再会
ー/ー
瀬名の脚に傷はない。ただ、少し足元はふらついていて、消耗しているのが見て取れた。化け物も消え、しんと静まり返った洞穴の中で、灯火の光を切り抜く影が亡霊のように揺れている。
「もしかして、その子が藍果にあの妙な刀を渡した〈通りすがりの人〉?」
「えっとね、瀬名」
「その子が藍果をこんなことに巻き込んだの?」
「そうだ」
「ちょっと弓丸、今は」
「ふうん、弓丸くんって言うんだ」
瀬名は私たちの側に寄ると、私の通学リュックを荒々しく置いた。その場にしゃがんで顔を傾け、ちょうど血が止まった弓丸の手首に鋭い視線を向ける。出血さえ止まってしまえば、弓丸の傷は瞬く間に消えていった。
「……つまり、あんたが厄介事を持ち込んだ張本人ってわけね」
ヤドリ蔦に襲われ、さらわれ、捕まっていたであろう瀬名は、もはやこの程度のことでは動じなくなっていた。ショーウィンドウに飾られた人形のような瞳を細め、瀬名は弓丸を睨みつける。
「もう、私たちに関わらないでもらえる? どこの誰だか知らないけど、正直言って迷惑。これから帰ってさ、私三時間はお説教コースなんだよね」
弓丸はといえば、繋がった左手を閉じたり開いたりしながら、黙ったまま瀬名の言葉を聞いていた。特に事情を話そうとするでもなく、甘んじて瀬名の怒りを受け止めているような——そんな様子に、もどかしさが込み上げる。
「……違う。違うの瀬名」
「何よ」
「厄介事を引き込んだのは私。自分で首を突っ込んで、後戻りができなくなった」
「そんなに制服ずたずたにして? それも元を辿れば藍果が悪いって言うわけ?」
「説明、するから!」
瀬名の肩を掴み、目を合わせてそう言った。昨夜、最後に交わした瀬名との会話。瀬名は化け物に遭い、関わりを持ち、弓丸の姿を見ている。幸か不幸か、やっと説明できる時が来たのだ。
「お願い。落ち着いて聞いて、瀬名」
***
「まっことに失礼いたしました!」
私の説明、もとい弓丸の紹介を聞いて、瀬名は綺麗な土下座を決めた。まぁ、まさか神様が目の前にいるとは思うまい。
「別に……気にしなくていい」
「藍果もごめんね。そういう事情とは知らなくて」
「私こそごめん。瀬名まで巻き込んじゃったのは、私のせいだから」
おそらく、今回の事件の流れはこうだ。
あの男は〈マガツヒメ〉という人物からヤドリ蔦の実を受け取った。その実は私の血から作られており、それを食べることで私の記憶を幻覚として味わった。服用を繰り返すうち、ヤドリ蔦に侵されていった男は、何らかの経緯——十中八九マガツヒメの指示だろう——によってこの洞穴に棲みついた。そして、ヤドリ蔦の実に見せられた〈羨ましい〉人間を、手当たり次第に襲っていたのだろう。
「それにしても、歩道橋にバナナの皮を捨てる人なんているんだね」
「ね、ほんとにねー」
「僕はバナナの皮なんてもご」
慌てて弓丸の口を塞げば、柔らかい感触が手のひらに当たった。
「わいあ」
「ご、ごめん」
パッと手を離すと、弓丸は少し気にしたように唇を指で擦った。幼い顔立ち、腕の中に収まる体躯。つい子ども扱いしてしまうが、そういえば弓丸の精神年齢はいくつなんだろう。八百歳というには、まだ少年らしさが残っているような気がした。
それはともかく。
実は、出会ったときのことについては「歩道橋を歩いていた弓丸がバナナの皮で足を滑らせ、転びそうになったところを助けた」ということにしてある。なってしまった、という方が正しいかもしれない。
——ねぇ、藍果はどうやって弓丸と出会ったの?
咄嗟の嘘だった。
本当は、瀬名に嘘なんてつきたくない。けれど、弓丸の抱えるものが分からない以上、あれは私が他言すべきことじゃないし、無理に喋らせることでもない。だから——。
……バナナの皮。それにしたって雑過ぎたか。
「うーん。でも、確かに神様っぽいかも。昔の服着てるし、刀も持ってるし、しかも美形。私が小一だった頃に似てる」
「ちょっと瀬名、からかうのは」
「弓丸さん、少しならいいでしょ。ほっぺた触らせて」
「瀬名ってば」
私が止めるよりも、瀬名の手の方がワンテンポ早かった。弓丸の白くモチッとした頬を挟んだり引っ張ったりしている。ファーストコンタクトであんな態度をとってしまったから、ヤケクソになっているのかもしれない。
「やうぇれくれ。いひゃいらろ」
「手首ぶった斬っといてよく言う」
瀬名はパッと手を離して、今度は真面目に弓丸を眺める。きっと、見て分かる情報を事細かに記憶しているのだろう。
「ねぇ、弓丸さんって何でもできるの?」
「いいや」
弓丸は、少し赤くなってしまった頬をさすりつつも答える。
「僕の持ち物は刀と弓だけ。戦いで使えるものは、目眩しの〈朧月夜〉の術と神器の力、そして己の体くらいだ。叶えられる願いの範囲は、由緒正しい古来神とは比較にならない。僕に祈るより、いっそ鬼や悪魔にでも縋った方が願い事は叶えられるよ」
「鬼に悪魔に神ですか……」
「アヤちゃん!」
その声に顔を上げると、アヤが奥の部屋の出入り口にもたれながら立っていた。アヤは、仰向けに転がっている男の姿をなんとなしに眺め、気だるそうにため息をつく。
「にわかには信じがたい話ですけど、先輩たちが仲直りしてくれたんなら何でもいいです。お客さんもいますし、痴話喧嘩はこの辺りにしときません?」
そう言ったアヤの陰から、ひょっこりとのぞく頭があった。着ていたのは、私たちと同じ高校の制服。
「あの、お邪魔しちゃってごめんなさい……」
ふわり、と蜂蜜のような香りがした。アヤよりも短く、センターで振り分けられたサラサラの黒髪。女子校にいれば、王子様だなんだと騒がれているであろう甘い顔立ち。百七十センチ近くある身長に抜群のスタイル、その上吹奏楽部の第一フルート奏者兼、部長。
昨年度の冬、取材をした時以来だ。
「……而葉さん」
あと、これはどうでもいいことだと思うが、かなり胸が大きい。どうでもいいことだと思うが。
「お久しぶりね、早我見さん」
我らが岐依の国市立高校三年生、而葉真月が——獲物を見そめる鷹のように、すうっと目を細めて微笑った。
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|瀬名《せな》の|脚《あし》に傷はない。ただ、少し足元はふらついていて、|消耗《しょうもう》しているのが見て取れた。化け物も消え、しんと静まり返った|洞穴《ほらあな》の中で、灯火の光を|切《き》り|抜《ぬ》く|影《かげ》が|亡霊《ぼうれい》のように|揺《ゆ》れている。
「もしかして、その子が|藍果《あいか》にあの|妙《みょう》な刀を|渡《わた》した〈通りすがりの人〉?」
「えっとね、瀬名」
「その子が藍果をこんなことに|巻《ま》き|込《こ》んだの?」
「そうだ」
「ちょっと弓丸、今は」
「ふうん、弓丸くんって言うんだ」
瀬名は私たちの側に寄ると、私の通学リュックを|荒々《あらあら》しく置いた。その場にしゃがんで顔を|傾《かたむ》け、ちょうど血が止まった弓丸の手首に|鋭《するど》い視線を向ける。出血さえ止まってしまえば、弓丸の傷は|瞬《またた》く|間《ま》に消えていった。
「……つまり、あんたが|厄介事《やっかいごと》を|持《も》ち込んだ張本人ってわけね」
ヤドリ|蔦《づた》に|襲《おそ》われ、さらわれ、|捕《つか》まっていたであろう瀬名は、もはやこの程度のことでは動じなくなっていた。ショーウィンドウに|飾《かざ》られた人形のような|瞳《ひとみ》を細め、瀬名は弓丸を|睨《にら》みつける。
「もう、私たちに|関《かか》わらないでもらえる? どこの|誰《だれ》だか知らないけど、正直言って|迷惑《めいわく》。これから帰ってさ、私三時間はお説教コースなんだよね」
弓丸はといえば、|繋《つな》がった左手を閉じたり開いたりしながら、|黙《だま》ったまま瀬名の言葉を聞いていた。特に事情を話そうとするでもなく、|甘《あま》んじて瀬名の|怒《いか》りを受け止めているような——そんな様子に、もどかしさが込み|上《あ》げる。
「……|違《ちが》う。違うの瀬名」
「何よ」
「厄介事を|引《ひ》き込んだのは私。自分で首を|突《つ》っ込んで、|後戻《あともど》りができなくなった」
「そんなに制服ずたずたにして? それも元を|辿《たど》れば藍果が悪いって言うわけ?」
「説明、するから!」
瀬名の|肩《かた》を|掴《つか》み、目を合わせてそう言った。昨夜、最後に|交《か》わした瀬名との会話。瀬名は化け物に|遭《あ》い、関わりを持ち、弓丸の姿を見ている。幸か不幸か、やっと説明できる時が来たのだ。
「お願い。落ち着いて聞いて、瀬名」
***
「まっことに失礼いたしました!」
私の説明、もとい弓丸の|紹介《しょうかい》を聞いて、瀬名は|綺麗《きれい》な土下座を決めた。まぁ、まさか神様が目の前にいるとは思うまい。
「別に……気にしなくていい」
「藍果もごめんね。そういう事情とは知らなくて」
「私こそごめん。瀬名まで巻き込んじゃったのは、私のせいだから」
おそらく、今回の事件の流れはこうだ。
あの男は〈マガツヒメ〉という人物からヤドリ蔦の実を受け取った。その実は私の血から作られており、それを食べることで私の|記憶《きおく》を|幻覚《げんかく》として味わった。服用を|繰《く》り|返《かえ》すうち、ヤドリ蔦に|侵《おか》されていった男は、何らかの|経緯《けいい》——十中八九マガツヒメの指示だろう——によってこの洞穴に|棲《す》みついた。そして、ヤドリ蔦の実に見せられた〈|羨《うらや》ましい〉人間を、手当たり|次第《しだい》に襲っていたのだろう。
「それにしても、歩道橋にバナナの皮を捨てる人なんているんだね」
「ね、ほんとにねー」
「僕はバナナの皮なんてもご」
|慌《あわ》てて弓丸の口を|塞《ふさ》げば、|柔《やわ》らかい|感触《かんしょく》が手のひらに当たった。
「わいあ」
「ご、ごめん」
パッと手を|離《はな》すと、弓丸は少し気にしたように|唇《くちびる》を指で|擦《す》った。幼い顔立ち、|腕《うで》の中に収まる|体躯《たいく》。つい子ども|扱《あつか》いしてしまうが、そういえば弓丸の精神|年齢《ねんれい》はいくつなんだろう。八百|歳《さい》というには、まだ少年らしさが残っているような気がした。
それはともかく。
実は、出会ったときのことについては「歩道橋を歩いていた弓丸がバナナの皮で足を|滑《すべ》らせ、転びそうになったところを助けた」ということにしてある。なってしまった、という方が正しいかもしれない。
——ねぇ、藍果はどうやって弓丸と出会ったの?
|咄嗟《とっさ》の|嘘《うそ》だった。
本当は、瀬名に嘘なんてつきたくない。けれど、弓丸の|抱《かか》えるものが分からない以上、あれは私が他言すべきことじゃないし、無理に|喋《しゃべ》らせることでもない。だから——。
……バナナの皮。それにしたって雑過ぎたか。
「うーん。でも、確かに神様っぽいかも。昔の服着てるし、刀も持ってるし、しかも美形。私が小一だった頃に似てる」
「ちょっと瀬名、からかうのは」
「弓丸さん、少しならいいでしょ。ほっぺた触らせて」
「瀬名ってば」
私が止めるよりも、瀬名の手の方がワンテンポ早かった。弓丸の白くモチッとした頬を挟んだり引っ張ったりしている。ファーストコンタクトであんな態度をとってしまったから、ヤケクソになっているのかもしれない。
「やうぇれくれ。いひゃいらろ」
「手首ぶった|斬《ぎ》っといてよく言う」
瀬名はパッと手を離して、今度は真面目に弓丸を眺める。きっと、見て分かる情報を事細かに記憶しているのだろう。
「ねぇ、弓丸さんって何でもできるの?」
「いいや」
弓丸は、少し赤くなってしまった頬をさすりつつも答える。
「僕の持ち物は刀と弓だけ。戦いで使えるものは、|目眩《めくらま》しの〈|朧月夜《おぼろづきよ》〉の術と神器の力、そして|己《おのれ》の体くらいだ。|叶《かな》えられる願いの|範囲《はんい》は、|由緒《ゆいしょ》正しい古来神とは|比較《ひかく》にならない。僕に|祈《いの》るより、いっそ|鬼《おに》や|悪魔《あくま》にでも|縋《すが》った方が願い事は叶えられるよ」
「鬼に悪魔に神ですか……」
「アヤちゃん!」
その声に顔を上げると、アヤが|奥《おく》の|部屋《へや》の出入り口にもたれながら立っていた。アヤは、|仰向《あおむ》けに転がっている男の姿をなんとなしに|眺《なが》め、気だるそうにため息をつく。
「にわかには信じがたい話ですけど、|先輩《せんぱい》たちが仲直りしてくれたんなら何でもいいです。お客さんもいますし、|痴話《ちわ》|喧嘩《けんか》はこの辺りにしときません?」
そう言ったアヤの|陰《かげ》から、ひょっこりとのぞく頭があった。着ていたのは、私たちと同じ高校の制服。
「あの、お|邪魔《じゃま》しちゃってごめんなさい……」
ふわり、と|蜂蜜《はちみつ》のような|香《かお》りがした。アヤよりも短く、センターで|振《ふ》り|分《わ》けられたサラサラの|黒髪《くろかみ》。女子校にいれば、王子様だなんだと|騒《さわ》がれているであろう甘い顔立ち。百七十センチ近くある身長に|抜群《ばつぐん》のスタイル、その上|吹奏楽部《すいそうがくぶ》の第一フルート奏者|兼《けん》、部長。
昨年度の冬、取材をした時以来だ。
「……|而葉《しかるば》さん」
あと、これはどうでもいいことだと思うが、かなり胸が大きい。どうでもいいことだと思うが。
「お久しぶりね、|早我見《さがみ》さん」
我らが|岐《き》|依《い》の|国《くに》市立高校三年生、而葉|真月《まつき》が——|獲物《えもの》を見そめる|鷹《たか》のように、すうっと目を細めて|微《わ》|笑《ら》った。