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今年最後のヒグラシ

ー/ー




 金曜日の放課後、誰もいない図書室で委員会の仕事をするこの時間が、私は大好きだった。

 理由なんて簡単。
 同じ委員会の好きな男子と二人きりでいられるから。


「相変わらず暇だな」

「暇だからこの委員会にしたくせに」

「金曜日の放課後が暇で気楽だからな。1年の時それ知ったから、お前だって今年も図書委員になったんだろ?」

「……まあね」


 当たり障りのない会話でも、喜んでいる自分がいる。けれど、素直に今の会話を喜べない自分もいる。

 ただ並んで歩いたり、隣で話したり、笑ったりするだけで満たされていたはずなのに。なんでもよかったはずなのに、いつからその声を自分だけに向けてほしいと、視界に自分だけを入れてほしいと思うようになったのだろう。

 彼の一番になりたくて、彼に見合う女子になりたくて。本来なら教室の端で静かにしているタイプの私が、もっと近づきたいという理由で口調もノリも少しだけ男っぽくして、私はサバサバ系ですよって。他の女子みたいにねちっこくないよって。だから以前より話しかけやすいって思われたくて自分を必死に変えた。

 極端に私が変わるもんだから、幼馴染である彼はとても驚いていたけど、長いことやっていれば嘘の私にも慣れていって、次第に「変じゃね?」と言われなくなった。

 でも、それも無意味だったんだけど。「お前さ、あれ聴いた?」

「聴いた」


 あれ、だけで分かる人なんて、私しかいないよ?


「なんであんなに、ピアノの音が綺麗なんだろう」

「マジそれな」

「綺麗すぎて泣きたくなる」

「情緒不安定かよ」

「うるさ」


 私たちが聴いたと話している音楽は、お互いに好きな韓国のアイドルグループの、新しく発売されたアルバムに入っているバラード曲。
思わず感傷に浸ってしまうほど、主線のピアノの音が綺麗すぎて、私は泣きたくなるではなく、泣いてしまった。

 私があの曲を聴いて泣いたとか、彼は想像も出来ないんだろうな。

 だって彼は、私のことを泣かないキャラだと思っているから。


「前までアルバムの貸し借りしてたけど、最近はしないよな」

「アルバムは買っても、CDで聴かなくなったからね」

「前からCDで聴いてねえじゃん」

「確かに」


 適当に返事をしていたことに気づかれたのか、彼は飲んでいたペットボトルをカウンターに置くと、私が弄っていた携帯を取り上げられた。

 小さく息を吐いてから隣を見ると、何故か私の携帯で自撮りをし始める。


「……何してんの」

「ん? お前の宝物増やしてやろうと思って」

「いらな」

「とか言って、本当は嬉しいくせに」

「うざ。てか、そんなの宝の価値にすらならないじゃん」

「お前、うざすぎ」


 少しだけ口角を上げて笑う彼を見て、私は心底マスクをしていて良かったと思った。

 マスクの着用は個人の判断になってから、マスクをする人が激減した。今は夏だし、していると熱中症にもなって大変なのだけれど、私は体育や外に出て運動する以外はマスクを付けていた。

 いつまでもマスクを着け続ける理由は、私は嬉しいと思うとすぐに顔が赤くなってしまう。だからそれを隠すために流行り病が始まる前からマスクを付けることが多かった。

 頬を赤らめて、彼のことを好きでも嫌いでもない、という態度を取ったって気づかれる人には気づかれてしまう。その分、マスクをしている方が顔の赤さも隠れるし、目元でどんな表情をしているのかを何となく判断されるから、私が彼のことを好きということは誰にも気づかれていない。

 まぁ、それが自分を苦しめているなんて、最初は思いもしなかったけど。


「なにお前、俺の写真ぜんぶ消したの?」

「当たり前じゃん」

「ふざけてんな?」

「お前がな」


 先週、私の携帯を勝手に弄っていると思えば、自分の自撮りや、みんなで撮った写真などを転送してきて、それを勝手に保存していたのだ。

 彼の写真でフォルダーがいっぱいになるのを夢見ていたから、内心嬉しかったけど、私は決してその感情を表に出さずに嫌な顔を浮かべた。

 家に帰ってからズキズキとした胸の痛みに気づかないふりをして、彼の写真を全部消した。それが今、彼にバレてしまった。


「なんで消すんだよ」

「いらないから」

「本当、酷いな?」

「すみませんねー」

「めっちゃ棒読み。だからお前は変に誤解されるんだぞ」


 今のキャラクターを演じすぎて、友達じゃない人からは怖いだの、先輩からは凄く生意気だの言われていることが多い。大概は話しをして誤解だったと言われることが多いけど、煩いほど騒いでいるグループに所属していて騒がずいつも携帯を弄っている私は、当然誤解されてもおかしくはないから今では放置している方が多い。


「別に……誤解されてないし」

「されてるだろ。お前があのグループ支配してるとか、いつも携帯弄ってるのは下の奴ら動かしてるとか、やばい先輩と繋がってるとか言われてんだから」

「……もし、それが本当だったら?」

「本当のわけないだろ。お前はそこまで変わってないし、お前がいつも韓国の食べ物調べてるのこっちは知ってんだぞ」


 彼は、人を沼に引きずり込ませるのが上手い。
 こうやって誰かしら見てくれてるって知っているから、私は誤解をされたままでいてもいいと思ってしまうのだ。


「てことで、写真撮ろうぜ」


 私にぶつかるように距離を詰めてきた為、すかさず距離を取ろうと椅子ごと彼を離そうとするが、許さないとばかりに腕を掴まれる。

 たったそれだけで、私の胸が高鳴るのには十分すぎた。


「……なに」

「だから、写真撮ろうぜって言ってんだよ」

「2人で?」

「そう。2人で」


 本当、馬鹿じゃないの?
 でも、そういうところが好き。


「嫌だけど」

「なんでだよ」

「写真嫌いだから」

「嘘つくな。あいつらといつもノリノリで写真撮ってんだろ」

「あれは仕方がなくだから」


 実際は仕方がなくではない。
 決して、ノリノリでもない。

 消さなくてもいい写真を撮るのに、どうして断らないといけないのか分からないだけ。


「そんなに俺と撮るの嫌かよ」

「うん」


 嫌に決まってるでしょ。
 家に帰って、泣きながら写真を一つずつ消していくんだよ?

 だったら最初から写真なんて撮らない方がいい。


「即答とか。前までは死ぬほど撮ってただろうが」

「前は前。今は今」

「マジで頑固。まぁ、そういうお前が好きなんだけどな」


 彼の発言と共に、下校を知らせるアナウンスがスピーカーから聞こえてくる。
 期待なんてしても意味がないのに、馬鹿みたいに期待して。いっそのこと、私が嫌いになるような言葉をかけてくれた方がまだいいのに。

 今にも飛び出しそうな勢いで強く鼓動を刻んでいるせいで、隣にいる彼に聞こえてしまうかもしれない。なんて思ったら恥ずかしくて、紛らわすように何度も何度も鼻をすする。


「なに、風邪?」

「風邪じゃない。花粉」

「お前、花粉症じゃねえじゃん」

「今年からなった」

「今、夏ですけど?」

「夏でも花粉はありますけど?」


 紛らわすことに必死すぎて、虚しくなってくる。

 左下を見て、耳たぶに触れながら立ち上がると、その手を彼が引いた。


「一口飲めば?」


 差し出された飲み物に、私はキュッと喉が締まった。

 そうだよね。彼は昔から何も変わっていない。
 変わってしまったのは私だけという事実に、胸が痛む。

 勘違い? 罪悪感?
 色んな感情が混ざり合わって、気を緩めると涙がこぼれそうで怖い。


「……図書館は飲食禁止」

「なんだよ今更。今まで見逃してたお前も同罪。ほら、早く」


 差し出されたペットボトルの水を手に持ち、ゆっくりと口をつける。
 あまりにもぬるすぎる水は、まるで中途半端な私を責めているみたいに思えた。

 好きとも伝えず、かといって諦める勇気もない私を。


「まず……」

「おい」


 ペットボトルを彼に返し、誰もいない図書室の戸締りをしようとカウンターから出れば、普段だったら誰も来るはずのない図書室の扉が勢いよく開いた。

 驚きのあまり、2人してドアに視線を向けると、カウンターから出てきたばかりの彼に誰かが勢いよく抱きつく。

 ううん、誰かではない。
 私とは違って垢抜けていて、男子全員を虜にしてしまうほど可愛い彼の彼女が、愛おしそうに彼の名前を呼びながら抱きついていた。

 突然のことだったからかな。いつもならすぐに心が悲鳴を上げるくらい締め付けられる感覚を覚えるのに、この時は苦しくもならなかった。


「びびった……」

「えへへ。待ってたんだー! 嬉しい?」

「うん、嬉しい。ありがとう」


 彼はニコッと笑みを浮かべると、彼女を自分から少しだけ引き離してから頭を撫で始める。

 私に向ける表情も、口調も違う。
 羨ましくて、死にたくなる。

 私の方が先に此処にいたのに、此処はもう、後から来たあの子のものになっている。

 そんな2人から目を逸らして戸締りをしに行こうとすれば、彼は「戸締りしてくるから待ってて」と、仕事をし始めようとする。それを私は咄嗟に止めた。


「帰っていいよ」

「は?」

「いいよ、帰って。こんな仕事、2人も要らないから」

「いつも一緒にやってんだろ」

「いつも私に任せてるくせに、今日は真面目くん? あー、彼女に良いところを見せたいのか」


 空元気ということを、多分彼は気づいている。
 でも、それを指摘されてはいけない。


「わざわざ彼女が迎えに来たって言うのに、また待たせる気?」


 少し、口調が強くなった気がした。
 そうでもしないと、いつもの自分を保つことが出来ない気がした。

 私は再びカウンターに戻り、椅子の横にある彼の荷物を持って、彼の胸に押し付けた。


「ほら」

「私は、待ってる時間も好きだよ?」


 気も遣えて、彼の機嫌も取れるとか、私は完全に負けじゃん。
 それなら、私はとことん嫌な存在になってあげよう。


「彼女にこんなこと言わせるなんて、最低」

「おい」

「ねえ、私と付き合う? こいつより何倍も楽しませる自信しかないけど」


 手を後ろで組み、彼女に近づいて首を傾げながら、心にも思っていないことを彼女の目を真っ直ぐ見つめて提案した。すると彼女は、あどけない笑みを浮かべて、可愛らしい声で笑いながら「考えとく」と言った。

 遠くから彼を眺めている際に必ずと言ってもいいほど、いつもこの笑い声が聞こえてくる。それが少し、トラウマになっているらしい。


 やっぱり、苦しい。
 ただ息をするだけで、ツンとした痛みが鼻に走る。

 泣く前兆だとすぐに気づき、早く帰ってほしくて彼の背中を押す。


「早く帰りなって」

「お前、なんか変だぞ」


 だったら、いつもそうやって気づいてよ。


「いつもこんな感じだけど」


 疑いの眼差しでこちらを見据えてくる彼の足を軽く蹴り飛ばした。
 一歩も引かない私の態度に諦めがついたのか、彼は深い溜め息をついた。


「……わかったよ」

「じゃあね。また月曜日」


 昔は土日も会っていたのにね。なんて心の中で呟きながら背を向けて、窓際に向かったその時だった。


「春菜」

「っ……」


 なんで今……名前なんて呼ぶのよ。
 普段はお前って言うのに。

 キュッと掌を握りしめながら振り返る。


「……なに」

「今度は消すなよ。じゃ」


 手を振ることも出来ず、手を繋いで仲良く図書室を出て行く2人。
 早く帰ってほしいと望んだのは私なのに、扉が閉まると同時に涙が頬を伝っていく。

 幼い頃から、いつも傍に居たのは私だったのに。
 一番近くにいたのは、私だったはずなのに。

 いつからこんなにも、遠い存在になってしまったんだろう。


『俺、彼女できた』


 嬉しそうに頬を赤らめながら報告してくれたあの日を、私は昨日のことのように鮮明に覚えている。

 おめでとう、と祝福なんか出来なかった。


『へぇ、よかったじゃん』


 頑張って何食わぬ顔で過ごしていたような気がする。

 見たこともないあの顔が、今も頭から離れない。
 私には一生、向けてもらえないあの顔が憎くて、愛おしくて仕方がない。


「ひっ……うぅっ……」


 いっそ、嫌いになれたらどんなに楽か。
 その場に蹲って、胸の痛みに耐えられず、胸元をギュッと握りしめた時、外から彼女の大きな声が聞こえてくる。

 あぁ、なんで早く戸締りをしなかったんだろう。

 後悔に駆られながら涙を拭わずに立ち上がり、窓に手をついて外を覗く。

 視界が滲む中、2人が手を繋ぎながら仲良く笑い合っている姿を見て、また視界が揺れた。


 いつも決まってそう。
 目線の先には絶対、私はいない。


 何が一番近い存在だ。何が羨ましいだ。
 みんなの目は節穴か。

 思わせぶりな態度を取られて、期待させるだけさせといて、最後はどん底に叩き落とされる。

 それの、どこがいいの?


 彼の1番には絶対になれやしない幼馴染なんて、ただの地獄。

 ただ苦しいだけ。
 一番近いように見えて、一番遠い存在。

 それを羨む人の気が知れない。


 胸元をギュッと握りしめながら、誰にも聞き取れない小さな声で「好き」が漏れた。

 今更、素直になっても仕方がないのに。
 泣いたって仕方がないのに。


 カナカナカナ──と、突然鳴き出したヒグラシは夏の終わりを知らせてくれている。そして同時に、私の恋の終わりも告げているように思えて、更に切なさが増した。


Fin



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 金曜日の放課後、誰もいない図書室で委員会の仕事をするこの時間が、私は大好きだった。
 理由なんて簡単。
 同じ委員会の好きな男子と二人きりでいられるから。
「相変わらず暇だな」
「暇だからこの委員会にしたくせに」
「金曜日の放課後が暇で気楽だからな。1年の時それ知ったから、お前だって今年も図書委員になったんだろ?」
「……まあね」
 当たり障りのない会話でも、喜んでいる自分がいる。けれど、素直に今の会話を喜べない自分もいる。
 ただ並んで歩いたり、隣で話したり、笑ったりするだけで満たされていたはずなのに。なんでもよかったはずなのに、いつからその声を自分だけに向けてほしいと、視界に自分だけを入れてほしいと思うようになったのだろう。
 彼の一番になりたくて、彼に見合う女子になりたくて。本来なら教室の端で静かにしているタイプの私が、もっと近づきたいという理由で口調もノリも少しだけ男っぽくして、私はサバサバ系ですよって。他の女子みたいにねちっこくないよって。だから以前より話しかけやすいって思われたくて自分を必死に変えた。
 極端に私が変わるもんだから、幼馴染である彼はとても驚いていたけど、長いことやっていれば嘘の私にも慣れていって、次第に「変じゃね?」と言われなくなった。
 でも、それも無意味だったんだけど。「お前さ、あれ聴いた?」
「聴いた」
 あれ、だけで分かる人なんて、私しかいないよ?
「なんであんなに、ピアノの音が綺麗なんだろう」
「マジそれな」
「綺麗すぎて泣きたくなる」
「情緒不安定かよ」
「うるさ」
 私たちが聴いたと話している音楽は、お互いに好きな韓国のアイドルグループの、新しく発売されたアルバムに入っているバラード曲。
思わず感傷に浸ってしまうほど、主線のピアノの音が綺麗すぎて、私は泣きたくなるではなく、泣いてしまった。
 私があの曲を聴いて泣いたとか、彼は想像も出来ないんだろうな。
 だって彼は、私のことを泣かないキャラだと思っているから。
「前までアルバムの貸し借りしてたけど、最近はしないよな」
「アルバムは買っても、CDで聴かなくなったからね」
「前からCDで聴いてねえじゃん」
「確かに」
 適当に返事をしていたことに気づかれたのか、彼は飲んでいたペットボトルをカウンターに置くと、私が弄っていた携帯を取り上げられた。
 小さく息を吐いてから隣を見ると、何故か私の携帯で自撮りをし始める。
「……何してんの」
「ん? お前の宝物増やしてやろうと思って」
「いらな」
「とか言って、本当は嬉しいくせに」
「うざ。てか、そんなの宝の価値にすらならないじゃん」
「お前、うざすぎ」
 少しだけ口角を上げて笑う彼を見て、私は心底マスクをしていて良かったと思った。
 マスクの着用は個人の判断になってから、マスクをする人が激減した。今は夏だし、していると熱中症にもなって大変なのだけれど、私は体育や外に出て運動する以外はマスクを付けていた。
 いつまでもマスクを着け続ける理由は、私は嬉しいと思うとすぐに顔が赤くなってしまう。だからそれを隠すために流行り病が始まる前からマスクを付けることが多かった。
 頬を赤らめて、彼のことを好きでも嫌いでもない、という態度を取ったって気づかれる人には気づかれてしまう。その分、マスクをしている方が顔の赤さも隠れるし、目元でどんな表情をしているのかを何となく判断されるから、私が彼のことを好きということは誰にも気づかれていない。
 まぁ、それが自分を苦しめているなんて、最初は思いもしなかったけど。
「なにお前、俺の写真ぜんぶ消したの?」
「当たり前じゃん」
「ふざけてんな?」
「お前がな」
 先週、私の携帯を勝手に弄っていると思えば、自分の自撮りや、みんなで撮った写真などを転送してきて、それを勝手に保存していたのだ。
 彼の写真でフォルダーがいっぱいになるのを夢見ていたから、内心嬉しかったけど、私は決してその感情を表に出さずに嫌な顔を浮かべた。
 家に帰ってからズキズキとした胸の痛みに気づかないふりをして、彼の写真を全部消した。それが今、彼にバレてしまった。
「なんで消すんだよ」
「いらないから」
「本当、酷いな?」
「すみませんねー」
「めっちゃ棒読み。だからお前は変に誤解されるんだぞ」
 今のキャラクターを演じすぎて、友達じゃない人からは怖いだの、先輩からは凄く生意気だの言われていることが多い。大概は話しをして誤解だったと言われることが多いけど、煩いほど騒いでいるグループに所属していて騒がずいつも携帯を弄っている私は、当然誤解されてもおかしくはないから今では放置している方が多い。
「別に……誤解されてないし」
「されてるだろ。お前があのグループ支配してるとか、いつも携帯弄ってるのは下の奴ら動かしてるとか、やばい先輩と繋がってるとか言われてんだから」
「……もし、それが本当だったら?」
「本当のわけないだろ。お前はそこまで変わってないし、お前がいつも韓国の食べ物調べてるのこっちは知ってんだぞ」
 彼は、人を沼に引きずり込ませるのが上手い。
 こうやって誰かしら見てくれてるって知っているから、私は誤解をされたままでいてもいいと思ってしまうのだ。
「てことで、写真撮ろうぜ」
 私にぶつかるように距離を詰めてきた為、すかさず距離を取ろうと椅子ごと彼を離そうとするが、許さないとばかりに腕を掴まれる。
 たったそれだけで、私の胸が高鳴るのには十分すぎた。
「……なに」
「だから、写真撮ろうぜって言ってんだよ」
「2人で?」
「そう。2人で」
 本当、馬鹿じゃないの?
 でも、そういうところが好き。
「嫌だけど」
「なんでだよ」
「写真嫌いだから」
「嘘つくな。あいつらといつもノリノリで写真撮ってんだろ」
「あれは仕方がなくだから」
 実際は仕方がなくではない。
 決して、ノリノリでもない。
 消さなくてもいい写真を撮るのに、どうして断らないといけないのか分からないだけ。
「そんなに俺と撮るの嫌かよ」
「うん」
 嫌に決まってるでしょ。
 家に帰って、泣きながら写真を一つずつ消していくんだよ?
 だったら最初から写真なんて撮らない方がいい。
「即答とか。前までは死ぬほど撮ってただろうが」
「前は前。今は今」
「マジで頑固。まぁ、そういうお前が好きなんだけどな」
 彼の発言と共に、下校を知らせるアナウンスがスピーカーから聞こえてくる。
 期待なんてしても意味がないのに、馬鹿みたいに期待して。いっそのこと、私が嫌いになるような言葉をかけてくれた方がまだいいのに。
 今にも飛び出しそうな勢いで強く鼓動を刻んでいるせいで、隣にいる彼に聞こえてしまうかもしれない。なんて思ったら恥ずかしくて、紛らわすように何度も何度も鼻をすする。
「なに、風邪?」
「風邪じゃない。花粉」
「お前、花粉症じゃねえじゃん」
「今年からなった」
「今、夏ですけど?」
「夏でも花粉はありますけど?」
 紛らわすことに必死すぎて、虚しくなってくる。
 左下を見て、耳たぶに触れながら立ち上がると、その手を彼が引いた。
「一口飲めば?」
 差し出された飲み物に、私はキュッと喉が締まった。
 そうだよね。彼は昔から何も変わっていない。
 変わってしまったのは私だけという事実に、胸が痛む。
 勘違い? 罪悪感?
 色んな感情が混ざり合わって、気を緩めると涙がこぼれそうで怖い。
「……図書館は飲食禁止」
「なんだよ今更。今まで見逃してたお前も同罪。ほら、早く」
 差し出されたペットボトルの水を手に持ち、ゆっくりと口をつける。
 あまりにもぬるすぎる水は、まるで中途半端な私を責めているみたいに思えた。
 好きとも伝えず、かといって諦める勇気もない私を。
「まず……」
「おい」
 ペットボトルを彼に返し、誰もいない図書室の戸締りをしようとカウンターから出れば、普段だったら誰も来るはずのない図書室の扉が勢いよく開いた。
 驚きのあまり、2人してドアに視線を向けると、カウンターから出てきたばかりの彼に誰かが勢いよく抱きつく。
 ううん、誰かではない。
 私とは違って垢抜けていて、男子全員を虜にしてしまうほど可愛い彼の彼女が、愛おしそうに彼の名前を呼びながら抱きついていた。
 突然のことだったからかな。いつもならすぐに心が悲鳴を上げるくらい締め付けられる感覚を覚えるのに、この時は苦しくもならなかった。
「びびった……」
「えへへ。待ってたんだー! 嬉しい?」
「うん、嬉しい。ありがとう」
 彼はニコッと笑みを浮かべると、彼女を自分から少しだけ引き離してから頭を撫で始める。
 私に向ける表情も、口調も違う。
 羨ましくて、死にたくなる。
 私の方が先に此処にいたのに、此処はもう、後から来たあの子のものになっている。
 そんな2人から目を逸らして戸締りをしに行こうとすれば、彼は「戸締りしてくるから待ってて」と、仕事をし始めようとする。それを私は咄嗟に止めた。
「帰っていいよ」
「は?」
「いいよ、帰って。こんな仕事、2人も要らないから」
「いつも一緒にやってんだろ」
「いつも私に任せてるくせに、今日は真面目くん? あー、彼女に良いところを見せたいのか」
 空元気ということを、多分彼は気づいている。
 でも、それを指摘されてはいけない。
「わざわざ彼女が迎えに来たって言うのに、また待たせる気?」
 少し、口調が強くなった気がした。
 そうでもしないと、いつもの自分を保つことが出来ない気がした。
 私は再びカウンターに戻り、椅子の横にある彼の荷物を持って、彼の胸に押し付けた。
「ほら」
「私は、待ってる時間も好きだよ?」
 気も遣えて、彼の機嫌も取れるとか、私は完全に負けじゃん。
 それなら、私はとことん嫌な存在になってあげよう。
「彼女にこんなこと言わせるなんて、最低」
「おい」
「ねえ、私と付き合う? こいつより何倍も楽しませる自信しかないけど」
 手を後ろで組み、彼女に近づいて首を傾げながら、心にも思っていないことを彼女の目を真っ直ぐ見つめて提案した。すると彼女は、あどけない笑みを浮かべて、可愛らしい声で笑いながら「考えとく」と言った。
 遠くから彼を眺めている際に必ずと言ってもいいほど、いつもこの笑い声が聞こえてくる。それが少し、トラウマになっているらしい。
 やっぱり、苦しい。
 ただ息をするだけで、ツンとした痛みが鼻に走る。
 泣く前兆だとすぐに気づき、早く帰ってほしくて彼の背中を押す。
「早く帰りなって」
「お前、なんか変だぞ」
 だったら、いつもそうやって気づいてよ。
「いつもこんな感じだけど」
 疑いの眼差しでこちらを見据えてくる彼の足を軽く蹴り飛ばした。
 一歩も引かない私の態度に諦めがついたのか、彼は深い溜め息をついた。
「……わかったよ」
「じゃあね。また月曜日」
 昔は土日も会っていたのにね。なんて心の中で呟きながら背を向けて、窓際に向かったその時だった。
「春菜」
「っ……」
 なんで今……名前なんて呼ぶのよ。
 普段はお前って言うのに。
 キュッと掌を握りしめながら振り返る。
「……なに」
「今度は消すなよ。じゃ」
 手を振ることも出来ず、手を繋いで仲良く図書室を出て行く2人。
 早く帰ってほしいと望んだのは私なのに、扉が閉まると同時に涙が頬を伝っていく。
 幼い頃から、いつも傍に居たのは私だったのに。
 一番近くにいたのは、私だったはずなのに。
 いつからこんなにも、遠い存在になってしまったんだろう。
『俺、彼女できた』
 嬉しそうに頬を赤らめながら報告してくれたあの日を、私は昨日のことのように鮮明に覚えている。
 おめでとう、と祝福なんか出来なかった。
『へぇ、よかったじゃん』
 頑張って何食わぬ顔で過ごしていたような気がする。
 見たこともないあの顔が、今も頭から離れない。
 私には一生、向けてもらえないあの顔が憎くて、愛おしくて仕方がない。
「ひっ……うぅっ……」
 いっそ、嫌いになれたらどんなに楽か。
 その場に蹲って、胸の痛みに耐えられず、胸元をギュッと握りしめた時、外から彼女の大きな声が聞こえてくる。
 あぁ、なんで早く戸締りをしなかったんだろう。
 後悔に駆られながら涙を拭わずに立ち上がり、窓に手をついて外を覗く。
 視界が滲む中、2人が手を繋ぎながら仲良く笑い合っている姿を見て、また視界が揺れた。
 いつも決まってそう。
 目線の先には絶対、私はいない。
 何が一番近い存在だ。何が羨ましいだ。
 みんなの目は節穴か。
 思わせぶりな態度を取られて、期待させるだけさせといて、最後はどん底に叩き落とされる。
 それの、どこがいいの?
 彼の1番には絶対になれやしない幼馴染なんて、ただの地獄。
 ただ苦しいだけ。
 一番近いように見えて、一番遠い存在。
 それを羨む人の気が知れない。
 胸元をギュッと握りしめながら、誰にも聞き取れない小さな声で「好き」が漏れた。
 今更、素直になっても仕方がないのに。
 泣いたって仕方がないのに。
 カナカナカナ──と、突然鳴き出したヒグラシは夏の終わりを知らせてくれている。そして同時に、私の恋の終わりも告げているように思えて、更に切なさが増した。
Fin