追想
ー/ー 雪がちらつく中、緑煙がゆっくりとルークの口から吐き出される。
「ところでルーク、魔女の噂って本当なのかな」
ランパが、おどおどしながら小さな声で尋ねた。
「魔女か。魔神の側近で、惑わしの術を使うと村長は言っていたな。大陸中の女を次々とさらっているらしいじゃないか」
「何のためだろう」
「さあな」
ルークはドラシガーの灰をそっと落とした。
「あのレタっていう子、大丈夫かな。その魔女にさらわれたりしないよな。オイラ、心配だ」
「その時は、私が全力で奪い返しに行くまでさ」
「好きなのか?」
「ああ。一目惚れってやつだ」
ルークは少し口元をゆるめた。
「いずれ妻として迎えたい」
「あぁ、いたいた」
三つ目を持つ大きなフクロウが、上空からゆっくりと降下してきた。
「おお、コタじゃないか。こんなところまで来て、どうした?」
「あなたたちを探していたのです。レブンも来ていますよ」
彼方から、空気を裂くような鋭い雄叫びが響いた。声は凄まじい速さで近づいてくる。低いうなりとともに、その姿が雪原の向こうに現れた。
巨大な黒い狼だった。四足で疾走しながら、白銀の飛沫を舞い上げている。ルークたちの前で急停止すると、体をぶるると震わせ、雪を払い落とした。
「コタ、空を飛ぶなんてずるいよ!」
「レブン、あなたには強靭な足があるでしょう?」
鋭い牙と隻眼という強面に似合わず、レブンの声は妙に子どもっぽかった。コタはいつもの落ち着いた声で、そっけなく返す。
「コタ! レブン!」
ランパが目を輝かせながら、二人を見た。
「やぁチビくん! 元気だった? ごはん、ちゃんと食べてる?」
レブンの大きな舌が、ランパをぺろぺろとなめた。
「レブン、くすぐったい。やめてくれよぅ」
「ランパ、体の調子はどうですか?」
コタの額にある金色の瞳が、よだれまみれのランパをじっと観察する。
「うん、バッチリ! でもこの寒さはこたえる。風邪ひいちゃいそうだな」
ランパは鼻水をずずっとすすった。
「それで、二人が私たちを探していた理由とは?」
ルークが煙を吐いた。
「とある村の女性が全員姿を消したのです。おそらく……」
「魔女の仕業か」
「ルーク、魔女のことを知っていたの?」
「ああ、今知ったところだよ」
「そうでしたか。それなら話が早い。貴方の母君、チキサ様からのお達しです。魔女を倒し、さらわれた人々を助けよ、と」
「ふむ。魔女の居場所の見当はついているのか?」
「まだです。影のように現れ、闇に消えていくので情報がつかみきれていません」
「難儀だな。そうだ、コタ、眼は使えないか?」
ルークの問いに、コタは顔を九十度に傾げた。
「たしかに私の眼は未来を視ることができます。しかし、そう都合よく特定の人物の情報を得るのは難しい。何が映るかも定まりません」
「だめもとでやっちゃえば? 偶然ヒントが映るかもしれないじゃん」
レブンが大きなあくびをした。
「まあ、せっかくなのでやってみましょうか。あまり期待はしないでください」
コタは翼を大きく広げ、瞑想するように静かに目を閉じた。
「どう?」
「レブン、少し黙っていてください。気が散ります――おや?」
「どうした、何か見えたのか?」
「これは……かなり先の未来でしょうか。森の奥深くで行われている、何かの儀式。儀式を行っているのは、人間に近い三つ目の種族……そんな、馬鹿な」
コタはすべての目を見開き、広げた羽を小刻みに震わせた。
「儀式の中に、ヴェンの気配を感じました。その影響か、多くの人が無残に死んでいました」
「え? ヴェンは死んだでしょ? オレたち見てたじゃん」
「ええ、たしかに。やつは跡形もなく消滅しました。でも、しかし……」
「何かの間違いじゃないの?」
「そうであってほしいものですね」
コタとレブンは顔を見合わせた。どちらも険しい表情をしている。
「コタ、すまない。無駄に力を使わせてしまった。やはり地道に探すしかないようだな」
ルークの口から煙が吐き出される。
「ルーク!」
村の方角から、女性が走ってきた。霞のような美しい髪が慌ただしく揺れている。
「おお、レタじゃないか。どうした?」
「旅立つ前に、お渡ししたいものがありまして。あら、そちらのお二人はどちら様でしょう?」
レタは息を切らせながら、コタとレブンを見つめた。
「初めましてお嬢さん。私は始祖精霊のコタ。以後お見知りおきを」
「オレは始祖精霊のレブンだ。よろしくね」
「えっと、始祖精霊様? やだ、そんな高貴なお方だとは。はじめまして、レタと申します」
「ははっ、かしこまらなくても平気だよ。彼らは私の昔からの友人だ。気軽に話していいさ」
「そう、でしたか」
「で、私に渡すものって?」
「お食事を作ってきました。簡単なものですけど、旅の途中でお腹が空いた時に食べてください」
「ありがとう、嬉しいよ」
「ランパくんの分もありますよ」
「あ、ありがと」
小包を受け取ったランパは、きょとんとした顔をしていた。
「あと、これはお守りの石なんですけど、ここまで来る途中に転んで割ってしまって」
レタは申し訳なさそうに、手のひらの上の石を見せた。透き通った石が、半分に割れている。
「見たこともない石ですね。かなり繊細だ。これはどこで?」
コタが首を真横に傾げた。
「わたしの祖母が大事にしていたものです。聞いたところ、大切な人の魂を宿す力があるのだとか。でも壊しちゃって、死んだ祖母になんて謝ったらいいのか」
レタはうつむき、静かに涙を流した。
「レタ、泣くことはない。その石を貸してくれ」
ルークはレタの手のひらから割れた石をそっと取り上げ、眺めた。
「美しい。まるで、きみのようだ。壊れたままにしておくのはもったいない。そうだ、コタ、ちょっといいかな?」
「はい……って、痛っ! 急に何するのです?」
コタの羽が素早く引き抜かれた。
「すまない、コタ」
ランパの小さな手の上に、割れた石とコタの羽が置かれた。
「ランパ、力を使ってくれ」
「い、いいのか?」
「やってくれ」
「わ、わかったよ」
ランパは石と羽を両手で包み込んだ。次第に、手の中から光があふれだす。その光景を見たレタが感嘆の声を漏らした。
「できたぞ」
ランパの手のひらに乗っていたのは、羽の形をした小さな耳飾りだった。
「二つのものが一つに……」
「これが樹の精霊であるランパの力さ。不思議な能力だろう?」
「ええ、とっても素敵」
レタの頬が緩む。ランパはうつむき、頬を赤らめていた。
「ルーク、その飾りは貴方に差し上げます。元となった石は、貴方にお渡しするつもりでしたので」
「ありがとう、感謝する」
「また、会いにきてくださいね」
「ああ、約束しよう」
ルークがレタに向かって迷いなく手を伸ばす。恥ずかしそうに、レタも手を伸ばした。
二人の手は触れなかった。
レタの足元に、不気味な影が現れる。
次の瞬間、その闇に彼女の体は呑み込まれていた。
ルークは即座に聖剣を抜き、辺りを見回す。
ヒヒヒ、と耳障りな甲高い笑い声が雪原に響き渡った。
「何者だ!」
「あたしゃ、アンタらが魔女と呼んでいる存在さ。勇者ルーク、この娘を助けたければ北にある神殿までおいで。たくさんおもてなしをしてあげるよ」
「貴様ッ!」
ルークが吠えた。
◇
目を覚ますと、ゆっくり流れる雲が見えた。
勇斗が上体を起こすと、チカップと目が合う。
「大丈夫ッスか?」
チカップの額に巻かれていた包帯は、もうない。隠されていた第三の目が露わになっている。
「ここは……?」
勇斗は立ち上がり、周囲を見回した。
「塔から落ちたと思ったら、風に乗ってここまで戻ってきたんス。あ、ランパも無事ッスよ」
「そう、よかった」
勇斗がはにかんだ、その時だった。緑の風がふわりと彼を包み込む。
――ぼかぁ、風の大精霊でし。今一度、聖剣に宿るでし。
勇斗は聖剣クトネシスへ目を落とした。柄に埋め込まれた緑の宝石へ、周囲の風が吸い込まれていく。
残る封印は、あと二つ。
「チカップ、きみはこれからどうするの?」
「ユートたちについていくッス。集落には、もう戻れないから」
チカップは欄干のそばまで歩き、オル族の集落がある方角をじっと見つめた。左耳についた羽の形の耳飾りが、風に揺れる。
「いやー、ハラハラしたぞー!」
ランパがスキップしながら近づいてきた。
「ランパ、僕はきみの記憶を見たよ」
「オイラも見たぞ。また少し思い出した」
「ねぇ、魔女に連れ去られたレタはどうなったの?」
「まだ、そこまでは思い出せない」
「そう……」
勇斗はふと、ソーマへ視線を移した。レタと同じ霞がかった髪色の彼女は、ぼんやりと空を仰いでいる。
「それよりユート、ボロボロじゃん。ドラシガーは?」
「ごめん、切らしちゃった。作ってくれる?」
「わかった。指輪を貸してくれ」
ランパは受け取った四つの指輪と精霊樹の葉を重ね、ドラシガーを四本生み出した。
「無駄遣いするなよー」
「うん、肝に銘じる」
勇斗は四本のうち三本をマントの内側へしまい、残り一本に火をつけた。
ゆっくり煙を吸い込む。口の中で転がす。ほのかな甘みに、張りつめていた神経が少しだけほどけた。口内から吸収されたマナが全身を巡り、痛みを和らげていく。
「ふぅ」
勇斗の口から、淡い緑の煙が吐き出された。
「ユート、一服してるところ悪いけど、なんかヤバいのが来る」
ランパは眉をきつくひそめ、苦虫を噛み潰したような顔をしていた。精霊樹の枝を持つ手が、ぶるぶると震えている。
一瞬、風が止んだ。
ぞくりと、勇斗の背筋に寒気が走る。
遠くから、何かが接近してくる音がした。空気を裂くような鋭い羽ばたきの音。
空を見上げた瞬間、巨大な影が視界を横切った。
飛竜――?
真紅の鱗を持つ巨大な飛竜が、ゆっくりと降下してくる。
その背には、漆黒の鎧をまとった者が立っていた。顔はフルフェイスの兜に覆われ、微動だにしない。
そいつは、ただ静かに勇斗たちを見下ろしていた。
計り知れない威圧感だった。
勇斗たちは、動くことも、言葉を発することもできなかった。息が止まる。
しばらくして、赤い飛竜が再び翼を羽ばたかせた。
漆黒の鎧の者は、そのまま勇斗たちの視界から姿を消した。
風が、ようやく穏やかに流れはじめる。
勇斗は崩れるように両膝をついた。ドラシガーの先端からのぼる煙は、糸のように細く張りつめている。
視界の端がゆらゆらと揺れた。全身を、得体の知れない冷たいものに締めつけられるようだった。
「オイラ、あの感じ、知ってる。あいつは、魔神だ」
ランパが低い声で言った。
「どういうことッスか?」
チカップが首を傾げる。
「うまく言えないんだけど、さっきの黒いやつを見た時、知ってる感じがしたんだ。理由はわかんねぇ。でも、あの鎧、あの空気。全部、眠る前に感じたことがある」
勇斗は頭の中で情報をつなぎ合わせた。
はるか昔、ルークとランパはマナの女神チキサの命で、魔神退治の旅をしていた。ロンの話では、魔神はルークによって封印されたという。なら、ランパもその場にいたのだろうか。
アルトとの会話がよみがえる。封印が解かれた魔神を、彼は倒したと言っていた。
では、さっきのあれは何だ。倒しきれていなかったのか。それとも、まったく別の存在なのか。
ただ一つ確かなのは――魔神という存在が、まだこの世界にいるということだった。
勇斗は、みぞおちを掴まれるような痛みを覚えた。
「ところでルーク、魔女の噂って本当なのかな」
ランパが、おどおどしながら小さな声で尋ねた。
「魔女か。魔神の側近で、惑わしの術を使うと村長は言っていたな。大陸中の女を次々とさらっているらしいじゃないか」
「何のためだろう」
「さあな」
ルークはドラシガーの灰をそっと落とした。
「あのレタっていう子、大丈夫かな。その魔女にさらわれたりしないよな。オイラ、心配だ」
「その時は、私が全力で奪い返しに行くまでさ」
「好きなのか?」
「ああ。一目惚れってやつだ」
ルークは少し口元をゆるめた。
「いずれ妻として迎えたい」
「あぁ、いたいた」
三つ目を持つ大きなフクロウが、上空からゆっくりと降下してきた。
「おお、コタじゃないか。こんなところまで来て、どうした?」
「あなたたちを探していたのです。レブンも来ていますよ」
彼方から、空気を裂くような鋭い雄叫びが響いた。声は凄まじい速さで近づいてくる。低いうなりとともに、その姿が雪原の向こうに現れた。
巨大な黒い狼だった。四足で疾走しながら、白銀の飛沫を舞い上げている。ルークたちの前で急停止すると、体をぶるると震わせ、雪を払い落とした。
「コタ、空を飛ぶなんてずるいよ!」
「レブン、あなたには強靭な足があるでしょう?」
鋭い牙と隻眼という強面に似合わず、レブンの声は妙に子どもっぽかった。コタはいつもの落ち着いた声で、そっけなく返す。
「コタ! レブン!」
ランパが目を輝かせながら、二人を見た。
「やぁチビくん! 元気だった? ごはん、ちゃんと食べてる?」
レブンの大きな舌が、ランパをぺろぺろとなめた。
「レブン、くすぐったい。やめてくれよぅ」
「ランパ、体の調子はどうですか?」
コタの額にある金色の瞳が、よだれまみれのランパをじっと観察する。
「うん、バッチリ! でもこの寒さはこたえる。風邪ひいちゃいそうだな」
ランパは鼻水をずずっとすすった。
「それで、二人が私たちを探していた理由とは?」
ルークが煙を吐いた。
「とある村の女性が全員姿を消したのです。おそらく……」
「魔女の仕業か」
「ルーク、魔女のことを知っていたの?」
「ああ、今知ったところだよ」
「そうでしたか。それなら話が早い。貴方の母君、チキサ様からのお達しです。魔女を倒し、さらわれた人々を助けよ、と」
「ふむ。魔女の居場所の見当はついているのか?」
「まだです。影のように現れ、闇に消えていくので情報がつかみきれていません」
「難儀だな。そうだ、コタ、眼は使えないか?」
ルークの問いに、コタは顔を九十度に傾げた。
「たしかに私の眼は未来を視ることができます。しかし、そう都合よく特定の人物の情報を得るのは難しい。何が映るかも定まりません」
「だめもとでやっちゃえば? 偶然ヒントが映るかもしれないじゃん」
レブンが大きなあくびをした。
「まあ、せっかくなのでやってみましょうか。あまり期待はしないでください」
コタは翼を大きく広げ、瞑想するように静かに目を閉じた。
「どう?」
「レブン、少し黙っていてください。気が散ります――おや?」
「どうした、何か見えたのか?」
「これは……かなり先の未来でしょうか。森の奥深くで行われている、何かの儀式。儀式を行っているのは、人間に近い三つ目の種族……そんな、馬鹿な」
コタはすべての目を見開き、広げた羽を小刻みに震わせた。
「儀式の中に、ヴェンの気配を感じました。その影響か、多くの人が無残に死んでいました」
「え? ヴェンは死んだでしょ? オレたち見てたじゃん」
「ええ、たしかに。やつは跡形もなく消滅しました。でも、しかし……」
「何かの間違いじゃないの?」
「そうであってほしいものですね」
コタとレブンは顔を見合わせた。どちらも険しい表情をしている。
「コタ、すまない。無駄に力を使わせてしまった。やはり地道に探すしかないようだな」
ルークの口から煙が吐き出される。
「ルーク!」
村の方角から、女性が走ってきた。霞のような美しい髪が慌ただしく揺れている。
「おお、レタじゃないか。どうした?」
「旅立つ前に、お渡ししたいものがありまして。あら、そちらのお二人はどちら様でしょう?」
レタは息を切らせながら、コタとレブンを見つめた。
「初めましてお嬢さん。私は始祖精霊のコタ。以後お見知りおきを」
「オレは始祖精霊のレブンだ。よろしくね」
「えっと、始祖精霊様? やだ、そんな高貴なお方だとは。はじめまして、レタと申します」
「ははっ、かしこまらなくても平気だよ。彼らは私の昔からの友人だ。気軽に話していいさ」
「そう、でしたか」
「で、私に渡すものって?」
「お食事を作ってきました。簡単なものですけど、旅の途中でお腹が空いた時に食べてください」
「ありがとう、嬉しいよ」
「ランパくんの分もありますよ」
「あ、ありがと」
小包を受け取ったランパは、きょとんとした顔をしていた。
「あと、これはお守りの石なんですけど、ここまで来る途中に転んで割ってしまって」
レタは申し訳なさそうに、手のひらの上の石を見せた。透き通った石が、半分に割れている。
「見たこともない石ですね。かなり繊細だ。これはどこで?」
コタが首を真横に傾げた。
「わたしの祖母が大事にしていたものです。聞いたところ、大切な人の魂を宿す力があるのだとか。でも壊しちゃって、死んだ祖母になんて謝ったらいいのか」
レタはうつむき、静かに涙を流した。
「レタ、泣くことはない。その石を貸してくれ」
ルークはレタの手のひらから割れた石をそっと取り上げ、眺めた。
「美しい。まるで、きみのようだ。壊れたままにしておくのはもったいない。そうだ、コタ、ちょっといいかな?」
「はい……って、痛っ! 急に何するのです?」
コタの羽が素早く引き抜かれた。
「すまない、コタ」
ランパの小さな手の上に、割れた石とコタの羽が置かれた。
「ランパ、力を使ってくれ」
「い、いいのか?」
「やってくれ」
「わ、わかったよ」
ランパは石と羽を両手で包み込んだ。次第に、手の中から光があふれだす。その光景を見たレタが感嘆の声を漏らした。
「できたぞ」
ランパの手のひらに乗っていたのは、羽の形をした小さな耳飾りだった。
「二つのものが一つに……」
「これが樹の精霊であるランパの力さ。不思議な能力だろう?」
「ええ、とっても素敵」
レタの頬が緩む。ランパはうつむき、頬を赤らめていた。
「ルーク、その飾りは貴方に差し上げます。元となった石は、貴方にお渡しするつもりでしたので」
「ありがとう、感謝する」
「また、会いにきてくださいね」
「ああ、約束しよう」
ルークがレタに向かって迷いなく手を伸ばす。恥ずかしそうに、レタも手を伸ばした。
二人の手は触れなかった。
レタの足元に、不気味な影が現れる。
次の瞬間、その闇に彼女の体は呑み込まれていた。
ルークは即座に聖剣を抜き、辺りを見回す。
ヒヒヒ、と耳障りな甲高い笑い声が雪原に響き渡った。
「何者だ!」
「あたしゃ、アンタらが魔女と呼んでいる存在さ。勇者ルーク、この娘を助けたければ北にある神殿までおいで。たくさんおもてなしをしてあげるよ」
「貴様ッ!」
ルークが吠えた。
◇
目を覚ますと、ゆっくり流れる雲が見えた。
勇斗が上体を起こすと、チカップと目が合う。
「大丈夫ッスか?」
チカップの額に巻かれていた包帯は、もうない。隠されていた第三の目が露わになっている。
「ここは……?」
勇斗は立ち上がり、周囲を見回した。
「塔から落ちたと思ったら、風に乗ってここまで戻ってきたんス。あ、ランパも無事ッスよ」
「そう、よかった」
勇斗がはにかんだ、その時だった。緑の風がふわりと彼を包み込む。
――ぼかぁ、風の大精霊でし。今一度、聖剣に宿るでし。
勇斗は聖剣クトネシスへ目を落とした。柄に埋め込まれた緑の宝石へ、周囲の風が吸い込まれていく。
残る封印は、あと二つ。
「チカップ、きみはこれからどうするの?」
「ユートたちについていくッス。集落には、もう戻れないから」
チカップは欄干のそばまで歩き、オル族の集落がある方角をじっと見つめた。左耳についた羽の形の耳飾りが、風に揺れる。
「いやー、ハラハラしたぞー!」
ランパがスキップしながら近づいてきた。
「ランパ、僕はきみの記憶を見たよ」
「オイラも見たぞ。また少し思い出した」
「ねぇ、魔女に連れ去られたレタはどうなったの?」
「まだ、そこまでは思い出せない」
「そう……」
勇斗はふと、ソーマへ視線を移した。レタと同じ霞がかった髪色の彼女は、ぼんやりと空を仰いでいる。
「それよりユート、ボロボロじゃん。ドラシガーは?」
「ごめん、切らしちゃった。作ってくれる?」
「わかった。指輪を貸してくれ」
ランパは受け取った四つの指輪と精霊樹の葉を重ね、ドラシガーを四本生み出した。
「無駄遣いするなよー」
「うん、肝に銘じる」
勇斗は四本のうち三本をマントの内側へしまい、残り一本に火をつけた。
ゆっくり煙を吸い込む。口の中で転がす。ほのかな甘みに、張りつめていた神経が少しだけほどけた。口内から吸収されたマナが全身を巡り、痛みを和らげていく。
「ふぅ」
勇斗の口から、淡い緑の煙が吐き出された。
「ユート、一服してるところ悪いけど、なんかヤバいのが来る」
ランパは眉をきつくひそめ、苦虫を噛み潰したような顔をしていた。精霊樹の枝を持つ手が、ぶるぶると震えている。
一瞬、風が止んだ。
ぞくりと、勇斗の背筋に寒気が走る。
遠くから、何かが接近してくる音がした。空気を裂くような鋭い羽ばたきの音。
空を見上げた瞬間、巨大な影が視界を横切った。
飛竜――?
真紅の鱗を持つ巨大な飛竜が、ゆっくりと降下してくる。
その背には、漆黒の鎧をまとった者が立っていた。顔はフルフェイスの兜に覆われ、微動だにしない。
そいつは、ただ静かに勇斗たちを見下ろしていた。
計り知れない威圧感だった。
勇斗たちは、動くことも、言葉を発することもできなかった。息が止まる。
しばらくして、赤い飛竜が再び翼を羽ばたかせた。
漆黒の鎧の者は、そのまま勇斗たちの視界から姿を消した。
風が、ようやく穏やかに流れはじめる。
勇斗は崩れるように両膝をついた。ドラシガーの先端からのぼる煙は、糸のように細く張りつめている。
視界の端がゆらゆらと揺れた。全身を、得体の知れない冷たいものに締めつけられるようだった。
「オイラ、あの感じ、知ってる。あいつは、魔神だ」
ランパが低い声で言った。
「どういうことッスか?」
チカップが首を傾げる。
「うまく言えないんだけど、さっきの黒いやつを見た時、知ってる感じがしたんだ。理由はわかんねぇ。でも、あの鎧、あの空気。全部、眠る前に感じたことがある」
勇斗は頭の中で情報をつなぎ合わせた。
はるか昔、ルークとランパはマナの女神チキサの命で、魔神退治の旅をしていた。ロンの話では、魔神はルークによって封印されたという。なら、ランパもその場にいたのだろうか。
アルトとの会話がよみがえる。封印が解かれた魔神を、彼は倒したと言っていた。
では、さっきのあれは何だ。倒しきれていなかったのか。それとも、まったく別の存在なのか。
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