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サクラの涙

ー/ー



 ユージは結局、予定よりも3日遅れで魔界へ帰還した。
 自力で問題なく歩けるところまで回復してから帰った方がいいというジンのアドバイスを受け入れたのだ。
 
 龍の一件は、自分でもしつこいと思いながらも改めてジンに問うてみた。
 すると、
 「すまん。実際のところ、俺たちにもよくわからないんだ」
 と、ジンは嫌な顔もせず、困ったような苦笑いと共に答えてくれた。
 (ジンさんに分からないのなら、仕方ないな。これ以上困らせるのも何だし)
 ユージは、龍の一件についてはこれ以上の詮索を慎むことに決めた。
 
 魔界へ戻る日、見送りに来たジンは新品の折り畳み式の鏡をユージに手渡した。
 「ジンさん、これは……?」
 思いがけないプレゼントにユージが戸惑っていると、
 「その、なんだ、今度こっちに来るときは、これで連絡してくれ。俺ももし魔界に行くことがあったら、ユージに連絡するよ」
 と、ジンは照れ臭そうに頬を掻いた。
 「ジンさん……」
 自分の思いだけでいきなり押しかけたのに親身に接してくれ、しかも天界滞在中は迷惑かけ通しだったジンからの申し出に、ユージの胸が熱くなった。
 「僕、ジンさんには迷惑しかかけてないのに……本当に嬉しいです。ありがとうございます!」
 ユージは涙ぐみそうになるのを必死でこらえ、ぺこりと頭を下げた。
 「俺はユージに迷惑かけられたなんてこれっぽっちも思ってないよ。だから気にするな」
 ジンの声音はそっけなかったが、ユージにはそちらの方が有難かった。
 「じゃあ、早速だが鏡の使い方を教えるから、俺と通話してみよう」
 ジンはユージに鏡による通話の仕方を説明し、その場でお互いの鏡を使って疎通テストを行った。
 「ジンさん、出来たみたいです」
 「よし。天界では問題なし、だな。問題はこのままの状態で魔界とやり取りできるか、だ」
 ジンはぱたんと音を立てて自分の鏡を閉じた。
 「魔界では魔法が使えないから、ですか?」
 「そうなんだよ。でも、こいつを使って魔界に居る奴と通話出来るから、何らか方法はあると思うんだ」
 「へえ、ジンさんは魔界にもお知り合いがいらっしゃるのですね」
 ユージの何気ない一言にジンは一瞬不思議そうな顔をした。そして、
 「ユージはもしかして、クワンのことを知らないのか?」
 と、問うた。
 「クワンさん……ですか?」
 今度はユージの方が怪訝そうに眉根を寄せた。
 「どうやら知らないみたいだな。――クワンは俺たち同様師匠の弟子のひとりで、俺とヤンの幼馴染でもあるんだ」
 「本当ですか!魔界にも僕と妻以外に師匠のお弟子さんがいらっしゃるとは、知りませんでした」
 ユージが天界を訪れる前に『エデン』で師匠の弟子について調べた時には、天界在住の人間に絞り込んで検索を掛けていた。それでクワンの名は提示されなかったのだろう。
 「クワンも元は天界人なんだが、研究のために魔界に移住したんだよ。やりたいことが天界じゃどうにも出来ないって話でさ」
 「へえ……」
 「もし魔界で鏡が反応しなかったら、クワンに相談してくれ。あいつは確か、『コウノトリ』っていう施設のセンター長をしている筈だ。後で俺からも話を通しておくから」
 「ありがとうございます。魔界に戻ったら早速お会いしてみます」
 「ああ。だが、痛みが引くまでは無理するなよ。ユージは怪我人なんだからな」
 薬師のジンは最後に念押しすることを忘れなかった。
 

 ユージからは帰宅が予定よりも遅れるとしか聞かされていなかったサクラは、およそ10日ぶりに家に戻って来た夫の姿に仰天した。ユージときたら、歩く姿がまるで大昔のメンテナンスがされていないロボットのようで、動作の全てがぎこちないことこの上なかったのだ。
 「ちょっと、どうしたの?」
 サクラはユージに駆け寄ると、夫の手から旅行鞄を受け取った。
 「あ、ありがとう。――実は、ちょっと、怪我しちゃって」
 「え?怪我って、大丈夫なの?」
 ユージの言葉に、サクラは眉根を寄せた。
 「うん、まだちょっと痛いけど、全身に打ち身があるだけだから」
 「!それ、全然大丈夫じゃないじゃん!」
 サクラは思わず大きな声を上げた。
 「もう、後はあたしがやるから、ユージはそこ座ってて」
 サクラはユージをリビングのソファに座らせると、ユージの部屋から部屋着を持ってきた。
 「とりあえず、これに着替えて。ここでいいから」
 「あ、うん」
 ユージはサクラの言うことを聞き入れ、その場でゆっくり着替え始めた。
 着替え中のユージの身体を観察すると、確かに全身あちこちに赤や紫色の打ち身の跡が付いている。
 「一体、何をしたらそんなになるわけ?」
 サクラの問いに、ユージは部屋着のズボンを履きながら、
 「……空から落ちた」
 小さな声でぼそぼそと、しかし正直に答えた。
 「え?」
 「だから、空から、落ちちゃったんだよ」
 「!」
 ユージの告白に、サクラの顔が引きつった。ユージは妻の反応を無理からぬことと思い、
 「ごめん」
 と、頭を下げた。
 「ごめん、じゃないわよ……」
 サクラの唇がわなわなと震えた。
 「空から落ちたって、どういうことよ。それ、下手したら、死んじゃうじゃない……もうちょっとしたら赤ちゃんだって来るのよ……もう、ユージ一人の身体じゃないんだからね」
 サクラの目からぽろぽろと涙が零れ落ちた。
 「!サクラ、ごめん、本当にごめん」
 ユージは狼狽えた。サクラの逆鱗に触れることは覚悟していたけれども、まさか泣かれるとは思わなかったのだ。
 「言い訳になるけど、俺も落ちるとは思わなくて。でも、こんな結果になっちゃって――サクラをびっくりさせて本当に申し訳ない」
 ユージはまだ痛む腕を懸命に伸ばし、サクラの背中を優しくさすった。
 「申し訳ないって思うなら、二度と危ないことはしないって約束して」
 恨めし気な涙声でサクラは畳みかけた。
 もとよりユージに拒否権などあろう筈がない。
 「約束する。自分のことも、サクラのことも、大事にするから」
 ユージの言葉に、サクラは両手でごしごしと涙を拭い、ティッシュで鼻をかんだ。そして、右手の小指をユージの目の前に差し出した。
 「約束よ。指切りしなさいよ」
 「……わかった」
 ユージは妻の小指に自分の小指を絡めた。
 「指切りげんまん、嘘ついたら針千本呑ます。指切った!」
 

 「指切りで思い出したけど、サクラにお土産買って来たんだ」
 サクラが落ち着いたところを見計らって、ユージはもそもそと旅行鞄を漁り始めた。
 「え、別にそんな気を使わなくてもよかったのに」
 口ではそんなことを言いながら、サクラは興味津々でユージの様子を見守っている。
 「はい、これ」
 ややあって、ユージはサクラに小さな包みを手渡した。
 「ありがとう。開けていい?」
 上目遣いにサクラが尋ねると、ユージは照れ臭そうに頷いた。
 「もちろん。気に入ってくれるといいんだけど」
 サクラが包みを開けると、小さいが丈夫な箱が出てきた。
 「何かしら?」
 そっと箱を開ける。
 すると、そこには小さなピンクの石がついたピンキーリングが入っていた。
 「わあ、可愛い!」
 サクラは目を輝かせ、早速左の小指に指輪を嵌めてみる。すると、ピンクの魔法石が部屋の照明を反射して、様々な色合いでキラキラと輝き始めた。
 「不思議な光。奇麗ね」
 サクラは興味深そうに宝石のきらめきを眺めている。
 「どう?気に入ってくれた?」
 夫の問いに、サクラはちょっと唇を尖らせて、
 「ふうん。ユージにしてはセンスいいじゃない。ちょっと見直したわ」
 と、からかうように言った。
 「なんだよそれ」
 ユージが抗議の声を上げると、
 「ふふっ。ありがと、ユージ。大事にするね」
 今度は満面の笑顔でそんなことを言う。
 (ったく。サクラはホントにずるいよな)
 ユージは苦々しく思いかけたが、それはほんの一瞬のことで、
 (だけど、こういうところが可愛いんだよな)
 と、思い直してしまう。
 結局のところ、ユージは自分が如何に妻に惚れているかについて再確認させられただけだった。
 「サクラ。天界ではそのピンクの石は女の子のお守りなんだって。宿のお婆さんに教えてもらったんだ」
 夫の言葉に、サクラは目を見開いた。
 「それで、あたしに買ってきてくれたの?」
 「うん。サクラならきっと喜んでくれると思って」
 「嬉しい」
 サクラはユージの胸に体重を預けてきた。
 「あ、痛」
 思わずユージが声を上げる。
 「あ!ご、ごめん、大丈夫?」
 サクラは慌ててユージから離れ、心配そうに顔を覗き込んだ。
 「だ、大丈夫」
 (全く、こんなことで悲鳴を上げるとは、我ながら情けない)
 ユージは自分の胸をさすりながら、ほろ苦く笑った。
 


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 ユージは結局、予定よりも3日遅れで魔界へ帰還した。
 自力で問題なく歩けるところまで回復してから帰った方がいいというジンのアドバイスを受け入れたのだ。
 龍の一件は、自分でもしつこいと思いながらも改めてジンに問うてみた。
 すると、
 「すまん。実際のところ、俺たちにもよくわからないんだ」
 と、ジンは嫌な顔もせず、困ったような苦笑いと共に答えてくれた。
 (ジンさんに分からないのなら、仕方ないな。これ以上困らせるのも何だし)
 ユージは、龍の一件についてはこれ以上の詮索を慎むことに決めた。
 魔界へ戻る日、見送りに来たジンは新品の折り畳み式の鏡をユージに手渡した。
 「ジンさん、これは……?」
 思いがけないプレゼントにユージが戸惑っていると、
 「その、なんだ、今度こっちに来るときは、これで連絡してくれ。俺ももし魔界に行くことがあったら、ユージに連絡するよ」
 と、ジンは照れ臭そうに頬を掻いた。
 「ジンさん……」
 自分の思いだけでいきなり押しかけたのに親身に接してくれ、しかも天界滞在中は迷惑かけ通しだったジンからの申し出に、ユージの胸が熱くなった。
 「僕、ジンさんには迷惑しかかけてないのに……本当に嬉しいです。ありがとうございます!」
 ユージは涙ぐみそうになるのを必死でこらえ、ぺこりと頭を下げた。
 「俺はユージに迷惑かけられたなんてこれっぽっちも思ってないよ。だから気にするな」
 ジンの声音はそっけなかったが、ユージにはそちらの方が有難かった。
 「じゃあ、早速だが鏡の使い方を教えるから、俺と通話してみよう」
 ジンはユージに鏡による通話の仕方を説明し、その場でお互いの鏡を使って疎通テストを行った。
 「ジンさん、出来たみたいです」
 「よし。天界では問題なし、だな。問題はこのままの状態で魔界とやり取りできるか、だ」
 ジンはぱたんと音を立てて自分の鏡を閉じた。
 「魔界では魔法が使えないから、ですか?」
 「そうなんだよ。でも、こいつを使って魔界に居る奴と通話出来るから、何らか方法はあると思うんだ」
 「へえ、ジンさんは魔界にもお知り合いがいらっしゃるのですね」
 ユージの何気ない一言にジンは一瞬不思議そうな顔をした。そして、
 「ユージはもしかして、クワンのことを知らないのか?」
 と、問うた。
 「クワンさん……ですか?」
 今度はユージの方が怪訝そうに眉根を寄せた。
 「どうやら知らないみたいだな。――クワンは俺たち同様師匠の弟子のひとりで、俺とヤンの幼馴染でもあるんだ」
 「本当ですか!魔界にも僕と妻以外に師匠のお弟子さんがいらっしゃるとは、知りませんでした」
 ユージが天界を訪れる前に『エデン』で師匠の弟子について調べた時には、天界在住の人間に絞り込んで検索を掛けていた。それでクワンの名は提示されなかったのだろう。
 「クワンも元は天界人なんだが、研究のために魔界に移住したんだよ。やりたいことが天界じゃどうにも出来ないって話でさ」
 「へえ……」
 「もし魔界で鏡が反応しなかったら、クワンに相談してくれ。あいつは確か、『コウノトリ』っていう施設のセンター長をしている筈だ。後で俺からも話を通しておくから」
 「ありがとうございます。魔界に戻ったら早速お会いしてみます」
 「ああ。だが、痛みが引くまでは無理するなよ。ユージは怪我人なんだからな」
 薬師のジンは最後に念押しすることを忘れなかった。
 ユージからは帰宅が予定よりも遅れるとしか聞かされていなかったサクラは、およそ10日ぶりに家に戻って来た夫の姿に仰天した。ユージときたら、歩く姿がまるで大昔のメンテナンスがされていないロボットのようで、動作の全てがぎこちないことこの上なかったのだ。
 「ちょっと、どうしたの?」
 サクラはユージに駆け寄ると、夫の手から旅行鞄を受け取った。
 「あ、ありがとう。――実は、ちょっと、怪我しちゃって」
 「え?怪我って、大丈夫なの?」
 ユージの言葉に、サクラは眉根を寄せた。
 「うん、まだちょっと痛いけど、全身に打ち身があるだけだから」
 「!それ、全然大丈夫じゃないじゃん!」
 サクラは思わず大きな声を上げた。
 「もう、後はあたしがやるから、ユージはそこ座ってて」
 サクラはユージをリビングのソファに座らせると、ユージの部屋から部屋着を持ってきた。
 「とりあえず、これに着替えて。ここでいいから」
 「あ、うん」
 ユージはサクラの言うことを聞き入れ、その場でゆっくり着替え始めた。
 着替え中のユージの身体を観察すると、確かに全身あちこちに赤や紫色の打ち身の跡が付いている。
 「一体、何をしたらそんなになるわけ?」
 サクラの問いに、ユージは部屋着のズボンを履きながら、
 「……空から落ちた」
 小さな声でぼそぼそと、しかし正直に答えた。
 「え?」
 「だから、空から、落ちちゃったんだよ」
 「!」
 ユージの告白に、サクラの顔が引きつった。ユージは妻の反応を無理からぬことと思い、
 「ごめん」
 と、頭を下げた。
 「ごめん、じゃないわよ……」
 サクラの唇がわなわなと震えた。
 「空から落ちたって、どういうことよ。それ、下手したら、死んじゃうじゃない……もうちょっとしたら赤ちゃんだって来るのよ……もう、ユージ一人の身体じゃないんだからね」
 サクラの目からぽろぽろと涙が零れ落ちた。
 「!サクラ、ごめん、本当にごめん」
 ユージは狼狽えた。サクラの逆鱗に触れることは覚悟していたけれども、まさか泣かれるとは思わなかったのだ。
 「言い訳になるけど、俺も落ちるとは思わなくて。でも、こんな結果になっちゃって――サクラをびっくりさせて本当に申し訳ない」
 ユージはまだ痛む腕を懸命に伸ばし、サクラの背中を優しくさすった。
 「申し訳ないって思うなら、二度と危ないことはしないって約束して」
 恨めし気な涙声でサクラは畳みかけた。
 もとよりユージに拒否権などあろう筈がない。
 「約束する。自分のことも、サクラのことも、大事にするから」
 ユージの言葉に、サクラは両手でごしごしと涙を拭い、ティッシュで鼻をかんだ。そして、右手の小指をユージの目の前に差し出した。
 「約束よ。指切りしなさいよ」
 「……わかった」
 ユージは妻の小指に自分の小指を絡めた。
 「指切りげんまん、嘘ついたら針千本呑ます。指切った!」
 「指切りで思い出したけど、サクラにお土産買って来たんだ」
 サクラが落ち着いたところを見計らって、ユージはもそもそと旅行鞄を漁り始めた。
 「え、別にそんな気を使わなくてもよかったのに」
 口ではそんなことを言いながら、サクラは興味津々でユージの様子を見守っている。
 「はい、これ」
 ややあって、ユージはサクラに小さな包みを手渡した。
 「ありがとう。開けていい?」
 上目遣いにサクラが尋ねると、ユージは照れ臭そうに頷いた。
 「もちろん。気に入ってくれるといいんだけど」
 サクラが包みを開けると、小さいが丈夫な箱が出てきた。
 「何かしら?」
 そっと箱を開ける。
 すると、そこには小さなピンクの石がついたピンキーリングが入っていた。
 「わあ、可愛い!」
 サクラは目を輝かせ、早速左の小指に指輪を嵌めてみる。すると、ピンクの魔法石が部屋の照明を反射して、様々な色合いでキラキラと輝き始めた。
 「不思議な光。奇麗ね」
 サクラは興味深そうに宝石のきらめきを眺めている。
 「どう?気に入ってくれた?」
 夫の問いに、サクラはちょっと唇を尖らせて、
 「ふうん。ユージにしてはセンスいいじゃない。ちょっと見直したわ」
 と、からかうように言った。
 「なんだよそれ」
 ユージが抗議の声を上げると、
 「ふふっ。ありがと、ユージ。大事にするね」
 今度は満面の笑顔でそんなことを言う。
 (ったく。サクラはホントにずるいよな)
 ユージは苦々しく思いかけたが、それはほんの一瞬のことで、
 (だけど、こういうところが可愛いんだよな)
 と、思い直してしまう。
 結局のところ、ユージは自分が如何に妻に惚れているかについて再確認させられただけだった。
 「サクラ。天界ではそのピンクの石は女の子のお守りなんだって。宿のお婆さんに教えてもらったんだ」
 夫の言葉に、サクラは目を見開いた。
 「それで、あたしに買ってきてくれたの?」
 「うん。サクラならきっと喜んでくれると思って」
 「嬉しい」
 サクラはユージの胸に体重を預けてきた。
 「あ、痛」
 思わずユージが声を上げる。
 「あ!ご、ごめん、大丈夫?」
 サクラは慌ててユージから離れ、心配そうに顔を覗き込んだ。
 「だ、大丈夫」
 (全く、こんなことで悲鳴を上げるとは、我ながら情けない)
 ユージは自分の胸をさすりながら、ほろ苦く笑った。