5.INSONNIA
ー/ー
真智は高層マンションのエレベーターで、42階のボタンを押した。寿司屋「巴」から地下鉄を乗り継いで30分。夜の街を歩く間中、ケイの話した舞の物語が頭から離れなかった。
エレベーターの防犯カメラに映る自分の姿が、どこか他人のように見える。黒いスーツに身を包んだ女性が、左手でスマートフォンを握りしめている。右手は、精巧に作られた義手が月明かりに微かに輝いていた。
部屋に入ると、まず玄関の暗号パネルを操作する。二重、三重のセキュリティは、かつての習慣が今も残っているのかもしれない。
リビングの窓からは東京の夜景が一望できる。高層マンションの最上階からの眺めは、まるで地上の星々のようだ。しかし今夜は、その光が妙に冷たく感じられた。
真智は右手の義手を外す。専用のスタンドに丁寧に置いてから、左手で煙草を取り出した。火を点けると、白い煙が天井へと昇っていく。その煙の向こうに、3ヶ月前のダリオの姿が浮かび上がる。
***3ヶ月前***
「今回の依頼は単独行動になる」
銀からの指示は簡潔だった。某企業でCOLORSを使った不正が行われているという情報を入手。その真偽を確かめるため、派遣社員として潜入することになった。
「五十野さん、この書類お願いできますか?」
潜入3日目。総務部の窓際デスクで、真智は淡々と事務作業をこなしていた。しかし、その目は常に周囲を観察している。不自然なほど、COLORSに関する話題が出てこない。それどころか、この企業に関する怪しい噂すら耳に入ってこない。
まるで、この会社には闇も影も存在しないかのように。
それは逆に、真智の警戒心を強めていた。銀から依頼を受けた時から感じていた違和感が、日に日に大きくなっていく。
「こんなに綺麗な会社なんて、どこかがおかしい」
昼休み、真智は社員食堂で昼食を取りながら、さりげなく会話を投げかけていた。
「ねぇ、この会社ってギャンブルとか、そういうの厳しいのかな?」
「うーん、普通じゃないですか?」
同僚の返事は、どこか棒読みめいていた。その声の調子、視線の動き、指先の震え。全てが不自然だった。
真智は左手でスマートフォンを操作しながら、メールを送信する。
『罠の可能性大。撤退を検討』
しかし、その時だった。
「五十野さん、ちょっといいですか?」
数人の同僚に囲まれる。その目は、先ほどまでの同僚のものとは明らかに違っていた。鋭い、殺気を帯びた眼差し。
「実は、お話があって」
周囲の空気が一変する。同僚たちの手には、COLORSのカードが握られていた。しかし、その輝きは『銀』のものとは違う。より濁った、禍々しい光を放っている。
「やはり、そうでしたか」
真智は左手をゆっくりとバッグに伸ばす。しかし―
「動かないでください。あなたの右手が義手だということも、把握しています」
死角から現れた男が、真智の背後に立っていた。
「3日も潜入させたのは、確証を得るため。そして、あなたの背後にいる組織の力を計るため」
男の声が、妙に耳に残る。この声には聞き覚えが。
「それに、誰かを待っていたんです」
その瞬間、エレベーターの到着を告げるベルが鳴り、フロアに静かな足音が響く。
真智は息を呑んだ。
その姿は、間違いようがなかった。
スーツ姿のダリオが、穏やかな表情でこちらに向かって歩いてくる。
「久しぶりだな、真智」
***現在***
煙草の灰が長く伸びている。
真智は深いため息をつきながら、シャワーを浴びに立ち上がった。温かい湯が体を包むが、心は冷めたままだ。
ベッドに横たわっても、目は冴えている。
天井を見つめながら、真智は呟いた。
「ダリオ、あの時、あなたは何を守ろうとしていたの?」
窓の外では、東京の夜景が煌めいていた。その光は、3ヶ月前のダリオの瞳のように、何かを隠しているようにも見えた。
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エレベーターの防犯カメラに映る自分の姿が、どこか他人のように見える。黒いスーツに身を包んだ女性が、左手でスマートフォンを握りしめている。右手は、精巧に作られた義手が月明かりに微かに輝いていた。
部屋に入ると、まず玄関の暗号パネルを操作する。二重、三重のセキュリティは、かつての習慣が今も残っているのかもしれない。
リビングの窓からは東京の夜景が一望できる。高層マンションの最上階からの眺めは、まるで地上の星々のようだ。しかし今夜は、その光が妙に冷たく感じられた。
真智は右手の義手を外す。専用のスタンドに丁寧に置いてから、左手で煙草を取り出した。火を点けると、白い煙が天井へと昇っていく。その煙の向こうに、3ヶ月前のダリオの姿が浮かび上がる。
***3ヶ月前***
「今回の依頼は単独行動になる」
銀からの指示は簡潔だった。某企業でCOLORSを使った不正が行われているという情報を入手。その真偽を確かめるため、派遣社員として潜入することになった。
「五十野さん、この書類お願いできますか?」
潜入3日目。総務部の窓際デスクで、真智は淡々と事務作業をこなしていた。しかし、その目は常に周囲を観察している。不自然なほど、COLORSに関する話題が出てこない。それどころか、この企業に関する怪しい噂すら耳に入ってこない。
まるで、この会社には闇も影も存在しないかのように。
それは逆に、真智の警戒心を強めていた。銀から依頼を受けた時から感じていた違和感が、日に日に大きくなっていく。
「こんなに綺麗な会社なんて、どこかがおかしい」
昼休み、真智は社員食堂で昼食を取りながら、さりげなく会話を投げかけていた。
「ねぇ、この会社ってギャンブルとか、そういうの厳しいのかな?」
「うーん、普通じゃないですか?」
同僚の返事は、どこか棒読みめいていた。その声の調子、視線の動き、指先の震え。全てが不自然だった。
真智は左手でスマートフォンを操作しながら、メールを送信する。
『罠の可能性大。撤退を検討』
しかし、その時だった。
「五十野さん、ちょっといいですか?」
数人の同僚に囲まれる。その目は、先ほどまでの同僚のものとは明らかに違っていた。鋭い、殺気を帯びた眼差し。
「実は、お話があって」
周囲の空気が一変する。同僚たちの手には、COLORSのカードが握られていた。しかし、その輝きは『銀』のものとは違う。より濁った、禍々しい光を放っている。
「やはり、そうでしたか」
真智は左手をゆっくりとバッグに伸ばす。しかし―
「動かないでください。あなたの右手が義手だということも、把握しています」
死角から現れた男が、真智の背後に立っていた。
「3日も潜入させたのは、確証を得るため。そして、あなたの背後にいる組織の力を計るため」
男の声が、妙に耳に残る。この声には聞き覚えが。
「それに、誰かを待っていたんです」
その瞬間、エレベーターの到着を告げるベルが鳴り、フロアに静かな足音が響く。
真智は息を呑んだ。
その姿は、間違いようがなかった。
スーツ姿のダリオが、穏やかな表情でこちらに向かって歩いてくる。
「久しぶりだな、真智」
***現在***
煙草の灰が長く伸びている。
真智は深いため息をつきながら、シャワーを浴びに立ち上がった。温かい湯が体を包むが、心は冷めたままだ。
ベッドに横たわっても、目は冴えている。
天井を見つめながら、真智は呟いた。
「ダリオ、あの時、あなたは何を守ろうとしていたの?」
窓の外では、東京の夜景が煌めいていた。その光は、3ヶ月前のダリオの瞳のように、何かを隠しているようにも見えた。