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はじめての釣りは……

ー/ー



 日光と水面が混ざり、強く眩しい光が目を襲ってきます。旦那様が用意していたサングラスがなければ、目の状態に何かしらの問題を抱えていたかもしれません。

 それから、麦わら帽子もありがたみがあります。意外と陽射しで熱くなりますので、なかった場合は頭が相当熱くなってしまっていたと思います。それから、簡易的な折りたたみ椅子も用意していただいてますので、楽な姿勢で初めての釣りを楽しめています。なんにせよ、用意周到です。仕事ができる人だと私は強く感じています。

 正面には美しい青々とした海。振り返れば少し遠くに緑の木々が生い茂っている場所です。強く吹くかもしれないと言われていた海風も程よい感じですので、心地よさを感じることができます。普段の雑多な喧騒を感じることがないゆったりとできる空間です。デジタルデトックスと言う概念があるそうですが、それにはうってつけなのではないかと思います。

 そう考えればここに連れてきていただいたのはとてもありがたいですし、心地よいのです。……それで魚が釣れていれば楽しい感情のみだったはずですが。

 始める前に釣れないかもしれないと思ったことが間違いだったのでしょう。釣れません。全く釣れません。とにかく何も反応しません。魚は今は居なくて眠りについているのかなあとも思いますが、間違いなく違います。何故なら――

「うん。今日は調子がいいねえ」

 何故なら、旦那様が大きい魚を何匹も釣り上げていらっしゃるからです。旦那様は確か、クロダイと言う魚を釣られていて、何匹かは見せていただきました。他にもシーバスと言う魚も釣り上げていました。なんでも、カラスミを作ると言っていた記憶もあります。

 それは一度置いておきましょう。釣りと言う行動のギミックを考えれば餌の種類ややり方に差異はあれど、釣り道具の性能にはそんな差はないはずです。旦那様はとても扱いやすいモノを用意したと仰ってましたし。餌だって、旦那様がちゃんとカゴのようなモノに入れていました。待つ事が大事と言われていましたが、餌である以上動かした方がより本物のように見えるはずなのでちゃんと動かしていますし。

 始める前に私には初心者におすすめのサビキ釣りをしてもらうと仰っていました。手堅く釣れる方法だと聞いていましたから、恐らく、と言うより間違いなく私に釣りの才能がないだけでしょう。バイオリンやピアノ、茶道、水泳、乗馬など今までやってきた習い事はすぐにコツを掴んで人並み以上に熟してきた私が何もできない。この経験は初めてです。だからこそ、悔しさと言うべきでしょうか、なんとも形容し難いモヤモヤのような気分もしています。

「椿ちゃん。釣れ……てないみたいだね……」

 旦那様が私の右側から私用に用意していたクーラーボックスを覗き込みます。苦笑いと言う表情です。旦那様は悪くないのに、私の不出来のせいでそんな気分にさせてしまっているのが申し訳ないです。

「ごめんね、椿ちゃん。自分ばかりになっちゃって」

「いえ。旦那様の趣味でしたでしょうし、楽しそうにしていましたから大丈夫です」

 私はモヤモヤを出さないように上品に答えてみせました。妻である以上、旦那様の機嫌を損ねてはなりませんから。それを見た旦那様は苦笑いではなく、微笑みと言うような笑いをしていました。

「ご飯分は取れたから、ここからは椿ちゃんだけを見るよ」

 そう言うと旦那様は自然に釣竿を握っている私の両手を軽くふんわりと握っていました。予想をしていなかったので、思わず「あっ」と声が出てしまいました。その反応のせいで旦那様は手を離します。

「ご、ごめん。嫌だった?」

「い、いえ。予想していなかったから驚いただけで、嫌ではないです」

「そ、それならよかったよ。椿ちゃんの嫌な事はしたくないからね」

 旦那様は再び私の手を優しく握っていました。この時期なのに温かい手です。最近、手足の温かい人はポジティブな方だと言うお話を聞いたことがあります。旦那様もきっとそう言う方なのでしょう。

「椿ちゃんの手、小さくて可愛いなあ……。柔らかいし……」

 旦那様の本音が漏れています。悪意はないのでしょうが、気味悪く聞こえるのでこれだけは受け入れるのに時間が掛かりそうです。自然に旦那様に包まれる形になってから、風が強くなってきました。当たる箇所は旦那様のお陰で少なく、あまり冷たく感じません。なんだか旦那様の体温の温もりがとても心地よいです。それと同時に旦那様の大きさをより感じてしまいます。

「うーん。回遊はしてそうだから、釣れるはず。仕掛け自体も見た感じいるのとは一致してるしそんなに太い糸も針も使ってない。…………椿ちゃん、もしやずっと竿動かしてた?」

 旦那様が指摘をしてきます。

「はい……」

 その通りでしたので、素直に返事をしました。どうやらそれが釣れなかった原因なようです。

「やっぱりそうだよね……。じゃあ僕のミスだ。ずっと動かしてると、魚が驚いちゃうし、食いつくタイミングがないんだ。だから、海流に任せて放っておいて反応がない時に動かすのがベストなんだ。それを言ってなかった僕のせいだね。ごめんね椿ちゃん」

 柔らかく申し訳なさそうな声で旦那様が私に謝ってきました。旦那様は全く悪くないのに。待ってればいいと言っていたのに、私が動かした方が生きている用に見えると勝手に解釈をしたせいですから。

 やはり人の、先達の言う事はきちんと独自解釈せずに守るべきでした。

「一旦餌を入れ替えて、一緒にやってみようか」

 そう言ってリールと呼ばれる部分を巻いて、仕掛けを引き上げました。そこから手際よくカゴに餌を入れて再び仕掛けを投げ入れました。しばらくしたら、少し上下に釣竿を動かし始めました。

「あ、あの。動かさないんじゃ」

「いや。最初だけは動かさないと餌を魚が泳いでいるところに撒けないんだ。だからある程度動かして、カゴの中に入ってるアミエビって言う餌を撒くんだよ。ある程度撒けたと思ったらあとは待つ。それで釣るのがこのやり方。今日は自分がアミエビを入れたけど、自分で入れる時があったら注意してね。滅茶苦茶臭いから手とか服とかに付いたら大変なんだよね。だから、僕はそれ用の軍手と道具で入れてるよ。今はちゃんとその軍手は外しているけどね」

 表情は見えませんが、楽しそうに解説されてました。臭いのであれば、旦那様に任せておくのがよさそうです。

「でしたら、今後が絶対に旦那様にやってもらいます」

「それはありがたいよ。来年も再来年もその先もずっとそうやってできるといいなあ」

 私達のささやかな未来予想図が出来ていました。そうなれば我が家、辻井家もきっと未来に繋がる事でしょう。

 そんな事を考えていると、竿がビビッと震えました。

「椿ちゃん、ルールを巻いて。僕が竿を立てるから」

 言われるままに巻きました。すると今までにない重さが伝わってきます。これが、釣れている感覚なのでしょう。今釣りをしていると言う感覚を強く感じてきました。

 ある程度巻き続けたら、ついに釣れた魚とご対面できました。三匹釣れています。鱗が日差しできらりと光ります。私にはより輝いて見えていました。

「うん。これなら上出来でしょ!」

 釣った魚を素早く外してクーラーボックスに入れました。

「よかったよー。椿ちゃんの初経験がボウズにならなくて」

「ボウズ?」

「全く釣れない事を釣りではボウズって言うんだ。釣れなかったら楽しくないからね」

 旦那様が言う事はその通りです。釣れなかった時間はモヤモヤしていましたから。でも、釣れると楽しいです。待った分が報われたという感じがして。使った時間に対する報酬と考えれば、趣味にする方の多さも妥当かもしれません。私はそう分析しました。

「とりあえず約束の時間までまだ少し余裕があるけど、あと一回やってみる?」

「約束?」

「知り合いと言うか、友達がやってる店があってね。まあ自分が大学生の時に経営してた店なんだけど。そこに行く時間に余裕があるのね。釣った魚の持ち込みがOKだから、釣ればより新鮮と言うかそう言う自分の釣った魚を多く食べられるけど、どうする?」

「今度は一人でやってみます」

 息巻いて宣言してやってみる事にしました。やれるのであればやってみたい。私の心に火がついていました。


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 日光と水面が混ざり、強く眩しい光が目を襲ってきます。旦那様が用意していたサングラスがなければ、目の状態に何かしらの問題を抱えていたかもしれません。
 それから、麦わら帽子もありがたみがあります。意外と陽射しで熱くなりますので、なかった場合は頭が相当熱くなってしまっていたと思います。それから、簡易的な折りたたみ椅子も用意していただいてますので、楽な姿勢で初めての釣りを楽しめています。なんにせよ、用意周到です。仕事ができる人だと私は強く感じています。
 正面には美しい青々とした海。振り返れば少し遠くに緑の木々が生い茂っている場所です。強く吹くかもしれないと言われていた海風も程よい感じですので、心地よさを感じることができます。普段の雑多な喧騒を感じることがないゆったりとできる空間です。デジタルデトックスと言う概念があるそうですが、それにはうってつけなのではないかと思います。
 そう考えればここに連れてきていただいたのはとてもありがたいですし、心地よいのです。……それで魚が釣れていれば楽しい感情のみだったはずですが。
 始める前に釣れないかもしれないと思ったことが間違いだったのでしょう。釣れません。全く釣れません。とにかく何も反応しません。魚は今は居なくて眠りについているのかなあとも思いますが、間違いなく違います。何故なら――
「うん。今日は調子がいいねえ」
 何故なら、旦那様が大きい魚を何匹も釣り上げていらっしゃるからです。旦那様は確か、クロダイと言う魚を釣られていて、何匹かは見せていただきました。他にもシーバスと言う魚も釣り上げていました。なんでも、カラスミを作ると言っていた記憶もあります。
 それは一度置いておきましょう。釣りと言う行動のギミックを考えれば餌の種類ややり方に差異はあれど、釣り道具の性能にはそんな差はないはずです。旦那様はとても扱いやすいモノを用意したと仰ってましたし。餌だって、旦那様がちゃんとカゴのようなモノに入れていました。待つ事が大事と言われていましたが、餌である以上動かした方がより本物のように見えるはずなのでちゃんと動かしていますし。
 始める前に私には初心者におすすめのサビキ釣りをしてもらうと仰っていました。手堅く釣れる方法だと聞いていましたから、恐らく、と言うより間違いなく私に釣りの才能がないだけでしょう。バイオリンやピアノ、茶道、水泳、乗馬など今までやってきた習い事はすぐにコツを掴んで人並み以上に熟してきた私が何もできない。この経験は初めてです。だからこそ、悔しさと言うべきでしょうか、なんとも形容し難いモヤモヤのような気分もしています。
「椿ちゃん。釣れ……てないみたいだね……」
 旦那様が私の右側から私用に用意していたクーラーボックスを覗き込みます。苦笑いと言う表情です。旦那様は悪くないのに、私の不出来のせいでそんな気分にさせてしまっているのが申し訳ないです。
「ごめんね、椿ちゃん。自分ばかりになっちゃって」
「いえ。旦那様の趣味でしたでしょうし、楽しそうにしていましたから大丈夫です」
 私はモヤモヤを出さないように上品に答えてみせました。妻である以上、旦那様の機嫌を損ねてはなりませんから。それを見た旦那様は苦笑いではなく、微笑みと言うような笑いをしていました。
「ご飯分は取れたから、ここからは椿ちゃんだけを見るよ」
 そう言うと旦那様は自然に釣竿を握っている私の両手を軽くふんわりと握っていました。予想をしていなかったので、思わず「あっ」と声が出てしまいました。その反応のせいで旦那様は手を離します。
「ご、ごめん。嫌だった?」
「い、いえ。予想していなかったから驚いただけで、嫌ではないです」
「そ、それならよかったよ。椿ちゃんの嫌な事はしたくないからね」
 旦那様は再び私の手を優しく握っていました。この時期なのに温かい手です。最近、手足の温かい人はポジティブな方だと言うお話を聞いたことがあります。旦那様もきっとそう言う方なのでしょう。
「椿ちゃんの手、小さくて可愛いなあ……。柔らかいし……」
 旦那様の本音が漏れています。悪意はないのでしょうが、気味悪く聞こえるのでこれだけは受け入れるのに時間が掛かりそうです。自然に旦那様に包まれる形になってから、風が強くなってきました。当たる箇所は旦那様のお陰で少なく、あまり冷たく感じません。なんだか旦那様の体温の温もりがとても心地よいです。それと同時に旦那様の大きさをより感じてしまいます。
「うーん。回遊はしてそうだから、釣れるはず。仕掛け自体も見た感じいるのとは一致してるしそんなに太い糸も針も使ってない。…………椿ちゃん、もしやずっと竿動かしてた?」
 旦那様が指摘をしてきます。
「はい……」
 その通りでしたので、素直に返事をしました。どうやらそれが釣れなかった原因なようです。
「やっぱりそうだよね……。じゃあ僕のミスだ。ずっと動かしてると、魚が驚いちゃうし、食いつくタイミングがないんだ。だから、海流に任せて放っておいて反応がない時に動かすのがベストなんだ。それを言ってなかった僕のせいだね。ごめんね椿ちゃん」
 柔らかく申し訳なさそうな声で旦那様が私に謝ってきました。旦那様は全く悪くないのに。待ってればいいと言っていたのに、私が動かした方が生きている用に見えると勝手に解釈をしたせいですから。
 やはり人の、先達の言う事はきちんと独自解釈せずに守るべきでした。
「一旦餌を入れ替えて、一緒にやってみようか」
 そう言ってリールと呼ばれる部分を巻いて、仕掛けを引き上げました。そこから手際よくカゴに餌を入れて再び仕掛けを投げ入れました。しばらくしたら、少し上下に釣竿を動かし始めました。
「あ、あの。動かさないんじゃ」
「いや。最初だけは動かさないと餌を魚が泳いでいるところに撒けないんだ。だからある程度動かして、カゴの中に入ってるアミエビって言う餌を撒くんだよ。ある程度撒けたと思ったらあとは待つ。それで釣るのがこのやり方。今日は自分がアミエビを入れたけど、自分で入れる時があったら注意してね。滅茶苦茶臭いから手とか服とかに付いたら大変なんだよね。だから、僕はそれ用の軍手と道具で入れてるよ。今はちゃんとその軍手は外しているけどね」
 表情は見えませんが、楽しそうに解説されてました。臭いのであれば、旦那様に任せておくのがよさそうです。
「でしたら、今後が絶対に旦那様にやってもらいます」
「それはありがたいよ。来年も再来年もその先もずっとそうやってできるといいなあ」
 私達のささやかな未来予想図が出来ていました。そうなれば我が家、辻井家もきっと未来に繋がる事でしょう。
 そんな事を考えていると、竿がビビッと震えました。
「椿ちゃん、ルールを巻いて。僕が竿を立てるから」
 言われるままに巻きました。すると今までにない重さが伝わってきます。これが、釣れている感覚なのでしょう。今釣りをしていると言う感覚を強く感じてきました。
 ある程度巻き続けたら、ついに釣れた魚とご対面できました。三匹釣れています。鱗が日差しできらりと光ります。私にはより輝いて見えていました。
「うん。これなら上出来でしょ!」
 釣った魚を素早く外してクーラーボックスに入れました。
「よかったよー。椿ちゃんの初経験がボウズにならなくて」
「ボウズ?」
「全く釣れない事を釣りではボウズって言うんだ。釣れなかったら楽しくないからね」
 旦那様が言う事はその通りです。釣れなかった時間はモヤモヤしていましたから。でも、釣れると楽しいです。待った分が報われたという感じがして。使った時間に対する報酬と考えれば、趣味にする方の多さも妥当かもしれません。私はそう分析しました。
「とりあえず約束の時間までまだ少し余裕があるけど、あと一回やってみる?」
「約束?」
「知り合いと言うか、友達がやってる店があってね。まあ自分が大学生の時に経営してた店なんだけど。そこに行く時間に余裕があるのね。釣った魚の持ち込みがOKだから、釣ればより新鮮と言うかそう言う自分の釣った魚を多く食べられるけど、どうする?」
「今度は一人でやってみます」
 息巻いて宣言してやってみる事にしました。やれるのであればやってみたい。私の心に火がついていました。