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誰もいない車と趣味

ー/ー



 春先の陽差しもまた心地よいものでした。目を開くと、堤防のようなものの壁ととても美しいマリンブルーが広がっていました。綺麗です。綺麗ではありますが、いつの間に……、そう言うことですか。

 旦那様とお話をしていたはずなのに、いつの間にか眠りについていたようです。通りで少し頭がぼんやりとしているわけです。快適な温度、暖かな陽差しの他にも前日あまりよく眠れずに一時間程で目が覚めては眠るを繰り返したからかもしれません。

 子供のような理由で眠ってしまった自分が恥ずかしいです。暖かな体が暑いと言う感覚になってきました。そして食べていた煎餅の香りが仄かに車内に漂っています。一箱開けたのですから当たり前の話ではあります。

 エンジンは止まっていて、旦那様は隣にいません。休憩でしょうか? わかりません。今気付いたのですが、私に毛布がかけられています。旦那様がかけてくださったのだと思います。いずれにせよ、非常な理由で隣に居ないわけではないと思います。

 とは言えどこにいらっしゃるのか見当もつきません。電話をすべきでしょうか。でも、出なかった場合はどうしましょう。ある程度すれば戻ってこられるとは思いますが、知らない場所で誰も居ないのは少し心細いです。したいのですが、迷惑がられるかもしれません。妻ならば耐え忍ぶ方が……。でも寂しさも消えません。

 賑やかな音楽のない車内に、時折波と海鳥と思われる鳴き声が入ってきます。優しさの毛布に包まれていますが、寂しさまではカバーできていません。広いはずの世界が外に広がっているのに、狭い世界に閉じこもるしかないのです。どうしましょうか。考えながら、窓の外を見ている時でした。

 反対のドアが開く音がしました。全く見ていなかったので、身体が少し飛び上がってしまいました。振り向くと、帽子を被った旦那様がこちらを見ていました。わかってはいましたけど、置いてけぼりなどにされたわけではなかったようです。心が軽くなりました。

「あ、椿ちゃん起きてた……?」

「先ほど起きたばかりです」

「じゃあちょうどよかったよ。無理やり起こすのも気が引けるくらい、綺麗に寝てたからさ。人形だったかなあって思うくらい全く寝息も聞こえないからびっくりしたよ。こんな品のある眠り方する人いるんだなあって思って」

 何故か旦那様は微笑んでいると言うか、犬や猫のような愛玩動物を見ているような表情をしています。私に向けたものでしょう。ま、まあ好意的に見ていただけるのならよかったと思います。嫌がられては困りますし、好かれていませんと後世に繋げることができなくなりますから。

 流石にずっと車内だと暑くなってきましたので、車から降りました。出ると同時に磯の香りが漂ってきます。海は幼い頃に数回訪れていますが、その時と同じような匂いです。

 少し背を伸ばして、深呼吸をして新鮮な空気を体内に入れます。外に出て改めて周りを見回すと、起きていた時間に見ていた都会のビル群とは無縁の海と背の低い家が幾つか立ち並ぶような風景でした。

 中々こう言った場所に来る事がなかったのですか、とても新鮮に映ります。それと共に世界は私が見てきたものよりも広いものだと感じさせられています。

「それで。旦那様はどちらへ行っていたのでしょうか」

 私がそう言うと、旦那様は一本の青く細長いものを見せてきました。

「釣りの準備をしていたんだ。この辺りはいい魚が獲れるし、近くに知り合いがやっている店があって、そこは持ち込んだ魚を調理してくれるからね」

「釣り、ですか」

 旦那様の持っていたのは釣竿だったようです。よく見ると、橙色と黄色の小さくて丸いものや、小さい鉛のようなものがか細くて透明な糸にくっついています。

 道具の詳細は分かりませんが、釣りをするのに大事な物なのでしょう。そう言えば、出発前に車の後ろにかなり大きなクーラーボックスを積んでいましたので、そう言う事だったのでしょう。重そうにしていましたので中身を聞いたら、氷と答えて答えていましたから。何か生物を入れるのかなあとは思っていましたが、魚であれば納得できます。

 旦那様がお話を続けます。

「僕自身海とずっと触れてきて生きてきたから、釣りとかマリンスポーツも好きなんだ」

 旦那様は自信満々に言います。確かに、この見た目でそう言った事が好きだと言われても説得力はあります。腕前は分かりませんが、採れたてのお魚と言うのは興味があります。食事の場合は、手の加えられたものしか殆ど見た事がありませんでしたし、触った事なんてありませんから。

「でも、生きた魚とか動いているのは苦手な女性の方が多いって聞いているから、椿ちゃんはどう思うかなあと思って起こさなかったんだけど……。ついてく――」

「行きます」

 被せ気味に言ってしまいました。表情を見るに、決して馬鹿にしているとは思えません。ですが、まるで生きている魚を直接触れないと宣言されているようでムッとしてしまいました。

 旦那様はそれを聞いて首を軽く頷かせていました。

「じゃあ、椿ちゃんも来てもらおうか。釣竿もう一本持ってきているけど、やってみる?」

「やります」

 釣りをした事がない癖に、強がってしまいました。言った言葉は戻せませんから、やるしかありません。

 こうして、私は産まれて初めて釣りをしてみる事になりました。果たしてちゃんと釣る事ができるのか。そもそも、お魚をちゃんと触れるのかが心配ではあります。やるかにはやらないといけません。私は強い女性でないといけませんから。


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 春先の陽差しもまた心地よいものでした。目を開くと、堤防のようなものの壁ととても美しいマリンブルーが広がっていました。綺麗です。綺麗ではありますが、いつの間に……、そう言うことですか。
 旦那様とお話をしていたはずなのに、いつの間にか眠りについていたようです。通りで少し頭がぼんやりとしているわけです。快適な温度、暖かな陽差しの他にも前日あまりよく眠れずに一時間程で目が覚めては眠るを繰り返したからかもしれません。
 子供のような理由で眠ってしまった自分が恥ずかしいです。暖かな体が暑いと言う感覚になってきました。そして食べていた煎餅の香りが仄かに車内に漂っています。一箱開けたのですから当たり前の話ではあります。
 エンジンは止まっていて、旦那様は隣にいません。休憩でしょうか? わかりません。今気付いたのですが、私に毛布がかけられています。旦那様がかけてくださったのだと思います。いずれにせよ、非常な理由で隣に居ないわけではないと思います。
 とは言えどこにいらっしゃるのか見当もつきません。電話をすべきでしょうか。でも、出なかった場合はどうしましょう。ある程度すれば戻ってこられるとは思いますが、知らない場所で誰も居ないのは少し心細いです。したいのですが、迷惑がられるかもしれません。妻ならば耐え忍ぶ方が……。でも寂しさも消えません。
 賑やかな音楽のない車内に、時折波と海鳥と思われる鳴き声が入ってきます。優しさの毛布に包まれていますが、寂しさまではカバーできていません。広いはずの世界が外に広がっているのに、狭い世界に閉じこもるしかないのです。どうしましょうか。考えながら、窓の外を見ている時でした。
 反対のドアが開く音がしました。全く見ていなかったので、身体が少し飛び上がってしまいました。振り向くと、帽子を被った旦那様がこちらを見ていました。わかってはいましたけど、置いてけぼりなどにされたわけではなかったようです。心が軽くなりました。
「あ、椿ちゃん起きてた……?」
「先ほど起きたばかりです」
「じゃあちょうどよかったよ。無理やり起こすのも気が引けるくらい、綺麗に寝てたからさ。人形だったかなあって思うくらい全く寝息も聞こえないからびっくりしたよ。こんな品のある眠り方する人いるんだなあって思って」
 何故か旦那様は微笑んでいると言うか、犬や猫のような愛玩動物を見ているような表情をしています。私に向けたものでしょう。ま、まあ好意的に見ていただけるのならよかったと思います。嫌がられては困りますし、好かれていませんと後世に繋げることができなくなりますから。
 流石にずっと車内だと暑くなってきましたので、車から降りました。出ると同時に磯の香りが漂ってきます。海は幼い頃に数回訪れていますが、その時と同じような匂いです。
 少し背を伸ばして、深呼吸をして新鮮な空気を体内に入れます。外に出て改めて周りを見回すと、起きていた時間に見ていた都会のビル群とは無縁の海と背の低い家が幾つか立ち並ぶような風景でした。
 中々こう言った場所に来る事がなかったのですか、とても新鮮に映ります。それと共に世界は私が見てきたものよりも広いものだと感じさせられています。
「それで。旦那様はどちらへ行っていたのでしょうか」
 私がそう言うと、旦那様は一本の青く細長いものを見せてきました。
「釣りの準備をしていたんだ。この辺りはいい魚が獲れるし、近くに知り合いがやっている店があって、そこは持ち込んだ魚を調理してくれるからね」
「釣り、ですか」
 旦那様の持っていたのは釣竿だったようです。よく見ると、橙色と黄色の小さくて丸いものや、小さい鉛のようなものがか細くて透明な糸にくっついています。
 道具の詳細は分かりませんが、釣りをするのに大事な物なのでしょう。そう言えば、出発前に車の後ろにかなり大きなクーラーボックスを積んでいましたので、そう言う事だったのでしょう。重そうにしていましたので中身を聞いたら、氷と答えて答えていましたから。何か生物を入れるのかなあとは思っていましたが、魚であれば納得できます。
 旦那様がお話を続けます。
「僕自身海とずっと触れてきて生きてきたから、釣りとかマリンスポーツも好きなんだ」
 旦那様は自信満々に言います。確かに、この見た目でそう言った事が好きだと言われても説得力はあります。腕前は分かりませんが、採れたてのお魚と言うのは興味があります。食事の場合は、手の加えられたものしか殆ど見た事がありませんでしたし、触った事なんてありませんから。
「でも、生きた魚とか動いているのは苦手な女性の方が多いって聞いているから、椿ちゃんはどう思うかなあと思って起こさなかったんだけど……。ついてく――」
「行きます」
 被せ気味に言ってしまいました。表情を見るに、決して馬鹿にしているとは思えません。ですが、まるで生きている魚を直接触れないと宣言されているようでムッとしてしまいました。
 旦那様はそれを聞いて首を軽く頷かせていました。
「じゃあ、椿ちゃんも来てもらおうか。釣竿もう一本持ってきているけど、やってみる?」
「やります」
 釣りをした事がない癖に、強がってしまいました。言った言葉は戻せませんから、やるしかありません。
 こうして、私は産まれて初めて釣りをしてみる事になりました。果たしてちゃんと釣る事ができるのか。そもそも、お魚をちゃんと触れるのかが心配ではあります。やるかにはやらないといけません。私は強い女性でないといけませんから。