中学二年生になるといくつか私たちの間でも変化が現れるようになった。その中でも、結衣の変わり様が一番大きなものだと言っても過言ではないだろう。
それまでの結衣は一言でいうと控えめな性格をしていて、自分を前に押し出すような女の子ではなかった。人見知りで、自分に自信がないのかぼそぼそと小さい声で喋り、特定の誰かと一緒に行動していることが多い。昔は結衣のお姉さんと、綾奈が倉石村に引っ越してきてからは綾奈と一緒にいる気がする。いつもおどおどしているなあという印象でなんだか危なっかしい子だ、と仲良くなる前は思っていた。
仲良くしてみても実際にその印象通りだったのだが、意外とはっきり自分の気持ちを言うときもあって、そんな結衣が面白くて好きだった。
そんな結衣が変化したと感じ始めたのは中学二年生になってすぐのことだ。
私と結衣、康介に恵太の四人は人生で初めてのクラス替えを経験した。思ったよりも馴染みのない人が多くて驚くのと同時に、見知った顔とあまり知らない顔が同じ空間にごちゃまぜになっているというのが新鮮で、早くも来年が楽しみだった。
今回のクラス分けでは私と結衣が、綾奈と康介と恵太がそれぞれ同じクラスで、放課後になると私たちの教室の外で綾奈が待っていることもしばしばあった。康介が忙しいと言って私たちとの関わりを避けるようになってからも三人で帰っていたからだ。仕方のないこととはいえ康介もいなくなってしまったということに寂しさを感じずにはいられない。ただ、それによって私たち三人の距離がもっと近くなったというのも事実だ。康介や恵太がいるとしにくい話というのも気兼ねなくするようになった。
恵太はというと相変わらず変わりない。さすがに一年以上経ったから躊躇うことなく恵太に話しかけれるようになったし、そっけない態度をとられるのにも慣れた。変かもしれないが、恵太がそういう態度をし続けることにどこか安心感や親近感に似たものを感じていた。
とにかく、このクラス分けによって必然的に私は結衣と一緒にいる機会が増えた。例えば、昼休みのときも何人かのクラスメイトを交えて一緒にご飯を食べたりといった感じだ。そういえば結衣の変化を意識しだしたのも他の人とご飯を食べるようになって最初の昼休みだった。
「月元さんのお昼ってすごいヘルシーだよね」
結衣の隣に座っていた女の子が言った。月元とは結衣の苗字だ。チラッと結衣のお弁当を見てみると、ほとんど食べ終わっていてキウイだけがすみっこに残っていた。最近見たものを思い出してみるとたしかに、小学生の頃と比べてみたら随分と健康的な食事をするようになったなあと思う。
小学生の頃の結衣は食べる量も多かったうえに男子が好きそうなものが大好物だった。給食で揚げ物なんか出たときにはクラスで一番多くの量をすごく幸せそうな顔をして食べていたのを覚えている。だというのに少しふくよか程度におさまるその体質を持っていたから、太りやすい私は入れ替わるなら結衣がいいなんてよく話していたものだ。
私が驚いたのはその健康的なお弁当の中身ではなく、そのあとに話す結衣の態度だった。
「そう?」
笑いながら結衣が言った。
短い一言だったが、余裕を含んだ自信のある態度で人に接する結衣を見るのは初めてで思わず箸が止まる。結衣は中一の一年間で私たちとの間ではかなりはきはき話すようになった。それも少しずつ一年間かけてのものだったから違和感なく受け入れることが出来ていたが、それでもまだ気の弱さというものが感じられていた。急にそういうふうにしたのだろうか。あるいは私が気付いていなかっただけでこういう態度で他の人たちには接していたのだろうか。結衣が他の人と話しているのをあまり見たことがなくて分からない。
周りの人を見て見るとあまり表情に出してはいないが、やはり驚いたようにしている。どうして結衣は急に態度を変えたんだろう。
「香織?ぼーっとしてどうしたの?」
「え?……いや……えーっとね」
全然話を聞いていなかった私は急に覗き込むように見てきた結衣にびっくりして、慌ててお弁当の中にあったものをお箸で掴んだ。
「唐揚げ!いるかなあって思って。好きでしょ?」
私の慌てぶりに一瞬きょとんとしていた結衣は、なんだか安心したように胸をなでおろした
「嬉しいけどいいかな。最近、揚げ物はあまり食べないようにしてて」
「そっか」
行き場の失った一口大の唐揚げを口に放り込む。固くなった肉を噛むたびにしょっぱさが舌にしみこむようだった。
「月元さんって意外と喋るんだね」
「どういうこと?」
さっき話していた子とは別の、結衣の正面に座っていた女の子が口を開くと、結衣が首をかしげて訊いた。
「いや、一年生の頃はあんまり話してるとこ見たことないなって思って」
「ああ……去年は色々あったから。でも、今年は流石にちゃんと話さないといけないなって思って。これならみんなとももっと仲良くなれるんじゃない?」
「別にもとから仲良くする気はあるよ」
「じゃあもっと早くから声かけてくれても良かったのに」
「それは……月元さんが桟原さんとか西岡さんと仲が良くしてたから、ちょっと入っていく勇気がなくて」
「遠慮しなくてよかったのに」
結衣は笑うと余っていたキウイを食べてお弁当箱を片付けた。他の子たちがまたそれぞれで話し始めたのを見ると「少し席を外すわ」と言って教室を出て行った。
「ねえ、桟原さん」
「ん?」
結衣の方を見ながらもう一つあった唐揚げを食べていると、さっきまで結衣と話していた子から声をかけられた。
「月元さんって普段からあんな感じなの?」
「んー……」
なんて答えたらいいか分からずはにかんでいると、それを肯定と捉えたらしく、女の子は「へえー!」などと若干わざとらしく驚いてみせた。
「あんまり話したことなかったからびっくりしちゃった!」
「ね。喋ると結構イメージと違ってハッキリしてるっていうか」
最初に話していた女の子が言う。
「でも、起依さんには似てないね」
起依さんとは結衣の姉のことだ。私たちよりも三歳年上のその人は、容姿端麗で品行方正。人となりも運動神経も頭もいい。何をやらせても優秀な彼女は地域一帯でちょっとした有名人だった。というのも、その優秀さゆえに親たちは子供たちを叱る際に模範として起依の名前を出していたからだ。最初のうちは倉石村の中だけで行われていたことだったが、起依が隣町の学校に通うようになってからはそれが一気に地域一帯に広まるようになった。だから、前々から名前を聞かされてきた子供たちからしたら起依は身近な凄い人という感じだった。
「まあね。私も一回起依さんと話したことあるけど、月元さんよりもうちょっと棘がなかったかなあ」
「やっぱり?」
二人してクスクスと笑うと、私に向かって話を振ってきた。
「桟原さんはどう思う?仲いいから私たちよりも知ってるんじゃない?」
「さあ?あんまり考えたことないから分からないかな」
「えー?もったいぶらなくていいのに」
「そう言われてもなあ。結衣ちゃんは結衣ちゃんだし、起依さんは起依さんだから」
「ふーん?」
答えにあんまり納得がいっていないようで不満そうに私を見る。
「まあ、でも私に訊かなくたって二人も結衣ちゃんのこと分かるようになるよ。これからもいっぱい話せばね!」
そう言い切ると、指を合わせてチラッと時計を見た。全然授業が始まるまでに時間があったがそんなことはどうでもいい。
「なにかあった?」
狙い通り、私が時計を気にしていたのに気付いて二人も時計の方に目を向けた。
「実はこのあと先生に呼ばれてたのを思い出して……ちょっと行ってきてもいい?」
「もちろん!行ってきて」
「ありがとう!本当にごめんね。せっかく二人が誘ってくれたからもっとお話ししたかったのに……」
「ぜんぜん大丈夫だよ。また一緒に話そ?」
「ごめんね。今度はこっちからまた誘うよ」
食べ終えて米粒一つないお弁当箱を急いで巾着の中に入れると、それを鞄に押し込む。もう一度二人を見て「じゃあ!」と手を振ると、二人も振返してくれた。
教室を走って出て、その勢いで廊下を角まで突っ切ると教室が見えなくなった場所で立ち止まった。歩いてすぐそばにある壁際に近づくと寄り掛かってふうっとため息をついた。教室でご飯を食べている人たち以外は校庭や体育館などで遊んでいるのだろう。廊下には人の気配がなく存分に気持ちを落ち着けることが出来た。
先生に呼ばれているという事実は存在しない。ただ、なんとなく漠然と嫌な空気が漂うあの場にいるのが苦しく感じて離れたかっただけ。あの二人は別に悪い人というわけではないと思う。別に会話の内容は至って普通でよくある話だ。単純にあの話題が私に合わなかったというだけのことで、下手に場を荒らすよりも私が離れれば済むだけの問題だった。
とにかく、今はそんな終わったことよりも結衣のことの方が気になる。「席を外す」と言っただけで行き先が分からない以上どうすることもできない。とりあえず綾奈に何か知らないか訊いてみようと思って、彼女のいる教室に行ってみることにした。
綾奈に訊いてみたところ、彼女も結衣の居場所を知らないらしい。てっきり何かしらの情報を得られるだろうと思っていたものだから、当てもなく校内を彷徨うほかにすることがなかった。
下駄箱から靴を取り出して上履きから履き替える。日陰のせいか、ほんの少し静けさを抱えた空気に埃っぽさが混じって古臭い匂いが鼻の奥を擽った。
案の定、校庭には限りある昼休みの時間を少しでも青春に費やそうとする集団が食事をする間も惜しんで走り回っていた。向こうでは一生懸命ボールを蹴り合っていたり、そっちでは互いに追いかけまわしたり、貴重な一瞬一瞬の連続が過ぎ去っていく光景を何も遮るものがなく照らし続ける太陽の眩しさに目が眩む。その光が居心地の良さを感じさせて私を放そうとせず、目的を忘れてしばらくその場に立ち尽くした。
我に返ったのは視界の端に見覚えのある姿を見たからだ。背中を少し隠すように伸びた髪を規則正しく揺らしながら校舎の陰に姿を消していったその人影の正体は遠くから見てもすぐに分かった。慌てて校舎の角まで走る。角を曲がると、遠かったが幸いにもまだ彼女の姿は見えていた。むしろ遠くて良かったかもしれない。結衣に声をかけたい気持ちもあったが、結衣の変化にまだ戸惑っていた私は彼女が一人でどこへ向かうのか気になっていた。結衣に気付かれない程度に追いかけることの出来る距離として、この遠さは最適に近いもののように思えた。
最終的に結衣が立ち止まったのは体育館裏だった。初めてこの場所を知った私はその居心地の良さに驚いた。昼休みということもあって体育館ではバスケやバレーボールに勤しむ学生たちの声が聞こえてきていたが、扉が閉まっていることでそれもあまり気にならない。
尾行の流れで壁に隠れてそのまま結衣の様子を見ようとした。別に隠れる必要もないが、結衣に見つからないようにチラッと確認すると、扉の前にある数段の段差に腰かけているのが見えた。もっと様子を見ようともう一度壁から顔を出すと結衣もこちらを見ていて目が合った。
何事もなかったかのように壁から全身を出して結衣に近づく。
「……香織」
驚いた様子でぼそりといつものように呟くと、目線を外し大きく息を吸って吐きだしてからもう一度私の方を見た。
「なにしてるの?こんなところで?」
「さあ?たまたま結衣ちゃんを見つけて、追いかけてたらここに来たから」
「そうなのね……とりあえず、座ったら?」
その言葉に甘えて、結衣の隣に座った。体育館の陰で陽が届かないということもあって少し寒く、無意識に結衣の方へと体をくっつけてしまう。それでも結衣は嫌そうな態度も見せずに押されるがままになって温もりを感じさせていた。
「で、結衣ちゃんはこんなところで何してるの?」
「何かしたくて来たわけじゃないわ……この場所って人がめったに来ないでしょ?だから落ち着いてて好きなのよ。ゆっくりしたいときとか、そういうときにここに来るの。去年からずっとね」
「へえ……じゃあ、そういう態度をとるようになったのもそういう気分だからってこと?」
結衣は「うーん」と呟くと肩から胸元へと伸びた髪を指で梳かし始めた。
「気分って言われるとなんだか軽く感じるけど、ざっくり言うとそうかもね」
「ふーん。それならいいんだけど」
「どうして?もしかして、あんまりこういうの好きじゃない?」
口調は気が強い感じだったが、その中にも微かに不安げな様子が滲んでいるように感じた。
「そうだなあ……いつの結衣も好きだけど、今の結衣も嫌いじゃないよ。その差で風邪ひきそうだけどね」
「そっか。じゃあ、実はこれが私の素だって言ったらどうする?」
「どうするって、別にいまと何も変わらないと思うけど。なんで?」
「ほら、起依とは似てないじゃない?」
「そういわれても、結衣は結衣だし」
結衣が黙って静かになる。彼女の方を見てみると嬉しそうに、そしてほっとしたように我慢できないという様子で口角が上がっていた。
「なに笑ってんの?」
それを見て私もニヤニヤしてしまう。揶揄い半分で結衣のことを体でちょっと押してみると、結衣は笑ったまま私の方を見てきた。
「なんだか安心したのよ。香織を見て」
「なんでよ」
「人って重要なことでは当たり前に、簡単なことでだって変わっていくでしょ?だから、それでも変わらないでいてくれる存在って側にいてくれると安心するのよね。そう思わない?」
「まあ、そうかも」
私が頷きながら言うのを見て、結衣は何かを考えるように前を向く。私もそれに倣って前を向いてみた。
再び結衣が口を開くまでの間、鼓動の音がうるさく感じて落ち着かなかった。胸の奥に引っかかった何かが取れたような気がする。なんとなく自分の望みが人から認められたような気がした。ショートヘアではなくなった少女の言った言葉がずっと頭の中で消えずに残っていた。