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最終回

ー/ー



 すぐ横が急斜面だと、気付いていなかった。

「……俺も、下りればよかったんだ。そうしたら、助けられなくても、一緒にいられた。だけど……怖かったんだ」
 下をのぞくとそこには闇しかなかった。おそるおそる、小さな声で妹の名を呼んだけれど、いくら待っても返事は返ってこなかった。
 ずっとのぞき込んでいると、闇の中にぼうっとあの太った女の悦にいった顔が浮かび上がった気がして、たまらず憂喜はその場から逃げだした。

◆◆◆

「あとはもう、父さんや集落の人たちに囲まれていた記憶しかないや」
 空を仰ぎ、憂喜は涙がこぼれそうになるのをなんとか食い止めた。

 足元には美喜の小さな遺体がある。

 あのあと。光を抜けた先はなぜか故郷の山で、そこには未来と綾乃、そしてアレスタという大人の女性がいた。
 母の記憶を視たことで一瞬で全てを思いだした憂喜は、その全てを彼女たちに向かって吐き出した。

 止まらなかった。胸が引き裂かれそうな思いで泣きながら話す、その話の大部分を3人はもうすでに知っていたようだが、最後まで黙って聞き終えると、憂喜をこの場所へ案内してくれた。

「長い間、ずっと独りにさせちまったな」

 なぜ今まで見つからなかったか不思議だった。あの下は実は沢になっていて、流されたせいもあるだろうが、それにしても不自然だ。
「お山で死んだ人の中にはお山に気に入られて、お山の子になる人もいるの。だから……」
 未来がためらいがちに教えてくれた。彼女も巫女服姿だった。あの祝詞を唱えたことからして、彼女も本物の巫女なのだろう。
 未来の言葉のイメージを、憂喜は気に入った。美喜はお山の子になった、というのは、少なくとも、あの巫女たちに邪魔されて見つけられずにいたと考えるよりずっといい。だから
「そっか」
 とうなずき、礼を言った。

 幼い体はとうに骨となり、その骨も大部分が朽ちてしまって、小花柄のワンピースがわずかに残るだけだったが、その残った部分でも、美喜が横向きに倒れていたことが分かった。
 よくこんなふうに横向きになって寝ていたな、と思いだしながら雨で濡れたその布に触れる。
「さあ起きて、美喜。一緒に帰ろう」
 憂喜の呼びかけに応えるように、おかっぱ頭の少女が起き上がった。

 ――うん、ちぃにーちゃん

 にっこり笑って、憂喜のシャツの裾を小さな手で握る。
「大兄ちゃんも」
 木の間からこちらの様子をうかがっていた、勝喜の霊にもう片方の手を差し出す。
 憂喜は、今度こそ3人一緒に帰るのだと思った。

死者のナイフ
◆◆◆

 夜遅く、アレスタの車で帰宅した憂喜を、父親は怒らずに家へ入れてくれた。

 どうやらアレスタが前もって連絡を入れてくれていたようだ。
 あとであらためてお礼を言いたいので連絡先を教えてもらえないかと言う憂喜に、アレスタはにっこり笑って名刺を差し出した。

「私たちの機関は霊に関わった人たちへのアフターケアも行っているの。何かあったらいつでもここへ電話してちょうだい」

 金髪に緑の目と、どう見ても外人だったが、まるで日本人のように完璧な日本語で流暢にそう言って、ピンっと憂喜の手に名刺を弾き入れ、ウィンクを飛ばして去って行った。

 父親は、憂喜が故郷に行ったことを知っていた。そして母親が半月前に結核で亡くなったことを告げ、「おまえにどう話せばいいか分からないまま、こんなにも日がたってしまった」と詫びた。
「いいよ。離婚して10年だろ。それに、俺、一度も母さんのこと、口にしたことなかったし。父さんが話しづらかったの、分かるから」
 そう言えたのは、憂喜もまた、ずっと父親に話せなかったことがあるからだろう。
 今日新たに加わった秘密も、話す気はない。

 母は、この人には幸せになってもらいたいと願っていた。そこには、父に対する純粋な想いがあふれていた。
 憂喜を憎み、怨霊となって巫女たちに使役されていたなど、絶対に知られたくないに違いない。
 疲れたからもう寝るよ、まだ何かあるならあしたにして、と少々強引に話を終えて、憂喜は自室へ戻った。
 明かりはつけず、そのまま、倒れ込むようにベッドへ転がる。

「……母さん。もう絶対に忘れない。覚えているのはつらくて、すごく苦しいけど。でも、みんなのこと、覚えていたいから……」

 憂喜は声を殺して泣いた。



    死者はナイフを突き立てる。
    この世界で生きていた証を刻むように。
    そのナイフは胸に刺さって、いつまでも抜けない。
    唯一抜ける手は、もうこの世にはないのだ……。


◆◆◆

 一晩泣いて迎えた朝の顔は、自分で見てもひどかった。

 水で冷やしたがほとんど効き目はない。あまりのひどさに父親も「今日は学校休むか?」と訊いてきたほどだ。
 やりたいことはあった。
 朝になって、昨日買い集めたお守りが全て焼け焦げていたことに気付いた。いつの段階でかは分からないが、これらも早蕨神社の守り札のように、憂喜を護ってくれていたに違いない。早いうちにもう一度これらの神社と寺を回って、お礼参りをしなくてはならないだろう。
 ただ、今日は絶対に学校を休むわけにはいかなかった。
 あれから安倍はどうなったのか。知る必要がある。

 あの山に安倍は現れなかった。
 白狐もいつの間にか消えていた。おそらく憂喜が光に飛び込んだのを見届けて、安倍の元へ帰ったのだろうとは思うが、確証はない。
(まさか、6人の巫女にやられたなんてことは……)
 いや、あの安倍に限って。でも母が追ってきたってことは。いやいやまさか。など、そんなことをくよくよ考えながら歩いていたおかげでか、周囲からの視線は気にならなかった。
 教室の後ろのドアをからりと開けて、真っ先に安倍の席を見る。

 いた。

 安倍はちゃんとそこにいて、長い前髪で目元が隠れているせいで何を考えているか分からない顔つきで、いつものように騒がしい朝の教室の中、1人ぼーっと牛乳パックをストローで飲んでいた。今日はバナナ牛乳だ。
 けがを負っている様子はない。

 そうして入り口に立ったまま彼を観察していた憂喜に、すぐ安倍も気付く。
「……ひっでぇ顔」
 ぷっと吹く遠慮のない安倍に苦笑いし、スクールバッグを担ぎ直すと、憂喜は教室へ入っていった。






【第1話・死者のナイフ 了】


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 すぐ横が急斜面だと、気付いていなかった。

「……俺も、下りればよかったんだ。そうしたら、助けられなくても、一緒にいられた。だけど……怖かったんだ」
 下をのぞくとそこには闇しかなかった。おそるおそる、小さな声で妹の名を呼んだけれど、いくら待っても返事は返ってこなかった。
 ずっとのぞき込んでいると、闇の中にぼうっとあの太った女の悦にいった顔が浮かび上がった気がして、たまらず憂喜はその場から逃げだした。

◆◆◆

「あとはもう、父さんや集落の人たちに囲まれていた記憶しかないや」
 空を仰ぎ、憂喜は涙がこぼれそうになるのをなんとか食い止めた。

 足元には美喜の小さな遺体がある。

 あのあと。光を抜けた先はなぜか故郷の山で、そこには未来と綾乃、そしてアレスタという大人の女性がいた。
 母の記憶を視たことで一瞬で全てを思いだした憂喜は、その全てを彼女たちに向かって吐き出した。

 止まらなかった。胸が引き裂かれそうな思いで泣きながら話す、その話の大部分を3人はもうすでに知っていたようだが、最後まで黙って聞き終えると、憂喜をこの場所へ案内してくれた。

「長い間、ずっと独りにさせちまったな」

 なぜ今まで見つからなかったか不思議だった。あの下は実は沢になっていて、流されたせいもあるだろうが、それにしても不自然だ。
「お山で死んだ人の中にはお山に気に入られて、お山の子になる人もいるの。だから……」
 未来がためらいがちに教えてくれた。彼女も巫女服姿だった。あの祝詞を唱えたことからして、彼女も本物の巫女なのだろう。
 未来の言葉のイメージを、憂喜は気に入った。美喜はお山の子になった、というのは、少なくとも、あの巫女たちに邪魔されて見つけられずにいたと考えるよりずっといい。だから
「そっか」
 とうなずき、礼を言った。

 幼い体はとうに骨となり、その骨も大部分が朽ちてしまって、小花柄のワンピースがわずかに残るだけだったが、その残った部分でも、美喜が横向きに倒れていたことが分かった。
 よくこんなふうに横向きになって寝ていたな、と思いだしながら雨で濡れたその布に触れる。
「さあ起きて、美喜。一緒に帰ろう」
 憂喜の呼びかけに応えるように、おかっぱ頭の少女が起き上がった。

 ――うん、ちぃにーちゃん

 にっこり笑って、憂喜のシャツの裾を小さな手で握る。
「大兄ちゃんも」
 木の間からこちらの様子をうかがっていた、勝喜の霊にもう片方の手を差し出す。
 憂喜は、今度こそ3人一緒に帰るのだと思った。

死者のナイフ
◆◆◆

 夜遅く、アレスタの車で帰宅した憂喜を、父親は怒らずに家へ入れてくれた。

 どうやらアレスタが前もって連絡を入れてくれていたようだ。
 あとであらためてお礼を言いたいので連絡先を教えてもらえないかと言う憂喜に、アレスタはにっこり笑って名刺を差し出した。

「私たちの機関は霊に関わった人たちへのアフターケアも行っているの。何かあったらいつでもここへ電話してちょうだい」

 金髪に緑の目と、どう見ても外人だったが、まるで日本人のように完璧な日本語で流暢にそう言って、ピンっと憂喜の手に名刺を弾き入れ、ウィンクを飛ばして去って行った。

 父親は、憂喜が故郷に行ったことを知っていた。そして母親が半月前に結核で亡くなったことを告げ、「おまえにどう話せばいいか分からないまま、こんなにも日がたってしまった」と詫びた。
「いいよ。離婚して10年だろ。それに、俺、一度も母さんのこと、口にしたことなかったし。父さんが話しづらかったの、分かるから」
 そう言えたのは、憂喜もまた、ずっと父親に話せなかったことがあるからだろう。
 今日新たに加わった秘密も、話す気はない。

 母は、この人には幸せになってもらいたいと願っていた。そこには、父に対する純粋な想いがあふれていた。
 憂喜を憎み、怨霊となって巫女たちに使役されていたなど、絶対に知られたくないに違いない。
 疲れたからもう寝るよ、まだ何かあるならあしたにして、と少々強引に話を終えて、憂喜は自室へ戻った。
 明かりはつけず、そのまま、倒れ込むようにベッドへ転がる。

「……母さん。もう絶対に忘れない。覚えているのはつらくて、すごく苦しいけど。でも、みんなのこと、覚えていたいから……」

 憂喜は声を殺して泣いた。



    死者はナイフを突き立てる。
    この世界で生きていた証を刻むように。
    そのナイフは胸に刺さって、いつまでも抜けない。
    唯一抜ける手は、もうこの世にはないのだ……。


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 水で冷やしたがほとんど効き目はない。あまりのひどさに父親も「今日は学校休むか?」と訊いてきたほどだ。
 やりたいことはあった。
 朝になって、昨日買い集めたお守りが全て焼け焦げていたことに気付いた。いつの段階でかは分からないが、これらも早蕨神社の守り札のように、憂喜を護ってくれていたに違いない。早いうちにもう一度これらの神社と寺を回って、お礼参りをしなくてはならないだろう。
 ただ、今日は絶対に学校を休むわけにはいかなかった。
 あれから安倍はどうなったのか。知る必要がある。

 あの山に安倍は現れなかった。
 白狐もいつの間にか消えていた。おそらく憂喜が光に飛び込んだのを見届けて、安倍の元へ帰ったのだろうとは思うが、確証はない。
(まさか、6人の巫女にやられたなんてことは……)
 いや、あの安倍に限って。でも母が追ってきたってことは。いやいやまさか。など、そんなことをくよくよ考えながら歩いていたおかげでか、周囲からの視線は気にならなかった。
 教室の後ろのドアをからりと開けて、真っ先に安倍の席を見る。

 いた。

 安倍はちゃんとそこにいて、長い前髪で目元が隠れているせいで何を考えているか分からない顔つきで、いつものように騒がしい朝の教室の中、1人ぼーっと牛乳パックをストローで飲んでいた。今日はバナナ牛乳だ。
 けがを負っている様子はない。

 そうして入り口に立ったまま彼を観察していた憂喜に、すぐ安倍も気付く。
「……ひっでぇ顔」
 ぷっと吹く遠慮のない安倍に苦笑いし、スクールバッグを担ぎ直すと、憂喜は教室へ入っていった。






【第1話・死者のナイフ 了】


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