そういうわけで、私と弓丸は〈甘味|処《どころ》あづさ〉の|暖簾《のれん》をくぐった。入口近くには|贈《おく》り物用の和菓子が、奥の方にはテーブル席が設置されている。土曜の昼前というタイミングもあってか、客の入りはそこそこ。
「あら、|藍果《あいか》ちゃん来たの。ゆっくりしてらっしゃい」
「お世話になってます。また後で注文するね!」
甘味|処《どころ》あづさの店長、|弥永《やなが》のおばちゃんにペコリと礼をして、六つあるテーブル席の一番奥へと向かった。
「藍果、ちょっと待ってくれ」
「なに?」
「どうしてこの二人まで」
その席には、季節のおすすめスイーツ乗せホイップほうじ茶ラテをストローで思いっきり吸い上げるアヤと、|抹茶《まっちゃ》アイスぜんざいを一口ずつすくっては味わう|而葉《しかるば》さんが座っていた。
「なんですか、いたら迷惑ですか? 自分は藍果|先輩《せんぱい》に呼ばれて来たんです。それに、弓丸さんの行動は油断なりませんから。瀬名先輩のためにも、ここは監視役が必要でしょう」
「|芳帖《ほうじょう》の|君《きみ》、とお呼びしましょうか。神様って割に案外人見知りなお方なんですね」
女の子二人にやいのやいの言われ、弓丸は|眉《まゆ》をハの字にして私を見上げる。
「藍果……僕はこういう交流の場が得意じゃない。帰らせてくれないか」
「大丈夫大丈夫。いいから奥に座って」
「おだてたらいいってもんじゃない……」
弓丸はブツブツ言いながら席に|腰掛《こしか》けた。私は|弥永《やなが》のおばちゃん|手製《てせい》のメニューフォルダを取り、テーブルの上に広げる。
「弓丸はどれ食べたい?」
「……は? 僕は|別《べつ》に……っていうか、今は手持ちもないし」
「お|供《そな》え」
私はにんまりと笑って弓丸を見る。
「ってことでどう? それならいいでしょ」
「……お供え」
弓丸は、二度瞬きをしてその言葉を|繰《く》り|返《かえ》した。開かれたフォルダへと視線を戻し、和菓子や茶、昔ながらのおやつが取り入れられたメニューを一つ一つ見ていく。その様子は、まるで年相応の子どものようで。戦いの時に見る|鋭《するど》い表情とはうってかわって、その横顔から|覗《のぞ》くまなざしは楽しげで柔らかい。なんというかこう、るんっとしている。本当は、神様にお供えするならお酒やお米なんだろうけど。せっかくなら、このお茶屋さんに連れてきてあげたいと思っていたのだ。
三ページ目に|差《さ》し|掛《か》かったところで、弓丸はページの端を指差した。
「これがいい」
「……えっと、もうちょっと色々乗ってるやつじゃなくてもいいの? ここのお店、今風にアレンジしたメニューが人気だったり」
「これが食べたい」
弓丸が選んだのはわらび餅だった。キューブ型に切られた透明な餅に、あんみつときな粉が振りかけられたシンプルなメニュー。
「珍しいですね、弓丸さんがそんなふうに駄々をこねるなんて」
「アヤさん、そういう言い方してると嫌われちゃうよ。気持ちは分かるけど」
|而葉《しかるば》さんは、白玉をつるんと唇の奥に誘って笑った。溶けかけている|抹茶《まっちゃ》アイスはもう残り一口で、結露した水の滴がガラスの器を飾っている。私は、わらび餅を二つ注文した。
「ところで藍果|先輩《せんぱい》。あの男は今、何してるんですか」
「あの男って……|日向《ひなた》さん?」
「はい。自分が知ってるのは、あの洞穴から出て別れたところまでです。化け物——えっと、〈|化生《けしょう》のモノ〉でしたか。またそういうのにつけ込まれたら困ります」
「うーん……」
今朝、|鎮場《ちんば》神社に向かう途中で、私は|日向《ひなた》さんの家の前を通った。物置のすりガラスに写る大量のがらくたの影も、外に出された洗濯機も、相変わらずそこにあった。
でも。
「あのね。|日向《ひなた》さん、捨てられるもの集めて、玄関先にまとめてた」
背を丸めてうずくまり、身を隠すようにして煙草を吸う姿しか見てこなかった私にとって、その光景は衝撃だった。〈忘れたいほど嫌な記憶〉を全て|奪《うば》われてしまったことで、ずっと|日向《ひなた》さんの足首をつかんでいたものも、きっと|綺麗《きれい》さっぱり消えたのだ。
それに、あの〈落とし矢〉が作用するのは、過去についての物事だけ。日向さんがこれから先経験する感情については、何も影響を及ぼさない——ここに来るまでの道で、弓丸からそう聞いた。
「弓丸の決断が、|日向《ひなた》さんの背中を押したんだよ。私は、そう思ってる」
「ほんとですか? 自分には、|先輩《せんぱい》の顔に〈でも〉とか〈けど〉って書いてある気がするんですが」
「……この話は、いったん終わり。やり直せることじゃないし……それに」
半分殺されたようなものだとはいえ、|日向《ひなた》さんは生きている。おとといの洞穴での出来事はやり直せなくても、今の|日向《ひなた》さんは自分をやり直すことができる。私の選択と弓丸の思惑、その二つが重なって生まれた光景。それがあれだったのだとしたら、最善ではなくとも次善ではある、と弓丸は言うだろう。
納得いかない部分はあるが。
「誰も死ななかったんだから、いいんだよ。今日も、帰る前に元気そうか見に行きたい。日向さんがいいって言ってくれれば、私も手伝おうかなって思ってるし。片付け」
「……ふうん。好きよ、そういうの」
|而葉《しかるば》さんが頬杖をつき、そう言って興味深そうに目を細めた。センター分けの黒髪がさらりと白い|額《ひたい》を|撫《な》でる。そして、紅が差したその唇に、ちろ、と一瞬舌を|覗《のぞ》かせた。
「それで、本題は?」
ここまで、ずっと黙ってメニューを見ていた弓丸が口を挟んだ。
「何か共有しておきたいことがあったんだろう。早い方がいい」
弓丸の表情をちらりと|窺《うかが》ってみたものの、その様子は冷静そのものだ。さっきの話にも、弓丸は何も言ってこなかった。思うところは気になるが、確かに今は急いだ方が良さそうだ。
「これ、とりあえず見て」
メッセージアプリ〈マイン〉の画面。やり取りの相手は、四年近く|連絡《れんらく》を取っていなかった中学校時代のクラスメイトであり、かつ旧五年一組のメンバーだった女の子。
「昨日の夜、急にメッセージが来たの。内容は、旧五年一組のメンバーが次々といなくなってるらしいってこと。この子も昨日の昼頃、別の子からこういう|連絡《れんらく》もらってたんだって」
それで私も、昔のグループマインやチャットをできるだけ辿ってみて、旧五年一組の数人に|連絡《れんらく》してみたのだが。残念ながら、誰からも既読はつかなかった。
「へぇ……確かに気になりますね。その失踪ブームっていうのはいつから始まってたんですか」
アヤの口から、ラテを吸っていたストローが離れる。中身はすでに空っぽだ。
「それがね、よく分からないの。なにしろ七年前のことだから……進級とか進学のタイミングでどんどんバラバラになっちゃって」
「つまり、情報共有の即時性に問題があったがゆえ、|詳細《しょうさい》で正確な情報はこれ以上期待できないってことですね」
「そういうこと」
「藍果」
弓丸がアヤと私の会話を遮り、サッと周りを見渡した。|而葉《しかるば》さんが白玉の最後の一つを飲み込んで、|怪訝《けげん》そうにスプーンを置く。
「どうかしました? 芳帖の君」
「人が消えた。あるいは、僕らが」
いつの間にか、他の客は皆いなくなっていた。客だけじゃない。|弥永《やなが》のおばちゃんも、アルバイトの人もいない。この店内にいるのは、私たち四人だけだった。
「……わらび餅はおあずけか」
弓丸はほんの少し口をとがらせ、残念そうに|呟《つぶや》く。
「え、食べたかったの」
「そりゃそうさ、だって……いや、今はいい。それよりも」
「藍果さん、あれを!」
|突如《とつじょ》、店内に大きな鏡が出現する。その向こうから聞こえてきたのは、妙に音程の外れたピアノの音。
「さっきから何なんですかこれ、どういう」
アヤが席から立ち上がり、その拍子にガラスのコップが落ちて割れた。おそらく、元々は心を優しく包み込む長調の和音。そこから、半音ずれて音も抜け落ち、ゾンビのように様変わりしたメロディが|鍵盤《けんばん》の上を転がっている。
「この、曲は……!」
思い出した瞬間、曲の音量が一段と大きくなった。がくん、と引っ張られるような感覚が全身を|襲《おそ》う。私は隣にいた弓丸の手を握り、通路に一歩踏み出して|而葉《しかるば》さんの手も握った。アヤの位置は私の|斜《なな》め前、私にある手は二つだけ。
「|而葉《しかるば》さん、アヤと手を繋いで! 早く!」
「あっ、く……っ!」
鏡の中に、吸い込まれる。流れていたピアノの曲は、私が卒業した小学校の校歌だった。