誘う洞穴、あるいは悪癖

ー/ー



「ただ、その前に」

 弓丸はおもむろに太刀(たち)を抜き、その先で足首の肌を突いた。

「なっ、え……」

 弓丸の柔らかくきめ細やかな肌に、玉のような血が浮かんで太刀の先へと移る。赤い薄衣(うすぎぬ)を身に絡め、薄暗がりで背を向ける白刃。

「それ、外して。下に置いていいから」

 うろたえる(わたし)とは正反対に、弓丸は落ち着き払って太刀で社の外を指した。

「こ、この(つた)のやつ?」
「そう。早く」

 言われた通り、短刀から蔦の切れ端を取り外して石畳の上に置く。弓丸がその断面に血を垂らせば、蔦の切れ端は水を得た魚のように動き出す。

「うわっ、わっ、わ」

 さながらトカゲの尻尾(しっぽ)だ。雨で湿った地面の上をかなりのスピードで()い、石段の方へと向かっていく。

「追うよ。その先に本体がいる」


***


 昔あったらしいお堂の跡地。その岩陰に(かく)れていた洞穴の中へと、その蔦は消えていった。

「ここは……」

 入口の上部には太い木の根が張っている。地面が掘り下げられていて、洞穴の高さは百四十センチほど。私が入るには(かが)む必要がありそうだが、弓丸にその必要はなさそうだ。ご丁寧なことに、壁の(くぼ)みには火皿と芯が置かれており、それには火が(とも)されていた。揺れる炎の小さな明かりが、点々と奥へ続いている。

「ねぇ、弓丸……さん、ここに入る……」

 どさっ。かちゃん。
 子どもの体が、地に崩れ落ちたような音。それから、金属の()れ合う音が。

「弓丸……っ!」

 弓丸は、腰が抜けたようにその場でへたり込み、きゅうっと(すぼ)まった縦長の瞳孔(どうこう)を洞穴の奥へと向けていた。顔面蒼白(そうはく)茫然(ぼうぜん)自失——元々色白な顔からさらに血の気が引いていて、金色の欠片(かけら)が散る瞳、それを縁取(ふちど)る長いまつげがくっきりと際立つ。まるで人形のようでさえあったが、小刻みに震える肩、切れぎれの呼吸が、そんな戯言(ざれごと)を否定していた。どう見たって普通の状態ではない。

「ね、ねぇ弓丸、ゆっくり息……」
「か、ひゅ、わからない、な、なんで、こんっ……な」

 弓丸が激しく()()む。せめて背をさすってあげようと手を伸ばしたが、にべもなく払われた。弓丸は目を見開いて下を向き、自分の体を手でかき抱くようにしながら(かす)れた声でぽつぽつと(つぶや)く。

「……拒むんだ。この、体は……どういうわけか、ここに入ることを拒否している」

 口元をぬぐって、弓丸は目の前の洞穴を(にら)みつけた。ぽっかりと開いたその空間からは、何の物音も聞こえてこない。ただ、等間隔に奥へと続く小さな炎が、おいでおいでと揺れている。

「……行こう。ここまで来たんだ、逃げられる前に打って出る」
「で、でも、体調悪いんじゃ……」
「大丈夫」

 弓丸は、首元から首飾りを取り出した。どうやら、衣の下につけて隠していたらしい。赤と青、二種類の透き通った玉が紐に通されていて、弓丸は青い方の玉を引き抜いた。

「あの、何を」
「いいから見てて」

 弓丸はそれを指に挟み、手品でもするように軽く手を振る。すると、その玉は一本の長い矢へと姿を変えた。矢羽は青く、先端には丹念(たんねん)(みが)かれた鋭い(やじり)が光っている。

「そ、それ……!」
「僕、神様だからね。こういう、ことも……できるわけ」

 ばた、ばたた、と再び雨足が強まってきて、岩や草木に身を打っては砕け散る。その矢を両手で逆手に持ち、弓丸はゆっくりと息を吐き出した。矢を握る手が、かすかに震えている。

 まさか!

 私がその手を(つか)むよりも一瞬早く、弓丸は矢の先端を(はかま)の上へと振り下ろした。



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「ただ、その前に」
 弓丸はおもむろに|太刀《たち》を抜き、その先で足首の肌を突いた。
「なっ、え……」
 弓丸の柔らかくきめ細やかな肌に、玉のような血が浮かんで太刀の先へと移る。赤い|薄衣《うすぎぬ》を身に絡め、薄暗がりで背を向ける白刃。
「それ、外して。下に置いていいから」
 うろたえる|私《わたし》とは正反対に、弓丸は落ち着き払って太刀で社の外を指した。
「こ、この|蔦《つた》のやつ?」
「そう。早く」
 言われた通り、短刀から蔦の切れ端を取り外して石畳の上に置く。弓丸がその断面に血を垂らせば、蔦の切れ端は水を得た魚のように動き出す。
「うわっ、わっ、わ」
 さながらトカゲの|尻尾《しっぽ》だ。雨で湿った地面の上をかなりのスピードで|這《は》い、石段の方へと向かっていく。
「追うよ。その先に本体がいる」
***
 昔あったらしいお堂の跡地。その岩陰に|隠《かく》れていた洞穴の中へと、その蔦は消えていった。
「ここは……」
 入口の上部には太い木の根が張っている。地面が掘り下げられていて、洞穴の高さは百四十センチほど。私が入るには|屈《かが》む必要がありそうだが、弓丸にその必要はなさそうだ。ご丁寧なことに、壁の|窪《くぼ》みには火皿と芯が置かれており、それには火が|灯《とも》されていた。揺れる炎の小さな明かりが、点々と奥へ続いている。
「ねぇ、弓丸……さん、ここに入る……」
 どさっ。かちゃん。
 子どもの体が、地に崩れ落ちたような音。それから、金属の|擦《す》れ合う音が。
「弓丸……っ!」
 弓丸は、腰が抜けたようにその場でへたり込み、きゅうっと|窄《すぼ》まった縦長の|瞳孔《どうこう》を洞穴の奥へと向けていた。顔面|蒼白《そうはく》、|茫然《ぼうぜん》自失——元々色白な顔からさらに血の気が引いていて、金色の|欠片《かけら》が散る瞳、それを|縁取《ふちど》る長いまつげがくっきりと際立つ。まるで人形のようでさえあったが、小刻みに震える肩、切れぎれの呼吸が、そんな|戯言《ざれごと》を否定していた。どう見たって普通の状態ではない。
「ね、ねぇ弓丸、ゆっくり息……」
「か、ひゅ、わからない、な、なんで、こんっ……な」
 弓丸が激しく|咳《せ》き|込《こ》む。せめて背をさすってあげようと手を伸ばしたが、にべもなく払われた。弓丸は目を見開いて下を向き、自分の体を手でかき抱くようにしながら|掠《かす》れた声でぽつぽつと呟《つぶや》く。
「……拒むんだ。この、体は……どういうわけか、ここに入ることを拒否している」
 口元をぬぐって、弓丸は目の前の洞穴を|睨《にら》みつけた。ぽっかりと開いたその空間からは、何の物音も聞こえてこない。ただ、等間隔に奥へと続く小さな炎が、おいでおいでと揺れている。
「……行こう。ここまで来たんだ、逃げられる前に打って出る」
「で、でも、体調悪いんじゃ……」
「大丈夫」
 弓丸は、首元から首飾りを取り出した。どうやら、衣の下につけて隠していたらしい。赤と青、二種類の透き通った玉が紐に通されていて、弓丸は青い方の玉を引き抜いた。
「あの、何を」
「いいから見てて」
 弓丸はそれを指に挟み、手品でもするように軽く手を振る。すると、その玉は一本の長い矢へと姿を変えた。矢羽は青く、先端には|丹念《たんねん》に|研《みが》かれた鋭い|鏃《やじり》が光っている。
「そ、それ……!」
「僕、神様だからね。こういう、ことも……できるわけ」
 ばた、ばたた、と再び雨足が強まってきて、岩や草木に身を打っては砕け散る。その矢を両手で逆手に持ち、弓丸はゆっくりと息を吐き出した。矢を握る手が、かすかに震えている。
 まさか!
 私がその手を|掴《つか》むよりも一瞬早く、弓丸は矢の先端を|袴《はかま》の上へと振り下ろした。