って逃走中――アナウンサーが淡々と告げている。
この世界にも賊はいるのか、とアルトは思った。
昔、ソレイン王国に賊が侵入した日のことを思い出す。あの時はシグネリアが人質に取られた。気づけば賊を殺していた。悪を倒すことに、罪悪感はなかった。人間も魔族も関係ない。悪は、倒さなくてはならない。
次のニュースに切り替わった。全焼した旧高日小学校の取り壊し工事が始まったらしい。焼け焦げた校舎の映像が上空から映し出される。
その映像を見た瞬間、アルトは妙な違和感を覚えた。
インターホンが鳴る。
今日は勇斗の母が外出している。出るのはボクしかいない。
モニターを見ると、つばのある帽子を深くかぶった男が、封筒を脇に挟んで立っていた。
「はい、だれですか?」
受話器を取ると、耳元から男の声が響いた。
「こんにちはー! 簡単なアンケートを取って回ってるんですけど、玄関、開けてもらっていいですかぁー?」
妙にはつらつとした声だった。正直、耳障りだ。
アルトが玄関を開けると、男は口角を上げた。
「君、一人? お母さんかお父さん、いるかな?」
男は膝を曲げ、やさしい口調で尋ねてきた。帽子のせいで目元はよく見えない。
「ボクには両親はいません。物心ついた時には孤児院にいました」
正直に答えると、男は目に見えて固まった。
「えっと……じゃあ、ここには君一人で住んでるのかな?」
「ボクは早く元の世界に戻る方法を見つけなければいけません。この家には、一時的に泊まっているだけです」
男は汗をにじませ、視線を泳がせた。
「じゃ、じゃあ、きみのお友達の名前と電話番号を教えてくれる?」
「ボクには友達なんていません」
「……あっ、そう。わかった。ごめんね」
男はそそくさと去っていった。小さく舌打ちする音が聞こえた。
その時、ズボンのポケットが震えていることに気づく。アルトは慌ててスマートフォンを取り出し、画面を確認した。
「あと五分か。さっさと準備しないとな」
アルトは階段を二段飛ばしで駆け上がり、勇斗の部屋へ飛び込んだ。
再びインターホンが鳴る。
モニターには光太の姿が映っていた。ニット帽をかぶり、紺色のジャンパーのポケットに手を入れている。吐く息が白い。
アルトは黄色いパーカーの上に黒いダッフルコートを羽織り、玄関を開けた。
「これからどこに行くんだ? 教えてくれてもいいだろ」
今朝、スマートフォンに光太からメッセージが届いていた。ちょっと付き合ってほしい、という内容だった。
「お前にはちょっとした息抜きが必要かなって思ってさ。昨日オープンしたショッピングモールに遊びに行こうぜ」
「遊んでいる場合じゃない。ボクは早く元の世界に戻る手がかりを見つけないといけないんだ」
「それ、ずっと言ってるけど、見つかったのか?」
「それは……」
アルトは視線をそらし、唇を噛んだ。
この世界に来て一か月近く。手がかりは、何ひとつ増えていなかった。
「目先のことばっか追ってたら、見つかるもんも見つからないって。ちょっと気分転換して、見方を変えてみたら、何か見えてくることもあるだろ?」
「そういうものなのか?」
「そういうもんなんだって。つーことで、一緒に来てくれるよな?」
「……わかった。少しだけだぞ」
ショッピングモールに着いた。
『新装開店』と大きく書かれた立て看板のそばには、祝いの花がいくつも並んでいる。
アルトの目の前で、巨大な透明の板が左右に開いた。招かれているのか、と一瞬思う。この世界は、自動で開く扉が多い。
中へ入ると、赤と緑の光が目に飛び込んできた。同時に、陽気な音楽が頭上から降ってくる。立ち止まったアルトと光太の横を、大勢の親子連れが通り過ぎていった。
「もうクリスマス仕様なんだな」
「クリスマスって何だ?」
「年に一度のイベントだよ。いい子にはサンタからプレゼントがもらえるんだ」
「へぇ」
「お前、あんまり興味なさそうだな。まあ、楽しいこととは無縁っぽいから仕方ないか」
「楽しみなんて、勇者にはいらない」
「はいはい」
光太のあとを追って、アルトはモールの中を歩いた。食べ物の店、服の店、雑貨の店。見たことのないものばかりが並んでいる。
館内アナウンスが流れた。
『高日町からお越しの楠勇太くん、お母様がお待ちです。インフォメーションカウンターまでお越しください』
二階へ上がると、アルトは武器のようなものが並んだ一角を見つけた。鋭い刃がずらりと並び、店主がそれで野菜を鮮やかに切っている。
「あれは武器屋か?」
「包丁の実演販売だよ。料理に使うやつ。つーか、この世界にお前の思ってるような武器屋なんてねーよ。一般人が刀とか銃とか持ち歩いてたら罰せられるんだからな」
「不便だな。武器なしでどうやって敵と戦うんだ?」
「さすが異世界の勇者様の発想だな。まあ、そういうのは警察に任せるんだよ。お前は本気でやるなよ? 怪我させたり殺したりしたら、普通に牢屋行きだからな」
無防備すぎる世界だ、とアルトは思った。
「お買い上げありがとうございます!」
子連れの女性が、包丁を一本買っていた。ケースに入れられたそれを鞄へしまい、子どもの手を引いて去っていく。
女性に手を引かれた小さな少年が、振り返ってアルトを見た。怯えたような目だった。
「何してるの、行くわよ?」
にっこりと微笑んだ女性が、少年の手を引く。
少年の顔が強張った。
「アルト、行くぞ。腹減ったから昼メシにしようぜ」
「ああ、そうだな」
アルトはショッピングモール二階のハンバーガーショップで席に着いた。テーブルには、光太が買った漫画やトレーディングカードが乱雑に置かれている。
「お待たせ」
光太が両手のトレイをテーブルへ置いた。ハンバーガーとジンジャーエールが二つずつ乗っている。
「どうだ? 少しは気分転換になったか?」
「全然」
アルトはダッフルコートを脱ぎ、椅子の背に引っかけた。
「おもちゃ売り場で目を輝かせてたやつはだれだよ」
「あれは、珍しいものがたくさんあったから」
アルトは頬を赤らめ、視線を横へ逸らした。椅子の上に置かれた袋の中には、新品のプラモデルの箱が入っている。
「異世界の勇者でも、中身はただの男の子なんだな」
光太はジンジャーエールをずずっと吸った。
「それにしても、お前、最近ちょっと変わったよな」
「変わった?」
「少しだけな」
アルトは、モールで買ったマスタードをたっぷりかけたハンバーガーを噛みながら、天井を見上げた。何が変わったのかはわからない。だが、こうしてくだらない話をしている時間が、前ほど不快ではなくなっていることに気づき、少しだけ眉をひそめた。
三十分ほど過ごしたあと、光太がトレイを持って立ち上がる。
「これからどこ行く? ゲーセン? それともカラオケ?」
「好きにしてくれ」
アルトは、氷が溶けて薄くなったジンジャーエールを一気に飲み干した。
「きゃあああああああっ!」
「救急車! 警察も呼べ!」
店の外から悲鳴と怒号が飛び込んできた。
「な、なんだぁ?」
アルトは店を飛び出した。騒ぎは一階で起きているらしい。背伸びをして吹き抜けから下を見る。
刃物を持った人物の周囲が、赤く汚れていた。
「あの人」
目を凝らす。さっき包丁を買っていた子連れの女性だ。右手には刃先を赤く染めた包丁。左手には、怯える少年の手。
「おいおい、マジでやべーことになってんじゃん」
光太の声が震えた。
その時だった。
女が、二階にいるアルトへ視線を向ける。
心臓に針を打ち込まれたような感覚が走った。魔族だ。いや、それ以上だ。
「……魔神」
アルトは柵に手をかけ、跳んだ。一階の床へ着地した瞬間、女と目が合う。大きく見開かれたその目は、血走っていた。
来る。
アルトは身構えた。
女が奇声を上げ、髪を振り乱しながら襲いかかってくる。包丁の刃先がパーカーをかすめた。
「うわぁぁぁぁっ! 離してよおばさん! 痛いよぅ!」
包丁が振り回される。アルトは刃をかわし続けた。相手は武器持ち、こちらは素手。だが、隙は多い。訓練された動きではない。
女がわずかによろけた。
その瞬間、アルトは右拳に力を込めた。
だが、女は少年を引き寄せた。
「ちっ」
拳の先にあったのは、少年の顔だった。
思わず手が止まる。
人質を盾にした。
またか。
「うわああああああっ! 助けて、助けてぇっ!」
少年が泣き叫ぶ。アルトは首を振った。
「お兄ちゃん、助けてっ!」
助けてやる。だから泣くな。
アルトは小さく息を吐き、両手を構えた。女が飛びかかってくる。
刃が、アルトの右腕に突き刺さった。
「ぐっ」
捉えた。アルトは左手で女の右腕を掴み、力を込める。鈍い音とともに女が悲鳴を上げ、包丁を手放した。すかさず腹へ蹴りを叩き込む。
女は尻もちをつき、少年の手が離れた。
「早くどっか行け!」
アルトは叫んだ。だが、少年はその場にうずくまったままだ。
「う、おおおおおおっ!」
光太が飛び込み、少年を抱えて走り去る。
あいつ、やるな。
「さて」
アルトは自身の右腕に刺さった包丁を引き抜き、刃先を女へ向けた。
「お前は何者だ。魔神とどういう関係がある」
包丁を突きつけ、にじり寄る。女はなお鋭い目を向け、歯軋りしながら野獣のような唸り声を上げていた。
次の瞬間、アルトの体が大きく吹き飛んだ。
頭からショーケースへ激突する。ガラスが飛び散り、包丁が床を滑っていった。
倒れたアルトへ、女が馬乗りになる。振り払おうとしても、まるで動かない。息を荒げた女の両手が、アルトの首へかかった。ぎりぎりと締めつけられる。この力、尋常ではない。このまま首の骨を折るつもりか。
「そこまでだっ!」
三人の警官が飛び込み、女を力づくで引きはがした。なおも暴れ続ける女の服の隙間から、何かが床へ転がる。
「これは」
紅いカケラだった。禍々しい光を放っている。体を起こしたアルトがそれを拾うと、女は糸が切れたように気を失い、崩れ落ちた。
「きみ、大丈夫か? 早く病院に行ったほうがいい」
警官の声が曇る。アルトの頭と右腕から、血が流れていた。
「ああ、慣れてますので。大丈夫です」
サイレンがけたたましく響く。
アルトは紅いカケラを見つめた。
次の瞬間、それは音もなく砕け散った。
ニュース番組が流れている。『また闇バイトか』というテロップが表示されていた。老人が自宅で何者かに襲われ、犯人は現金を奪って逃走中――アナウンサーが淡々と告げている。
この世界にも賊はいるのか、とアルトは思った。
昔、ソレイン王国に賊が侵入した日のことを思い出す。あの時はシグネリアが人質に取られた。気づけば賊を殺していた。悪を倒すことに、罪悪感はなかった。人間も魔族も関係ない。悪は、倒さなくてはならない。
次のニュースに切り替わった。全焼した旧高日小学校の取り壊し工事が始まったらしい。焼け焦げた校舎の映像が上空から映し出される。
その映像を見た瞬間、アルトは妙な違和感を覚えた。
インターホンが鳴る。
今日は勇斗の母が外出している。出るのはボクしかいない。
モニターを見ると、つばのある帽子を深くかぶった男が、封筒を脇に挟んで立っていた。
「はい、だれですか?」
受話器を取ると、耳元から男の声が響いた。
「こんにちはー! 簡単なアンケートを取って回ってるんですけど、玄関、開けてもらっていいですかぁー?」
妙にはつらつとした声だった。正直、耳障りだ。
アルトが玄関を開けると、男は口角を上げた。
「君、一人? お母さんかお父さん、いるかな?」
男は膝を曲げ、やさしい口調で尋ねてきた。帽子のせいで目元はよく見えない。
「ボクには両親はいません。物心ついた時には孤児院にいました」
正直に答えると、男は目に見えて固まった。
「えっと……じゃあ、ここには君一人で住んでるのかな?」
「ボクは早く元の世界に戻る方法を見つけなければいけません。この家には、一時的に泊まっているだけです」
男は汗をにじませ、視線を泳がせた。
「じゃ、じゃあ、きみのお友達の名前と電話番号を教えてくれる?」
「ボクには友達なんていません」
「……あっ、そう。わかった。ごめんね」
男はそそくさと去っていった。小さく舌打ちする音が聞こえた。
その時、ズボンのポケットが震えていることに気づく。アルトは慌ててスマートフォンを取り出し、画面を確認した。
「あと五分か。さっさと準備しないとな」
アルトは階段を二段飛ばしで駆け上がり、勇斗の部屋へ飛び込んだ。
再びインターホンが鳴る。
モニターには光太の姿が映っていた。ニット帽をかぶり、紺色のジャンパーのポケットに手を入れている。吐く息が白い。
アルトは黄色いパーカーの上に黒いダッフルコートを羽織り、玄関を開けた。
「これからどこに行くんだ? 教えてくれてもいいだろ」
今朝、スマートフォンに光太からメッセージが届いていた。ちょっと付き合ってほしい、という内容だった。
「お前にはちょっとした息抜きが必要かなって思ってさ。昨日オープンしたショッピングモールに遊びに行こうぜ」
「遊んでいる場合じゃない。ボクは早く元の世界に戻る手がかりを見つけないといけないんだ」
「それ、ずっと言ってるけど、見つかったのか?」
「それは……」
アルトは視線をそらし、唇を噛んだ。
この世界に来て一か月近く。手がかりは、何ひとつ増えていなかった。
「目先のことばっか追ってたら、見つかるもんも見つからないって。ちょっと気分転換して、見方を変えてみたら、何か見えてくることもあるだろ?」
「そういうものなのか?」
「そういうもんなんだって。つーことで、一緒に来てくれるよな?」
「……わかった。少しだけだぞ」
ショッピングモールに着いた。
『新装開店』と大きく書かれた立て看板のそばには、祝いの花がいくつも並んでいる。
アルトの目の前で、巨大な透明の板が左右に開いた。招かれているのか、と一瞬思う。この世界は、自動で開く扉が多い。
中へ入ると、赤と緑の光が目に飛び込んできた。同時に、陽気な音楽が頭上から降ってくる。立ち止まったアルトと光太の横を、大勢の親子連れが通り過ぎていった。
「もうクリスマス仕様なんだな」
「クリスマスって何だ?」
「年に一度のイベントだよ。いい子にはサンタからプレゼントがもらえるんだ」
「へぇ」
「お前、あんまり興味なさそうだな。まあ、楽しいこととは無縁っぽいから仕方ないか」
「楽しみなんて、勇者にはいらない」
「はいはい」
光太のあとを追って、アルトはモールの中を歩いた。食べ物の店、服の店、雑貨の店。見たことのないものばかりが並んでいる。
館内アナウンスが流れた。
『高日町からお越しの楠勇太くん、お母様がお待ちです。インフォメーションカウンターまでお越しください』
二階へ上がると、アルトは武器のようなものが並んだ一角を見つけた。鋭い刃がずらりと並び、店主がそれで野菜を鮮やかに切っている。
「あれは武器屋か?」
「包丁の実演販売だよ。料理に使うやつ。つーか、この世界にお前の思ってるような武器屋なんてねーよ。一般人が刀とか銃とか持ち歩いてたら罰せられるんだからな」
「不便だな。武器なしでどうやって敵と戦うんだ?」
「さすが異世界の勇者様の発想だな。まあ、そういうのは警察に任せるんだよ。お前は本気でやるなよ? 怪我させたり殺したりしたら、普通に牢屋行きだからな」
無防備すぎる世界だ、とアルトは思った。
「お買い上げありがとうございます!」
子連れの女性が、包丁を一本買っていた。ケースに入れられたそれを鞄へしまい、子どもの手を引いて去っていく。
女性に手を引かれた小さな少年が、振り返ってアルトを見た。怯えたような目だった。
「何してるの、行くわよ?」
にっこりと微笑んだ女性が、少年の手を引く。
少年の顔が強張った。
「アルト、行くぞ。腹減ったから昼メシにしようぜ」
「ああ、そうだな」
アルトはショッピングモール二階のハンバーガーショップで席に着いた。テーブルには、光太が買った漫画やトレーディングカードが乱雑に置かれている。
「お待たせ」
光太が両手のトレイをテーブルへ置いた。ハンバーガーとジンジャーエールが二つずつ乗っている。
「どうだ? 少しは気分転換になったか?」
「全然」
アルトはダッフルコートを脱ぎ、椅子の背に引っかけた。
「おもちゃ売り場で目を輝かせてたやつはだれだよ」
「あれは、珍しいものがたくさんあったから」
アルトは頬を赤らめ、視線を横へ逸らした。椅子の上に置かれた袋の中には、新品のプラモデルの箱が入っている。
「異世界の勇者でも、中身はただの男の子なんだな」
光太はジンジャーエールをずずっと吸った。
「それにしても、お前、最近ちょっと変わったよな」
「変わった?」
「少しだけな」
アルトは、モールで買ったマスタードをたっぷりかけたハンバーガーを噛みながら、天井を見上げた。何が変わったのかはわからない。だが、こうしてくだらない話をしている時間が、前ほど不快ではなくなっていることに気づき、少しだけ眉をひそめた。
三十分ほど過ごしたあと、光太がトレイを持って立ち上がる。
「これからどこ行く? ゲーセン? それともカラオケ?」
「好きにしてくれ」
アルトは、氷が溶けて薄くなったジンジャーエールを一気に飲み干した。
「きゃあああああああっ!」
「救急車! 警察も呼べ!」
店の外から悲鳴と怒号が飛び込んできた。
「な、なんだぁ?」
アルトは店を飛び出した。騒ぎは一階で起きているらしい。背伸びをして吹き抜けから下を見る。
刃物を持った人物の周囲が、赤く汚れていた。
「あの人」
目を凝らす。さっき包丁を買っていた子連れの女性だ。右手には刃先を赤く染めた包丁。左手には、怯える少年の手。
「おいおい、マジでやべーことになってんじゃん」
光太の声が震えた。
その時だった。
女が、二階にいるアルトへ視線を向ける。
心臓に針を打ち込まれたような感覚が走った。魔族だ。いや、それ以上だ。
「……魔神」
アルトは柵に手をかけ、跳んだ。一階の床へ着地した瞬間、女と目が合う。大きく見開かれたその目は、血走っていた。
来る。
アルトは身構えた。
女が奇声を上げ、髪を振り乱しながら襲いかかってくる。包丁の刃先がパーカーをかすめた。
「うわぁぁぁぁっ! 離してよおばさん! 痛いよぅ!」
包丁が振り回される。アルトは刃をかわし続けた。相手は武器持ち、こちらは素手。だが、隙は多い。訓練された動きではない。
女がわずかによろけた。
その瞬間、アルトは右拳に力を込めた。
だが、女は少年を引き寄せた。
「ちっ」
拳の先にあったのは、少年の顔だった。
思わず手が止まる。
人質を盾にした。
またか。
「うわああああああっ! 助けて、助けてぇっ!」
少年が泣き叫ぶ。アルトは首を振った。
「お兄ちゃん、助けてっ!」
助けてやる。だから泣くな。
アルトは小さく息を吐き、両手を構えた。女が飛びかかってくる。
刃が、アルトの右腕に突き刺さった。
「ぐっ」
捉えた。アルトは左手で女の右腕を掴み、力を込める。鈍い音とともに女が悲鳴を上げ、包丁を手放した。すかさず腹へ蹴りを叩き込む。
女は尻もちをつき、少年の手が離れた。
「早くどっか行け!」
アルトは叫んだ。だが、少年はその場にうずくまったままだ。
「う、おおおおおおっ!」
光太が飛び込み、少年を抱えて走り去る。
あいつ、やるな。
「さて」
アルトは自身の右腕に刺さった包丁を引き抜き、刃先を女へ向けた。
「お前は何者だ。魔神とどういう関係がある」
包丁を突きつけ、にじり寄る。女はなお鋭い目を向け、歯軋りしながら野獣のような唸り声を上げていた。
次の瞬間、アルトの体が大きく吹き飛んだ。
頭からショーケースへ激突する。ガラスが飛び散り、包丁が床を滑っていった。
倒れたアルトへ、女が馬乗りになる。振り払おうとしても、まるで動かない。息を荒げた女の両手が、アルトの首へかかった。ぎりぎりと締めつけられる。この力、尋常ではない。このまま首の骨を折るつもりか。
「そこまでだっ!」
三人の警官が飛び込み、女を力づくで引きはがした。なおも暴れ続ける女の服の隙間から、何かが床へ転がる。
「これは」
紅いカケラだった。禍々しい光を放っている。体を起こしたアルトがそれを拾うと、女は糸が切れたように気を失い、崩れ落ちた。
「きみ、大丈夫か? 早く病院に行ったほうがいい」
警官の声が曇る。アルトの頭と右腕から、血が流れていた。
「ああ、慣れてますので。大丈夫です」
サイレンがけたたましく響く。
アルトは紅いカケラを見つめた。
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