鎮場神社

ー/ー



「ア、ヤ……」

 消えて、しまった。また、いなくなってしまった。

 ()んでいた雨が再び激しく降り出してきて、水滴に打たれた遊具や砂粒がさざなみのように音を立てる。割れていたはずの地面は綺麗(きれい)に元通りになっていて、アヤの姿も、地面に走った大きな亀裂(きれつ)も、飛び散ったはずの土塊(つちくれ)もない。地面に転がっているビニール傘だけが、ただ静かに雨の滴を受けていた。

 その側で、弓丸が小さく舌打ちをしながら地面に刺さった太刀(たち)を引き抜く。断ち切られた(つた)の切れ端が、毒虫のように(うごめ)いている。

「藍果、あの短刀を貸してほしい」

 弓丸の声は聞こえている。けれど、頭の中で言葉が堂々巡りをしていて、一向に喉から出てきてくれない。とりあえずベンチから立ち上がり、自分の傘を差すのも忘れて弓丸の元へと向かった。
 スカートから短刀を出そうとしたところで、アヤのビニール傘が再び視界に飛び込んでくる。

 血のように散った、砂混じりの泥の跡。
 深く裂けた透明な(まく)、衝撃で折れた金属の骨。

「ご、め……ごめんね、アヤちゃん……」

 もう、立っていられない。張り詰めていた感情が(せき)を切ったように(あふ)れ出してきて、その場でへたり込んでしまった。靴下に、スカートに、インナーパンツに、雨水が染み込んでくる。
 弓丸はそんな私の隣にしゃがみ込み、淡々とした声で言う。

「……黙ってるんなら、勝手に借りるぞ」

 私がうつむいたままぼんやりしていると、小さな手がスカートのポケットを探った。弓丸が短刀を取り出し、立ち上がって蔦の切れ端を見下ろす。(さや)から抜いて狙いを定め、(いま)だのたうち回るその断片に短刀の切っ先を突き立てた。そのまま刀身を貫通させると、蔦の切れ端は締められた魚のように力を失う。

 そして弓丸は、座り込んでいた私を振り向き、こともあろうかその状態の短刀——まだ蔦の先は細かく痙攣(けいれん)している——を目の前に放り投げた。

「う、うわ、わ」
「拾ってくれ。追撃があったときのために、僕は手を空けておきたい」

 生理的な嫌悪感に顔をしかめつつも、蔦を貫いた短刀を拾い上げる。

 蔦に生えている棘は、やはりバラよりも太く鋭い。棘の付け根は赤黒く、先端に向かうほど鮮やかな赤色になっていた。昨夜私を襲った化け物と、ほぼ同じものだと見て間違いないだろう。

 水を吸った服は重く、濡れた刀の柄は冷たい。

 想像する。さっき起きたことからも、目の前にある化け物の端くれにも背を向けて、このまま眠ってしまえたら。けれど、柄を握る手に伝わる重みが、私の心を〈今このとき〉に引き戻す。短刀の重さを手の内に感じながら、ゆっくりと息を吸い、胸のつかえを吐き出した。

「藍果。ついてきてほしいところがある」
 

***



 公園から五分ほど進んだ先で、小山に面した坂道を上がった。道幅は車が一台通れるくらいで、タイヤ跡を挟むようにして雑草が生えている。勾配は緩やかだが、すぐ横の斜面からはシダや木の枝が飛び出していて、水たまりに気を取られていると頬に当たりそうになる。 

「ほら、気をつけて。足元も滑るから」
「う、うん……」

 枝葉が隠してくれるおかげで、傘を差す必要もない。私たちの(ほか)に人影は無く、目に()()るような新緑だけが、雨を受け止め受け流しては(ささや)き声を立てている。

 弓丸が足を止め、斜面に向かって顔を上げた。

 石段が、うっそうと茂った木々の奥へと続いている。わらじを履いたその足で、とったったっ、と軽やかに石段の真ん中を踏んでいき、弓丸は石造りの鳥居をくぐった。そこからさらに数段上がって(きびす)を返すと、鳥居に飛びついてぶら下がる。

「ちょ、ちょっと」
「そんなに驚かないでよ。これくらい、多少身軽な小学生ならできる。いたでしょ、やたら運動神経のいいクラスメイト」
「……まぁ、うん」
「それに、ここは僕の神社だから好きにしていいんだよ。ほんとはゆっくり案内するつもりだったけどっ……と」

 弓丸は勢いをつけて体を引き上げ、鳥居の上から顔を出した。近くには、私の背と同じくらいの石柱がひっそりと(たたず)んでいる。草木に()もれかけてはいるが、その石柱には〈(ちん)()神社〉と刻まれていた。

「僕のお社(やしろ)へようこそ」


***

 あの鳥居をくぐってから、階段をしばらく(あが)った先に境内(けいだい)があった。あまり広くはないが、荒れ果てないよう最低限の手入れはしてある、といった様子で、石畳の間にもそれほど雑草は生えていない。ただ、手水舎(ちょうずや)の水は止められていて、柄杓(ひしゃく)も置かれていなかった。

「ねぇ、あの……ここ、本当に入っていいの……?」
「僕がいいって言ってるんだからいいでしょ。すぐに出るけど、これでも羽織(はお)ってて」
「あ、ありがと……ってこれ、もしかして鹿の皮!?」

 お社には傷みこそあるものの、このお社が弓丸へのせめてもの(はなむけ)だった、ということが十分に(うかが)える造りだった。そして今、私はそのお社の中で、むしろの上に座って鹿の毛皮を羽織って、蔦の化け物の断片が刺さったままの小刀を持ちながら、弓丸の身支度が終わるのを待っている。かなりカオスな状況だ。

「この場所、早めに教えておきたかったんだ。万一のことがあっても、連絡場所や待ち合わせ場所として使える。手紙でもカードでも、そこらへんに置いといてくれたら見るよ」
「はーい……」

 なんとなく返事をしながら、お社の中を見渡した。板張りの床、外と内を仕切る格子戸、火皿に芯が置かれた灯台、箱がいくつか置かれた棚。奥の方は薄暗くてよく見えない。それほど広くはないが、雨風をしのぐには事足りる。鹿の毛皮は暖かい。

「っていや、そうじゃなくて、神主さんに見つかったりとかしたら」
「この神社、神主は特別な祭事でもない限り来ないよ。どうしても気になるんなら、この社全体に目眩(めくらま)しの術をかけておくけど」
「え、そんなことできるの」
「建物一つ分くらいの範囲なら」

 そう言って弓丸は静かに目を閉じ、「朧月夜(おぼろづきよ)」と(つぶや)いた。たちまち霧のようなものが現れ、水を揺蕩(たゆた)う藻のように私たちの周りを囲う。目を丸くする私の様子に、弓丸は少し口元を緩めて付け加えた。

「これで、たいていの人間はこの社に気づかない。コツは、今までに見た中で一番美しい朧月夜を、(まぶた)の裏によく思い浮かべることだ。逆に、術を解くときは『夜が明ける』と言えばいい。僕の霊力である血を分け与えた者なら、できたっておかしくはないな」

 ふうん、と単に相槌(あいづち)を打とうとしたところで、はたと思い出した。昨夜の私の脚の治療には、弓丸の血が使われている。

「えっじゃあこれ、私もできたり」
「もっとも、あんな量の血じゃ足りないけど。僕の真似事をするなら、少なくとも君の血の半分以上が僕の血と入れ替わらなきゃ無理だ。さすがに、そこまで大盤(おおばん)振る舞いはできない」
「……ちょっと、今の引っかけでしょ」
「さてね」

 弓丸は、話しながらもてきぱきと身支度を進めていく。衣服に残る水分をタオルで拭きとり、(くく)(ひも)を引いて袖口を絞る。それから、首元に親指を入れ、水干の衣の下からスーッと紐状(ひもじょう)の何かを引き出した。端が胸元で結ばれていて、その先にはそれぞれ赤と青の透明な玉が取りつけられている。弓丸はその首飾りを解いて外し、ブレスレットのようにして右手首に付けた。

「それ何?」
「秘密。もしくは、じきに分かる」

 弓丸が格子戸を開けた。空は暗く、未だ雨は降り続けていたが、さっきよりは雨足が弱まっている。私を振り返ったその少年は、かすかに笑ってこう言った。

「一緒に行こうか、人助け」
 



スタンプを贈って作者を応援しよう!

次のエピソードへ進む 誘う洞穴、あるいは悪癖


みんなのリアクション



おすすめ作品を読み込み中です…



「ア、ヤ……」
 消えて、しまった。また、いなくなってしまった。
 |止《や》んでいた雨が再び激しく降り出してきて、水滴に打たれた遊具や砂粒がさざなみのように音を立てる。割れていたはずの地面は|綺麗《きれい》に元通りになっていて、アヤの姿も、地面に走った大きな|亀裂《きれつ》も、飛び散ったはずの|土塊《つちくれ》もない。地面に転がっているビニール傘だけが、ただ静かに雨の滴を受けていた。
 その側で、弓丸が小さく舌打ちをしながら地面に刺さった|太刀《たち》を引き抜く。断ち切られた|蔦《つた》の切れ端が、毒虫のように|蠢《うごめ》いている。
「藍果、あの短刀を貸してほしい」
 弓丸の声は聞こえている。けれど、頭の中で言葉が堂々巡りをしていて、一向に喉から出てきてくれない。とりあえずベンチから立ち上がり、自分の傘を差すのも忘れて弓丸の元へと向かった。
 スカートから短刀を出そうとしたところで、アヤのビニール傘が再び視界に飛び込んでくる。
 血のように散った、砂混じりの泥の跡。
 深く裂けた透明な|膜《まく》、衝撃で折れた金属の骨。
「ご、め……ごめんね、アヤちゃん……」
 もう、立っていられない。張り詰めていた感情が|堰《せき》を切ったように|溢《あふ》れ出してきて、その場でへたり込んでしまった。靴下に、スカートに、インナーパンツに、雨水が染み込んでくる。
 弓丸はそんな私の隣にしゃがみ込み、淡々とした声で言う。
「……黙ってるんなら、勝手に借りるぞ」
 私がうつむいたままぼんやりしていると、小さな手がスカートのポケットを探った。弓丸が短刀を取り出し、立ち上がって蔦の切れ端を見下ろす。|鞘《さや》から抜いて狙いを定め、|未《いま》だのたうち回るその断片に短刀の切っ先を突き立てた。そのまま刀身を貫通させると、蔦の切れ端は締められた魚のように力を失う。
 そして弓丸は、座り込んでいた私を振り向き、こともあろうかその状態の短刀——まだ蔦の先は細かく|痙攣《けいれん》している——を目の前に放り投げた。
「う、うわ、わ」
「拾ってくれ。追撃があったときのために、僕は手を空けておきたい」
 生理的な嫌悪感に顔をしかめつつも、蔦を貫いた短刀を拾い上げる。
 蔦に生えている棘は、やはりバラよりも太く鋭い。棘の付け根は赤黒く、先端に向かうほど鮮やかな赤色になっていた。昨夜私を襲った化け物と、ほぼ同じものだと見て間違いないだろう。
 水を吸った服は重く、濡れた刀の柄は冷たい。
 想像する。さっき起きたことからも、目の前にある化け物の端くれにも背を向けて、このまま眠ってしまえたら。けれど、柄を握る手に伝わる重みが、私の心を〈今このとき〉に引き戻す。短刀の重さを手の内に感じながら、ゆっくりと息を吸い、胸のつかえを吐き出した。
「藍果。ついてきてほしいところがある」
***
 公園から五分ほど進んだ先で、小山に面した坂道を上がった。道幅は車が一台通れるくらいで、タイヤ跡を挟むようにして雑草が生えている。勾配は緩やかだが、すぐ横の斜面からはシダや木の枝が飛び出していて、水たまりに気を取られていると頬に当たりそうになる。 
「ほら、気をつけて。足元も滑るから」
「う、うん……」
 枝葉が隠してくれるおかげで、傘を差す必要もない。私たちの|他《ほか》に人影は無く、目に|沁《し》み|入《い》るような新緑だけが、雨を受け止め受け流しては|囁《ささや》き声を立てている。
 弓丸が足を止め、斜面に向かって顔を上げた。
 石段が、うっそうと茂った木々の奥へと続いている。わらじを履いたその足で、とったったっ、と軽やかに石段の真ん中を踏んでいき、弓丸は石造りの鳥居をくぐった。そこからさらに数段上がって|踵《きびす》を返すと、鳥居に飛びついてぶら下がる。
「ちょ、ちょっと」
「そんなに驚かないでよ。これくらい、多少身軽な小学生ならできる。いたでしょ、やたら運動神経のいいクラスメイト」
「……まぁ、うん」
「それに、ここは僕の神社だから好きにしていいんだよ。ほんとはゆっくり案内するつもりだったけどっ……と」
 弓丸は勢いをつけて体を引き上げ、鳥居の上から顔を出した。近くには、私の背と同じくらいの石柱がひっそりと|佇《たたず》んでいる。草木に|埋《う》もれかけてはいるが、その石柱には〈|鎮《ちん》|場《ば》神社〉と刻まれていた。
「僕の|お社《やしろ》へようこそ」
***
 あの鳥居をくぐってから、階段をしばらく|上《あが》った先に|境内《けいだい》があった。あまり広くはないが、荒れ果てないよう最低限の手入れはしてある、といった様子で、石畳の間にもそれほど雑草は生えていない。ただ、|手水舎《ちょうずや》の水は止められていて、|柄杓《ひしゃく》も置かれていなかった。
「ねぇ、あの……ここ、本当に入っていいの……?」
「僕がいいって言ってるんだからいいでしょ。すぐに出るけど、これでも|羽織《はお》ってて」
「あ、ありがと……ってこれ、もしかして鹿の皮!?」
 お社には傷みこそあるものの、このお社が弓丸へのせめてもの|餞《はなむけ》だった、ということが十分に|窺《うかが》える造りだった。そして今、私はそのお社の中で、むしろの上に座って鹿の毛皮を羽織って、蔦の化け物の断片が刺さったままの小刀を持ちながら、弓丸の身支度が終わるのを待っている。かなりカオスな状況だ。
「この場所、早めに教えておきたかったんだ。万一のことがあっても、連絡場所や待ち合わせ場所として使える。手紙でもカードでも、そこらへんに置いといてくれたら見るよ」
「はーい……」
 なんとなく返事をしながら、お社の中を見渡した。板張りの床、外と内を仕切る格子戸、火皿に芯が置かれた灯台、箱がいくつか置かれた棚。奥の方は薄暗くてよく見えない。それほど広くはないが、雨風をしのぐには事足りる。鹿の毛皮は暖かい。
「っていや、そうじゃなくて、神主さんに見つかったりとかしたら」
「この神社、神主は特別な祭事でもない限り来ないよ。どうしても気になるんなら、この社全体に|目眩《めくらま》しの術をかけておくけど」
「え、そんなことできるの」
「建物一つ分くらいの範囲なら」
 そう言って弓丸は静かに目を閉じ、「|朧月夜《おぼろづきよ》」と|呟《つぶや》いた。たちまち霧のようなものが現れ、水を|揺蕩《たゆた》う藻のように私たちの周りを囲う。目を丸くする私の様子に、弓丸は少し口元を緩めて付け加えた。
「これで、たいていの人間はこの社に気づかない。コツは、今までに見た中で一番美しい朧月夜を、|瞼《まぶた》の裏によく思い浮かべることだ。逆に、術を解くときは『夜が明ける』と言えばいい。僕の霊力である血を分け与えた者なら、できたっておかしくはないな」
 ふうん、と単に|相槌《あいづち》を打とうとしたところで、はたと思い出した。昨夜の私の脚の治療には、弓丸の血が使われている。
「えっじゃあこれ、私もできたり」
「もっとも、あんな量の血じゃ足りないけど。僕の真似事をするなら、少なくとも君の血の半分以上が僕の血と入れ替わらなきゃ無理だ。さすがに、そこまで|大盤《おおばん》振る舞いはできない」
「……ちょっと、今の引っかけでしょ」
「さてね」
 弓丸は、話しながらもてきぱきと身支度を進めていく。衣服に残る水分をタオルで拭きとり、|括《くく》り|紐《ひも》を引いて袖口を絞る。それから、首元に親指を入れ、水干の衣の下からスーッと|紐状《ひもじょう》の何かを引き出した。端が胸元で結ばれていて、その先にはそれぞれ赤と青の透明な玉が取りつけられている。弓丸はその首飾りを解いて外し、ブレスレットのようにして右手首に付けた。
「それ何?」
「秘密。もしくは、じきに分かる」
 弓丸が格子戸を開けた。空は暗く、未だ雨は降り続けていたが、さっきよりは雨足が弱まっている。私を振り返ったその少年は、かすかに笑ってこう言った。
「一緒に行こうか、人助け」