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天界最後の龍(2)

ー/ー



 ここはかつて龍の王族が住んでいた宮殿があった場所で、今は黒い石造りの大きな慰霊碑と祭壇が設置されている。
 イシュタルは持参した花束を祭壇に手向け、続けて上着のポケットからワンカップの酒を取り出すと、蓋を開けて花束の横に供えた。
 「偉大なる龍の王よ。蒼き龍の子イシュタルが参りました」
 イシュタルは龍の作法に従い、祭壇の前に額づいた。
 「もし何か申し伝えたき儀がございましたら、このイシュタルが承ります。その上でどうかお心穏やかにお休み頂きますよう、伏してお願い申し上げます」
 ややあって、慰霊碑の後ろからぽうっ、と丸い金色の光が出現した。
 『蒼き龍の子よ。災厄から唯ひとり生き残りし者よ』
 金色の光はイシュタルに呼びかけると、人の姿に変化した。それは、ユージが黄金の龍に吼えられた夜、彼の夢に現れた男の姿だった。
 「龍王様……」
 イシュタルはその男に向け、平伏した。
 『我が心は平穏そのものである。恨みを向けるべき者は既にこの世に亡く、天界の人々にも思う所は何もない』
 「はっ……!」
 『ただ、過日、我に触れた者がいるのだ』
 龍王の告白に、イシュタルは顔を上げた。
 『我はその者に興味を持ち、我が残留思念を以て天へと駆け上り、その者の姿を探した。するとその者は、風の精霊に囲まれて空を飛行していた。驚くべきことに、その者も我の存在に気づいていた。そして、あろうことか人の身で共に空を飛ぼうと我を誘ったのだ』
 (これ、ヤンさんから聞いた話だ)
 イシュタルはごくりと唾を飲んだ。
 「――恐れながら、龍王様はその者に怒りを発せられたのですか?」
 イシュタルの問いに、龍王は首を横に振った。
 『否。そのような戯言に気分を害するような我ではない。ただ、人の子の言葉が何故こんなにも我の心に強く響くのか、それが不思議でならなかったのだ』
 「では、何故その者に向けて咆哮を発せられたのです?」
 イシュタルが思い切って尋ねてみると、龍王は何故か言い淀んだ。
 (?龍王様、どうしたんだろ)
 イシュタルは怪訝に思いながらも、黙って龍王の言葉を待った。
 ややあって、
 『……あれは、あの者と少し会話をしてみたいと思い、我はただ呼び止めようとしただけなのだ。それが思いがけず咆哮という形で発出してしまってな――我も驚いたが、結果、あの者は意識を失って空から落ちてしまった。いや、我としたことが人の子に対して本当に済まぬことをしたものだ』
 龍王は気恥ずかしそうに打ち明けた。龍王からしてみれば、隠しておきたかった失態であっただろう。
 「なるほど。そのようなことでしたか」
 一方のイシュタルは、龍王の羞恥心をよそにほっと胸を撫で下ろした。龍王が怒りを発して意図的に咆哮したのではないと知り、心底安堵したのだ。
 『蒼き龍の子よ。そなたが本日ここを訪れたは、そのことであろう。そなたにも要らぬ心配をかけて済まぬことをした』
 龍王はイシュタルに向けて頭を下げた。
 「いえ、龍王様。どうかおやめ下さい」
 イシュタルは慌てた。誇り高い龍王が一介の龍に頭を下げることなど、龍の常識ではありえないことなのだ。
 『……この話には続きがあるのだ』
 龍王は頭を上げると、何事もなかったかのように再び言葉を繋いだ。
 『その夜、我はあの者の夢の中に侵入した。どうしても一言謝罪したくてな――ところが、あの者の心の中は様々な言の葉が飛び交い、それが我の声をかき消してしまった。そのような事態で残念ながら我の声はついぞあの者の耳には届かぬままであった』
 「左様でございましたか……」
 イシュタルは龍王の気持ちを慮り、顔を曇らせた。
 『だが、蒼き龍の子よ。かの者の心に直に触れ、我は僥倖を得たのだ』
 と、龍王は何故か口元を綻ばせた。
 『我の見立てが正しければの話ではあるが――あれは、言の葉に生命を与うる者。言霊の奏で(びと)だ』
 

 「……というわけで、今回のことは言っちゃ悪いですがただのアクシデントで、龍王様に何か悪意があったってことじゃないんです。ですから、どうか安心して下さい」
 暁の宮に戻ったイシュタルは、早速ジンを捕まえて龍王から聞き取った話を報告した。
 但し、龍王が最後に語ったことは言わずに済ませた。魔法使いと神官たちが危惧している件には関係ないと判断したからだ。
 「話はわかった。だとすると、ユージと一緒にいた飛天たちに影響がなかったのは何でだろう?」
 と、ジンは腕組みしたまま首を傾げた。
 「多分、龍王様に触れたのがそのユージさんって人だけだったから、じゃないですかね」
 イシュタルは中道界から持参した缶ビールを開けると、ごくごくと喉を鳴らして呑んだ。
 「ぷは、空を飛んだ後のビールは旨い!」
 満面の笑顔である。
 「くそ、一人で呑みやがって」
 ジンは苦々しく吐き捨てた。
 「ジンさんも夕方の礼拝が終わったら呑んで下さいよ。ジンさんが好きな酒も持って来てるんで」
 「何事もなければ、な」
 「ああ、病人怪我人の話ですか?ジンさんうわばみだし、呑んじゃってても全然問題ないっしょ」
 ジンは、無責任にけらけら笑うイシュタルを睨みつけた。
 「ばか。酒の匂いさせて診察するわけにはいかんだろうが」
 「そうか、じゃ、今日は診察お休みっすね。済みませんが俺に付き合って下さい」
 イシュタルはぺこりと頭を下げると、人懐っこい表情で笑いかけた。
 「……なんか嬉しそうだな、お前」
 「はい。俺にとっては龍の谷が穏やかであってくれるのが一番ですから――本当になんもなくて良かったですよ」
 「そうだな。何にもなくて良かったな」
 ジンは、手の中で缶ビールをくるくる回しながらしみじみと語るイシュタルの肩を抱いた。


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 ここはかつて龍の王族が住んでいた宮殿があった場所で、今は黒い石造りの大きな慰霊碑と祭壇が設置されている。
 イシュタルは持参した花束を祭壇に手向け、続けて上着のポケットからワンカップの酒を取り出すと、蓋を開けて花束の横に供えた。
 「偉大なる龍の王よ。蒼き龍の子イシュタルが参りました」
 イシュタルは龍の作法に従い、祭壇の前に額づいた。
 「もし何か申し伝えたき儀がございましたら、このイシュタルが承ります。その上でどうかお心穏やかにお休み頂きますよう、伏してお願い申し上げます」
 ややあって、慰霊碑の後ろからぽうっ、と丸い金色の光が出現した。
 『蒼き龍の子よ。災厄から唯ひとり生き残りし者よ』
 金色の光はイシュタルに呼びかけると、人の姿に変化した。それは、ユージが黄金の龍に吼えられた夜、彼の夢に現れた男の姿だった。
 「龍王様……」
 イシュタルはその男に向け、平伏した。
 『我が心は平穏そのものである。恨みを向けるべき者は既にこの世に亡く、天界の人々にも思う所は何もない』
 「はっ……!」
 『ただ、過日、我に触れた者がいるのだ』
 龍王の告白に、イシュタルは顔を上げた。
 『我はその者に興味を持ち、我が残留思念を以て天へと駆け上り、その者の姿を探した。するとその者は、風の精霊に囲まれて空を飛行していた。驚くべきことに、その者も我の存在に気づいていた。そして、あろうことか人の身で共に空を飛ぼうと我を誘ったのだ』
 (これ、ヤンさんから聞いた話だ)
 イシュタルはごくりと唾を飲んだ。
 「――恐れながら、龍王様はその者に怒りを発せられたのですか?」
 イシュタルの問いに、龍王は首を横に振った。
 『否。そのような戯言に気分を害するような我ではない。ただ、人の子の言葉が何故こんなにも我の心に強く響くのか、それが不思議でならなかったのだ』
 「では、何故その者に向けて咆哮を発せられたのです?」
 イシュタルが思い切って尋ねてみると、龍王は何故か言い淀んだ。
 (?龍王様、どうしたんだろ)
 イシュタルは怪訝に思いながらも、黙って龍王の言葉を待った。
 ややあって、
 『……あれは、あの者と少し会話をしてみたいと思い、我はただ呼び止めようとしただけなのだ。それが思いがけず咆哮という形で発出してしまってな――我も驚いたが、結果、あの者は意識を失って空から落ちてしまった。いや、我としたことが人の子に対して本当に済まぬことをしたものだ』
 龍王は気恥ずかしそうに打ち明けた。龍王からしてみれば、隠しておきたかった失態であっただろう。
 「なるほど。そのようなことでしたか」
 一方のイシュタルは、龍王の羞恥心をよそにほっと胸を撫で下ろした。龍王が怒りを発して意図的に咆哮したのではないと知り、心底安堵したのだ。
 『蒼き龍の子よ。そなたが本日ここを訪れたは、そのことであろう。そなたにも要らぬ心配をかけて済まぬことをした』
 龍王はイシュタルに向けて頭を下げた。
 「いえ、龍王様。どうかおやめ下さい」
 イシュタルは慌てた。誇り高い龍王が一介の龍に頭を下げることなど、龍の常識ではありえないことなのだ。
 『……この話には続きがあるのだ』
 龍王は頭を上げると、何事もなかったかのように再び言葉を繋いだ。
 『その夜、我はあの者の夢の中に侵入した。どうしても一言謝罪したくてな――ところが、あの者の心の中は様々な言の葉が飛び交い、それが我の声をかき消してしまった。そのような事態で残念ながら我の声はついぞあの者の耳には届かぬままであった』
 「左様でございましたか……」
 イシュタルは龍王の気持ちを慮り、顔を曇らせた。
 『だが、蒼き龍の子よ。かの者の心に直に触れ、我は僥倖を得たのだ』
 と、龍王は何故か口元を綻ばせた。
 『我の見立てが正しければの話ではあるが――あれは、言の葉に生命を与うる者。言霊の奏で|人《びと》だ』
 「……というわけで、今回のことは言っちゃ悪いですがただのアクシデントで、龍王様に何か悪意があったってことじゃないんです。ですから、どうか安心して下さい」
 暁の宮に戻ったイシュタルは、早速ジンを捕まえて龍王から聞き取った話を報告した。
 但し、龍王が最後に語ったことは言わずに済ませた。魔法使いと神官たちが危惧している件には関係ないと判断したからだ。
 「話はわかった。だとすると、ユージと一緒にいた飛天たちに影響がなかったのは何でだろう?」
 と、ジンは腕組みしたまま首を傾げた。
 「多分、龍王様に触れたのがそのユージさんって人だけだったから、じゃないですかね」
 イシュタルは中道界から持参した缶ビールを開けると、ごくごくと喉を鳴らして呑んだ。
 「ぷは、空を飛んだ後のビールは旨い!」
 満面の笑顔である。
 「くそ、一人で呑みやがって」
 ジンは苦々しく吐き捨てた。
 「ジンさんも夕方の礼拝が終わったら呑んで下さいよ。ジンさんが好きな酒も持って来てるんで」
 「何事もなければ、な」
 「ああ、病人怪我人の話ですか?ジンさんうわばみだし、呑んじゃってても全然問題ないっしょ」
 ジンは、無責任にけらけら笑うイシュタルを睨みつけた。
 「ばか。酒の匂いさせて診察するわけにはいかんだろうが」
 「そうか、じゃ、今日は診察お休みっすね。済みませんが俺に付き合って下さい」
 イシュタルはぺこりと頭を下げると、人懐っこい表情で笑いかけた。
 「……なんか嬉しそうだな、お前」
 「はい。俺にとっては龍の谷が穏やかであってくれるのが一番ですから――本当になんもなくて良かったですよ」
 「そうだな。何にもなくて良かったな」
 ジンは、手の中で缶ビールをくるくる回しながらしみじみと語るイシュタルの肩を抱いた。