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戦場≒(は)メリークリスマス

ー/ー



「お疲れーす」

「あ、お疲れ」

 冬空の下。喫煙所で紫煙をくゆらせていると、先日入ったばかりのアルバイトが缶コーヒー片手にやって来た。

「寒いっすね」

「そりゃあ、冬だからな」

 バイトのカノは俺の隣に腰を下ろすと、両手で缶コーヒーを「熱っ、熱っ」と転がしながら、首をすぼめる。熱さと寒さに振り回され忙しいカノに、思わず苦笑が洩れた。

「落ち着きのないやつだな」

「それ、小さい頃から枕詞みたいによく言われました。カシマさんはアレっすか」

 カノは若者らしい軽快で明朗な物言いで切り出した。

「この道に入って何年くらいなんすか」

「俺はバイトが三年、正社員になってからだと三十年とちょっとかな」

「へえ、ここってバイトから正社員になれるんすね」

 感心した様子でカノは寒空に直立するように伸びるもみの木を一瞥した。樹齢千年を優に越える巨木は季節柄イルミネーションで着飾られている。その美しさは夜空に輝く星々のように見るものを魅了するが、俺には馴れない甲冑を着込み身動きがとれずにいる武将のようで、ひどく気の毒に思える。

「カノは正社員希望?」

「いや……俺はそういんじゃないんで」

 急に歯切れが悪くなった。若者には若者の事情があるようだ。

「だって、この仕事めっちゃめちゃ寒いじゃないですか。世はAIの時代っすよ。わざわざ体力使って真冬に寒風を切るってバカみたいじゃないですか?」

「まあ、そこは配送業界の宿命だな」

「カシマさんは苦手な業務はないんすか?」

「あるぞ、あるある。俺は寒さには強いほうだが、アナログ世代の老兵だから機械に疎いわけよ。スマホもナビもギリで使える程度のスキルしか持ち合わせてねえし、これからどんな厄介なデジタルが導入されるか不安で仕方がない。でもな」

 俺はタバコの火をもみ消し、ポケットに手を入れた。スマホの待受画面をカノに向ける。

「家族写真っすか」

「ああ」

「いいっすね。きれいな奥さん。あ、こっちは娘さん? じゃあ、こっちはお孫さんかな」

「家族の笑顔のためにも俺は自分の仕事に誇りを持って働きたいのよ」

「へえ。かっこいいっすね、サムライみたい」

 嘘も媚びへつらいもないカノの言葉に俺は照れ臭くなり、新しいタバコに火をつけた。正直な若者は嫌いじゃない。

「実は叔父さんからの紹介だったんですよ、この仕事。無職でブラブラしていたところ、やってみないかって言われて。ぶっちゃけ、今回限りでやめようと思っていたとこだったんです。でも、気が変わりました。もう少し頑張ってみることにします」

「そうか」

「おーい、鹿島(かしま)鹿野(かの)。あと五分で出発するぞー!」

 ボスが俺たちを呼ぶ声がする。

 束の間の休息もそろそろ終いのようだ。

 仕事が再開されれば、また凍てつく上空を夜通し疾走しなければならない。

 去年はヒマラヤ山脈を越える辺りで同期の鹿内(しかない)がケガに倒れ、そのまま死んだ。あいつも生きていれば、今頃、可愛い孫の顔が見れただろうに。気の毒な戦友たちの顔がいくつもまぶたに浮かんだ。

 毎年クリスマスの前の晩。俺たちは文字通り戦場にいる。だが、走らぬわけにはいかない。

 世界中の子供たちにプレゼントを届けたい。すべてはボスの願いを叶えるためだ。

「今行きまーす! 鹿島さん、俺、先にボスの元に戻りますね」

「おう」

「よっしゃ、やるぞぉぉぉぉぉー!」

 鹿野は立派な角を天に掲げるようにして雄々しくいなないた。若者は元気がありすぎるくらいがちょうどいい──。




 静かになった喫煙所に取り残されたひとつの影。

 枯枝のような細い角と頼りなく痩せ衰えた四本の脚。

 一昔前には確かにあった持て余す体力も向こう見ずな情熱も、今ではすっかり萎んでいる。

 老兵はただ去り行くのみ、か。

 俺は紫煙を夜空に向かって吐き出した。

 雪の花がひとひら、ふたひら、と散り始めた。真っ赤な鼻先に雪が降り積もっては消え、降り積もっては消える。

 まるで時代の変遷についていけずに振り落とされ消えてゆく己の未来を眺めているようだ。

 すべては変わり、移り行くもの──だが変わらないものもある。

 家族への愛情とボスへの忠誠心だ。それは不思議と年を重ねるごとに増しているようにも思える。

 もう一度、タバコを吸って息を吐く。

 空に向かって真っ直ぐに伸びる白い煙はまるで戦場に上る狼煙のようだ。

 次の目的地はヒマラヤ山脈を越えた先の貧しい村。噂では例を見ない寒波が近づいていると聞く。今年も一段と熾烈な戦いになりそうだ。

「メリークリスマス!」

 俺は人知れず勝ちどきの声を上げた。


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「お疲れーす」
「あ、お疲れ」
 冬空の下。喫煙所で紫煙をくゆらせていると、先日入ったばかりのアルバイトが缶コーヒー片手にやって来た。
「寒いっすね」
「そりゃあ、冬だからな」
 バイトのカノは俺の隣に腰を下ろすと、両手で缶コーヒーを「熱っ、熱っ」と転がしながら、首をすぼめる。熱さと寒さに振り回され忙しいカノに、思わず苦笑が洩れた。
「落ち着きのないやつだな」
「それ、小さい頃から枕詞みたいによく言われました。カシマさんはアレっすか」
 カノは若者らしい軽快で明朗な物言いで切り出した。
「この道に入って何年くらいなんすか」
「俺はバイトが三年、正社員になってからだと三十年とちょっとかな」
「へえ、ここってバイトから正社員になれるんすね」
 感心した様子でカノは寒空に直立するように伸びるもみの木を一瞥した。樹齢千年を優に越える巨木は季節柄イルミネーションで着飾られている。その美しさは夜空に輝く星々のように見るものを魅了するが、俺には馴れない甲冑を着込み身動きがとれずにいる武将のようで、ひどく気の毒に思える。
「カノは正社員希望?」
「いや……俺はそういんじゃないんで」
 急に歯切れが悪くなった。若者には若者の事情があるようだ。
「だって、この仕事めっちゃめちゃ寒いじゃないですか。世はAIの時代っすよ。わざわざ体力使って真冬に寒風を切るってバカみたいじゃないですか?」
「まあ、そこは配送業界の宿命だな」
「カシマさんは苦手な業務はないんすか?」
「あるぞ、あるある。俺は寒さには強いほうだが、アナログ世代の老兵だから機械に疎いわけよ。スマホもナビもギリで使える程度のスキルしか持ち合わせてねえし、これからどんな厄介なデジタルが導入されるか不安で仕方がない。でもな」
 俺はタバコの火をもみ消し、ポケットに手を入れた。スマホの待受画面をカノに向ける。
「家族写真っすか」
「ああ」
「いいっすね。きれいな奥さん。あ、こっちは娘さん? じゃあ、こっちはお孫さんかな」
「家族の笑顔のためにも俺は自分の仕事に誇りを持って働きたいのよ」
「へえ。かっこいいっすね、サムライみたい」
 嘘も媚びへつらいもないカノの言葉に俺は照れ臭くなり、新しいタバコに火をつけた。正直な若者は嫌いじゃない。
「実は叔父さんからの紹介だったんですよ、この仕事。無職でブラブラしていたところ、やってみないかって言われて。ぶっちゃけ、今回限りでやめようと思っていたとこだったんです。でも、気が変わりました。もう少し頑張ってみることにします」
「そうか」
「おーい、|鹿島《かしま》、|鹿野《かの》。あと五分で出発するぞー!」
 ボスが俺たちを呼ぶ声がする。
 束の間の休息もそろそろ終いのようだ。
 仕事が再開されれば、また凍てつく上空を夜通し疾走しなければならない。
 去年はヒマラヤ山脈を越える辺りで同期の|鹿内《しかない》がケガに倒れ、そのまま死んだ。あいつも生きていれば、今頃、可愛い孫の顔が見れただろうに。気の毒な戦友たちの顔がいくつもまぶたに浮かんだ。
 毎年クリスマスの前の晩。俺たちは文字通り戦場にいる。だが、走らぬわけにはいかない。
 世界中の子供たちにプレゼントを届けたい。すべてはボスの願いを叶えるためだ。
「今行きまーす! 鹿島さん、俺、先にボスの元に戻りますね」
「おう」
「よっしゃ、やるぞぉぉぉぉぉー!」
 鹿野は立派な角を天に掲げるようにして雄々しくいなないた。若者は元気がありすぎるくらいがちょうどいい──。
 静かになった喫煙所に取り残されたひとつの影。
 枯枝のような細い角と頼りなく痩せ衰えた四本の脚。
 一昔前には確かにあった持て余す体力も向こう見ずな情熱も、今ではすっかり萎んでいる。
 老兵はただ去り行くのみ、か。
 俺は紫煙を夜空に向かって吐き出した。
 雪の花がひとひら、ふたひら、と散り始めた。真っ赤な鼻先に雪が降り積もっては消え、降り積もっては消える。
 まるで時代の変遷についていけずに振り落とされ消えてゆく己の未来を眺めているようだ。
 すべては変わり、移り行くもの──だが変わらないものもある。
 家族への愛情とボスへの忠誠心だ。それは不思議と年を重ねるごとに増しているようにも思える。
 もう一度、タバコを吸って息を吐く。
 空に向かって真っ直ぐに伸びる白い煙はまるで戦場に上る狼煙のようだ。
 次の目的地はヒマラヤ山脈を越えた先の貧しい村。噂では例を見ない寒波が近づいていると聞く。今年も一段と熾烈な戦いになりそうだ。
「メリークリスマス!」
 俺は人知れず勝ちどきの声を上げた。


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