うちの猫が喋り出したのは一ヵ月ほど前のことだった。
紅葉が散るように彼女にフラれ、家でしこたまビールを煽っていた時。
ブチは俺の肩に乗ってきて、ウィスパーボイスでこう言った。
『涙ふくニャ。ご主人には僕がいるニャ……』
その時は酒に酔っていたこともあり、フラれた悲しさに心が弱っていたことも手伝ったのか全然気にもしなかった。
むしろ慰められて嬉しかったことを覚えている。
しかしその翌日。
ブチが『朝飯の時間だニャ。起きるニャご主人』と俺の顔面を猫パンチしたことで異常事態に気付いた。
夢かと思ったが、ブチの爪パンチで頬をざっくりえぐられ、出血の痛みで現実だと悟った。
飼い猫が喋っている……と。
それからなんやかんやあり現在。
慣れとは恐ろしいもので、ブチが喋ることは俺の日常の一部になった。
むしろブチが喋ってくれないと寂しさすら感じてしまう。
「寒くなってきたし、こたつでも出すか」
『賛成だニャ。早く出すニャご主人』
休日のお昼過ぎだった。
俺はブチに足首を猫パンチされながら箪笥からこたつを引っ張り出す。
四畳半の部屋の広さに合わせた一人用のこたつ。
今年はもう使うことはないだろうと思っていたけど……やっぱり駄目だったよ。
「よいしょ……」
虚しさを抱えながら部屋の中央にセットして、こたつ布団と天板を乗せたら完成。
「電源つけて……おっと、こたつと言えばみかんだよな」
みかんを取りに一体型の台所へ向かう俺。
『猫はこたつで丸くなるニャー!』
さっそくブチがこたつの中へダッシュで入る。
「俺もー!」
ブチのマネをしてみかんを持って座ってこたつに足を入れる。
ザッシュ!!
「いてぇえっ!? な、何すんだブチ!!」
俺の足の裏が血まみれに!
ブチはこたつの中で目を光らせ、爪を舐めながら唸る。
『ダメニャ! ここは僕の領地ニャ! ご主人は入れさせないニャ……』
「くっ、そうだコイツ…去年もこたつを占領して結局俺に使わせてくれなかったっけ」
今年は喋ってるからよくわかる。こんなこと言ってたんだな……。
「い、いいじゃないかちょっとくらい……」
再びこたつの中に足を入れようとするとブチは『しゃー!!』と毛を逆立てて切れた。
『嫌ニャ! こたつの中は僕の領域ニャ! 野生の世界では強い者こそすべてを得るのニャ!!』
「お前飼い猫だろが!」
『とにかく嫌ニャ! どうしてもというのなら僕より強いところを見せるニャご主人』
ブチは余裕そうに尻尾をゆっくり振って、目を細める。
あれ、その態度……。
「……え、俺もしかして、飼い猫に馬鹿にされてる??」
『そうニャ。ご主人は馬鹿だニャ』
その即答には流石の俺でも、我慢ならない。
「よし、そこまで言うならブチよ。勝負しようじゃないか。勝った方がこたつの占領権を得るってことだ。いくぞ? じゃんけーん……」
じゃんけん勝負を挑もうと拳を掲げた俺の顔面にブチは猫パンチをかました。
『だから馬鹿だって言ってるニャ。人間のご主人みたいに僕の肉球はじゃんけんに向いてないニャ。やるなら公正公平な勝負ニャ』
ブチはこたつの中から出て、ぴょんと身軽に棚に乗ると、そこに置いてあったトランプを前足でタシタシ叩いた。
『やるなら神経衰弱一択ニャ。記憶力のゲームならご主人も僕も公平な勝負ができるニャン』
「なるほど……」
公平性に欠ける勝負で勝ったところでブチの俺を舐め腐った態度は改められないだろう。
しかし、奴が提示した勝負で勝てば俺の飼い主としての尊厳は回復するに違いない。
「……受けて立つ! 俺が勝ったらこたつを明け渡してもらおうか!!」
俺の宣戦布告に、ブチの金色の瞳が品定めするように細まった。
俺はトランプを天板の上に広げていく。
この戦い絶対に負けられない……。
ブチの取り分は42枚。
俺の取り分は……10枚。
「なぜ……飼い猫に俺が負ける??」
『僕言ったニャ。ご主人は馬鹿だニャ』
三度神経衰弱をして、三回とも似たような枚数差で負けた俺は真っ白に燃え尽きたボクサーの気持ちを味わっていた。
……これが、敗北感。
『ってことでこたつは僕のニャ。あと、コンビニ行って高級マグロ缶でも買ってくるのニャ』
ブチは機嫌がいいのかこたつの中に入ってゴロゴロとのどを鳴らしていた。
ち、ちくしょう、こうなったら!!
「実力行使でこたつを取り戻してやらあああ!」
俺はブチをこたつから引きずり出そうとした。
『甘いニャ! ご主人がそう来るのは読めていたニャフシャアアアァッッ!!』
ブチ必殺の顔面とびかかりからの爪引っ掻き攻撃が俺の顔面に炸裂。
「ぐぎゃああああああああ!??? 顔がぁああ! 顔がぁあああああ!!」
『成敗ニャ!』
俺はしばらく畳の上をのたうち回った。
「…………くしゅん!」
俺は部屋の隅で布団をかぶって丸まる。
飼い猫にこたつを奪われた哀れな飼い主の構図だ。
やがて、もぞもぞとこたつからブチが顔を出し、じっと俺を見る。
『はぁ、ご主人は仕方ない奴だニャア……。わかったニャ。高級マグロ缶買ってきてくれたらこたつに入ってもいいニャ。だからコンビニに買いに行ってくるニャ』
なんか憐れまれている感じがすごく惨めだが、こたつを使わせてくれるというのはありがたい。
「でも、高級マグロ缶はちょっと……」
するとブチはこたつから出てきて、ごろニャンと俺に甘えてくる。
くっ、これだから猫は!!(ブチの頭わしゃわしゃわしゃ)
『今年の冬はこたつの使用権を与えてやるニャ。だから行ってこいニャ』
「……わかりましたにゃ!」
俺は敬礼して、外に出る準備を済ませる。
なんだか主従関係が逆転してしまった気がするが、猫が好きな人間にはMが多いと胡散臭い雑誌で読んだ記憶がある。俺も潜在的なMなのかもしれない。
玄関の扉を開けると冷たい空気が肌に突き刺さった。
「寒っ」
しかも。
「雪か……」
どんよりとした空からぱらぱらと雪が降っている。
『寒いから早く扉を閉めるニャ! 早くコンビニ行けニャ!! ダッシュニャ! 頑張ってこいニャ!!』
「……行ってきますにゃ!」
ブチの声援?に敬礼し俺は雪が降る寒空の下をダッシュした。